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女城主直虎で,初代高崎城主(本人は城に入ったことはありませんが…)井伊直政に興味を持ちました。調べますと,高崎城の城下町に鉄砲鍛冶や刀工等の職人を集め,絹製品製造の職人を集め,町人に城下町の商業を支配させるといった進んだ方式で,その後の蚕都,商都,軍都と発展していく現在までの高崎市の産業の基盤を作ったようです。

そこで本題ですが,高崎は江戸時代から大砲の製造や火薬の製造等軍需産業が盛んでした。幕府の火薬の原料となる硝石を一手に製造していたようですし,高崎城のわきに小島鐵工といった鋳物工場で大砲を製造していました。

この小島鐵工所の社史に「1809年に,朝廷の許可の基,大砲を製造し,朝廷に納めていた」とあります。時代は江戸時代です。なぜ幕府ではなく朝廷の許可が必要だったのか。また,何故軍など持たないはずの朝廷に大砲を納入したのか。この二点が理解出来ません。是非ご教示ください。

小島鐵工は現在も存続していまして,戦前には戦艦大和や武蔵の主砲の製造に関与しました。また,火薬製造に関しては,明治に陸軍火薬製造所が高崎市岩鼻に出来まして,現在は一部が日本化薬として存続しています。

質問者からの補足コメント

  • 鋳物師(いもじ)は,奈良時代から朝廷が与える官職だったようです。歴史に疎いものですから官職だとは知りませんでした。皆様お騒がせしました。

      補足日時:2017/08/25 14:43

A 回答 (1件)

1800年代には、幕府と朝廷の権威は同じぐらい、だから安全パイとして朝廷にも大砲寄贈したのでは、ないでしょうか?

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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2017/08/25 06:45

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