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私は、宗教・哲学というものが人間の実生活において役に立つものかどうか
ということに大いに興味があります。
また、宗教・哲学の枠を超えて、理論物理学などは最早哲学であると捉え始
めています。

できうる限り深く、広く知りたいと思っています。

さて、まずは仏教についてですが、1940年には13宗56派が公認されていると
いいますし、同じ宗派でも微妙な解釈の違いがあるでしょうし、いわゆる新興
宗教で仏教系のものもあり、また、仏教学者の解釈もありで、実に多様な回答
があると思われますが、

仏教の教えとは、要するにどういうものでしょうか?できれば、その根拠とな
るものを教えてください。

A 回答 (10件)

一言で仏教を語る事は難しいですが あえて言えば


宇宙と生命です
浅い 軽い 方便で説いた経典もあれば
生命の真実を解き明かした最高峰の法華経
もあります

生命だけを取ってみても
仏教の生命論は深く    
生命活動を 立体的流動的にとらえた十界互具論
生命の機能 本体 可能性 を説いた十如是論
個性化の原理を説いた  五陰世間
深層を解明した 九識論
生命の個別化の原理 十界論
があります

西洋哲学や 聖書等とは 比べ物になりません


初歩的な十界論から学ぶのをお勧めです

現在 誤った宗教観が広まっています
正しい宗教万般の基本的な事を理解するのが
先かもしれません
 

何故宗教?
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage1.html
 
十界論
http://rokusann.sakura.ne.jp/access.html
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この回答へのお礼

私は仏教を学ぶものとしてはまだ初級者なのですが、断片的な知識は
色々あるのです。

ですから、直感的に、あなたの言うことが「かなりいい線いっている」
と思っています。

かなり勉強されているようですね。以後は仏教関係の質問をするかと思
いますので、色々教えて下さいな。

お礼日時:2018/03/25 11:51

再度、お礼ありがとうございます



なるほど

仏教に限らず、ですね
盲信というのでしょうか、神なり仏なりがそう言ってるのだから
信じていればいい、というのも
また信仰ではありましょうが
仏教は、もしかしたら
それだけではだめで、自分でしっかりありのまま見なければだめだとか
そういうところが哲学的ですよね

でもやっぱりそれだけではだめで

「信は理を求め、理は信を求める」

初めて知った言葉ですが
その通りですね

もしかしたら、理を求めない信は
あまりよろしくなく
信を求めない理は、単なる理にすぎないということになるかもしれないですね
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この回答へのお礼

要するに、信じたものが正しければいいのですが、間違ったものであるという可能性は、
誰にでもあるはず。宗教に限らず。

だから、信じたものをしっかり吟味しないといけないのですが、人はそういうことをしな
いものです。しないから、盲信にもなるし、惰性にもなる。

お礼日時:2018/03/29 00:59

仏教とは悟りの世界、今だに悟っていない、宗教とは救い神の言葉を聞く。

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この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2018/03/28 01:09

あー


ごめんなさい

私は大乗仏教を否定してるわけではないし
どちらが良いとか正しいとかほんとかとか言ってるわけでないのです

ものすごく大雑把な流れを言っただけなのです

文献的もなにも
「なにが釈尊の真意なのか」
を立証するのって不可能だと思うのですけど…
それこそタイムマシンでもできない限り
(それでも無理かも)

おっしゃる通り
自分の信じる経典を理解し実践することが大切ですよね
全く同意

仏教は、他より哲学的であり心理学的であるように感じます
心理学的や、ましてや脳科学なんてない時代に
すごいなー、と

でもそこだけを捉えても違う

やはり
信じるということが必要なのだろうと思います
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この回答へのお礼

釈尊が仏さまであるから、教えが正しいのだ、と断じてしまうと教えの
中身を見ることがおろそかになる恐れがあるので、違うと思うんですね。

教えがどういうもので、どれだけ役に立つかが重要なので、極端に言えば
釈尊でなくて、どっかの知らない人でも構わないわけですよね?

信仰ですので「信」が根本だと思いますが、こういう言葉があります。

「信は理を求め、理は信を強める」

お礼日時:2018/03/28 01:07

お釈迦さまが解脱して


その方法を弟子たちに伝えた

その後数百年後に
「それじゃ自分しか救われないじゃないか!
みんなを救う仏に俺もなる!」
というムーブメントが起こりまして
これが大乗仏教ですね
大きな乗り物って意味です
そしてそれまでのを「小乗仏教」と呼んだのですけど
これはバカにしてる呼び方で
上座部仏教というのがよろしいのです
タイやミャンマーなんかはこちら

日本は大乗仏教ですよね、ほとんど

仏教って
哲学的側面
心理学的側面
宗教的側面
があると思うのです

で、そのどれかだけを理解するというのは
あまりよくないのかなーと言う気がしております
(そのどれかだけでも学び理解することは、多少なりとも有益ではありましょうが)
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この回答へのお礼

小乗経が釈尊の説いた教えで、大乗経は後から作られたものであるというのは、
「大乗非仏説論」ですね。

これは、仏教学者の中の一つの説であるということに過ぎないわけですよね?

また、その説の拠り所となるパーリ語の原典も、大乗経典よりも後になって作ら
れた部分が多いことが分かってきている、ということを聞いています。

つまり、文献学的には、どれが釈尊の真意を伝えた教典なのかは分かっていません。
ですから、あなたのこの部分の主張は根拠がないことになります。

従って、我々仏教徒は(あなたもそう?)己の信ずる経典の教えを深く理解し、また
実践をして判断をしてゆくしかない、と言えるでしょう。

№5に触れられていますが、小乗経は南伝仏教と呼ばれ、大乗経は北伝仏教と呼ばれ
ています。
確かに小乗経という言葉は、劣った教えという意味合いを含んでしまいますので、北
伝・南伝という言葉を用いたほうがよろしいと思います。

そうですね、仏教に限らず宗教というものは、哲学としてどうなのか?これは、西洋
哲学の枠の中で批判するのではなく、人間のためにあるものですので、人間が所持す
る人生哲学としてどうなのか、ということをまず吟味するべきかと思います。

それから、心理学から見たとき、また、自然科学…理論物理学とか天文学などその進
歩は著しいと思います…から見たときにどうなのか?

さらに、人間にとって役に立つのか?つまり、文化のあらゆる面からオープンに見る
べきだと思います。

お礼日時:2018/03/26 23:44

仏教とは、八正道なり。


と解釈しております。

「八正道」…仏教で説く実践の徳目。
一般人の生存は苦であり,その苦の原因は妄執によって起るのであるから,妄執を完全に断ち切れば完全な悟りを得ることができると考え,その状態に到達するための修道法として説かれた8種の正しい実践をいう。
すなわち,正しい見解 (正見) ,正しい思惟 (正思) ,正しい言語行為 (正語) ,正しい行為 (正業) ,正しい生活 (正命) ,正しい努力 (正精進) ,正しい想念 (正念) ,正しい精神統一 (正定) の8つをいう。

先人が説いた「人間らしく生きていくための知恵」であり「道徳」であると。



「蛇足」
だとすれば、http://www10.plala.or.jp/cobamix/soka/20040123/0 …における、池田氏をはじめとする創価学会幹部の振る舞いと、それを正しいと教えた日蓮は間違っていると思うのです。

http://xn--gmqy7wujkwt0a71e.net
今世の末路だけでは証明できないのが残念でなりません。
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この回答へのお礼

私は正直申しますと、学会の上層部とか公明党の議員とかあまり信用していません。

組織の幹部とか国会議員などは、長くやってれば慢心を起こし腐敗していくことは
世の常だと思っています。
また、大きな組織ですので、様々な問題があるということも同様に、ある意味当た
り前だと思います。

しかし、それによって信仰から遠ざかってしまう人も少なからずいますね。私は大
変にもったいないことだと思います。
それは、そうした問題は、考えてみれば教えの正邪とは関係ないからです。

さて、「四諦・八正道」についての私の考えは№3のお礼欄に書きました。参考にし
てください。

そして、思うことはやはり、日蓮仏法の深い生命哲学よりも「四諦・八正道」のほう
が正しいと思ったその根拠は何なのか?ということです。

お礼日時:2018/03/25 12:32

創価学会 壮年部の者です。



>仏教の教えとは、要するにどういうものでしょうか?

基本的に仏教というものは、人間の生命と置かれている環境の関連性を説いたもので、
自身の生命状態によって、環境も変化するというものです。
仏教における人間感というものは、他の宗教における“外的要因”とは異なり、本来は
自らの生命状態の中に根本原因を求めゆくもので“内道”と言います。キリスト教やイスラム教、
神道とは違い、神による外的要因ではなく自らの生命の中に内的要因を見出して行くものです。

※仏教には、数多くの教義が存在しますので、一つ一つの提示、解釈につきましてはここでは
省きたいと思います。

日本における仏教の伝来は、古墳時代の末期に朝鮮半島より伝えられたものが最初で、子の頃
といのはあまり広まるという事はありませんでした。その後、平安時代になり最澄、空海により
唐より最澄は天台を、空海は密教を持ち帰り、最澄は比叡山に延暦寺を開く。その延暦寺は、現
在の大学のような場所で、そこで学んだ僧が後年日本仏教のベースとなるような宗派を開く事に
なるのです。
鎌倉時代には、禅宗も日本に入ってきます。

釈尊は、自身の生涯を通じて、総じては仏教を解いていきますが、インド北部から伝来する経緯
の中で、その本意を変えるものも少なくはありません。仏教は、大きく分けて2つに分かれます。
一つは南に伝来したもの。これは、現在でも東南アジア方面で信仰されているものです。もう一
つは、北に伝来したもの。これは、先ずは中国に定着し、その後日本へと入ってきます。
こうした中国への伝来、日本への伝来の中で、様々に変化をし多種多様の教義を生み、多くの宗派
を生みだして行きました。

しかしながら、そうした中でのベースとする教義や多少の考え方の違いから、本来の仏教の意味を
失ってしまっている宗派も少なくありません。

また、日本という国は、どちらかというと僧の国ではなく権力者の国であり、もともとが宗教を尊ぶ
国ではないのです。現に、良いように政治の道具で会ったり、権力者の都合のよいように用いられて
きました。
江戸時代には、寺が地域の檀家を管理監督するような、寺請制度も確立され、現在のように仏教が
地域住民の生活に葬儀等の儀式を通じて入ってくるようになります。もともと、仏教では僧が参列
して葬儀等の儀式は行われませんでした。
そして、明治から戦後にかけて、新興宗教が生まれてくるのです。
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この回答へのお礼

私も学会員です。あなたの存在は随分前から知っていましたが、やり取りするのは
初めてではないかと思います。

こちらのカテはほとんど見なかったのですが、数日前に少し閲覧をして、初質問を
するに至りました。

私は実質の信仰歴は短く、教学も全く十分とは言えない状態ですので、少し腰を入
れて勉強を始めました。
様々ご教示を乞う次第であります。

ご回答の内容、分かり安く書いていただいたので、一応理解できます。
特に「依正不二」など、非常に深いと感じます。

お礼日時:2018/03/25 12:11

仏教の教えを一言で言うと「縁りて起こる」になります。


要するに「あるものはある条件のもとに成り立っている」ということです。

ということは、その条件がなくなるとあるものもそのままではいられないことになります。
ずっと同じ条件や物があるとは考えられません。
そこから「諸行無常」「諸法無我」の考えが出てきます。

一方、人間の生には「苦」が付きまといます。
生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦、いわゆる四苦八苦です。
人間、これらの根本苦から逃れられる人はいません。

しかし「縁起」によれば不変のものなどないということになります。
ということは、根本苦も変化させうるのです。

ブッダは変化の道を「四諦」と体系づけました。
苦諦:こは苦である
集諦:こは苦に至る道である
滅諦:こは苦の消滅である
道諦:こは苦の消滅に至る道である
このように苦と苦の消滅の方法を分析的に考察することにより実践の方法を明らかにし、苦からの救済を図ったのです。

その一つが「八正道」です。
詳しくは書きませんが要するに正しい物の見方や考え方、行動のしかた、というようなことです。

これに中道の教えを加えた「中道」「四諦」「八正道」がブッダの初転法輪で述べられたことされ、仏教の実践の中核となっています。

まとめると
思想の根幹は「縁起」
実践の根幹は「中道」「四諦」「八正道」
となります。
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この回答へのお礼

>ブッダは変化の道を「四諦」と体系づけました

ここが疑問ですね。

「四諦・八正道」という教えを要約しますと、

迷いのこの世はすべてが苦であり、その苦を集め起こす因は「煩悩」である。
煩悩を滅することが悟りの境地であり、そのためには「八正道」の正しい修行
法に拠らねばならない。

正見(四諦の理を覚知した正しい見解)によって正思惟、正語、正業、正命を知り
正念して正定に至り、最後に涅槃の境地に至る。

ということですね?違っていますか?

つまり、「四諦・八正道」という教えの根幹は、「煩悩を滅すれば悟りの境地に
至る」というものです。

あらゆるものが変化をする、ということは真理だと思います。
しかし、変化の道を「四諦」と体系づけた、ということがよくわかりません。

もう少し言えば、仏である釈尊の本意は、衆生を救うということであるはずです。
「四諦・八正道」という教えの中になるほど「縁起」(因果の法)も含まれてはい
ますが、要は、煩悩を滅する「八正道」の実践方法で悟りを得なさい、という教え
ですよね?

この教えが釈尊の本意であるとした根拠は何なのでしょうか?

お礼日時:2018/03/25 11:36

人間、生きていると色々な苦しみに


出会います。

その苦しみから解放される為の考え方
が仏教です。

釈迦は、我欲を捨てれば、苦しみから逃れられる
としました。

しかし、我欲を捨てるなんて普通の人間には
出来ません。
普通じゃ無くても無理でしょ。

それで、色々な解釈が産まれたわけです。

苦しい修行を重ねれば我欲を捨てることができるとか、
お経を唱えれば良いとか、偉い坊さんの衣に
触れれば良いとか、説教を聞けばよいとか
現実との折り合いをつけようとして、各種宗派が
産まれた訳です。

鎌倉時代には、無学な武士の為に、単純明快な
仏教が好まれ、禅などが生まれました。


ワタシは、
アドラーが言うように、自己に執着し過ぎると不幸
になる、というぐらいで良いのでは、
と考えています。
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この回答へのお礼

仏教即ち釈尊の教えの根本が、「四諦・八正道」であるとする人が多いということが
私には不思議だったのですが、どうやらネット上の情報によるもののようですね。

この教えはご存知のように、釈尊が三十で成道したあと、最初に説かれたものとされ
ています。

法華経および開教に、「四十余年未顕真実」「正直捨方便」と明らかに説かれている
のです。
そして、その教えの深さは比較にならないと思います。ですから、釈尊の教えの結論は
法華経であるという考え方が多数派であるのが自然だと思うのですが、そうでないのは
法華経というものが難解であり、それを語る人がとても少ない。四諦・八正道というも
のを語る人が多く、また、分かりやすく思う、ということが原因ではないかと考えてい
ます。

尤も、無宗教のtanzouさんには興味のない話でしょうが。

お礼日時:2018/03/25 10:55

参考にしてください


http://hachisu-net.com/issei/kiso.html
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この回答へのお礼

南伝仏教ですね。

天台の五時八教によれば、阿含時に説かれた教えを依教とする小乗経となりますが、
上座仏教・テーラワーダ仏教という名称である、と。

リンク先はかなりのボリュームがあり、どれだけ読めるかというところですが、概要
を理解したうえで、改めてお話ができればと思っています。

お礼日時:2018/03/25 09:23

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