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演繹法による善の定義です。

その国民にとって最も大切なものは、その国民の命である。

また最も大切なものを守ることは、最も、何よりも、抜群に、絶対的に正しい事である。

そうであるならば、最も大切な国民の命を守ることは絶対的に正しいことである。

善とは道徳的に正しいことを言う。ならば絶対的善は絶対的に正しいことをいう。

これらから絶対的に正しいこと、つまり絶対的善は国民の命を守ることであり、それは国民の存続ということである。これはよく知られた言葉で言えば、種族(国民・民族)保存ということである。

このようにして絶対的善、つまり絶対的に正しい行為とは種族(国民・民族)保存であることが論理的・道理的に導かれた。

この定義の方法に何か間違いはあるでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    あなたの意見が正しいと思います。しかし自然権なんてあると思いますか?私はキリスト教を基にした西洋思想は嫌いなのです。
    私はあなたのように交戦法規など知りませんから否定したのは間違いでした。謝罪します。

    しかし戦争法規を作るのも善が分かっていない西洋人が作れますか?私は人間の本能による善に従うのが正しいと考えています。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/04/11 22:10

A 回答 (18件中1~10件)

国というのはスイスのことである。

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この回答へのお礼

どう思う?

ではその心は?

お礼日時:2018/04/11 06:38

演繹法による善の定義です。



人類にとって最も大切なものは、一人ひとりの命と幸福である。

また最も大切なものを守ることは、最も、何よりも、抜群に、絶対的に正しい事である。

そうであるならば、最も大切な人間の命を守ることは絶対的に正しいことである。

善とは道徳的に正しいことを言う。ならば絶対的善は絶対的に正しいことをいう。

これらから絶対的に正しいこと、つまり絶対的善は人間の命を守ることであり、それは人類の存続ということである。これはよく知られた言葉で言えば、種族保存ということである。

このようにして絶対的善、つまり絶対的に正しい行為とは種族保存であることが論理的・道理的に導かれた。

この定義の方法に何か間違いはあるでしょうか?

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


こうであれば、一応賛同します。ただ、哲学的定義としては議論の余地は大いにあると思いますが。

古代社会ではあるまいし、現在では世界中に人間が住んでいて、繋がっていることは子供でも知っています。
グローバル化って何ですか?ってあなたは言いましたが、あなたは本当に知らないのですか?

そういう現代社会の中で、「その国民」における「善」を定義して、「絶対」だということが理解できません。
「絶対」という言葉をどのようにここで使っていますか?
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この回答へのお礼

プンプン

私は絶対的善を見つけたと言っているのです。そこに何故反応しないのですか?

グローバル化などもう古いのです。世界はみんな疲れているのです。いつまでグローバル化なんて言っているのですか。

>そういう現代社会の中で、「その国民」における「善」を定義して、「絶対」だということが理解できません。<
あなたは正しい事、つまり善は分かっていません、善は世界共通なのです。

お礼日時:2018/04/11 06:43

種族も時代によって変化していくけどね。

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この回答へのお礼

Thank you

>種族も時代によって変化していくけどね。<

変化してもいいのですよ、その変化した仲間の生命財産を守ることが絶対的善ですから。

お礼日時:2018/04/11 06:45

絶対的、と言う言葉と矛楯していると


思います。

絶対的というのは、相対的ではない、という
ことです。

敵国からすれば、その国の国民の命など
大切ではありません。

ならば、自国民の命を守ることが絶対善、という
のは矛楯します。

敵国から見れば、善では無いからです。

相対善に過ぎません。

自国に限って、という条件をつけるなら
それは絶対ではありえません。
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この回答へのお礼

ありがとう

>自国に限って、という条件をつけるならそれは絶対ではありえません。<

なるほど、しかし各国にとって自国の国民を守ることが絶対的、何よりも正しいではなぜいけないのですか?

お礼日時:2018/04/11 19:57

国のところにスイスを入れれば、あまり悪い気がしません。



国のところに、いろんな国の名前を代入していきます。そこに何かしらの好き嫌いがあるようにおもいます。

好きな国だけならよいのですが、好きな国よりも嫌いな国のほうに行って、よく話し合いを行いますか?

あの国と仲良くするなら、おまえとはもう仲良くしない、という国が出てきませんか。

どこかで、合従と連衡がせめぎ合う関係になりませんか。
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ひとが生きるということ――存在がこの上なくとうとく いのちの


大切さが 無条件に無根拠にて みとめあわれること 人格をとう
とぶこと おのれのであれ・相手のであれ 意志と心とをないがし
ろにすることは 不法行為であり ゆるされない暴力であると共通
に了解すること これらのこと――については 理屈抜きに 重ん
じなければならないことと思われます。

無条件の大前提という意味でですが あたかも《絶対性》のもとに
あると見られます。




緊急避難ないし正当防衛において 生命を失くさせることが みと
められていますが これは 例外であって いのちをとうとぶ無条
件の前提が くづれたわけではありません。

その意味で 生命の尊厳は 相対的なことではなく やはりその実
際には経験事態として正か負か・肯定か否定かいづれかのあり方を
する相対性を超えて 絶対的なことであると言ってよいのかも知れ
ません。



絶対性は もはや善だとも言いません。善悪の彼岸ですから。
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この回答へのお礼

どう思う?

自国の国民を守ることが絶対的、何よりも正しいと知れば、他国を滅ぼすのは絶対的悪と分かるのです。善が分かれば、悪はしなくなるものです。

お礼日時:2018/04/11 20:01

この定義の方法(仕方)に間違いがあるかどうか、私には判断する知識がない事が分かりました。


ただ定義の方法ではなくて、取り上げられた事柄がそれこそ“正しい”となれば、それだから国と国との紛争が絶えないのだなあ、と思いました。

回答ではなく感想でした。
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この回答へのお礼

Thank you

論理的に導かれた事実を個人の価値観で否定することはできません。
自国民の命を守ることが最も正しいと知れば、他国民を攻めるのは悪いことだと分かるはずです。

お礼日時:2018/04/11 20:04

我慢や!忍耐が必要なんだや!!



もし、1人の命。自国民の方が重いとすれば、
人1人殺されたら、
その相手国 (適性国家?)
に戦争を仕掛けろ、と言っているも同じですね。

かつて、日本は、その辺りの理由で、太平洋戦争を始めました か" 何より、結局負けて、最大級の不幸を生み出してしまいました。ね。

この場合は、相対の善にて、踏みとどまる勇気、決断した 時期 程度の問題もありましたが!

やはり、一集団の意識は、
1個体 と近付き、月 従い
対となりゆく定めを持つ
団結と一枚岩の欠点、それは、無いかもしれませんが、

選ばなければならない時に、人は一枚岩の集団を作る方向を選ぶ。
より、
そこから、決断を迫り、行動に作用する。可能性があります。



まぁ、貴方は仲間意識と正義の観点を説いている のでしょうと、


..
と言うわけで、今回のお説教は、ここまでで我慢!

お手数おかけします…
シェイシェイ! (謝☆々)
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この回答へのお礼

つらい・・・

自国民一人が殺されたら戦争って非現実的です。

先の戦争は日本は種族を守るための戦争で善です。

あなたには正義は分かっていません、残念です。

お礼日時:2018/04/11 20:07

あなたの主張は、自然法の防衛(自衛権)に近い気がします。


フーゴー・グローティウスは、正当な戦争を防衛、物の回復、刑罰の3つとし、その根拠に自然法を置きました。



自然法はキリスト教の概念ですが、自然法の防衛(自衛権)はたぶんどの文明でも太古から誰かが考えて実行していたと思います。その実行能力がない文明は、たぶんどこかの文明に滅ぼされています。

そういう意味で、自然法による防衛(自衛権)は、人類普遍の絶対的善と言ってもよいかもしれません。

ただ、自然法による防衛(自衛権)を善とする考えは、あまりにも当たり前すぎる事ですので、「絶対的な善」というよりも「当然の権利」と言った方が適切な気がします。




現在の国際法でも自衛権は国家の当然の権利として認めていますが、その理由は、国家の自衛権を認めないと国が侵略されてもっと人が死ぬからです。しかしだからと言って、各々の国が独自の自衛の解釈をしてしまっては、予防攻撃が行われる事でもっと多くの人が死ぬ可能性があります。

そのため、国際法に基づいた自衛権の行使が重要になります。


戦争の善悪は、道徳的な「正しさ」ではなく、エメリッヒ・ヴァッテルの理論のように交戦法規として合法的な行為をしたかどうかで、その戦争行為の正当性を判断すべきだと思います。



(参考『正しい戦争という思想』著者:山内進)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

プンプン

自然法?バカな白人の考えた思想など一切気にしません。

私は絶対的、最高に正しいことを定義したのです。それは民族保存が絶対に、何よりも正しいと定義したのです。しかも論理的に。
ゆえに憲法問題、核問題などは日本国民の命を守れるかどうかで考えるのがもっとも正しいのであると言うことです。

今の日本人は善が分かってないから、憲法ひとつ変えられないのです。しかし絶対的に正しいことは国民の命を守ることであると分かれば、核や軍事問題、憲法改正などそれを論点として話し合えるのです。何も戦争のことを言っているのではありません。

あなたは正しいとは何か分かりますか、分からないでしょう?だから正しい答えは出せないのです。日本人は誰も正しいとは何か分からないのです。

そして戦争の善悪も本来人間としての善悪で決めなければなりません。私は白人の思想なんかに影響はされません。

お礼日時:2018/04/11 20:18

そんな屁理屈を重ね、言葉のお遊びをして何になるのか、何の役に立つのか、???です。

この説明が必要です。
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この回答へのお礼

プンプン

あなたには論理的思考が分からないのだから、黙ってらっしゃい!

お礼日時:2018/04/11 20:20

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