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江戸時代の長州藩は“へそくり”を貯めていたそうですね。
18世紀半ばに始まり、藩は窮乏していたが、流用は許されなかった。幕末には、その積立額は藩予算の数年分に達し、最終的に討幕の費用に向けられたそうですね。
質問は、このような多額を、どのような形で蓄えていたのですか?
(私は、金塊・銀塊・大判かな、と思っていますが)

A 回答 (2件)

”撫育方”(ぶいくかた)ってのを検索してみると良いかもしれません。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<撫育方>
を検索し、以下の説明がありました。
<敬親が藩主になった頃は借金が八万貫あったとされる(八万貫の大敵)8)が,後には様々な討幕のための支出(例えば,商船や軍艦武器購入)をしても廃藩の時には残りが百
万両もあったのである。このうち70万両を国に献上している。>
貫や両が出てくるところをみると、貨幣の形で蓄えていたようですね。ただし、貨幣以外の物として蓄えてあり、それを貨幣に換算している、という疑いも消えませんが。

お礼日時:2017/11/06 10:48

鉱山が沢山ありましたからねぇ



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
沢山の鉱山があるのですね。
金銀銅などの鉱石を蓄えておくこともあり得ますね。

お礼日時:2017/11/05 19:25

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