ウォーターサーバーとコーヒーマシンが一体化した画期的マシン >>

「メディアによって性犯罪が引き起こされているのだから、そのメディアの製作者や出演者は全て駆除すべき」、と書けば、否定の意見ばかりです。

しかし、有識者や政治家、芸術家、などが言うとおりに法律で規制しても、諸外国のポルノのように地下に潜られるだけで意味がありません。また、彼らを全て隔離するという方法も、政府や社会に反抗的な人間を集団で半永久的に隔離は不可能でしょう。

そうなると、ナチスの最終解決のような方法以外に解決策はないと思います。
全員にロボトミー手術を行う、薬物で心身を著しく衰弱させる、といった方法もあるでしょう。

A 回答 (8件)

No.6です。



「ポルノが不要な理由は、ポルノによって性犯罪が起こり、社会が女性の能力を使えないからです」
⇒その通りですね。

ただ、ポルノが性犯罪の原因ではないのです。
昔から、芸術の世界も、円満な夫婦にも、底辺にポルノの要素はあるのです。
エロチックといわれるものです。
特に、男の動物的本能の中にです。
それらが健全な範囲であればいいのです。

大切なことは、ポルノだけ走ってしまう男達の生活環境なのです。
家庭、友達、スポーツ、音楽などを健全に楽しむ環境がない男達がポルノだけ走ってしまうのです。

10代、20代の若者たちが健全にエンジョイ出来る社会環境作りが大切だと考えています。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

お礼日時:2017/09/10 02:23

#4の者です。



>ある種の精神や知能に問題を抱えた人は、共感や他者の思考を理解が劣っている事があります

だから、そうした人間を生むことを許容しておいて有害な処置をする
事を考えるのではなく、生まない方法を考える(先述の後半)が
肝心だと言っているのです。(原因を断つ)
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>生まない方法を考える(先述の後半)が肝心だと言っているのです。(原因を断つ
そうなると、知的や精神、思考、行動に問題がある(先天的、後天的問わず)人間は駆除や隔離することになりますが。
性犯罪者は発達障害、自閉症、アスペルガー、ダウン症、等の人々が多いですから。

私も異常者になる可能性が高い人間を、予め社会から排除する方法は有害メディアに関係した人間を排除するよりも社会のリスクは低いと思っていました。
しかし、これは相模原の事件後はネットの禁忌となりつつあるので、触れませんでした。

お礼日時:2017/09/08 20:15

「有識者や政治家、芸術家、などが言うとおりに法律で規制しても、諸外国のポルノのように地下に潜られるだけで意味がありません」


⇒そのように考えるbenesutoさんの倫理・道徳観に少し違和感を感じます。
ポルノが人間社会に不要で邪悪なものと決め付けたお考えだからです。
(必要であれば、その理由を書きますが)

「また、彼らを全て隔離するという方法も、政府や社会に反抗的な人間を集団で半永久的に隔離は不可能でしょう」
⇒それでは、あなた以外の全ての人間を隔離しなければなりません。
これはふざけて回答をしているわけではございません。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

ポルノが不要な理由は、ポルノによって性犯罪が起こり、社会が女性の能力を使えないからです。
私はポルノに関係する人間以外を批判していないので、私以外を隔離する必要はありません。

お礼日時:2017/09/08 00:07

解決策になっていないから、じゃないかな。

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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

どうすれば、解決するでしょうか?

お礼日時:2017/09/08 00:03

性犯罪を起こさないためだけに社会があるの


ではない。
ロボトミー手術は、無気力などの副作用があり、
社会的に害を及ぼす(矯正不能な)人に対する
一種の罰としてあり、その結果、害も及ぼさ
ないが益も失われる。(最後の手段)

チャンバラ劇を見る事で戦争が起きているの
ではないように、AVが性犯罪を起こしている
という主張は疑わしい。
人は見聞したものを批判的に捉え、それを抑え
る材料にする事もできる。
AVで性犯罪を起こすのは、元々そうした自己
批判能力や客観視の能力の欠けた、精神的に
問題のある人間である。
であれば、その精神的弱点を、長所を損なう
事によってではなく、弱点を作らないように
社会の側を変えるべきである。
詰込み教育や点取り競争で、コミュ障・自己
チューな人間を量産するのではなく、情報の
有機的に連結した客観的環境を認識させる
体験的(人間交流も含む)教育をすべき。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>性犯罪を起こさないためだけに社会があるのではない。
しかし、性犯罪によって女性の権利や能力が著しく損なわれているのは、大きな損失と言えるでしょう。

>精神的に問題のある人間である。
精神に問題がある人も一部はいるでしょう。しかし、大半の人が一般人と変わらないのであり、犯罪を行うのはメディアの影響があったからです。
性犯罪を起してしまった男性は、メディアの被害者とも言えるでしょう。

>情報の有機的に連結した客観的環境を認識させる体験的(人間交流も含む)教育をすべき。
器質として、それが行えない人間はどうしますか?。
例えば、ある種の精神や知能に問題を抱えた人は、共感や他者の思考を理解が劣っている事があります。その人間は、どうしますか?。

お礼日時:2017/09/07 23:40

「メディアによって性犯罪が引き起こされているのだから、


そのメディアの製作者や出演者は全て駆除すべき」、
と書けば、否定の意見ばかりです。
  ↑
そりゃそうですよ。
メデアによって、性犯罪が引き起こされている、という
証明はなされているのですか。

証拠もないのに、思い込みでそういうことを
言うから否定されるのです。

例え証明がなされても、それによって発生する
副作用を考えなければなりません。
副作用が大きければ、駆除することは問題です。

そういう配慮、考察もなしに、駆除しろ、と
短絡的に主張するので否定されるのです。




法律で規制しても、諸外国のポルノのように地下に
潜られるだけで意味がありません。
  ↑
減る、という意味はあるのでは?
世の中白と黒だけではありません。
その間には無限の段階があります。
100ある犯罪が90になれば、意味はあるでしょう。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>メデアによって、性犯罪が引き起こされている、という証明はなされているのですか。
はい。されています。
性犯罪者たちは犯行前に、アダルトメディアに接し、性産業を利用しています。

>減る、という意味はあるのでは?
そして、犯罪組織の資金源となります。
しかし、100ある犯罪が90になる事は意味があります。

だから、100ある犯罪を10もしくは1に減らす方法を主張しているだけです。

お礼日時:2017/09/07 23:34

ご質問の「意味」が、よく理解できませんが・・・。



「性犯罪は、悪い事。」

これは、解りますが、それと、「メディアの製作者や出演者は全て駆除すべき」との、
相関は?

売春が、人類の歴史上、最も古い「商行為」との論を、
どこかで見ましたが、その当時から、「犯罪」と言う認識の存否は別にして、
「性犯罪」に類する事例はあったと、容易に想像がつきます。

そのように考えると、「メディア」主犯論で、関連するものを「駆除」する
発想は、とても、正解だとは思えません。

この犯罪の根本原因は、「種の保存」の本能であり、その本能が、
後に生じた「モラル」(規範)に、整合できなかった連中が、
「枠をはみ出した。」と言う事ではないか、と思います。

言えば、アレルギー反応と同じで、「性」に過剰に反応し、
「モラル」と言う制御が、効かなくなった結果、とも思えます。

恐らく、昔から、その種の連中は、一定確率で発生しており、
時の法律、モラルで、駆除されてきたものと、思います。

しかし、それでも、一定確率で、遺伝的病気が発生するのと
同様、今後も、一定確率で発生する、と思います。

少なくとも、ご指摘の内容で、物事が解決できるとは、
思えません。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

根絶するのは難しいでしょうが、大幅に減少させることはできます(加えて、犯罪組織の資金源になるリスクも回避できます)。
そして、性犯罪の多くがメディアや性産業などの下等な職種に影響されます。実際、性犯罪者の大半が犯行を行う前にアダルトメディアや性産業を利用していました。

これは、性産業やアダルトメディアと性犯罪の相関を意味する物です。

お礼日時:2017/09/07 23:31

>否定されるのは何故でしょうか?


それで根絶できる、つまり100%効果がある、というわけではないし
弊害の方が遥かに大きくて実現性に乏しいどころかまず無茶だから

「駆除」などの言い方ももまともに聞いてもらえない理由の1つ
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

「弊害」とは具体的に何があるでしょうか?
変質者がいなくなるだけです。

駆除という言い方を行うのは、他の表現に比べて優しいからです。

お礼日時:2017/09/07 23:27

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Q《猛禽と仔羊》:ニーチェの道徳観

次の文章は 読むに堪えますか?

▲ (ニーチェ:《猛禽と仔羊》) ~~~~~~~~~~~~~~~
――だがわれわれは引き返そう。《よい( Gut )》のもう一つの起源の
問題 すなわち《反感( Ressentiment )》をもった人間が考え出した
《よい》の問題がその解決を待っているから。

――仔羊どもが大きな猛禽を恨むのは異とするに足りないことだ。しか
しそれは 大きな猛禽が小さな仔羊を捉えることを咎め立てる理由には
ならない。

また仔羊どもが 《あの猛禽は〈悪い( Böse)》 従って 猛禽になる
べく遠いもの むしろその反対物が すなわち仔羊が――〈善い( Gut )〉
というわけではないか》と互いの間で言い合うとしても この理想の樹立
にはいささかの難ずべき点もない。

もっとも 猛禽の方ではこれに幾らか嘲笑的な眼を向けながら 《俺たち
は奴らを あの善良な仔羊どもをちっとも恨んでなんかいない。俺たちは
奴らを愛してさえいるのだ。柔らかい仔羊より旨いものはないから》とお
そらく独り言を言うであろう。 

――強さに対してそれが強さとして現われないことを要求し 暴圧欲・圧
服欲・敵対欲・抵抗欲・祝勝欲でないことを要求するのは 弱さに対して
それが弱さとして現われないことを要求するのと全く同様に不合理である。

ある量の力とは それと同量の衝動・意志・活動の謂いである――という
よりはむしろ まさにその衝動作用・意志作用・活動作用そのものにほか
ならない。それがそうでなく見えるのは ただ すべての作用を作用者に
よって すなわち《主体》によって制約されたものと理解し かつ誤解す
るあの言語の誘惑(および言語のうちで化石となった理性の根本的誤謬)
に引きずられるからにすぎない。

[・・・(力とその作用 あるいはつまり逆に言って 作用と作用者=主体
とを分けて捉えるのは 例の《イデア》論にそそのかされたアヤマチだと
論じている。省略します)・・・]

作用が一切なのだ。



[・・・(今度は チカラにも《原因としてのチカラと作用としてのチカラ
とがある》といったあやまった見方をすることがあると論じている。省き
ます。ただしこのような言葉=観念の誘惑にみちびかれることからの派生
的なあやまちだというものが 次に挙げられている。)・・・]

内攻して蔭で燃え続けている復讐と憎悪の感情が 強者は自由に弱者にな
れるし 猛禽は自由に仔羊になれるというこの信仰を自分のために利用し 
その上この信仰を他のあらゆる信仰にもまして熱心に保持するとしても 
それは別に異とすべきことではない。――実にこの信仰によってこそ彼ら
は 猛禽に対して猛禽であることの責めを負わせる権利を獲得するのだ・
・・。

抑圧された者 蹂躙された者 圧服された者が 無力の執念深い奸計から 
《われわれは悪人とは別なものに すなわち善人になろうではないか。そ
してその善人とは 暴圧を加えない者 何人(なんぴと)をも傷つけない
者 攻撃しない者 返報しない者 復讐を神にゆだねる者 われわれのよ
うに隠遁している者 あらゆる邪悪を避け およそ人生に求むるところ少
ない者の謂(い)いであって われわれと同じく 辛抱強い者 謙遜な者 
公正な者のことだ》――と言って自らを宥(なだ)めるとき この言葉が
冷静に かつ先入見に囚われることなしに聴かれたとしても それは本当
は 《われわれ弱者は何といっても弱いのだ。われわれはわれわれの力に
余ることは何一つしないから善人なのだ》というより以上の意味はもって
いない。

[・・・(長くなるのでもう省略に従います。書かれていることは このよ
うに《仔羊》たることに甘んじる《弱者》たちは その何もしない方針を 
信仰としての主体・つまりその魂の成せるわざだと言って 《自己欺瞞》
に落ち入っているという批判である。そのくだりで この断章は終えられ
ている。)・・・]

(ニーチェ / 木場深定訳:『道徳の系譜』 第一論文 《善と悪》・《よ
いとわるい》 十三 (訳:1940/1964改版))
 
・独文:http://www.nietzschesource.org/#eKGWB/GM
・英訳:http://nietzsche.holtof.com/Nietzsche_on_the_genealogy_of_morals/on_the_genealogy_of_morals.htm

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ここで ニーチェは 次のように言っていますか?

(あ) 拉致された小羊は 猛禽に文句をつける理由はない。

(い) 《行為者》なる人間というのは まぼろしの観念論であって 世
界は《行為》のみから成る。拉致された弱い者が 拉致する強い者に何を
言っても それは まぼろしのごとくでっち上げた《道徳》とそしてルサ
ンチマンのなせるわざであるに過ぎない。

次の文章は 読むに堪えますか?

▲ (ニーチェ:《猛禽と仔羊》) ~~~~~~~~~~~~~~~
――だがわれわれは引き返そう。《よい( Gut )》のもう一つの起源の
問題 すなわち《反感( Ressentiment )》をもった人間が考え出した
《よい》の問題がその解決を待っているから。

――仔羊どもが大きな猛禽を恨むのは異とするに足りないことだ。しか
しそれは 大きな猛禽が小さな仔羊を捉えることを咎め立てる理由には
ならない。

また仔羊どもが 《あの猛禽は〈悪い( Böse)》 従って 猛...続きを読む

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
誤解があるようですが、私が記載しているのは、ニーチェが述べた事、及びニーチェの論と思われる事です。(ニーチェの論を全て詳細に検証する事は不可能ですから、これが完全なものである保証はありません)
したがって、あくまでニーチェが論として述べた事であって、それが仮説では無く、実証されたものと言う事はありません。
ニーチェが論として述べている以上、ニーチェは確信していると言う事を前提としていると言うだけです。(なお、ニーチェが提起した問題は、読者に考えて欲しいと記載している以上、ニーチェも自説が完全とは判断してはいないでしょう)
「よい」とは何か?、「わるい」とは何か?と言う事は、ニーチェは自分の「よい」、「わるい」しか述べていません。
第一論文ー17で述べている以上、これはみんなで考えて欲しいと言う事です。(その問題提起とは、「善」、「悪」の起源及び、その価値についてです)
なお、第二論文ー「罪」、「疚しい良心」および関連問題、第三論文ー禁欲主義の理想の意味するもの、でさらなる論争を求めています。(第二論文は、その性格上、社会を扱います)
あくまで、この論文集は、「善悪の彼岸」で問題を提起したつもりだったのが、そのように読み取る読者が少なかったので、論文の体裁で、論争を巻き起こす事を意図したものなのでしょう。(批判しやすいように、あえて明確に記載しています)

お礼ありがとうございます。
誤解があるようですが、私が記載しているのは、ニーチェが述べた事、及びニーチェの論と思われる事です。(ニーチェの論を全て詳細に検証する事は不可能ですから、これが完全なものである保証はありません)
したがって、あくまでニーチェが論として述べた事であって、それが仮説では無く、実証されたものと言う事はありません。
ニーチェが論として述べている以上、ニーチェは確信していると言う事を前提としていると言うだけです。(なお、ニーチェが提起した問題は、読者に考えて欲...続きを読む

Qもし和を以って貴しと為せと言われなかったなら わたしは 和を乱すことを知らなかった。

(α) もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・
・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 

☆ この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。



☆ 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。
つるぎを投じることになるひとつの視点です。

     *

・ 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ

▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一に曰(い)わく、
(あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、
忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

(い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、
また隣里(りんり)に違(たが)う。

(う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
すなわち事理おのずから通ず。
何事か成らざらん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 
基礎とすると言っています。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いまし
た。

▲ (五箇条の御誓文)  一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ

 
(2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが:

▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて

☆ これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で 
ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわ
れは次のような歴史を経て来ています:

◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~~~~~~~~~~
【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことの
り)に

   《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 
   奔亡するものなほ多し。
   禁ずと雖も止まず》。

とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 
道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出
す者が多い。禁止しても止まない。・・・

【上田正昭】 その翌年の正月にも 

   《諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 
   食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。
   溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの 
   その類少なからず》。

というのが出ていますね。

【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけです
ね。
【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。

   《草枕旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 
    国忘れたる 家待たまくに》  (万葉集 巻三・426番)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣き
の歌を見てみれば分かります。

▲ (万葉集 三・415) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる
人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首

    家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ
    草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりな
さい ふるさとを思い出し 帰ってゆっくり休みなさいと声をかけていますが 
聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。

(4) たとえば:

▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮ら
していた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》う
んぬんと言いだした。
 
口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人び
とよ自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよ
いことだけを言っているとしか聞こえません。

(5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と
排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋らを亡きものにする
ことにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》
と言っちゃってもらってもねぇ。
 
権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっ
しゃいます。

(6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――あるいはつまり お二階
からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちと
ともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きた
と いまいちど起き上がって言って欲しい。

(7) しかも・しかも 聖徳太子の場合には そのウタに《旅人》として歌
われたみまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることにな
ります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。
――ちゃんちゃらおかしいわい。

(8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みますか?


        *


 われらがふるさとを取り戻したい。
 なにが おおごとなのでしょう?
 どこが エラーなのでしょう?

(α) もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・
・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 

☆ この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。



☆ 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。
つるぎを投じることになるひとつの視点です。

     *

・ 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ

▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一に曰(い)わく、
(あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし...続きを読む

Aベストアンサー

水平ではなく、二階から、、ということか!

ありがとうございます。
成る程です。

Qtranszendentとtranszendental

transzendentとtranszendentalの対義語を調べたいのですが見つかりませんでした。

transzendentの対義語はimmanentで良いでしょうか?
transzendentalの対義語はempirischとかでしょうか?

ドイツ語に詳しい方よりご教示頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

私はこのカテゴリは見ておらず、回答もやめてから久しいので、この御質問にはすぐには気が付きませんでした。
「ドイツ語に詳しい方」と書いてありますが、出ているのが哲学カテである上、
質問の焦点が定まっていない感があるので、自説、推測などで回答が散らかっているように見えます。
また、日本で出ている事典、辞書、ウィキペディアの参照が多くされていますが、
こうしたドイツ語の専門用語の微妙な意味の違いについては、
可能な限りドイツ語で書かれた事典や解説書に当たった方がよいでしょう。

ドイツ語ができないなら回答しない方がよい、ということで、
immanent, immanentalが挙げられていますが、そんなに簡単な話ではありません。
immanentalという語形は、英語では使いますがドイツ語では使いません。
そもそも、transzendentalという語を哲学用語として新たに導入し、
transzendentとtranszendentalは同じではない(nicht einerlei)とカント自身が書いている以上、
対義語が同じimmanentに由来する語になるはずはないのです。

哲学用語辞典の前に、一般的な辞書、Dudenを見てみます。

transzendentはラテン語のtranscendens(動詞形transcendere: überschreiten, übersteigen超えること)に由来、
哲学用語としての意味は、
「経験、および感覚的に認識可能な世界の境界を踏み越えること、超感性的、超自然的」
die Grenzen der Erfahrung und der sinnlich erkennbaren Welt überschreitend; übersinnlich, übernatürlich
対義語:immanent

transzendentalは中世ラテン語のtranscendentalis(übersinnlich: 超感性的)に由来、
哲学用語としての意味は、
「あらゆる主観的経験以前に在り、対象そのものの認識を最初に可能にすること」
vor jeder subjektiven Erfahrung liegend und die Erkenntnis der Gegenstände an sich erst ermöglichend
対義語:記載なし

カントにおけるこの二語に関しては、ドイツ語による哲学語辞典や研究書の解説は一貫しています。
結論から言うと、質問文に書かれているとおり、
transzendent ⇔ immanent
transzendental ⇔ empirisch
となっています。
ただし、カントにおいても、まだこの二語の使い分けは必ずしも明確ではなく、
ほぼ同義に使っている個所もあるということが、ドイツ語の各種研究書に詳しく書かれています。
この点については、三一書房刊のロングセラー、「哲学・倫理用語辞典」でも注意されています。

ドイツに、学術的な書物を多く出しているUTBという出版社がありますが、
その哲学用語辞典では、transzendentに関しては
名詞形Transzendenzを見よとなっているので、その一部を引用します。

Transzendenz
「超越(Transzendenz)」の概念においては、人間の原経験は、有限な存在であることを言い表す。なぜなら我々は、洞察可能かつ把握可能な現実の一部として存在はするが、その一方ではこの現実を、我々の認識能力の有限性を通して、それと同様限られたものとして体験するからである。この二重の境界経験は、思考に対し、我々の存在の内在的実在性(immanente Realität)が止揚される超越的現実(transzendente Wirklichkeit)の必然的予見を生じさせる。Transzendenzはつまり、Immanenzという概念に対応した相対的概念であり、Immanenzの概念をどのように理解するかによって、Transzendenzに相対する概念としてExistenz、Erleben、Daseinなどが考慮の対象となる。Xavier Tilliette (1921-)は、Transzendenzの本来の対義語は、「落下」「沈下」を意味するDeszendenzという概念によって成されるのではないかという。Transzendenzは、常に不完全なものとして見られる目の前の現実(Immanenz)からより高次の領域へ入ることを意味するゆえ。
カントの批判的認識論においては、Transzendenzとは、過剰(überschwänglich)な、かつ許容されざるかたちで感覚的経験から導き出された対象把握の使用を意味する。このような超越的使用(transzendenter Gebrauch)は詭弁であり、客観的認識の根拠とはなり得ない。
ドイツ観念論においては、Transzendenzに関わる問題は、主観・客観という弁証法的対概念に変化し、「彼岸(jenseits)」–「此岸(diesseits)」(Transzendenz – Immanenz)という意味論的な対義から「絶対的(absolut)」–「限定的(bedingt)」へ変換される。

以上の意味から、transzendentの対義語はimmanentとなります。

transzendentalは、カントの定義では、a priori(つまりempirischではなく)とみなされる認識に関わることであり、この認識は、対象を直接にではなく、我々が対象をどのような方法で認識するか、その方法によって規定する、とあります。
「対象とではなく、a prioriに可能な限りにおいての我々の対象認識の方法と携わるすべての認識をtranszendentalと名付ける」

transzendentalの上のような意味と、その語源の意味がübersinnlichであることから、カントの用語のtranszendentalの対義語はempirischとされています。

また、これらのラテン語由来の述語をカント自身がより一般的なドイツ語に置き換えていますが、
transzendentはüberfliegend(飛び越える)、またはüberschwenglich(過剰な、感情過多な)、
immanentはeinheimischと訳されています。
(注:überschwenglichは、こんにちではüberschwänglichと綴ります。)
なので、この場合のeinheimischは「土着的」ということではなく、
immanent(内在的)のドイツ語訳です。
heim(家)という語が含まれていることからもわかるように、
古くは「在宅する」の意味で使われた形容詞です。
以下、Georg Samuel Albert Mellin著のEncyclopädisches Wörterbuch der kritischen Philosophieからの引用です。

Einheimisch
immanent, domesticus, domestique, immanent. So heißt im Theoretischen diejenige Vorstellung, die nur auf Erfahrung geht, oder auf Erfahrung eingeschränkt ist, weil sie dann in ihrem Gebiet ist und bleibt. Eigentlich heißt also einheimisch oder immanent seyn, in seinem Gebiet seyn, transcendent seyn dagegen, über sein Gebiet hinausgehen.
(einheimischは、自らの領域にとどまること、transcendentはその領域から出て行くこと。)

以上をまとめると、ラテン語由来の述語とその対義語、およびそのドイツ語訳は、以下のように対応します。
(apriorischのみはラテン語由来のままです。)

transzendent ⇔ immanent : überfliegend/überschwenglich ⇔ einheimisch

transzendental ⇔ empirisch : apriorisch ⇔ erfahrungsgemäß

(Fritz Mauthner: Wörterbuch der Philosophieの解説より)

『純粋理性批判』の複数個所で、「transzendent - immanent」「transzendental - empirisch」が同義に使われているということが、
Christoph Asmuth著のKant und Fichte - Fichte und Kantの解説中に見受けられます。
区別が明確になるのは、Prolegomenaにおいてだそうです。
ほかにも、Der Begriff "transzendental" bei Immanuel Kant(Nikolaus Knoepffler著)
という書物を見つけたのですが、残念ながらいま仕事が忙しくて読み込めないので、
ここまででご勘弁願います。

私はこのカテゴリは見ておらず、回答もやめてから久しいので、この御質問にはすぐには気が付きませんでした。
「ドイツ語に詳しい方」と書いてありますが、出ているのが哲学カテである上、
質問の焦点が定まっていない感があるので、自説、推測などで回答が散らかっているように見えます。
また、日本で出ている事典、辞書、ウィキペディアの参照が多くされていますが、
こうしたドイツ語の専門用語の微妙な意味の違いについては、
可能な限りドイツ語で書かれた事典や解説書に当たった方がよいでしょう。

ドイツ...続きを読む

Q動物と人間の違いについて哲学的に教えてください

動物と人間の違いについて哲学的に教えてください

Aベストアンサー

人間は 神を知った。

やがて この神を知れと言って他人(ひと)におしえる商売が興った。

人びとが このシュウキョウとやらから自由な《われ》に立ち還った

ときには おそらく

動物たちの行動に変化が起きる。

肉食が草食になる。食物連鎖に変化が起きる。

幼な子が蝮を手で捕まえても 平気なようになる。

――とか。どうかなぁ。

Q哲学・思想よりも笑顔が世界を救うと言う話もありますが 本当でしょうか?

あんまり考えない方がいい 思想なんかないほうがいい 笑顔が世界を救う

だからもう難しい事は考えまいという人も最近多いようですが

これは笑顔念仏でしょうか?

ただ笑顔でいれば救われる。南無阿弥陀仏の代わりに笑顔がいい と言うのはどうでしょう?

現に人々は哲学なんて考えません、仕事が出来て今の時代に乗り遅れなければいいのです。

そうすれば自民党がいい様にしてくれる。笑顔念仏は世界を救うのでしょうか?

Aベストアンサー

「笑顔が世界を救う」は良いことですね。
仏教は南無阿弥陀仏で低迷し、哲学も難解な言葉を並べて反感を持たれる。
「笑顔」が他人の幸せを望んで行動している優しい人が醸し出す笑顔なら
世界は救えると思う。
作り笑いはダメですね。

Q非戦論という一つのベクトルをも おもてに出してよいのではないだろうか

主戦論を前提とした常識ないし定説で 国際関係論が考えられている
ように見受けられます。

その一色というあり方を修正し さらに補強する手も 考えられるの
ではないか。

《非常識》な市民としては 実際のところ 非戦論が優勢なのではな
いか。

――真夏の夜の夢。

Aベストアンサー

非戦論や戦闘否定論は、特に
真新しいわけではありません。

日本の旧左翼の中にも時折、
主張を聞いたことがあります。

個人的には同意する部分も多々
あるのですが、主戦論者から、
「あなたは自分の家族が危害
を被る可能性がある際も闘わない

Q人間は生まれながらに善なのか悪なのか?性善説vs性悪説。あなたはどちら?

赤ちゃんは純心無垢の天使なのか ギャーギャー泣く欲の塊なのか?

人間は信じるべきか信じられないか

世界は人間の愚かさ故滅びるか 理想社会に到達するか?

あなたはどう思いますか? 現実はどうですか?

Aベストアンサー

性善説と性悪説って、二元論的な対立であって、対極的な議論じゃないですよ。
「人間は生まれながらに善悪を持つ」と言う前提で、「そのいずれが、より先天的か?」と言う議論です。

具体的に言えば、性善説は「善の本性を、後天的に淀ませる」と言う考え方に対し、性悪説は「悪の本性を、後天的な理性などで覆い隠す」とするものです。

すなわち、どちらかと言うと、性善説の方が、人生経験をすればするほど悪人になると言うことです。
「だから学問などで精神を浄化し続けなさい」と言う教えです。
逆に性悪説が、人間は長く生きれば生きるほど、善人(性悪説では「偽善者」ですが)になれる可能性があると言う教えですが、コチラも、「だから後天的に、良いものを身に付けなさい」なので・・。

結局、性善説でも性悪説でも、人間がやるべきことは「同じ」で。
やるべきことをやらねば、衰退するし。
やるべきことをやれば、発展します。

QKKK、オルタライト、ネオナチ、白人至上主義を賛美する輩と喧嘩しましたが、日本人としての日本魂を無く

KKK、オルタライト、ネオナチ、白人至上主義を賛美する輩と喧嘩しましたが、日本人としての日本魂を無くしたのでしょうか若者は?

Aベストアンサー

大和魂とは、農耕民的な集団主義によって、人目を気にして
メンツのために体制の言いなりで、命まで奪われる、
例の集団ヒステリーの事ですか?
まだそんな集団催眠にかかっているバカがいるんですか?

Q今ちまたで、流行りのス昆布貴方は好きですか?ベビーラーメンと比べてどうですか?

今ちまたで、流行りのス昆布貴方は好きですか?ベビーラーメンと比べてどうですか?

Aベストアンサー

いい加減なこと言うでない。
ス昆布がちまたで流行ってるって誰が言った。
今ちまたで流行ってるのはカルビーのカールだろが。

Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む


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