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中浦ジュリアンは禁じられていたキリスト教を布教したために、捕らえられ
「穴吊りの刑」に処せられたが、屈せずに殉教しました。

これは、宗教の力ゆえ、という意見もあるでしょうが、例えば坂本龍馬、キング、
マンデラ等も命懸けで仕事をしました。

このような価値観は現代において若い世代では絶無に等しいと思われますし、今後
完全に削除されるものではないかとの指摘もあります。

仮に中浦ジュリアンが拷問に耐え切れず、屈したとしたならば、それは一生彼の心
を苛んだことでしょう。

1.このような生き方にどんな価値があると思いますか?

2.国家のために戦死することとどんな違いがあるでしょうか?

「信念に命を捧げるということ」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • (つづき)

    だから、男がしっかりしなければ、体制側の管理・首枷はなくならず、更に強くなることも
    予想できます。

    故に、「雌鶏歌えば国滅ぶ」となる。このように考えております。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/18 07:52
  • (つづき)
    何かが崩れてしまったのか…

    ですから、私自身人々に信頼されるような存在にならなければと常に思
    っています。

    女性の精神的な社会の役割があるのと同様に、壮年の精神的社会の役割
    (頼もしさ)はあるわけですから。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/21 10:21
  • FF7は1997年の発売で、20年前です。

    けっこう、テキトーですね。

    No.29の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/27 13:01
  • 私はゲーマーでも何でもないことは、もう分かっていますよね。
    ゲームのことは知らないのです。にもかかわらず、ゲームは子供のものだという発言は不用意であったことは認めます。
    ただ、ゲーム全体ではどうなんでしょうね?

    課金制のゲームで大人が金を使っているという記事を読んで、「なるほどなあ」思ったこともあり、そのことを私は否定していないですよ、よく読んでください。

    大人がゲームで金を使っているのは事実でしょう。だから、大人が悪い。大人がゲームをしなければ改善される…
    こういう理論がおかしいと言っているんです。

    No.31の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/27 23:33

A 回答 (36件中1~10件)

>おやおや、そんなに無理に話すこともないのではないですか?



いや、友達だと思って関係を繋ごうと食い下がっていたのです。ここで善意を冷笑する必要があるのかなあ。
嫌なら普通に、「せっかくだけれども自分話したくない。理由はxxxだ」と書けばいいではないですか。
あるいは「xxxの話題は自分は話すつもりはない。yyyについて話したい」と言えばいいではないですか。

ま、ともかく振り払いたいことはよくわかりました。
それはそれとして、せっかくなので前のお礼欄の話に絡めて、少しお話をしていきましょう。

>例えば、小学校しか出ていない、田舎の農家のおばあちゃんでも、ちゃあんと人生哲学も思想も持っているんです。結構明晰だったりするんです。

私のおばあさんは、DRさんが書いたような人ですよ。自分に学がなくて恥ずかしい思いもしたし、苦労もしたから、息子たちには学問を身につけさせてやろうと思った。そう、文字もあまりうまく書けない人でした。子供の私はおばあさんに毎年、年賀状を書いたんですがお返事がなかった。子供の私は不満だった。私は自分がうまく書けた時を褒めてもらいたかった。
でもね、返事がこないのはおばあさんが、字が書けないことを子供に悟られたくなかったからだったんです。日記の随所に間違いがあったり、字の練習をした後がありました。孫は立派になっていくが、自分はそのまま。

これほど苦しいことがありますか。そして能力の差は歴然とあるんです。「ない」と言えるのは、能力がある人が上から見下ろした時だけなんです。ない人は必死に、そりゃあ努力しているんですよ。
私もこれに気がついてからは、おばあさんに恥をかかせないように、色々と考えたものです。そして私はおばあさんのことに感じ入ったから、遊びたい年頃、勉強しました。子供ながらにおばあさんの気持ちを背負っていたつもりです。そして今があるんです。

他にもエピソードがあります。おばあさんは、一族からは閣下と呼ばれておかしくないような職業の人も輩出したんです(私じゃないですよ)。偉くなった人がおばあさんを呼び寄せて、晴れ姿を見せようとした。でもおばあさんは「自分が行ったら、恥をかく。他人の前で示しがつかないだろう」と言って、ずっと田舎にいました。私はおばあさんからこの話を聞いた時、泣きそうでしたね。
おばあさんの人生はずっとこんな調子です。

だからね、DRさんがセールスマンとして他人のお宅を覗き込んだよりも、もっと具体的に、わかっているんです。
おばあさんの悔しいことも、悲しいことも、能力の壁も、嬉しさも、栄光も、いろいろと。
そしてこれは「わかった」だけの話ではないのです。時間をかけて、私はそれを背負ってきたつもりです。

DRさんは自分がちょっと垣間見たことを、さも自分しか知らない発見であるかのように語ってしまいがちなところがあるようですよ。賢いし、飲み込みが早く、器用な方なんでしょう。
でも、より深く考えている人や、当事者にとってはどうなんでしょう。
相手が傷つくと思いませんか?

ま、私が色々と食い下がっていたのは、これに類するようなお話なんです。おばあさんのことは、もう昔のことで整理されていて、披露しても問題ないと思って、書いたわけでした。他のことは書けないので、察してもらう他ないわけです。
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この回答へのお礼

骰子さんね、あなた理論が鋭すぎるの。

あなたが食い下がってきているの分かっているし、今まで仲良くしてきたから
情も残っているし、でもね、今はあなたに対して嫌な気持ちが強いから、あん
まりスパスパ言われると更に嫌になりますよ。

完全に話すのをやめようと思っていなかったから、ああいう言い方をしたんで
すよ。
私は元来物凄くはっきり物を言う方だから。
言い方が冷たかったかもしれないけど。

そんなに焦らなくていいんじゃないですか?

それから、人の心は時間がかかる部分があるし、ちょっとしたことで変わるし。
理論に振り回されているところがあるんじゃないかな。

お礼日時:2017/12/02 23:40

#33です。

お礼ありがとうございます。

ちょっと話が逸れるように見えるかもしれませんが、我慢してお読みください。大航海時代の話です。

私、ずっと「大航海時代」が疑問だったのです。当時の西洋の知識では地球は平らで、ワールドエンドは海が滝になっていて落ちたら死んでしまう、と信じられていました。ところが大航海時代になると、多くの人が船に乗り、コロンブスやアメリゴなどは常識に挑戦して「地球の果て」の向こうに行こうとしました。

もちろん彼らのような「リーダー」は信念とか計算とかいろいろあったのでしょうが、その船に乗った乗組員たちに「信念」があったかというとそんなことは無かったはずだし、それ以外の船でも当時の船はとても危険だったのに「なぜ大挙して船に乗ったのか?」と言う点が疑問だったのです。

それが氷解したのが「大航海時代は、人口増大時代だった」という事実です。つまりコロンブスなどのリーダーは逆に「信念」という条件付けをすることで多くの「行き場のない人々」に生活の糧と目的を与えた、ということです。航海がうまく行けば大金持ち、失敗すればていのいい楢山節考で人減らしになった、ということです。

私は「信念」ということは常にこういう「現実」が付きまとっているのだろう、と考えています。

>しかし、私は過去の殉教者は極めて信仰心が高く、彼らの使命感は教団のためではなく、人間を救うことにあったと思います。例えばキリスト教の教えを真剣に信ずればそうなると思うからです。

確かにキリストそのものの行動や信仰者としての中浦ジュリアンとか天草四郎などの「信念」はそうであったと思います。現代でもそういう「宗教による救済」を信じている人はたくさんいて、信念ある行動につながっている方々もたくさんいるわけです。
 そういう点ではキング牧師も、マンデラ氏もクリスチャンとして「人間は平等」という信念が行動の基礎にあるのでしょう。

ただ、
>現代のイスラムの殉教者達は、どうも本質的に違っていて、「憎しみ」がその根底にある気がします。

には賛同しかねます。なぜなら彼らもまた「人々を救いたい」と言う信念に基づいていると思うからです。

そもそもイスラム教のテロリストたちのやっていることはそれほど「非人道的」なのでしょうか。そこを考える必要があります。彼らのやっていることは確かに「現代的な倫理観」からすれば非人道的といえますが、私はキリスト教徒がやってきたことを考えれば「一神教徒のやることは同じ」だと思います。
(失礼ながら私は日本人で日本教的な考えなので、キリスト教にもイスラム教にも同じように厳しく、そして敬意を持って対応いたします)

キリスト教徒は最近は虐殺などを行わなくなりましたが、大航海時代から植民地時代にかけてはずいぶんと虐殺を行っています。彼らの言い分は「神(キリストの神)を信じよ。されば救われる」であり、キリスト教の信仰を持たなければ「人にあらず」として虐殺したわけです。

彼らの「人々を救いたい」と言う気持ちは間違いなく遭ったとしても「人々=キリスト教」であったことも間違いありません。これはロジックとして現代から見れば欺瞞ですが、当時の「一神教的論理」からすれば何も問題ありませんでした。

今のイスラム教のテロはこれと同じです。だとするなら彼らの信念は「我々は人々を救いたいのだ」と言うことに間違いはなく、ただ「人々」がイスラム教徒(特にISISは少数派のスンニ派だけ)に限っているだけです。
だから私のように、キリスト教ともイスラム教徒も等しく距離をおく第三者から見れば「キリスト教とイスラム教の救済の論理は全く同じ」であり、彼らの「信念」が信仰に基づいている以上「違いはまったくない」と断言せざるをえません。

キリスト教は一応「他の宗教も許容する」方向に変わってきていますが、完全にそうなったとはいえませんし、そもそもキリスト教内の宗派の違いによる争いすら解決できていないのですから、イスラム教テロを「憎しみによるもの」と断じるのは非常に偏っていると私は考えます。


さてそうなると「じゃあ日本にはどういう信念があるのか?」ということになるでしょう。日本には一神教のように「排他的であるがゆえに強化される信念」は存在しえないから、です。
もっとも、日蓮宗や浄土宗が発展した鎌倉時代などは「そういう宗教に裏打ちされた信念」もあったようですが「江戸時代から現代までの間にそういう信念はかなりなくなってしまった」ように思います。これはある意味、キリスト教を異端として徹底的に取り締まったがゆえの「副作用」だったのかもしれません。

では日本には信念がないのか、いやあります。ではその信念の源泉はどこか、私は「土地」だと思っています。

これは故司馬遼太郎氏が晩年に書いていたことなのですが、司馬氏は晩年になって「『土』と書いて『クニ(国)』と読みない」と言っておられました。

その心は「日本人ほど、土地=人=国だと思っている民族はほかに居ない」ということです。他の国や民族はほとんどが他民族による侵攻や、出自の土地を離れて移住せざるを得なかった歴史を有していて、日本民族ほど自分たちの土地を愛しまた自分たちのモノだ、と思っている民族は居ない、ということです。

私はこれに賛同します。

その結果、日本人は「自分たちの土地が侵される危機のときだけ、恐ろしいほど信念を発揮する」という特徴が見て取れるように考えます。これを破ったのがある意味、中浦ジュリアンたち日本のキリスト教殉教者たちで、秀吉はこの「クニの概念からかけ離れた信念」に心から恐怖したのではないでしょうか。
だから、苛烈な迫害と禁教を実施したのだと私は考えています。

中浦ジュリアンたちの殉教は「世界で標準的な民族や自前の宗教を守り信仰を貫くことで、自分たちの民族(宗教族)を守り幸せにすること」と言う意味では立派でしたが、日本ではそれが通用しない、と言うことだったのだと思います。

この点について、近代的な感覚を持った故遠藤周作はかなり突っ込んだ解釈として「沈黙」を書いたのではないか、と私は考えています。だからこそ「現代人の国際感覚として同じような感覚(キリスト教と国際感覚の対立に葛藤せざるを得ない)を持つアメリカ人が「今映画にする必要性」を感じたのではないか、と思います。

あ、話が逸れました。日本人のことです。

日本人は「土地」について危機感を持つと「信念」を持って行動を始めるものだと私は考えています。だから、大戦末期に神風特攻隊も辞さなかったし、硫黄島での一月以上にも渡る籠城戦も可能だったのだと私は考えています。

そして「現代の若者はそれらの信念を持ちえないか」という問いに対しては私は「持ちえる」と答えたいと考えます。
理由は東日本大震災の若者の振舞にあります。

外国のニュースで報じられたものに「ある中学生はおにぎりを一つしか取らず『他におなかが空いている人に上げてください』と言った」というものがあります。
また老若男女問わず、きちんと並んで暴動が発生しなかった、という事実もあります。

これは信念に沿った行動といえないでしょうか。そして彼らの信念は確かに「ほかの人々を幸せにする」行動を呼びました。小さなことですが、とても重要な行動だったわけです。
日本人からすればこれは当たり前の行動です。私たちが中学生時代だったときも同じだったはずですし、今まだ小さい私の子供も同じように行動することを十分に期待できます。

外国人はこの中学生の行動や人々の行動を「日本人はこれほどの少年でも「やるべき時にやるべきことを理解している」と賞賛しました。

外国人は日本人の「信念」に感銘をうけたわけです。

明治時代から日本にも「国家国民」という考え方ができました。戦前の日本人もそれらの枠の中で信念に基づいて行動し、今の日本人も危機的な状況になれば信念に基づいて正しい行動を起こすことが証明されているといえるでしょう。

したがって、私は「現代の日本人の若者も十分に信念に従って行動する価値観をもっている」と考えます。
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この回答へのお礼

>「信念」ということは常にこういう「現実」が付きまとっているのだろう

私が思いますに、信念に付きまとうというよりも、信念に基づいた行動の前には
現実がある、こういうことだろうと思います。

いずれにしましても、歴史のそういう見方は大変興味深いことです。

「イスラムの殉教者」と申し上げましたが、ちょっと言葉が適切でなかったよう
です。
殉教するのは若者たちで、彼らは純粋であろうと思います。問題は指導者です。

要するに、排他的一神教の教義と政治が結びついて「化け物」を生み出してしま
った、というのが私の考えです。
敬虔なクリスチャン・イスラム教徒は「愛」に溢れていると思うのです。

日本人の「土地」に対する執着というものは私もとても強くあると思います。
一番の理由は、山岳地帯が多い狭い国土なので、取り合わざるを得なかった歴史
があったからかなと、単純に考えていました。

信念は今の若い世代にもさすがにないとは思いませんが、大仰な言葉になりますが
「不惜身命」の精神のことですね、私が問うているのは。

お礼日時:2017/12/02 21:21

えー、一旦、頭を冷やしてまいりました。

3日くらいしますと、頭がリセットされます。
どこについてお話ししようかと思いましたが、ゲームとアニメの話は一旦脇に置かせてください。私も何を話していいのかがよくわからなくなってきました。雑談としては話し続けられると思いますが、相手の気持ちがのっていないと感じていて、私の方も辛いので。

>私の思想は、生命尊厳・人間主義です。人々は皆自分もそうだと思っているだろうけれど、私は「そうでない」と思っているのです。だから、大変なんですよ。

これはもうちょっと教えてください。これだけで察するのは難しいです。

>骰子さんの思想はまだよく見えていませんが…

うーん。誤解があるみたいですので、ここで解いておきましょう。
私はQAサイトだと、人当たりが良く、物分かりがいいように見えたかもしれません。しかし私は多分、一般には鼻持ちならないハイカルチャーに属する人間なんだと思います。専門もそうだけれども、経歴も人が聞くと「へ?」という感じらしいです。
お堅いというか、まあ、指摘を受けるまでもなく一番、堅いんです。

思想としては、どちらかというと左より。でも政治には基本的に関与しない。肩肘を張らないで、中身があることを大切にしています。だからno27さんとかも、私にとってはとても面白い人です。猪突先生は右よりだと思うけれど、これも気になりません。

そして正直なことを言えば、信条に殉ずるという考え方は、私は馴染まないんです。
信条は万人が持っている。自分の信条を声高に言って、それで死ぬ、死ぬといって、何になるんだ、と思うのです。信条があるなら黙って実行し、しかるべきところで黙って死になさい、と思うのです。私自身はそうしていると思います。
私の場合、頭でこれと決めた信条があるからそうしているというよりも、自分が積み重ねてきたことがあって、その重みを背負う中で行動しているという感じだと思います。

>妖刀をお持ちなら、私の骨まで斬りに来ていただきたい。

私に気を遣わせないためのご配慮と思います。でも妖刀だから、斬った人も、斬られた人も、神経症になってしまいます(笑)。

いい刀をお持ちなのは、猪突先生です。あの方の文章は読んでいて気持ちがいいです。
それに物理学なのに、全てに説得力があるんですからすごいことです。私はここでは自分の専門を封印して話していますが、でも、あんな話はできないですね。
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この回答へのお礼

おやおや、そんなに無理に話すこともないのではないですか?
お互いに気持ちが乗らないと面白い話も面白くなくなりますから。

人の思想というものはそう簡単には分からないですよ。
人の思考って全く人それぞれで、概念の理解も微妙に違うことも多いし
そのつなげ方もそれぞれで、まして、私のような「変わり者」は尚更で
しょう。
時間がかかると思いますよ。

ひとつ申し上げたいことがあります。
人に対し「中身がない」なんて平然と言う人がいますが、これは世間知
らずで傲慢な阿呆です。

例えば、小学校しか出ていない、田舎の農家のおばあちゃんでも、ちゃ
あんと人生哲学も思想も持っているんです。結構明晰だったりするんで
す。

人間の能力の差なんてそんなにありません。

私は長年のセールスマンとしての経験からそう断言します。
ですから、庶民を下に見るような人は基本的に嫌いです。

>でも妖刀だから、斬った人も、斬られた人も、神経症になってしまいます

なんだかよくわかりませんが、危険なものでしたら遠慮しておきましょう。

お礼日時:2017/12/02 20:06

面白そうなので、今さら参観します。



現代の社会特に日本で「信念」が語られなくなったのは、医療技術が進歩して、人が死ななくなったから、だと思います。

明治期以前は乳幼児の死亡率がとても高く、戦前までその傾向は続きました。戦後、ワクチンや抗生物質、その他の医療技術のおかげで、ほとんどの人が病気で死ななくなったわけです。

私はそれにつれて「信念」という概念がとても薄くなったのではないか、と考えています。

私は若い時に片親を無くしているのですが、身内を無くすとどうしても「自分が今ここに生きていること」を感がるようになります。それまでは頭では分かっていることですが、大切な存在を無くして初めて心の底から「自分が生きている本質的な意味合い」に気がつくわけです。

近代化されるまでの世界は、理不尽が「死」が常に身近にあり生まれても成人する人は半分ぐらいだったわけですから、自分の「生」と死んでしまった兄弟たちの「差」はなにか、と言う問いかけが常にあったように思います。

その問いこそが「使命」とか「信念」に通じていたのではないでしょうか。

という前提で以下に回答します。
1.このような生き方にどんな価値があると思いますか?

現在の日本であればそれほどの価値はないと思いますが、世界にはイスラムテロに殉じる若者が居るように、今でも「宗教に殉じる価値」はあるのだと思います。

その価値の本質は「自分たちの社会・宗教が生き残っていくこと」であるだと考えます。


2.国家のために戦死することとどんな違いがあるでしょうか?

基本的には同じだと思います。そもそも「国家」と言う概念は近代になってできたものであり「国家のために殉死する」という概念も近代的なものであり、それ以前は主君(国王・藩主など)のために殉じるものでした。日本でその気分を持っていた最後の世代が乃木将軍の世代でしょう。彼は幕末の生まれであり、幕末の烈士たちの「信念」を直接見て学んだ世代だったからだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど、一理あると思います。

医療技術が進歩して、平均寿命が伸びたことも含め、生活が便利で快適で物質的に
豊かになることは、「自分が生きている本質的な意味合い」を見失うひとつの大き
な原因になるのだろうと私も思います。

人間は楽なほうへ流されますから。

ですから、宗教を信じ殉じるという心も見失っているのでしょう。

しかし、私は過去の殉教者は極めて信仰心が高く、彼らの使命感は教団のためでは
なく、人間を救うことにあったと思います。
例えばキリスト教の教えを真剣に信ずればそうなると思うからです。

現代のイスラムの殉教者達は、どうも本質的に違っていて、「憎しみ」がその根底に
ある気がします。

お礼日時:2017/12/01 08:47

>・・・・・・骰子さんの思考のタイプですね、非常に細かい。

あなたはこれを私にはこれまで見せなかった。
>微妙な「噛み合わせの悪さ感」はこれが原因だったのだと思います。
>急に議論に持ち込まれたり、立証せよなどといわれても困ります。

相当びっくりなさったみたいな感じがします。
DRさんが根拠が薄弱と繰り返され、そこで議論が動かなくなっているみたいなので、やむなくそうしたんです。
一応、私の情報は信頼する気になったでしょ。で、話が少し動いたかもしれない。
そして、この投稿をどう書こうかと熟慮しているところで、補足欄が来ました。これは後で少し考えさせてください。

余談だけれども、昔、抜き身の刀を持って歩いているような人って言われたことがありました。言葉のマーシャルアーツの達人とも言われました。しかし私の刀は、名刀というより、妖刀みたいな感じでした。誰の言葉でも叩き斬る。斬れると面白い。だから斬りまくる。いや、持ち主も困りました。でも妖刀も、今はちゃんと鞘がありますよ。

鞘があるから、必要がある時以外は抜かないわけです。
私はDRさんのことは友達だと思っているわけです。
障害物があって取り返しがつかなそうだから、叩き切ったと言ったら、格好つけすぎでしょうか。
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この回答へのお礼

びっくりしたというか、ハ○ブル氏とかB氏みたいな議論は勘弁してくれと
思っただけです。

40歳くらいから下の男性の文化ーこれは大げさでなく日本の中で三本の指
に入る大問題だと考えていて、これが今考え中だったもんで、急に話題に
なったからちょっと感情的になった部分があり、不用意な発言を私がした
ことが今回のゴタゴタの直の原因になったようです。

少し前までは女性文化のことを考えていて、これは一応の結論に至りました。

私の思想は、生命尊厳・人間主義です。人々は皆自分もそうだと思っている
だろうけれど、私は「そうでない」と思っているのです。
だから、大変なんですよ。

骰子さんの思想はまだよく見えていませんが…
そして、そういう話が骰子さんとどこまでできるのか今は分かりませんが…

いずれにしても、そこまで啖呵を切ったのだから、以降は変に配慮されると
困ります。
私の失言を斬ったというのは、皮を切ったようなもんです。

妖刀をお持ちなら、私の骨まで斬りに来ていただきたい。

お礼日時:2017/11/28 00:42

>ゲーム・アニメの中毒から、青少年を救うべきだとはじめから言っていますよ。



それはわかっています。だからno29にも、ここまでは合意していると書きました。
しかしよくよく考えると、私には、何を言っているのか、中身がわかりません。その理由を書いてみます。

>ハマらなければ理解できないでしょうね。

DRさんはハマっていることを認めていますね。で、次の展開がわからない。
普通は、自分が楽しんでいるなら、いいものだから、ではみんなで楽しもう、ということになる。
ところがDRさんは「救おう」と言っている。ある意味、気前よく、私に合意してしている。
でも、なんか変ですね。論理的に変な合意です。

だからね、突っかかる言い方で申し訳ないんですが、「青少年を救うべきだ」と思っていないんじゃないか。あるいは例外的に良質な中毒があると思っているのじゃないか。こういう疑念が湧いてくるわけです。
続く理屈も理解できていません。

>アニメ・ゲームの市場を支えているのは圧倒的に子供です。

初めから出し惜しみしなければよかったんだけれど、ゲーム雑誌の調査結果だと、下に添付している表のようになるそうです。子供は微々たるものです。数値計算の仕方としてどうかということも言えるでしょうが、参考にはなるでしょう。リソースも貼っておきます。
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20161221 …

そして添付は一つの表しかできないそうですが、他の資料だと、30代がピークで、20代から40代までがメインになっていましたよ。
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20161216 …

DRさんの言っていることは全く違うんだけれど、どうなんでしょう。

>ハマらなければ理解できないでしょうね。

これは、「あんたにはわからないのだ」と宣言したのみで、厳密には説明ではないですね。失礼であると同時に、省エネ、投げやりです。私の十把一絡げが違うのだと、実証してみてはどうですか。これが中身があるってことだと思いますよ。それで初めて話は面白くなります。

>私の言っていることを(ある程度でいいですが)真剣に聞いているんですかね? 上から目線ではないですかね?

一言で言えば、話は聞いているが、理解ができないってことです。
そして「あんたにはわからない」という趣旨のセリフを連発されると、会話が成立しなくなっていくということです。
「信念に命を捧げるということ」の回答画像31
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

まず申し上げたいことは、骰子さんの思考のタイプですね、非常に細かい。
あなたはこれを私にはこれまで見せなかった。
それを悪いとは言いませんし、細かいことが悪いなどとも思っていません。
ただ、私とは合わない。

それを知っていたら、ここまで長話はしなかったろうし、微妙な「噛み合わ
せの悪さ感」はこれが原因だったのだと思います。

次に、我々がやってきたことは、あなたも言っている通り「雑談」です。
ですから、きっちり根拠を固めながら話を進めるとは限らないし、まだ言葉
になっていないことも言ったりしました。

私は友人同士の雑談という感覚で、個人的なことを言ったりしました。

ですから、急に議論に持ち込まれたり、立証せよなどといわれても困ります。
繰り返しますが、それをする義務は私にはありません。

むしろ迷惑です。これから年末にかけて忙しいというのが最大の理由です。
時間がとられますからね。
あなたがどうしても議論して私をやっつけないと気が済まないというのであれ
ば、これにて失礼をば致します。

要するに、あなたが私の言うことを「理解できなかったのだから」どういうこ
とか説明してほしい、ということであれば筋が通るので、説明はさせていただ
きます。

お礼日時:2017/11/27 22:10

>FF7は1997年の発売で、20年前です。

けっこう、テキトーですね。

いや、それは私をみくびりすぎですよ。いつも甘々で細かい言葉を揚げ足とったりしなかったけれどさ。
次のように書いてありましたよ。

>私の持っているゲームソフトは、FFシリーズの7~12、これだけです。これを、たまに繰り返しやるだけです。(no13お礼欄)

つまりDRさんは、FF7(1997年)からFF12(2007年)まで遊んでいたってことでは? しかも「繰り返し」やっているんでしょう? 今もやっていると示唆していると言えます。
一番近年のことが問題だから、FF12の話をしたんです。それくらいの論理、言わないでもわかってよ。
次のことも読んでいますよ。でも意味が取れない。

>何がいいかというと、70年代に登場したインベーダーゲーム(これは好きではありませんでしたが)の後に、いろんなゲームがあったんです。そのスペイシーな世界観が好きでしたね。だから、その延長線上にあるんだと思います。

新しいファイナルファンタジーというゲームをしていても、70年代を求めているってことですか。
これもまた郷愁のお話だ。私はどうも、この説明がとってつけたように思えてならないです。

そしてファイナルファンタジーVIIについて、私も全く知らないわけでもないんです。
ファイナルファンタジーVIIは子供の頃にやったことがあるけれども、スペイシーな世界観でもなければ、これまでにあった世界観でもないですよ。強烈なディストピアというべきもので他に類を見ない。だから新聞の社説欄などでも、話題になりました。そして他に類を見ないから、強い中毒性がある。実際、大人になってもそれをやり続けている人がいる。そしてゲームの続編が出たり、映画になったり、リメイクされ続けているわけです。こういう中毒性のあるゲームの世界に巻き込まれているのをどう思いますか?って聞いたんです。
身も蓋もなく言えば。

>私が、何か答えなければならない義務がありますか?

いや、昭和の男はそうは言わなかったと思うな。義務がないところに義務を見出すのが昭和の男だと思うのだけれども。
エノケンの昭和の話をしながら、そういうことを言っていたのではなかったでしたか。

>一番切実な問題は「時間」です。それは、共感してもらえるはずです。誰かさんにそう言っていましたから。

それは私の価値観で、DRさんの価値観は別であったはずでは?
価値観が違うという話をしているのに、そういう混ぜ返し方は失礼だと思うな。
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この回答へのお礼

FF7の話は、私の完全な勘違いで、失礼いたしました。
予想通り、おほん、真っ先にご指摘頂きました。

FFシリーズは、スぺイシーな世界観がふんだんにあります。短期間であっても
ハマらなければ理解できないでしょうね。
それに、これは私の主観でもありますし…

これは、骰子さんの無認識の評価ですね。なんでもそうです。経験のない人は
その問題について分からないことがあまりにも多いです。
更には、画一的な理解で、(つまり、ゲームをする人間は中毒患者である的な)
バッサリ片付けようとする。

>こういう中毒性のあるゲームの世界に巻き込まれているのをどう思いますか?
って聞いたんです

ゲーム・アニメの中毒から、青少年を救うべきだとはじめから言っていますよ。
人の話を聞いているんでしょうか?

>昭和の男はそうは言わなかったと思うな

そんなことはない。
義務とか権利とか考えなかった時代とも言えるでしょう。
それから、これも「十把一絡げ」、画一的物の見方で、よろしくないと思います
よ。私は違うんですから。

私も「時間」に関する価値観は何回か言っています。その部分は同じです。

私の言っていることを(ある程度でいいですが)真剣に聞いているんですかね?
上から目線ではないですかね?

>いつも甘々で細かい言葉を揚げ足とったりしなかったけれどさ

この言葉がそれを表していませんか?

お礼日時:2017/11/27 15:28

>要するに配慮なんてされたくないんですね。



申し訳ないが、DRさんのことはひとまず、放っておきますよ。だってなんか僻んでいるんだもの。
それに、DRさんの話、つまんないよ。僻み、いじけ、トラウマ、郷愁、過去の批判。他に何か話題が出ていますか?
私に問題があるのか知らないけれど、そこにこだわりすぎると、私に限らず、そもそもQAサイトでお話できなくなるんではないですか? どこの誰かはわからない。相手が見せたいところを見ることしかできない。
私の裏の一面が見えて大変不満らしい。言語化できるくらいに考えがまとまっているのなら、言いたいなら言いなさいな。ただしAさんは関係ない。DRさんが自分のことをお話しなさい。
で、面白い話を続けましょう。
もう話は始まっちゃっているし。
あと、この投稿の最後に、DRさんへの問いが書いてあります。

no28について。

>単純で均一的で一般的な構造が、次々の分岐して、より複雑で不均一で特殊な構造へと変化してゆく方向に時間が流れている

これは面白いですね。単純なものが複雑になることはあっても、複雑なものが単純になることはない。
でも人間は、複雑なものを単純にすることを好むようです。デザインでも、思想でも、研究論文でも。
これはどういうことなのか。シンプルさが正しいとは言えないということは、その通りだと思います。慎重になるべきことだということもその通りだと思います。しかし一体、なぜ人間はこういうことをしたがるのか。

>宇宙や物質の進化、歴史や社会の進化、さらに芸術の進化など様々な事象に適用され、華々しい成果を収めている。

そうですね。ルーマンとかでしょうか。もしよかったら、キーワードだけでも教えてください。私が後で勉強できますので。

>若者の特権は、勉強不足で知識がないが故に、怖いもの知らずでトンデモないことを言い出して、今まで誰も気がつかなかった新しい世界を見せてくれることにあるんだから。

これは一つ、わかったことを報告したく思います。おっしゃることは、若者をうまく掬い上げられる力量のある先生、環境が整わないとできないんです。一流大学の、特権的に守られた環境の中で、初めてそれができるわけです。私もあの後、大先生の前で発表して「トンチンカンだけれど、素晴らしい発見がある」と褒められたことがありました。私の名前で華々しい論文が発表されたわけではないんですが、この時にふと、もしこれが数学とかなら、ひょっとする事態が起きかけているのかもな、と思ったものです。
でももし、「トンチンカンだよ」と重箱の隅をつつく話しかなかったら、私もやる気がなくなっていたことでしょう。


no27について。

>そういう場合は、感染してる人を見つけたらとりあえず殺す。のはちょっとまずいので隔離。

思わず笑いました。googleの検索もフィルターがもっと上手く行ったらいいのになと思います。
そして、身内で感染者が出た場合、どうするのかということが私の課題です。本当にこれに感染して、二進も三進もいかない人が出てしまった(なお子供とかではありません。微妙な年齢の人です)。深刻なんです。

>命ってぶっちゃけいつでも賭けてる。
>信念に捧げるから特別だと考えるのはなんだかね。

私もそれはそう思います。私は子供の時は病気で、ただ息をしているのに命をかけていましたね。お受験もなんだかんだ言って、命をかけるくらいのプレッシャーを受けていました。海外に行った時は、勝手がわからず、やはり命をかけていましたね。研究を続けるってことは社会的に不安定なので、これもまた命をかけていました。今も年に数回、失敗できないハードルに挑戦しています。
失敗した際も、「ああ、もうダメだ」と逃げ出さず、どうにか次に繋がるように形を整えていきます。これも命がけで勝負しています。しかしこういうことを言い出すと、信号を渡るのも命をかけていることになるわけで、どこまでいいたてるべきか際限がなくなります。

悪口言っているんじゃないけれど、DRさんは命をかけて何かやったことないんじゃないの?とは思いました。あるいは命をかけるようなことをやっていても、自覚なくやっているんじゃないの、と思いました。
ただなんていうのかな、ここがDRさんという人のツボなのではないかという気がしています。
それを議論の焦点にしていいのかどうかは、確かに質問の本筋ではあるけれども、ややためらいます。あまりに重い話なので。

>やりなおすなら、no.12のお礼コメントの下記からだな。

具体的に、ありがとうございます。大元は確かにそうなんですが、no14くらいまではなんとかなっていたのでは。次くらいでは。

>これが人間、特に若者にとって害悪であることは論を待たないところであります。これを避けるためにはどうしたらよいかという目的に向かっての議論でありたいですね。

ここまでは双方が合意。しかしここから先、お互いが話したいことが違って来ました。
ゲーム市場を支えているのが若者か、50代か。しかしこれは保留にしましょう。これはマーケッターがいないと答えが出ません。
問題は次あたりではないですか。

>優生思想というか、排除思想というものが、若い世代にあると思います。

私は別の話をしていたつもりだから、話をすり替えないで欲しいと思ったわけです。
しかしDRさんはどうしてもこの話をしたいらしい。猪突先生が既にこのお話をしてくださっているかもしれないけれど、DRさんに一旦聞いてみたいと思います。これは何を言っているんですか?
ホームレス殺害などの事件は知っていますが、それはあまりに別の問題が絡みすぎています。
DRさんは自分の生活でこれを感じていますか? だとしたらこれを説明してもらいたいです。

そして私はやはりわからないんだが、なんでDRさんは50代にもなって、ゲームをしているんですか? ファイナルファンタジーXIIって2007年に発売されたものです。10年前です。誰かに譲ってもらったのだとしたら、遊んでいたのはここ数年のことかもしれない。
子供向けと認めつつ、なぜDRさんがこれをしているのか。
大人なら、大人向けのことをやるわけにはいかないんですか。大人は大人で棲み分けないと。
昭和の頑固親父は、棲み分けには厳しかったと思いますけれどもね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

>申し訳ないが、DRさんのことはひとまず、放っておきますよ

是非放っておいて欲しいものです。

一番切実な問題は「時間」です。それは、共感してもらえるはずです。
誰かさんにそう言っていましたから。

時間の無駄だと思えば、「さりげなくやめてゆく」ものですよね?
自由ですから。
私が、何か答えなければならない義務がありますか?

何故ゲームをしているかって?以前説明しましたよ。それを忘れて、大きな
お世話なことを、また聞くなんて「バカじゃねーの」ってまた言われますよ。

お礼日時:2017/11/27 12:54

#27関連して。



賽子さんがおっしゃっているように、あたしゃ横槍と突っ込みが大好きだ。ここの欄もお遊びの雑談場だと勝手に決めつけている。雑談てっ大事だよ。そもそも目的がはっきりしていないから、話があらぬところにそれる傾向がある。自然科学の大進歩のほとんどは、意図した方向に何かが出てきたなんてのは滅多になくて、思いがけない副産物として出てきたってえのが人間の歴史だ。そもそも、知識の量で新しい世界が見つかるなら、若い連中は年寄りには叶うはずがない。ところが、そんな新しい世界の発見は圧倒的に若い連中によってなされてきたことを人類の歴史は示している。若い連中は、年寄りほど自分で何言っているのかわかんないから、年寄りの忠告を無視して、年寄りが怖がって近づかないトンデモないあらぬ方向に突き進んで行っちまう。そして大発見が起こるんだよね。でも、そんな運がいい奴は、まあ10万人に一人ぐらいの若者かな。あとの連中は年寄りの予測通り、討ち死にしちまうんだ。だから、まっ、10万回に1回ぐらいの割合で、大発見がなされてきたんだね。大抵の場合は、年寄りの言ったことに黙って従っていた方が、巧くいくもんだ。

私の先生が、

「若いってことは何にでも興味を持っていることだ。年寄りになるってえのは、若い時に蛸足のように何にでも持っていたその足を一本一本切り離して行くってことだ」

と言ってた。だから、

>若者を多様性、年寄りを画一化っておいてみると、

ってのは昔からあった話で、まんざらトンチンカンな捉え方じゃない。我々ができることは、それを事実と認めて受け入れて「さあそれならどうする」ってことだけだ。「いや、それじゃまずいんで、年寄りの脳みそを改革せにゃならん」なんてな、「人間はこうあるべき」ちゅう、お釈迦様や孔子様やソクラテス様やキリスト様のようなこと言ってたって、戦争もなくならなかったし、人が幸せになれたわけでもない。「こうあるべき」だなんて「理念」を語っていても無駄で、それよりも「こうあるのだ」という「事実」を先ずは把握して、だったらどうすれば良いかを語った方がより生産的だということを、お釈迦様やソクラテスの時代よりも1500年以上も後になって、ようやくルネッサンスの時代になって、人間はわかってきたんだね。ガリレオやマキュアベリによる自然科学や政治学の発見だ。哲学は「理念」を語り、科学は「事実」語る。人類は、お釈迦様やキリスト様の言うことを聞きながら、結局痛い経験を繰り返して、事実の方が理念よりも重要であることをやっと学習できたわけだ。

これって、人間は先ず思春期になって理屈の世界に目覚め、いろいろな屁理屈を言いだす。でも、そんな理念優先なやり方じゃ何も巧くは動かないことを、大人になっていろいろな経験から分かるようになってくる。そして、理念よりも事実の方が大切だと言うことが分かってくる。これが大人になったと言うことだね。これって、人類の知的発展で、理念から事実へ、哲学から科学へ、と発展してきたのとよく似ているね。共産主義が失敗したのも、奴らは「人間はどうあるべきか」と言う理念を優先させて、「人間はどうあるのか」と言う事実を無視したからだ。共産中国が資本主義経済を形式的にも受け入れざるを得なかった事実が、理念に重点を置いたこの共産主義が如何に底が浅いかを如実に示している。

あと、

>生物学における進化論が、

ってえのも、突っ込みどころのある捉え方だ。これは確かに、生物学、というよりも、博物学の研究から得られた知見だった。ところが近代物理学の進歩で、複雑系よりなるこの宇宙は、我々の存在も含めて、単純で均一的で一般的な構造が、次々の分岐して、より複雑で不均一で特殊な構造へと変化してゆく方向に時間が流れていることが、定量的に明らかになった。これは、今まで誰も疑わなかった「エントロピー増大の法則」すなわち、「複雑で特殊は構造は放っておくと、壊れて行き、最終的には均一な状態に向かってしまう方向に時間は流れている」という主張と逆の方向に時間が流れていることになる。

しかし、近年の物理学の進歩で、この宇宙は物理学の法則に従いながら分岐を繰り返して、次々と複雑な構造を手に入れてきて、ついには我々生物の存在までも、物理学の法則にしたがて出現することが可能であることが明らかにされた。この事実の発見は物理学者にとって、大変な衝撃だった。そのことによって、エントロピー増大の法則の意味することが、以前と比べて桁違いに深化されて理解できるようになった。これは「散逸構造の理論」という形で表現されており、その理論の提唱者のイリヤ・プリゴジンはその業績でノーベル賞をもらっている。その理論は、生物の進化ばかりでなく、宇宙や物質の進化、歴史や社会の進化、さらに芸術の進化など様々な事象に適用され、華々しい成果を収めている。今や、散逸構造に関する科学論文は毎年数千、数万に渡って出ているのだ。だから、生物学における進化論を社会、文化、文明に適用しても宜しいことは、近代物理学の成果によって、すでに正当化されているんだ。

でも、誤解をしないでくれ。私は人の勉強不足を非難しているわけではないんだ。上でも述べたように、勉強しすぎると上で述べた年寄りのように、知識はあるが、自分じゃ何もな新しい世界を発見できない奴らばかりを増やしてしまう。若者の特権は、勉強不足で知識がないが故に、怖いもの知らずでトンデモないことを言い出して、今まで誰も気がつかなかった新しい世界を見せてくれることにあるんだから。
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この回答へのお礼

先生にはせっかくおいでいただきましたが、少なくとも今はもう彼と話をしたく
ありません。

これ以上あれこれ言うと、彼も傷つくでしょうからもう言いませんが…

お説はゆっくり読ませていただきます。

お礼日時:2017/11/27 05:23

no.22の生物学における進化論を、群淘汰を媒介にして、社会、文化、文明に適用しDNAと並列に語るのはやりすぎかと。

あと、若者、年寄りって対比で若者を多様性、年寄りを画一化っておいてみると、お先真っ暗感が出がち。日本って少子化だし、最後のバスが出てもうへるばっかし。多様性がどんどん減って、画一化が進む。退化ばっかし。年寄りはさっさと死んで相続税バラまいて年金節約しないのなら若者は日本を出ればいいじゃない。なーんてさびしいじゃない。


なんていうのかな。感染力ってのがあってさ。感染してる人はへーきなんだけど、まだ感染してない人は、感染したくない感じがしてきょーふなんだよね。だいたい人数でわかれるんだけど、感染してる人数<感染してない人数とかさ。そういう場合は、感染してる人を見つけたらとりあえず殺す。のはちょっとまずいので隔離。

たばこを例にする。副流煙と受動喫煙。喫煙者が感染してる人。非喫煙者が感染してない人。性欲を例にする。スマホの中のポルノと後ろからたまたま見て気分悪くなった人。性欲のある人が感染してる人。気分悪くなった人が感染してない人。スマホの人が視野角を制限するシールを貼るのがとりあえすマシかそれともカンケーねぇって突っぱねるか。宗教を例にする。キリスト者と他の人。キリスト者が感染してる人。他の人が感染してない人。宗教に教義として布教せよという感染力が取り除けないものとしてセットされてる。ほっとくとどんどん増えちゃう。インテグラはこういってる。
 「見敵必殺(サーチアンドデストロイ)!! 見敵必殺(サーチアンドデストロイ)だ!!」
https://matome.naver.jp/odai/2144412604521975601 …
媒体について考える。たばこ→空気(鼻に入る)。ポルノ→光(目に入る)。宗教は?わかんないけどたぶん言葉。所かまわず神、神、喚き散らす学校の先生みたいな上から目線のうざいやつ。酒池肉林の刑。でも、殉教カコイイ!!天国へgo的な教義だから喜んじゃったりして。仲間もそれ褒めちゃったりして。今キツい目に合うほどあとでイイコトあるのさなーんて。エモい。けど最近は宗教人気ないね。
http://online.sbcr.jp/2015/12/004154.html


現代だと、数とか権力とか感染してる人とかどーしょーもなく強い方が不利なように法律で調整してる感じ。妊娠した人が長期休暇をとるときに勤務態度の悪さを理由に解雇されたとき、訴えたら、女性が勤務態度が悪くなかったこと示すのではなくて、会社が勤務態度が悪かったことを示さないとならない。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/0 …


あと物理的にチンコついてるかどうかはそんなに重要じゃない。今はテキスト媒体だから。やっぱしココチンです。下記URLはBL的表現があり閲覧注意
https://www.chil-chil.net/compNewsDetail/k/blnew …
でも、物理的にチンコついてるやつのほうがとらわれやすい感じはするな。なんつっても目に見えてわかりやすい。虫の生殖の様子の写真が載ってるので下記のURL閲覧注意。
「メスがペニス持つ昆虫」日本人らの研究にイグ・ノーベル賞。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1709/15/n …
 「世界中の辞書には、ペニスは男性のものと書かれているが、われわれの発見に
 より、すべての辞書が時代遅れになった」
やりなおすなら、no.12のお礼コメントの下記からだな。本人じゃなくても不愉快に感じる。不愉快にさせる意図なくて書いてるならそれを認めるところから。
 no.12のお礼コメント
 ちょっと「お堅い」ところがあるような気はしていました。
そんで、性差・性的志向差の話はしないことにするとか。ジェンダー差はアリかも。


命ってぶっちゃけいつでも賭けてる。横断歩道を渡るときだって、ほんとは右手を挙げてわたりたい勢いだけどタクシーが止まっちゃうからやめよう。信念に捧げるから特別だと考えるのはなんだかね。
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