A 回答 (5件)
- 最新から表示
- 回答順に表示
No.5
- 回答日時:
補足ありがとうございます。
その補足のとおりならば、最初から質問は不要でしょう。
答えがわかっているなら、何故質問されるのでしょうか?
そのように捉えられているならば、今までの回答はすべて無駄ですから、忘れてください。
No.4
- 回答日時:
補足です。
補足に書かれている「表象や直観だけではなく様々なサブリミナルな構成要素の複合体 、あるいは主観的な「自己意識」だけではなく(外界の事物に対する)客観的な「対象意識」をも含む「意識作用」全体を秩序づけ統一する「機能」を指します。」は、純粋理性そのものですが、コギトは純粋理性そのものなのですか?
純粋理性には、超越論的(先験的)統覚が含まれますが、カントは何故、超越論的(先験的)統覚にコギトが必ず伴うと記載したのでしょうか?(コギトには、超越論的(先験的)統覚が含まれるんですよね?)
そのような解釈ならば、カントは、簡単にコギトは超越論的(先験的)統覚を含むと書けばよかっただけですよね?
No.3
- 回答日時:
補足ありがとうございます。
前反省的自己意識とは、単純に言えば、「私が考える」と言う意識の事ですよね?(違う意味で使っていますか?)
つまり、ある対象の事を考えていても、それを考える私がいると言う事が同時に存在するのが、前反省的自己意識の事だと思いますが、違いますか?
カントの言う、コギトとは、どこが違いますか?(コギトとは、「私が考える」と言う意味です)
カントは、超越的(先験的)統覚が対象を志向する時に、コギトが必ず伴っていると述べています。
つまり、対象の志向性には、常にコギトが伴っていると言う事ですが、これは前反省的自己意識とは、何が違いますか?
No.2
- 回答日時:
まず、カントは「デカルトのコギト→Cogito elgo sum」の論理を批判しただけで、コギトが存在しないとは、書いていませんよ。
これは、形式的な問題で、コギトの存在を前提する事により、私の存在を証明する事は、コギトが存在する事が証明されていなければいけないからです。
カントは、私が存在する事と、コギトが存在する事は同義であり、コギトには、「私の存在」が含まれていると述べています。
カントにおいては、コギトは前反省的自己意識です。(カントにおいては、超越論的(先験的)統覚には、常にコギトが伴うからです)
サルトルは、現象学の立場から、これを批判しています。
質問は、カントがどう考えたかですよね?
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 哲学 デカルトのコギトとは異なるカントの「我思う」経験的自我とは一体何なのか? 5 2023/01/02 19:07
- 哲学 概念と観念を中学生にでもわかる例えで理解してもらう 2 2022/05/12 08:01
- 哲学 イマヌエル坊や!!! 20 2023/04/08 17:35
- その他(教育・科学・学問) 自分の習ってきた事教わってきた事が絶対正しい等常識・定説・固定概念・固定観念に凝り固まっ 1 2023/05/18 07:35
- 哲学 「意識の外側に物理的世界が実在している」 4 2022/04/14 13:37
- 哲学 概念について 1 2023/04/09 15:09
- 哲学 《ア・プリオリ――先験的? 超自然・超経験的?――》とは つくづくややこしい。 3 2022/06/10 21:21
- 哲学 人間と社会とについての用語をあたらしく作りました。 1 2023/01/30 05:17
- その他(パソコン・スマホ・電化製品) 人間の長期記憶に関するモデルについて。 下記の内容をもとに、一番下の質問の具体例が思いつく方いたら具 1 2023/06/30 18:21
- 哲学 過去とか未来がすでに時間的な概念か 8 2023/05/21 10:52
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
身体的実存とはどういう意味で...
-
デカルトが「すべては夢である...
-
,思惟実体,とはどういう意味な...
-
「我思う、故に我あり」とは?
-
パスカルのデカルト批判につい...
-
デカルトの「我思う、ゆえに我...
-
自由意志と心身二元論
-
デカルトのコギトはどこが独自...
-
スピノザの言葉
-
アラビア語に堪能な方に質問です
-
デカルト『神の証明』
-
倫理で、伝えなければ存在しな...
-
デカルトの物体の存在証明について
-
デカルトの例の一句についてホ...
-
あやまつなら われあり。わたし...
-
デカルト形而上学
-
この世は幻ですよね?他人すら...
-
デカルトの「物体の延長」
-
心は社会的現象だと思うのです...
-
デカルトの二元論! 1.思惟す...
おすすめ情報
ここでの自己意識とは、前反省的自己意識のことです。
lupan334さんへ
前反省的自己意識とは、自己自身はそのことに対して意識はしていないものの、意識が自己を指向しているという状態を指します。
それに対してカントのコギトとは、 表象や直観だけではなく様々なサブリミナルな構成要素の複合体 、あるいは主観的な「自己意識」だけではなく(外界の事物に対する)客観的な「対象意識」をも含む「意識作用」全体を秩序づけ統一する「機能」を指します。
前反省的自己意識は、意識が自己を志向していると言われている様に、それ自身が自覚されているものです。対してそれら意識全体を「形式」として支えるコギト、超越論的統覚は自覚されえないものであり、全くの別物です。
lupan334さんへ
カントによれば、対象の成立には、直観の多様を起点として、覚知の総合、再現の総合、再認識の総合など、さまざまの段階における総合が必要である。そうした諸総合の根源に「われ思う」Ich denkeという意識の基本的同一性が前提されねばならない、として、これを先験的統覚transzendentale Apperzeptionあるいは純粋統覚reine Apperzeptionと名づけた。
【コトバンクより】
コギト「われ思う」とは純粋理性のことであり、超越論的統覚でもあるという事です。
ですので、カントのコギトと前反省的自己意識は全くの別物です。