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1. 昔むかしの話です。感性と理性を交えた或る知性が 或る日或るとき こ
ころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見ました。

2. イリ(世界への入りをおこなう)人は このマボロシをそのままなナゾとし
て心にしまっておいた。

3. ヨセ(世界を束ね寄せる)人は マボロシに取り憑いた。その輝く光に身も
心もつき従うとの誓いを立てた。

4. やがて修行の甲斐あって いよいよその《いと高き者》に似てきたとき――
きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このマボロシには 
誰も 関心がない。(高い低いは 程度問題だと言った)。

5. ヨセ人は ここであきらめなかった。こう考えた。:

   このマボロシによって人びとを感化し 
   世の中を束ね寄せる。
   そうしてみせる。
   そうすれば 《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり
   世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。





6. このヨセ人なるアマテラス種族が 社会のあり方として平屋建てを嫌い 
その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったとき――スサノ
ヲらはとうとうその根競べに負けて―― 《くにゆづり》をした。

7. イリ知性なるスサノヲ市民の村々におこなわれる《まつり》は 第二階
によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》
としておこなわれるようになった。

8. かくて 《アマテラス公民 ‐ スサノヲ市民》連関制の完成である。《く
にのいへ》と言う。家というからには 二階建てである。

9. 二階のアマテラスなるアタマで立つなら その連関制は 逆立ちしてい
る。





10. 《ひかり もしくは まぼろし》と現実の大地とのあいだに隔たりがあ
るとすれば 人にはその発言(自己表現)にもつねに 本音と建前がある。

11. あるいはさらに 二枚舌の問題が必然的に現われる。――そうでなくて
もふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく
一般的に ある。



12. 広くマ(間・間合い)が 人びとそれぞれにおけるそういった心的およ
び社会的な《関係ないし連関》のあり方として成り立って来ている。

13. すなわちむろんこの問題をあつかうのだ。ここでは 

 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》逆立連関制としてのマ

である。

14. 第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そ
こに起こるマチガヒの正し方の問題です。

15. おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちし
ているのではないか? そこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか?



16. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間
と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同
じような問題が起こるものと考えられる。

17. 問題は そもそもは 《 S (主権)- A (従属)》の連関だったものが 
A 圏主導の《 A - S 》連関として逆立ちしているというところにあると見られる。

18. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り
輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいて
すでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。

19. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこ
ないカミに初穂をささげ カミガミとの共食をおこなった。

20. ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからが
カミとなった。――こういう意味での《超人》の問題。



21. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措
定であると捉えられる。

22. 敵対的ですらあるので お二階にアマアガリし 逆立ちしたかたちで 
そのマが 成り立っている。

23. つまりそこで用いられるのが アマテラス語方言という言語類型――無
謬性の神話に包まれている――であり そこから必然的に現われると言っていい
ところのダブルスタンダードだと言いたい。

24. そう言いたいのですが これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す
反措定は すでに或る反措定に対する反措定ですから 綜合であり人間のふつう
の存在の肯定であると考えてよいのではないだろうか? 



25. マチガヒからのマの回復。つまり 地域主権の実現としての――二階か
ら一階への――大政奉還。

26. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとして
も つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこ
れを どういうわけか 難なくこなして来ていた。
 
27. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来
なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス方言の誤謬が ただ
街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また 経済的にも立ち行かない
情況を背負っている状態となった。

28. アマテラス公務員の無謬性なる神話がくづれた。


29. マの問題。この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題
であるのではないか?

30. じつは国家の止揚として――二階建て構造からあたらしい社会のかたち
へと移行する過程として――世界史的な課題であるのではないか? 国家ゆえに
領土問題と戦争がある。


☆ 添削をどうぞ。

A 回答 (2件)

すいません。

もう一つの問いのほうで考えていたわたしの思いつきは、モンテーニュさんやパスカルさんは、1.5 階の住人、昔のキケロさんはほぼほぼ二階の住人、ルソーさんは二階に上がろうとしたが、 1.5 階から一階に降りてきた住人なのかな、と勝手に妄想を膨らませていました。キケロさんの本をずっと探しているのですが、文庫本で見かけたことがないのです。

おそらく、優しい王様の場合、その人の努力とその能力に応じて二階に来ることをウエルカムだと思っていたのですが、やはりなんらかの勉強のなかにその二層分離の変なものが混入しているということなのでしょうか。

完全なるオプチミストはやはり、注意力の乏しいキモチワルイやつなのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 1.5 階の住人
☆ かつて 《中二階》という捉え方を指摘してもらったことがあります。

たとえば 一階の市民の立ち場に立って 二階の王や首相に助言を与えた
りする先生や諮問機関がある場合 それは 考え方の問題としては 一階
の普通人だと見てよいのではないでしょうか。

お役御免となったなら 一階の市民になるでしょうから。



いや いまの行政府は すでに――理論じょうは――市民政府です。階層
が違うだけだという一面もあるかも知れません。

医療や教育を――それが良策かどうかを別として――全額支援とするなら
それは 一階の市民本位として 政府が活動する方向にあります。

言いかえると いままだ・なお 二階建ての仕組みは残っているというこ
とだと思います。




そして この階が違うことで いろんな不都合なことも起こっているので
はないでしょうか。

その場合 極端なことを言えば 二階の住人なら 不倫も不祥事もほしい
ままにやってよいのだ 発覚したら あやまればおしまいである 文句あ
っかという向きも残っているかも分かりません。



★ 完全なるオプチミストはやはり、注意力の乏しいキモチワルイやつな
のでしょうか。
☆ オプチミストというのは 気長にこういった問題を考え われも生き
る なれも・かれも生きるというふうに よい解決法を実現させる志向の
ことを言うと思います。

お礼日時:2017/09/25 18:27

すべてが逆立ちして見えるのは、わたしが逆立ちしているのかもしれない。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

かなり乱暴なたとえになりますが アマテラス公民圏ないし政府は
あたまであり スサノヲ市民社会は 身体です。

あたまは 指令を出すとしても からだという基礎の上に・からだ
と共に歩むわけです。からだによいことを 考えおこないます。

けれども あたまが 二階で からだが 一階である場合 その二
階が指令を出すだけではなく そこから何か腕のような脚のような
長い枝を伸ばして地べたを這いずるように歩いている。かも知れな
い。

だから わたしたちも 逆立ちしたような姿勢で 世界を見ている。
のかも分かりません。

お礼日時:2017/09/25 17:24

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