No.4ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
>えらいお坊さんが生きたままミイラ・・・
ある意味、その通りです。
「ある意味」というのは、生きた状態でミイラになるって事はありえないので、その途中には必ず「死ぬ」というステップがあるのですが、即身仏の時は、人前では「死なない」のです。
即身仏になるには、始めに5穀絶ち、次に10穀絶ちという栄養のあるたべものを減らして、体の脂肪分も使いつくして、骨と皮だけになるような食事を100日単位で続けて、しかもその間、托鉢や読経など修行は続けるので、本当に生きた状態でミイラに近い体になります。
そして、それらの修行を終えた日が満願といいまして、
漆を水で溶いたもの(要するに防腐材です)を飲み、木の大きな箱の中に入って、外から釘で打ち付けてもらいます。
この箱は完全密閉ではなくて、節を抜いた竹筒が一本出てて、煙突みたく、中で窒息はしません。
また、入るお坊さんは鈴を持って入り、中であぐらをかいて、お経を唱え続け、一節ごと?に鈴をならします。
そして竹筒を出して箱は地面に埋めます。
その鈴の音が途絶えた時が死亡した時なわけです。
鈴の音が絶えてから、何日?何年?(この辺忘れましたm(__)m)目に掘り出しすと立派なミイラになってるわけです。
つまり人の目の前では死なないわけです。
そして形もそのまま残って、その状態で保存可能な仏様になるので「即身仏」なわけです。
もちろん長い歴史の中で失敗談なんかもあり、例えば、生前、おまんじゅうが大好きだったお坊さんが即身仏になるとき、弟子が最後におまんじゅうを手向けようと、おまんじゅうを竹筒に詰めたら、すぐに窒息死しちゃったとか・・・
明治になると「入定(即身仏になること)は自殺なので禁止」という通達が出てしまいますが、その後、飢饉や天災などが相継いだりした時、それを静めようと、何人ものお坊さんが、ヤミで?即身仏になったそうです。
しかし、禁止されてるので公式記録には残せないし、入定塚(箱を埋めた塚)も作れないので、鈴の音が絶えたらそのまま火葬にして埋めてしまったとか、塚にならないように平に埋めてしまって、その後、過去帳などに一切の記録もなく、現在も埋まってるという例が結構あるらしいです。
わかりやすい解説いただきありがとうございました。
それにしてもすごいし、考えさせられますねー。
いまも埋まってる人はちょっとかわいそうです。
No.7
- 回答日時:
追記
古くから日本では、罪を犯すことにより災いが引き起こされる。だから災いを鎮め、幸いを望むためには、まず罪を償うことが必要であるという信仰があります。それらの古代日本のさまざまな信仰と神道や仏教、道教・陰陽道などが融合して「修験道」というひとつの体系化した教えが生まれました。
修験道では苦行を重視しますが、これは自己の滅罪のためと、さらには他者が犯した罪によって受けるべき苦しみを、行者が成り代わって苦しみを受けるという、「代受苦(だいじゅく)」という信仰があります(ここでの「罪」とは社会的な罪だけでなく、倫理的・宗教的な罪が含まれます)。 つまり、行者が修行によって受ける苦しみは、本来は他者が罪の償いとして受けるべき苦しみであるが、それを行者が成り代わって苦しみを受けている。そのことにより、他者の罪が償われて幸せが訪れる。苦行にはそのような面があり、また信者も苦行を積んだ行者はそれだけ験力が大きいと見なしました。
そのような自己の滅罪と代受苦から、最終的には“自らの命を絶つ”という「捨身(しゃしん)」という修行まで生まれました。この捨身には仏教で説く自己犠牲的な供養、つまり『法華経薬王菩薩本事品』の焼身供養、
http://homepage2.nifty.com/honkoujipriv/mh_yakuo …
『金光明経捨身品』の捨身飼虎(サッタ王子が飢えた虎を救うために自らの肉を食わしたという故事)、『涅槃経聖行品』の捨身羅刹(雪山童子が一切衆生を救う教えを聞くために、自らの肉を羅刹に食わせることを約束したという故事)などが知られていますが、この様な思想の影響も受け、大自然に己の生命を捧げるために投身、焼身、入水、断食などが行われました。
ご質問の即身仏ですが、生きながら土に埋められるまでの過程は、それまであった捨身修行ですが、問題はその遺体をミイラにして祀るということで、五来重先生は“修験道の伝統からすればきわめて異常”であり、即身仏が作られる時代が江戸時代末期のであるところから“信者の信頼を失いつつある行者が、遺体をミイラにしてまで信仰を誇示しようとした、俗悪な見せ物”と舒られるわけです。
参考『日本人の死生観』(角川選書)
No.6
- 回答日時:
密教では「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を説きます。
これは“この肉体を持つ一切の衆生が、この身、このままで、即座に成仏する”という思想です。ちなみに成仏というのは、「悟りを開く」という意味で、仏教の最終目標ともいうべきものです。密教以前の仏教は“生まれ変わり、死に変わりして、長い、長い時間をかけて成仏する(「三劫(さんごう)成仏」)”という考えです。【『密教21フォーラム』「即身成仏」-「成仏」と「万人の救済」の両立】
http://www.mikkyo21f.gr.jp/concept_key_joubutu01 …
ご質問の「即身仏」は、この即身成仏という教えを江戸時代の行者が誤解・曲解し、高徳の行者の遺体をミイラ化して“仏”としてお祀りしたものです。しかし、現代ではこの即身成仏と即身仏を混同し、“即身成仏はミイラになることだ”と勘違いしている節もあるように思いますので、誤解なさらないでください。
即身仏が生まれた背景には、“弘法大師(空海)は死んだのではなく、高野山で永遠の禅定(ぜんじょう/瞑想のこと)に入り、人々を救済している”という「大師入定(だいしにゅうじょう)信仰」や、山岳信仰では“山で修行する行者は、厳しい行を積み重ねることにより神仏と等しくなる”という「人神(ひとがみ)信仰」などの影響が考えられます。
なお、仏教民俗学者の五来重先生は『山と宗教 修験道』(淡交社)で、出羽三山の即身仏は“穀物を絶って死んだ行者の遺体を、天井に吊して煙でいぶして作った”という当時の記録を紹介し(なお、それを記録した行者はあまりの恐ろしい光景に、「即身仏になることを止めた」と記しているそうです)、“こんなグロテスクなミイラを「仏」と称して見せなければ、信者の心をつなぎ止めることができなくなったという、末期症状の信仰である”と厳しい意見を述べられています。
丁寧にご解説いただきありがとうございました。
勉強になりました。
いろいろな考え方もあるのですね。
でも、いずれにせよ世の中のためにそんなことをしたお坊さんたちは(正しいか正しくないかはわかりませんが)すごい人たちだなと思いました。
いろいろ調べてみると深いんですねー。
yuhkohさんは仏教関係の方でしょうか??
No.3
- 回答日時:
はじめまして
山形のほうに有名な即身仏がいらっしゃいますよ
http://www.ques.co.jp/yudono/cymenu.htm
のまず食わずでお経を唱えながらだとおもいます
http://p2223.nsk.ne.jp/~toramoto/rssb.htm
こちらに詳しくのっています
修行の一つですね
お返事ありがとうございます
URLも見せてもらいました
すごい人たちだなと思います。
今の腐った宗教関係のひとに気持ちを見習ってほしいですね(ワイセツ牧師とか・・・)
No.1
- 回答日時:
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