哲学と科学の違いとは何ですか?教えて下さい

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (9件)

科学は哲学の一分野です。



科学も哲学も、ある種の「問い」に答えようとする活動です。
でも、迷子の子猫ちゃんの名前を問うような問いでは面白くない。一回しっかり検討しておけば、後々に使えるようなのが面白いし重要だ。それで、何らか普遍性・再現性があるように見える現象を捉えて、その背後にある(かもしれない)本質、つまり法則を見つけ出したいというのが一つの到着点です。(例えば「法則なんか、ない。」なんて答も、あんまり役に立たないですけど、法則を主張したことには違いないでしょ。)そうすると「問い」を作り出すこと自体が哲学に含まれてきます。つまらん問い、どうしても答えようのない問い、答の出る問い。問いの内のあるものは問うたとたんにもう答が出てますし、答がまとまらない問いもあるだろうし、どう答えてもおかしくなるような仕掛けが入った問いもあります。
そういうものを見極めるにはどうすりゃいいんですか?ちゅう問いもアリです。

科学では、(ネタや発想をどこから持ってくるかは別として、)最終的に「科学的方法」という形式に従って法則を記述し、実証しなくては落第です。

哲学では、方法を科学的方法に限ったりしません。それどころか、何にでも一般に通用する方法というものはないと考えている。科学とは相反するのかというと、とんでもない。そうじゃなくて、科学を含むんです。科学で解決される問いはいっぱいありますからね。新しい方法を開発するのも哲学の内だし、その方法で手に負えない問いを出して見せるのも哲学。

最も成功した哲学の代表選手は、やっぱり理論物理学でしょう。11次元空間で記述される(まだ詳細不明の)理論から導かれる10次元空間における沢山の物理理論、という描像。物に質量が生じる機構とそれに関わる未発見の粒子、という描像。これらは紛れもなく形而上学ですよ。直接実証できる見込みなどありませんからね。
 科学においては、何かを実験的に実証した、と言うことがある。ですけど客観的には、実験はただの統計の偏りを示しただけのこと。そこに理論から演繹された予言との一致を見て、「少なくとも辻褄はあってる」と言っているに過ぎない。だから確かな例外が一つ出れば全てがひっくり返ります。だからこそ、世の中的には「既に実証済み」と思われてる理論・法則が、いつまで経っても研究の対象になっています。

下記URLでも似たようなこと書いてますんで、ご参照下さい。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=53553, http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=12863
    • good
    • 3

ごく簡単に言えば、形而上と形而下の違いではないでしょうか。



例として人が死んだ時、医学的に言えば「高次神経系の機能の停止」
と言うことになりますが、自分の大切な人が亡くなった場合、
そういう風に科学的に納得できる人はいるでしょうか。まあいないですね。
仮に自分が死に直面したときのことを考えてみてください。
それが例え科学的に十分説明できる理由であったとしても、あなたにとって解決にはならないでしょう。
自然科学の基本スタンスは「自然なる物を支配する(EX 病気の治癒)」というものではないかと思うのですが、それには限界があり、科学では説明のつかない範疇のものを扱っているものが、形而上の学問、すなわち哲学なのではないでしょうか。
そういう目に見えないものに対して考察していくものが人間には必要なのでしょう。

しかし、哲学も人文科学と言いますから、科学の一つとしての哲学という考え方もできます。私は哲学は人間の生命を科学したものと捉えています。
    • good
    • 0

私の考えでは、



ただ「科学」と言えば、人文科学、社会科学、そして自然科学の総称だと思います。

また「哲学」とは、人文科学に含まれる学問であると思います。

とすれば、両者に違いはありませんよね。

しかし、質問の意図はそこにはありませんよね。
たぶん、人文科学である哲学と自然科学である
(恐らく)物理学との違い、または(哲学を科学
でないものとしてとらえ)神学と科学との違い
のどちらかにあるのではと推量します。

前者の違いはわかりませんが、後者の違いなら
まだわかる気がします。その違いは、神学は
100%正しいものを目指すが、科学は99%正しい
ものを目指す傾向にあることだと思います。

以上
    • good
    • 0

 科学と哲学を同一と見なすのはいかにも哲学っぽい質問ですね(笑)



 この二つの学問に共通するのは、どちらも真理を突き止めるための学問であるということです。科学は物理的で唯物的で、なおかつ客観的にこの世の中を分析するのに対し、哲学は主に人間の精神を対象に、精神的で唯心的に分析します。

 科学は、この世の物理法則を極める学問ですので、要は「この世の中がどういう仕組みで成り立っているのか」ということを考えるのです。
 そして哲学は、人間の精神を分析するわけです。昨今では心理学にすっかりお株を奪われた感がありますが、実際にはそうではなく、心理学はやっぱり、人間の精神を客観的に観察しているわけなので、心理学はどちらかというと科学の方に分類されます。
    • good
    • 2

科学は唯一絶対の答えを持っているもの。


哲学は無限の答えの可能性を持つもの。

・・・だと思っています。
    • good
    • 2

ぼくはこんなふうに考えています。



科学:自然や社会の現象について、理路整然と関係性を説明し、理論化するもの。
哲学:科学的にまだ説明できないもの、説明できてもその背後に潜むことに意味をあたえるもの。

たとえば今日社会のネットワーク化が進んで来ていることについて、哲学者ドゥルーズは早くも1960年代に、社会構造がツリー状(樹木型)からリゾーム状(茎根型=ネットワーク型)に進むことを主張しました。それに対して、ノーベル賞をもらったガルブレイスなどの経済学者は、まだネットワーク経済が出来つつあるか現象を慎重に見守っていると言います。ニュートンもデカルトの哲学の影響で万有引力を発見したと言います。

ある有名な哲学者は、「哲学者の役割は、まだぼんやりしている事象に1歩早く意味を与えることだ」と言いました。

また長い間哲学者が取り組んでいる問題に、「実在とはなにか」、つまりモノが存在するということはどういうことかというものがありますが、科学者は、生物系のひとは、どうして存在するモノが目に見えるかを精密に追求したり、物理学者は、それを重力や支えるものの反作用で説明しようとします。それに対して先端的哲学者は、人間の認識とモノの客観的存在とを融合させて考えます。それがハイデッカーや西田幾多郎です。

このように科学的に解明されたようにみえるものでも、哲学者はそれらの現象を包摂する意味を考えます。
    • good
    • 0

「どうやって?(HOW?)」を問うのが、科学。


「どうして?(WHY?)」を問うのが、哲学。

たとえば、
「宇宙はどうやって生まれたの?」
という問いに対し、理論と観測、実験を組み立ててビッグバンの0.0000…1秒後の状態まで再現することができても、
「なるほど。でもそんな宇宙が生まれたのは、なぜ?」
とさらに問われるともう答えようがないのが科学です。

で、哲学はそれに有効な答えを持っているかというと、そうではなくて。
「『そんな宇宙が生まれたのはなぜ?』ということを知りたがる人間の存在って何だろう?」
と問題をすりかえてしまうのが(近・現代)哲学のズルいところです(笑)。
    • good
    • 1
    • good
    • 0

複数カテゴリーへの質問は禁止されていますよ。

    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q哲学の辞書か概説書 英語と日本語

あまり哲学に詳しくはないのですが、最近、英語の哲学関連の文献を読む機会があり、そもそもの用語の使い方からして、閉口しています。文献自体は、古代、中世哲学ではなく、近代、現代哲学に関わるものだと思うのですが、その分野もカバーしている英語の哲学の辞書(分厚い物である必要はありません)か、英語の概略書のようなものがあれば、教えて頂きたいと思います。
多少、古い辞書や文献でも構いません。
できれば、邦訳されているものであれば、両言語を確認できるので、なおよいですし、日本語の辞書、文献でも、英語での用語が載っているものであれば、意味があると思います。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

廣松 渉 (編集)『 岩波哲学・思想事典』、岩波書店(http://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%83%BB%E6%80%9D%E6%83%B3%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E5%BB%A3%E6%9D%BE-%E6%B8%89/dp/4000800892/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1415798992&sr=8-1&keywords=%E5%93%B2%E5%AD%A6%E6%80%9D%E6%83%B3%E8%BE%9E%E5%85%B8)
古いですが、各語句に対応する英語を含めた外国語も載っています。


Ernest Sosa,(編集)“A Companion to Epistemology”,Blackwell Publishers(http://www.amazon.com/Companion-Epistemology-Blackwell-Companions-Philosophy/dp/0631192581/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1415798674&sr=8-1&keywords=A+Companion+to+Epistemology)
認識論中心ですが、辞書形式です。古いです。

山崎 正一(編集)『現代哲学事典』、講談社現代新書(http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%93%B2%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-225-%E5%B1%B1%E5%B4%8E-%E6%AD%A3%E4%B8%80/dp/406115625X/ref=sr_1_fkmr1_2?ie=UTF8&qid=1415798208&sr=8-2-fkmr1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%BE%9E%E5%85%B8%E3%80%80%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E3%80%80%E6%96%87%E5%BA%AB)
もっと古いです。外国語が載っていたか覚えていません。ただ、安価です。

廣松 渉 (編集)『 岩波哲学・思想事典』、岩波書店(http://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%83%BB%E6%80%9D%E6%83%B3%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E5%BB%A3%E6%9D%BE-%E6%B8%89/dp/4000800892/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1415798992&sr=8-1&keywords=%E5%93%B2%E5%AD%A6%E6%80%9D%E6%83%B3%E8%BE%9E%E5%85%B8)
古いですが、各語句に対応する英語を含めた外国語も載っています。


Ernest Sosa,(編集)“A Companion to Epistemology”,Blackwell Publishers(http://www.amazon.com/Companion-Epistem...続きを読む

Q哲学と科学の違いは何でしょうか

 日本語を勉強中の中国人です。哲学と科学の違いは何でしょうか。個人的には、前者は人それぞれの考え方についての学問で、後者は客観的な事実に基づいて出した結論の学問だと思います。皆様はどう思われますか。

 もし教えてGOOである質問があるとします。どんな時に、この質問を哲学のカテゴリに投稿するでしょうか。どんな時に、、この質問を科学のカテゴリに投稿するのでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>哲学と科学の違いは何でしょうか。、前者は人それぞれの考え方についての学問で、後者は客観的な事実に基づいて出した結論の学問だと思います。

間違っては居ないと思います。貴方の考え方では、哲学は「人生観」という意味が見られます。哲学はそればかりではなく、人間や世界という存在そのものを根本的に考え直してその意味を追求していく言語による抽象的な思想的な学問でもあると思います。
科学はそれが(人間にとって)善いことなのかどうかをあまり深く考えずに突っ込んでいくところがありますが、哲学はそれにブレーキをかける倫理的な役目を負っている部分があります。

>どんな時に、この質問を哲学のカテゴリに投稿するでしょうか。どんな時に、、この質問を科学のカテゴリに投稿するのでしょうか。

この質問自体は「国語」あるいは「哲学」が合っています。「科学」では「科学という学問」そのものの技術的な意味を問うことはあっても「科学と哲学との違い」を問う事はできないと思います。特殊な質問として「こういうような科学の分野は倫理的に問題があるのかそれともないか?」というような質問はありかもしれません。その科学の分野がどういう詳細な部分を持ち、どんな性格を持っているのかをよく知らなければ判断ができないからです。

>哲学と科学の違いは何でしょうか。、前者は人それぞれの考え方についての学問で、後者は客観的な事実に基づいて出した結論の学問だと思います。

間違っては居ないと思います。貴方の考え方では、哲学は「人生観」という意味が見られます。哲学はそればかりではなく、人間や世界という存在そのものを根本的に考え直してその意味を追求していく言語による抽象的な思想的な学問でもあると思います。
科学はそれが(人間にとって)善いことなのかどうかをあまり深く考えずに突っ込んでいくところがありますが、哲学...続きを読む

Q英語での哲学問答サイト

 このOKウエブの哲学サイトのような問答を英語で出来る
 国際的なサイトをご存知の方教えていただけないでしょうか?
 たとえば、ハイデッガーやデカルトなど、訳本そのものが難解で
 日本語の問答では意味不明のものになっている過去の哲学者について
 なるべく原典に近い言語でQアンドAをしたいと思います。
 
 もしご存知の方おられたらよろしくご教示ください。
 

Aベストアンサー

初歩の哲学から難解な哲学まであって…
最初に確かレジスターで登録作業があるんです。

私には難解過ぎた部分があったのでチラ見でしか
なかったですが。(人物の名前すら一苦労)

英語に自信がおありなら覗く価値はあるかと
思います。よ。

参考URL:http://www.ilovephilosophy.com/phpbb/index.php

Q哲学者と思想家の違いは何ですか?

「哲学者」と「思想家」の違い、あるいは、「哲学」と「思想」の違いは何でしょうか?

「現代思想」という表現は、よく見かけますが、「現代哲学」という表現は比較的少ないように思います。どのように使い分けているのでしょうか?

Aベストアンサー

思想はイデオロギーですよね。イデオロギーは、人間の行動の基本となる、根本的なものの考え(観念形態)です。したがって、思想には、行動が伴い、往々にして、社会的(集団的)な広がりを持ちます。これに対して、哲学は、世界や人生の究極の根本原理を追求する学問であり、あくまでも、個人的なレベルにとどまります。

「カント哲学」はカント個人の哲学であり、他の人の哲学にはならないのです。カントを研究する人は「カント哲学の研究者」であって、決して「カント哲学者」ではないのです。カント哲学に心酔する人も、カントと同じ哲学を持つことはありえません。仮に、カントと同じ哲学を持ったとしたら、その人は「哲学者」ではなく、「研究者」になります。自ら思索し、自らの哲学を創る人を哲学者といいます。

それから、東洋哲学というのも適切な表現ではありません。東洋には哲学はありません。哲学は古代ギリシャを発祥とする個人的で、自由な思考形式です。

Q院試対策として英語か仏語で哲学史の勉強がしたい!おすすめの本を教えてください!

こんにちは。大学院進学志望の大学三年生です。
私は将来、フランス哲学の研究者になりたいと思っています。
大学1、2年の頃はなんとなく興味があり、趣味として哲学を勉強していたのですが、今から半年前の大学3年の夏頃から、真剣に哲学を勉強したいと思うようになりました。
それからの半年間は、所属している大学に哲学科がないので、所属しているゼミ(応用倫理学)の先生に他大学の授業を紹介して頂いたり、自分で研究書を読んだりして勉強してきました。
しかし、半年前までは研究者になることを真剣に考えていなかったこともあり、私は語学をほとんど勉強してきませんでした。
英語は大学に入学して以来ペーパーバックを二冊読んだ程度で、おそらく高卒の直後から実力はまったく伸びていません(2005年4月に受験したTOEFL IBTで520点程度)。
フランス語の勉強を始めたのは三ヶ月前の12月からで、もう少しで基礎文法が一通り終わるくらいの実力です(コレクションフランス語の入門編、初級編、文法編を一通り学習した程度)。
また、専門的な哲学の講義を受けたことがほとんどなく、哲学史全体の流れなどがまったくわかりません。

そのような私ですが、2008年9月末から行われる東大文学部の学士入学試験、2009年1月末から行われる東大大学院人文社会系研究科の修士課程入学試験を受験することを考えています。
前者については哲学あるいは倫理学の専修過程、後者については哲学研究室あるいは倫理学研究室を志望するつもりです(来年度、直接に研究室を訪問して決めたいと思っています)。

入学試験対策として、語学の勉強と哲学(史)の勉強を並行して進めていきたいと考えています。
フランス語に関しては、さしあたり、渡辺諒『フランス現代思想を読む』『20世紀フランス思想を読む』を購入しました。仏語の原文と日本語訳、加えて丁寧な解説が載っていることから、目的に適っていると考えたためです。
しかし、英語に関しては、適当なものが見つけられずにいます。「自分が院試の勉強をしたときにはこれを使った」、あるいは「おそらく、これはいいと思う」というものがありましたら、教えて頂けますでしょうか。仏語のものも、なにか他に良いものがあれば教えて頂けると幸いです。
ご回答のほど、どうぞよろしくお願い致します。

こんにちは。大学院進学志望の大学三年生です。
私は将来、フランス哲学の研究者になりたいと思っています。
大学1、2年の頃はなんとなく興味があり、趣味として哲学を勉強していたのですが、今から半年前の大学3年の夏頃から、真剣に哲学を勉強したいと思うようになりました。
それからの半年間は、所属している大学に哲学科がないので、所属しているゼミ(応用倫理学)の先生に他大学の授業を紹介して頂いたり、自分で研究書を読んだりして勉強してきました。
しかし、半年前までは研究者になることを真...続きを読む

Aベストアンサー

んー回答つかないね。笑
哲学の質問じゃないからだろうけど。
東大の院試、文系はどこも変わらないし
コンセプトはずっと今もかわらないと思うから書きますが、
英語もフランス語も、文法レベルは通り越していて、
正しい意味を汲み取り、思うところを正確に伝えられるか。
だから気を大きく持って取り組めばいいんです。
英語でペーパーバックが誤解なく読めて、あらすじや感想がまあなんとか書けるくらいなら大丈夫。
フランス語もそのくらい。文法だけなら準一級程度で十分。
とはいえ、インテリジェンスを示すだけの意思疎通をこなすには、
半年や一年の学習ではスパイの訓練でも受けない限りまず無理だと思う。

で、哲学書つまり第一次資料の原書は、学部では数ページの短いものや抜粋しか読まない。
サルトルやバルト、フーコー、ミッシェル・セールやルイ・アルチュセールくらいは一冊二冊読んでみましたと言ってすむけれど、
デリタやクリステヴァ、ドゥルーズ、ガタリを一冊読むように学部生に期待している人は誰もいない。。。

それよりも、学部生は、レポートや論文を書くために、自分で探した研究者の論文を読むわけだ。
自分で探すことで勉強になっているのと、
日本語だけでなく英語やフランス語で書かれている二次資料をはじめから終わりまで読みきることで、
難解ではなく理路整然とした使える外国語を勉強する。
つまり、研究発表や論文執筆に役立つ語学力が、院に入るときの問題なのであって、
何冊も原書で一次資料にあたる語学力は、もっとあとでドクトラを取るにあたっての課題となるわけです。

渡辺さんの本は、Passageなどの東大現行の語学テキストと並行して、語学書として読み、
哲学史と哲学書は、日本語ですばやくしっかりとお勉強なさるほうがよろしいです。
そして、大学の図書館に海外の論文がたくさん置いてありますから、
興味のあるもの10本くらいコピーを取って挑戦してみられるとよいです。
アメリカではフランス現代哲学の研究は非常にさかんですから、英語の紀要論文がたくさんあります。

んー回答つかないね。笑
哲学の質問じゃないからだろうけど。
東大の院試、文系はどこも変わらないし
コンセプトはずっと今もかわらないと思うから書きますが、
英語もフランス語も、文法レベルは通り越していて、
正しい意味を汲み取り、思うところを正確に伝えられるか。
だから気を大きく持って取り組めばいいんです。
英語でペーパーバックが誤解なく読めて、あらすじや感想がまあなんとか書けるくらいなら大丈夫。
フランス語もそのくらい。文法だけなら準一級程度で十分。
とはいえ、インテリジェ...続きを読む

Q「科学的」と「合理的」の違いは何ですか?

「科学的」と「合理的」の違いは何ですか?
例えば、以下の2つの表現は、実質的に同じような意味と考えますか、それとも、はっきり使い分けていますか?

(1)そのような考え方は、科学的でない。
(2)そのような考え方は、合理的でない。

Aベストアンサー

一応使い分けでいると思います。

(1)そのような考え方は、科学的でない。

「そのような考え方は、科学的に証明されていない」と言いたい場合に使います。
「科学的」は、
「既に実証されていて、理論的な裏づけがある」という意味と理解しています。


(2)そのような考え方は、合理的でない。

「そのような考え方は、無駄が生じる」と言う場合に使います。
「合理的」は、
「理に適っている為、論理的に最短の道を辿っている」
という意味と判断しています。

どちらも感覚的に使っているだけで、
根拠のある正しい使い方かどうかは不明ですが・・・。

Q哲学者ゲーテの言葉 この言葉を英語で知っている方

ゲーテの言葉で気になった言葉があったのですが、英語だとどのように訳されているのか知りたいです。

日本語では、
ただ、ひたすら自分が正しいと思う、道を歩けばいい。
他人がどのような道を歩こうと、気にしてはいけない。
と書かれています。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ゲーテの言葉で有名なのは、以下のものです。
自分自身の道を迷って歩いている子供や青年の方が、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。

一方、ダンテの言葉で以下のものがあります。
お前の道を進め。人には勝手なことを言わせておけ。
Go your own way and let the people talk.
又は Go your own way; let others talk.
ネットの例
http://www.meigennavi.net/pc/word/026/026339.htmhttp://matome.naver.jp/odai/2124529995468747114/2124530021991150065
http://ameblo.jp/salesjapan/entry-10150318612.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012408690
http://topquotescollection.com/go-your-own-way-let-others-talk/
http://lee-byungkyu.jugem.jp/?eid=11

ゲーテの言葉の方がひねくれています。
ダンテの言葉の方が御質問の言葉に近いように思います。

ゲーテの言葉で有名なのは、以下のものです。
自分自身の道を迷って歩いている子供や青年の方が、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。

一方、ダンテの言葉で以下のものがあります。
お前の道を進め。人には勝手なことを言わせておけ。
Go your own way and let the people talk.
又は Go your own way; let others talk.
ネットの例
http://www.meigennavi.net/pc/word/026/026339.htmhttp://matome.naver.jp/odai/2124529995468747114/2124530021991150065
http://ameblo.jp/salesjapan/en...続きを読む

Q【哲学と科学】「今日は最高の日だったとしたら明日は最低の日になるはずですが最低の日にならないのはなぜ

【哲学と科学】「今日は最高の日だったとしたら明日は最低の日になるはずですが最低の日にならないのはなぜですか?】

幸福は徐々に下がる?
人間の脳には記憶領域という長期間記憶を保存出来る仕組みを持っているので幸福には余韻が残るから。

ということは最高の日の明後日、数日後は最低の日になると予想出来るということでしょうか。

最高の日があるとしたら、確実に近々、最低の日が出現する。

それっていつなのか分かりますか?

けど、最高の日が存在したということは最低の日が出現するってことは確定ですよね。

最低の日がいつなのか予測出来ますか?

なぜ最低の日が現れるのが分かっているのに人間は最高の日に期待するのでしょう。

それが頂点なので、最高の日は喜ぶべき現象ではなく不幸への前触れであると軽快すべき時なのでは?

神社でおみくじを引いて大吉が出たら、そこが今のあなたのMaxの立ち位置ですと言われているようなものです。

経営者も業績が良いときほど警戒する。

業績が悪い時は自社を他社と比べて分析するので自社の欠点がわかる。けど、業績が良いときはなぜ業績が良いのか分からない。で、他社は分析して改善してくるので抜かれる。

最高の日は訪れるべきではないと思うが、最高の日と連発している人物がいる。

それはソフトバンクの孫正義。

彼はことあるごとに最高の日と連発している。でも、成長を続けている。

最高の日からさらに最高の日が来ている。

パチンコパチスロでいう確変。

ということは、最高の日だったら、明日は最低の日。という考えは間違えていると言えるのでしょうか。

大吉がマックスだから理論は間違いということでしょうか。

【哲学と科学】「今日は最高の日だったとしたら明日は最低の日になるはずですが最低の日にならないのはなぜですか?】

幸福は徐々に下がる?
人間の脳には記憶領域という長期間記憶を保存出来る仕組みを持っているので幸福には余韻が残るから。

ということは最高の日の明後日、数日後は最低の日になると予想出来るということでしょうか。

最高の日があるとしたら、確実に近々、最低の日が出現する。

それっていつなのか分かりますか?

けど、最高の日が存在したということは最低の日が出現するってことは確定...続きを読む

Aベストアンサー

上り調子であれば、明日が今日より良い日になりますから、明日もまた最高の日になるんじゃないですかね?
最高の日ってのは、過去との比較ですから、未来がわからない以上、今までで「最高の日」でしかないですよ。
少なくとも、「最低の日」になるとは決めつけられないですよ。(あくまで、過去の「最低の日」と比較する必要があります)

Q英語の哲学てきな質問です。質問も理解できてない・・

質問はis world government necessary to overcome the negative consequence of anarchy?です。
自分の質問の日本語訳は「世界政府は無政府状態の否定的な結果を克服する必要性があるか?」
だと思うのですが、世界政府があるのに無政府状態とはどんな場面なのでしょうか?
それと訳が間違っていれば直してもらえると助かります。。。是非お手伝いおねがいします。

Aベストアンサー

こんにちは。

哲学はよく分かりませんが・・・^^;
Is world government necessary ...?といっているので、
普通に訳せば「無政府状態の否定的な結果を克服するために、世界政府は
必要なのか?」というのが質問の内容だと思います。

英語でエッセイ(レポート)を書いていらっしゃるんでしょうか。
私だったら・・・まずそのthe negative consequence of anarchy とは
何かを文献を元に示して、世界政府によってそれが克服できるかどうかを議論する
と思います。

あんまりお役に立てなくてすみません。
ご参考まで。

Q哲学の人文科学及び社会科学の中の位置づけについて

哲学を学ぶということは、人文科学の諸分野を支える根幹的な思想を学ぶということに等しいですか?
例えば、自然科学の中で数学を学ぶというように。数学のあらたなる真理の扉を開けるのは、至難の技にしても、数学は数学以外の自然科学の諸分野の基盤や基盤以上の物を提供しているように。つまり数学が自然科学の諸分野・土台を支えてるいるのとイコールのように、哲学を人文科学・社会科学の研究の諸分野を支える根幹的なものと認識についての是非を教えてください。私のこの議論が全くもって的外れなら、どれ位的外れかまたどのように的外れで実際はどうなのかをご教授ください。

もう一つだけ追加でお願いします。自然科学において真理の扉を開けるということは、その当該分野のフロンティアをまた一つ新しく開拓したと言えると思うのですが、哲学におけるそれは何をもってそれ(学問分野のフロンティアを開拓するという事象)を定義付けるのでしょうか?また、フロンティアの開拓ということ自体、哲学の学問分野にとってはさほど重要度は高くないものですか?

よろしくお願いします・

Aベストアンサー

時間があるので脱線しないように 真面目に答えてみようと思います。

まず前提として
日本では学ぶということが真剣に語られていません。

「真面目に学ぶ」が強調されすぎ、それ以外が 疎かになっています。

非効率的学習プロセスが主流になっているということです。

今 定年になろうとしている人たちは
 
勉強しなければいけなかった総量=絶対量が 圧倒的に少なかった。

日常的にそのことついては 自覚がありますが 

いざ他人の評価となると 
勉強をしなくても基本ができればいいのだとか 
いい大学を出たのはいいやつだ とかと
いうことをいいだし

 「いい加減=適正ということは=俺に従うことである」 を 基準として持ち出してきます。 

学の基準が その担当者の主観のみに左右されるということです。

つまり 質問者様の述べる 根拠 が 老人中心の身勝手な根拠 と なっていることに 問題があるのです。

本題に入ります。

科学の諸分野を支えているのは ひとです。

2000年に入ってからこの方、序文に掲げた理由で、著しく信頼関係という大事なものが破壊され続けています。

しかしそのすきを見て蔓延している害毒があります。 

『科学の諸分野の根幹をなしているのは思想であり、 
根幹的思想とは 「哲学的経済学である」 という 迷信』です。

まさに はびこっています。

たとえば 日本の哲学は 哲学学である と えらそうに いうひとがいますが、 

その根幹をなす思想は、 (学)は経済学が根幹でありその根幹は 哲学であり 
その根幹が わたくし である 

という 刹那的・唯物論的 部分意識です。匿名キリスト教の「論理的・間接的」布教です。

究極的には 学問は俺よりバカである 俺のほうが偉いという理論です。

唯一絶対の神のまえでは どんぐりの背比べである みんな馬鹿だ
という 傲慢です。

底に横たわっているのは キリスト教的 物質論=燃料資源 と 言語論理=ivGotです。

あたまのわるいおれさまも iGotをおさえていれば 基本をおさえている
どうだ!
もってるか? という のが 

基本として ひつようとされる 行動だ というわけです。

つまり 数学・哲学の素養がない人間の それでも俺様は偉い といいたいがための 言い逃れが

「(アカウントの)所有」である

という現状です。

(布教が失敗した例として セカンドライフ を あげると 
日本人はそこまで馬鹿ではなかった ということもできましょうが・・・)

つまり 簡単に表現するとすれば、

所属と思想 という 中世的思考が 今の世の中では 所有と偶像崇拝 に とってかわられたのです。

書面としては ドグマが 神学から 情報科学 へと移りました。

そういう意味で 質問者様が感じ取った 他人を弾圧し、加害者側となって阻害されないための教義
そして
その根本はどこにあるか という 点では 的を射ているということができるでしょう。

しかし その数学は 情報科学としての 数学 であり

哲学も 情報科学としての 哲学です。

中世では 1教会 2キリスト教 3聖書(神学) であったものが
形を変えて 存在し続け
現状としては
1 SNS 2 端末教 3 WIKIぺ
(情報科学 別しては自然=数学/人文=哲学/社会=経済学) に 変化しました。

新たな真理とは いまでいうと
表現的焼き直しです。

馬が車に 書物がデータに 変わった というだけの 言語的・論理的修正です。

忘れてはならないこととしては
支えているのが「底辺」であり、
上記IT三学
(情報工学としての数学・
ネットオントロジーとしての哲学・
社畜管理のための経営学)を修めているのは

WASPシンパの指導者たちです。

なにも支えてはいません。

「B層には なるな」ということだけが最低限の教訓として存在します。

時間があるので脱線しないように 真面目に答えてみようと思います。

まず前提として
日本では学ぶということが真剣に語られていません。

「真面目に学ぶ」が強調されすぎ、それ以外が 疎かになっています。

非効率的学習プロセスが主流になっているということです。

今 定年になろうとしている人たちは
 
勉強しなければいけなかった総量=絶対量が 圧倒的に少なかった。

日常的にそのことついては 自覚がありますが 

いざ他人の評価となると 
勉強をしなくても基本ができればいいのだとか 
いい大...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング

おすすめ情報