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熊本城を1から作ったときは何年掛かったのですか?

熊本城の復旧工事は20年工事になりそうなんだそうです。

復旧工事に20年間掛かるって元の安土桃山時代に熊本城を1から作ったときは何年掛かったのですか?

A 回答 (3件)

No.2の者です。

する
投稿後にNo.1の方の回答をみて「石垣の修復が難しいのか」と誤解されるかもしれないと思い、改めて投稿させて頂きます。

熊本城の場合、「当時の技法を使った修復」をするのは石垣だけではありません。
壊れている場所、全部をそうするのです。

石垣は全部数えて番号を振って石垣の中側にある砂や小石を詰め直しつつ石垣も元に戻して…という工程です。
(ただしこれにはクレーンなどの現在の技術を使いますw)

他の面でいえば分かりやすいのは塀や壁、瓦です。
塀や壁の成分は何か、どんな作り方をしていたかをイチから調べねばなりません。
ただしこれに関しては文献は一切ないので、最新の技術と職人の知恵知識で分析に分析を重ねる必要があります。
そういうのを壊れている場所すべてにやるのです。

さらに、角だけ残っている石垣とその上の建物はもちろん、色んな箇所が不安定な状況です。
解体するにしても補強するか、いっそ取り払うか、中から補強するか…など場所によって検証を突き詰めねばなりません。
やるより準備だけでもそうとうな時間と労力が要ります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/11/12 13:12

今の熊本城の姿は1から一気に作ったわけではありません。


度重なる改修や町割りも行っており、朝鮮出兵や半島から職人を引っ張ってきたりなどもあり、その分のタイムロスもあります。
ざっくりウィキペディアには1591年竣工→完成の式が1606年とありますが、そういう手間がなければもっと早かったかもしれないし、逆に石垣の技術がまた変わっていたかもしれません。

因みに復旧工事に20年かかるのは現代の技術を使えないからです。
当時の技術を使い、それが何か分からなければ研究し想定したものを使い…という方法が必要です。
これは国際的に行われている文化遺産の修復方法です。
だから余計に時間がかかります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/11/12 13:12

加藤清正は、1591年(天正19年)から千葉城・隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に城郭を築きはじめた。

1600年(慶長5年)頃には天守が完成、関ヶ原の戦いの行賞で清正は肥後一国52万石の領主となる。1606年(慶長11年)には城の完成を祝い、翌年「隈本」を「熊本」と改めた。これが現在の熊本城である。1610年(慶長15年)から、通路によって南北に分断されていた本丸に通路をまたぐ形で本丸御殿の建築が行われた。これにより天守に上がるには、本丸御殿下の地下通路を通らなければならないようになった。(Wikiより)

となっているので、概ね7年ですが、築城は、横の石を積みますが。修復は、失くなった石を探しながら、忠実に再現するので、時間がかかりますね。
探して元の位置へ返すのが面倒です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/11/12 13:11

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