プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

皆さん
日本語のことで悩んでいることがあるのですが、名詞を修飾する時には過去形を使うのと現在形を使うのと何か違いがありますか。
例として下記の様にあげます。
❶違う観点で世界を見てみよう。
❷違った視点で世界を見てみよう。
❸彼はいつも人と違うことをします。
❹彼はいつも人と違ったことをします。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

No.5でコメントした者です。


 ちょっとみっともない間違いがあるので修正しておきます。
「壁にかけた絵」は辞書にあった例です。
 これだと
1)壁にかける絵△
2)壁にかけた絵
3)壁にかけてある絵
 と1)が不自然になるので、少しかえて「壁にかかった絵」にしました。これなら3つの形で使えるはずです。
 訂正します。
 以下はそのままです。

 ところで質問者さんは理解できたのでしょうか。
 疑問点があれば追加で質問してください。
    • good
    • 1

以前mixiのトピで同じような質問が出ました。


 詳しくは後述します。

 同じように使える表現がもうひとつあります。
 3つとも自然に使える「壁にかけた絵」で考えます。

1)壁にかかる絵(現在形ですかね)
2)壁にかかった絵(過去形のようですが、これは過去形ではありません)
3)壁にかかっている絵(これが「壁にかけてある絵」なら「ある」になります)
 1)〜3)がどう違うのかは、かなりの難問です。どうしても違うという答えが必要ですか? 
 過去に同じような質問をアチコチで見ました。いろいろな人がいろいろなことを書いています。どれもその人の主観であって、決定打はないようです。当方はこういうのは「同じように使える」と考えることにしています。
 ↓の辞書を見ても、この用法の「た」は〈てある/ている〉と(ほぼ)同じ意味としています。
 辞書が同じとしているのに、無理に理屈をつけて「違う」と主張すると、別の言葉になったときにいちいち理屈をつけ直す必要が出てきてたいへんです。そんなメンドーなことはしたくありません(笑)。
 ちょっと補足しておくと、動詞の種類によってはまったく違う意味になります。
「グラウンドを走る人」「グラウンドを走った人」「グラウンドを走っている人」
 かなり違いますね。同じように使えるのは、(あまり動きのない)状態を表わす動詞です。

 ご質問の「違う」の場合は、
1)違う視点/こと
2)違っている視点/こと△
3)違った視点/こと
 と2)が少し不自然な気がします。当方は、同じように使えることが多いけど、〈違うの場合は「〜ている」との相性が少しだけ悪いのかもしれない〉と考えます。いちいち理屈をつけて考える人はどう説明するんでしょうね。

 ご質問の「た」は一般に「過去形」とされてはいません。
 じゃあなんなのかはまた諸説あって、簡単に決め付けることはできません。
 先行コメントをされた OKATさんならご存じかもしれません。


 詳しくは下記をご参照ください。
【「~したほうがいい」 「~するほうがいい」 「~しないほうがいい」☆日本語教師☆〈1〉〜〈3〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1148. …

===========引用開始
【名詞修飾について】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46115669


【tobiクンの「2」のコメント】■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 トピ主へ。

>調べてもよくわからなくて・・・どなたか教えてください(>_<)

 何を調べたら、どのように書いてありましたか?
 それを書いたほうが、適確なコメントが得られると思います。

 ネット辞書『大辞林』から引きます。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%9F-315924

 これの⑤だと思います。
================================
⑤ (連体形を用いて)動作・作用がすんで、その結果が状態として存在していることを表す。てある。ている。

  ・壁にかけた絵
  ・弟の写した写真
  ・とがった鉛筆
  ・整った身なり
================================

『大辞泉』もほぼ同様です。
 どちらも、「過去の状態の継続」ということでしょう。

 手元の『広辞林』だと
================================
状態性の動詞に付いて、あとの体言の性質を述べる。一般に「ている」におきかえられる
================================
 とあります。「過去の状態の継続」のニュアンスが弱い気がします(「動作・作用がすんで」の記述がありません)。
 
 いずれにしても、「過去形」ではないようです。
===========引用終了
    • good
    • 1

まずですが、これは過去形ではなく完了形です。


「完了」とは、
2 文法で、動作・状態がすでに終了していること、また、その結果が現在まで実現している状態にあることなどを表す言い方。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/49975/meaning/m0u/
❹彼はいつも人と違ったことをします。
は、彼がやることはいつも、人と違った状態として現れる、といったニュアンス。
❸彼はいつも人と違うことをします。
の場合は、人と同じではないことをする、という素直な表現。
完了形を使うと動的な印象になるのだと思います。

❷違った視点で世界を見てみよう。
は、違ったと言えるような視点。
❶違う視点で世界を見てみよう。
は、素直に同じではない視点。
    • good
    • 2

おおむねNO1さんが妥当かと思います。


短い文章ではあまり差を感じませんが。
違う観点→従来にはなかった新しい観点、と言った意味を強く感じます。
違った観点→今立っている観点ではなく、従来からあったかも知れない別の観点。
    • good
    • 0

ある時点がはっきりしていれば「た」は過去になります。

あのときというように話が進んでいれば、「た」は過去になりますが、そうでなければ「存続」の「た」(ている)であることも多いはずです。「違っている」の意味で使うこともたぶん多いでしょう。「違う観点」も「違った(違っている)観点」も違っていないと思われます。
 「あのとき、彼は違ったことを言っていたね。」なら過去にとれるケースです。そういう時点が想定されない場合はほとんど同じです。
 「あの人も困った人だな」というときでも、「過去」に於いてだけ困った人ではなく、今も「困った」人なんです。
 特に❹の例のように「いつも」と言えば過去限定とは言えず、今も困った人です。
    • good
    • 0

「た」は過去の助動詞ですが、既に存在する、既知の、という語感を与えます。

想定内のことです。これに対し現在形は想定外・未知のものを含み得る、という語感です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!