仕事と子育てを両立。働くママを、もっと笑顔に!

わが国の高度成長期以降、現在までの消費の特色はどうなっているのでしょうか。
そして、それとあわせ、皆さんはこれからの生活設計についてどう考えているのでしょうか。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

高度成長期というのは、池田内閣の所得倍増論から始まって、1973年の第1次石油ショックで終わったというのが一般認識ですから、お尋ねは、それ以降の消費傾向ということになりますね。



ところが調べてみると分かりますが、消費に変調が出始めたのは1980年代からで、それまでは拮抗していた物の豊かさを求める人と、心の豊かさを求める人が、80年代以降、心の豊かさを求める人が、どんどん増加して行ってます。石油ショック直後の70年代は物の豊かさを求める最後の時代で、ひとびとは物にシンボルを求めました。たとえば車を持つことに1つのステイタスを感じるとか。

それで80年代以降の消費ですが、必需品は行き渡りましたから、物では、面白い物、遊び心がある物、贅沢品などがどんどん比重を上げてきました。もっともバブル崩壊後は、それに本物志向、個性的な物といった要素が加わりましたが。

それから、80年以降はサービス商品、たとえば旅行とか、スポーツ観戦とか、広い意味の教育・医療関係とかの消費が、どんどん増えて行ったのです。

これらが消費の一般的傾向ですが、我が身の生活を考えると、やっぱり旅行とか、楽器演奏とかの、楽しいことにお金を使いたいと思ってます。それに自分の腕を磨く教育関係。もう一つは、いまはインターネット革命期ですから、そうした環境変化に合わせて、ライフスタイルを変えていきたいとも思います。それでもなにかアッと驚くような、面白い”物”が出るといいとは願ってますが。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

返事を返すのが遅くなってすみません。
こんなにも長い文章をありがとうございました。

お礼日時:2001/08/10 09:44

高度成長期というのは、池田内閣の所得倍増論から始まって、1973年の第1次石油ショックで終わったというのが一般認識ですから、お尋ねは、それ以降の消費傾向ということになりますね。



ところが調べてみると分かりますが、消費に変調が出始めたのは1980年代からで、それまでは拮抗していた物の豊かさを求める人と、心の豊かさを求める人が、80年代以降、心の豊かさを求める人が、どんどん増加して行ってます。石油ショック直後の70年代は物の豊かさを求める最後の時代で、ひとびとは物にシンボルを求めました。たとえば車を持つことに1つのステイタスを感じるとか。

それで80年代以降の消費ですが、必需品は行き渡りましたから、物では、面白い物、遊び心がある物、贅沢品などがどんどん比重を上げてきました。もっともバブル崩壊後は、それに本物志向、個性的な物といった要素が加わりましたが。

それから、80年代以降はサービス商品、たとえば旅行とか、スポーツ観戦とか、広い意味の教育・医療関係とかの消費が、どんどん増えて行ったのです。

これらが消費の一般的傾向ですが、我が身の生活を考えると、やっぱり旅行とか、楽器演奏とかの、楽しいことにお金を使いたいと思ってます。それに自分の腕を磨く教育関係。もう一つは、いまはインターネット革命期ですから、そうした環境変化に合わせて、ライフスタイルを変えていきたいとも思います。それでもなにかアッと驚くような、面白い”物”が出るといいとは願ってますが。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q高度経済成長が残したもの

高度経済成長が終わって20数年が経過しました。
戦後の貧しかった日本に、高度経済成長が物質的、金銭的な豊かさをもたらしました。
しかし、一方で「お金を稼ぐ」ことが何にも増して重要と考える人が多くなりました。
子供の受験戦争や企業職場の異様な厳しさもお金を稼ぐ激しさによるものです。
若者が楽しく暮らす環境も十分ではありません。
もっと穏やかな社会にしたいものですが、激しくお金を求めたほうがいいと思う人が多いのでしょうか。

Aベストアンサー

高度経済成長はPDCAサイクルという日本がアメリカから教えてもらった手法を元に作られた幻想です。

幻想というのはアメリカにとって日本が高度経済成長する必要があったことを意味します。それはかつて冷戦時代、ロシアや中国などの共産圏の国々がアメリカなどの資本主義大国と対決姿勢を表明していたことに意味します。

アメリカは日本を経済的に豊かにし資源を豊富に好兼ね備えなおかつ強い国として自国の防衛盾となるように独立させる必要がありました。

そのためアメリカはデミング博士と言うpdcaサイクルモデルを発案した人物を日本に送り込み、なおかつ現在アメリカの基地を沖縄を筆頭に横浜や日本各地に散財させ共産圏からの支配を妨げるように日本を経済的に豊かにしました。

そのため日本は経済的には豊かであるにもかかわらず政治的社会的にはほぼ植民地のような支配を受けてきました。その事実に人々は目を伏せ、あたかも日本は独立国であるかのような教育を施されてきました。

教育というのは協調性と言う言葉を表にした迎合です。そのため学校ではみんなの和から外れるものに対して仲間ハズレや集団いじめそれらの社会的な問題を助長した結果となりました。

また、pdcaサイクルは本来は物に対して適用されるべき経営システムです。ところがこれらの1,950年代に発案された経営システムは64年経った今でも人に対して適用されている結果となっています。

これにより不要な人間、モノはすぐにリストラにあい必要なものだけを吸収するかのような経営システムをブラック企業及びブラック病院およびそういった行政機関においても今日に至るまで適用されている結果となっています。

私にとって高度経済成長とは日本人が日本人の力によってなされたものとは思っていません。高度経済成長はアメリカによって作られた幻想であったと考えます。

すなわち、日本にとって本当の真実とは自国の存在価値そのものをアメリカによって操作あるいは支配されてきたと言う歴史があり、今も続いていることを強く認識する必要があると考えるからです。

現在、日本は多くの精神病患者、自殺人数は年間3万人と言われて入りますが、潜在的な数で言えば10万から20万人にも達すると考えられています。

これも迎合教育によってもたらされた人々の和から外れた人間に対して、そういった考えを踏み潰されたことによる結果と言えます。

また生活保護者は増える一方ですが、なぜ生活保護者が増えるのかということに対しては全くクローズアップされていません。すなわちこれも生活保護でしか生きることができない社会事情があると言うことを人々は強く認識する必要があるのです。

それは差別や偏見あるいは学歴重視、はたまた年功序列といった階層型社会に対して人々はその階層から外れることによって社会的な独断と偏見、差別をこの日本においても個人に対して強く受けると言う事実をしっかりと認識し、肝に銘じる必要があるのです。

ある心理学者がこのようなことを言いました“人生において全ての問題は人間関係である”と。

それは人間関係をおかしくしかしない。そのような社会、教育、政治、制度、そういう環境の下にしかこの日本は成り立っていないと言うことです。

例えばこの日本という国は机の整列をびっしりと右から左に順になるように整列させます。そのように整列されたものに対して美しいあるいは綺麗と言うような価値観を小学校時代から人々の無意識となるようにずっと教育を受けてきました。

日本の教育は、これを協調性の教育と言いましたが実際は自分の意見を表に出さずに周りに環境に合わせると言う迎合的の教育であることを意味します。

このような整列や順に並ぶと言うそういった習慣付けが個人のアイデンティティーを阻害し、いじめやあるいは組織的な仲間はずれという現象を引き起こし、悪い人間を今日まで生き延びさせられるそういうシステムを構築してきたのです。

最後まとめとなります、高度経済成長は幻想です。アメリカによって作られた幻想です。日本人の力で築き上げたものではありません。アメリカ人のデミング博士によってもたらされた大量生産、大量廃棄それは大量の雇用、大量のリストラを生み出すという社会の構築に他なりません。

人々にとっての幸福と高度経済成長とは全くと言っていいほどリンクしなかった。

それが結論ではないでしょうか。

高度経済成長はPDCAサイクルという日本がアメリカから教えてもらった手法を元に作られた幻想です。

幻想というのはアメリカにとって日本が高度経済成長する必要があったことを意味します。それはかつて冷戦時代、ロシアや中国などの共産圏の国々がアメリカなどの資本主義大国と対決姿勢を表明していたことに意味します。

アメリカは日本を経済的に豊かにし資源を豊富に好兼ね備えなおかつ強い国として自国の防衛盾となるように独立させる必要がありました。

そのためアメリカはデミング博士と言うpdcaサ...続きを読む

Q日本経済の失われた10年について

日本経済は90年代のことを失われた10年と呼んでいますが簡単に言うとどういった事なのですか?こうゆうことは苦手なので初心者にもわかるようにどなたか教えてくれませんか?お願いします

Aベストアンサー

これは、80年代以前の日本経済と比較した言葉と考えると分かり易いです。

それまで日本経済は成長を続けてきて、アメリカを抜きそうになりました。アメリカも「なんで日本はこう強いんだ?」と国をあげて、日本の強さを勉強したほどです。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本も書かれたりしました。その頂点が、80年代後半に起こったバブル経済です。(いまでこそバブルといいますが、当時は日本経済が世界一になると思われていたのです。)

ところが、その世界一になりそうだった日本経済が見せかけだったということが、90年代に入ってばれてしまいました。国家経済の指標であるGDP(国内総生産)は上がらなくなるし、株価は急落するし・・・。これがいわゆる「バブル崩壊」です。その後いままで、日本経済は泣かず飛ばずで来てしまいました。この10年間を、誰が言ったか、「失われた10年」と呼んだのです。

何故そうなったのかは、多くの経済学者が研究して、本も一杯出ています。有名なのは、宮崎義一『複合不況』中公新書です。原因として一番言われているのが、銀行が膨大な不良債権を持ったからというものです。つまりバブル経済の時には、土地や株がどんどん値上がりしたので、もっともっと値上がりすると見て、お金をどんどんつぎ込んだのです。
ところが90年代に入ってそれらが急落したものですから、買ったときの値段より安くなってしまいました。つまり銀行などの金融機関から経済建て直しのためのお金が出なくなってしまったのです。それに加えて、不良債権処理の先送りということも、よく言われる原因の一つです。持っている不良債権を公にして、どんどん損切りしてしまえば、ここまで日本経済がひどい状態にはならなかったというものが、メンツとか責任逃れのために、損切りをしてこなかったのです。そしてついに銀行倒産という信じられないところまで追いつめられてしまいました。これらは日本的経営体質の悪い面が出たからだという人も居ます。もしこうした原因にご興味がおありなら、関係する本をお読み下さい。とっかかりは、前述の『複合不況』や野口悠紀雄『1940年体制』東洋経済です。

というわけで、日本経済は90年代の戦後一番の大不況を乗り越えられないまま、21世紀に入ってしまいました。その間、せっかく『ジャパン・アズ・ナンバーワン』といわれた日本の国際競争力もどんどん落ちて、スイスのIMDというシンクタンクの評価では、10位以下にまでなってしまいました。まさに「失われた10年」になってしまったのです。

これは、80年代以前の日本経済と比較した言葉と考えると分かり易いです。

それまで日本経済は成長を続けてきて、アメリカを抜きそうになりました。アメリカも「なんで日本はこう強いんだ?」と国をあげて、日本の強さを勉強したほどです。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本も書かれたりしました。その頂点が、80年代後半に起こったバブル経済です。(いまでこそバブルといいますが、当時は日本経済が世界一になると思われていたのです。)

ところが、その世界一になりそうだった日本経済が見せ...続きを読む

Q日本の高度経済成長再考

日本の高度経済成長は誰のおかげなのか?
アメリカによる投資とはいくらなのか?
日本人の働きによるものだったのか?
円安が功を奏したのか?
妨げる要因はまったくなかったのか?
ご意見お待ちしてます。

Aベストアンサー

日本の高度経済成長は東條英機のお陰です。

戦後になって朝鮮、台湾、沖縄といったお荷物地域が日本の統治から恒久的あるいは一時的に離脱しました。日本は戦前、朝鮮、台湾、沖縄を本土と同様に上下水道、電気、道路、鉄道、学校などの公共インフラを整備しました。例えば台湾では明治41年に縦貫線404.2kmが全通しています。台湾が明治28年の下関条約で、清から日本に割譲されたことを思えば随分早い開通です。東北の奥羽本線が明治38年に全通したことと比較しても全く遜色ないどころか、むしろ台湾の方が急ピッチで建設が推進されたともいえる。

戦後はお荷物地域が日本から去ってくれたお陰で、日本は遅れていた東北地方のインフラ整備に注力できるようになったのです。例えば、岩手県の花巻と釜石を結ぶ釜石線が全通したのは1950年です。それまで旅客は仙人峠の山道5.8kmを徒歩で越えていたのです。6kmに満たない距離を3時間かけて徒歩で渡るというのだから江戸時代と同じです。

高度経済成長は公共インフラだけで説明できることではありませんが、そうした視点も必要だと思います。全部説明しようと思ったら一冊の本になってしまいますから、ここでは回答しきれません。沖縄のせいだとはいわないが、沖縄の本土復帰が高度経済成長時代終了の合図みたいになってしまいました。

日本の高度経済成長は東條英機のお陰です。

戦後になって朝鮮、台湾、沖縄といったお荷物地域が日本の統治から恒久的あるいは一時的に離脱しました。日本は戦前、朝鮮、台湾、沖縄を本土と同様に上下水道、電気、道路、鉄道、学校などの公共インフラを整備しました。例えば台湾では明治41年に縦貫線404.2kmが全通しています。台湾が明治28年の下関条約で、清から日本に割譲されたことを思えば随分早い開通です。東北の奥羽本線が明治38年に全通したことと比較しても全く遜色ないどころか、むしろ台湾の方が急ピッ...続きを読む


人気Q&Aランキング