プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

農家の方を百姓と呼ぶのは、現代では蔑称になりますね。(お百姓さんは別ですが)
江戸時代位までは、蔑称ではなかったような気がします。
どういう契機で、百姓が蔑称になったのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

現役農家ですが、普通に自分たちのことを百姓と呼んでいますよ。


別にそれを差別に感じたことはないですし、人に呼ばれても気にしたことないです。
ただ、農業=田舎=世間知らず、というイメージから人によっては百姓は田舎者や無知者を表す言葉としていつしか感じられるようになったみたいですね。
百姓という言葉を蔑視することこそが差別なのではないかなと思えます。
農業や田舎に対して何のマイナスイメージも持たない人は、百姓と聞いても何も思わないですからね。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

早速のご回答あいがとうございました。
<ぼー>様のように<農業や田舎に対して何のマイナスイメージも持たない人は、百姓と聞いても何も思わない>のですね。しかし、大半の農家の方は、他人から百姓と呼ばれたら、不愉快になるのじゃないですか。(自称する場合は別ですが)。ここら辺の実態がどうなのか、が重要ですね。

お礼日時:2018/08/03 19:36

こんにちは。


江戸の長屋住まいの八っつぁん、熊さんが、強がって言いそうですね。
多分、都会の下の層の人間が、田舎者を軽蔑して言い出したのだと思います。
江戸っ子は、冬場に越後から出稼ぎに来る人達を、ムクドリと呼んでバカにしていました。
(大声で、うるさいのでムクドリだそうです)
江戸っ子(都会人)と地方の人では、価値観が大幅に違います。
そこらへんが原因で、バカにしていたのでしょう。
(^-^)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうごあいました。
江戸落語では、たとえば地方から来た”田舎者”の訛りをからかってていますね。江戸っ子の優越感が、百姓に反映しているのかも知れませんね。

お礼日時:2018/08/03 19:41

百姓は蔑称なのですか、知らなかった


百姓は自分らの事を百姓といいますよ
ウチの女房の実家は百姓です、古くて大きくて立派な家、見渡す限りの田畑

現代というより、マスメディアが過剰反応して言わなくなっただけではないでしょうか

江戸時代、武士が言えば蔑称ですよ
↓↓明らかに蔑んだ言い方でしょう
「百姓町人の分際で」
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<百姓は自分らの事を百姓といいます>のですね。
ただし、他人から百姓と呼ばれたら不愉快な気持ちをいだくのではないですか。ここら辺の実態をはっきりさせたいものですね。

お礼日時:2018/08/03 19:46

主観なので実態とは言えませんが、百姓と呼ばれて気に障る人は農業従事者というよりも田舎という環境に劣等感を持っているタイプかなと思います。


百姓が蔑称になるのはあくまで、農業しかないような田舎者だと卑下する時、だと思うので、農業そのものを馬鹿にする言葉にはならないように思います。
なので、百姓と呼ばれること自体ではなく、百姓が一種の悪口になってることが悲しいですね。
例えるならサラリーマンという言葉が人を卑下する意味で使われるようになったなら、真っ当に働いているサラリーマンの方々はなんで自分の職業が他人を見下す意味で使われるのかと疑問に思えますよね。
そんな感じです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
私の方こそ<主観な>な考えに走っているか、危険性があります。
ぼー様が分析なされたように、農業としての百姓には蔑称の意味合いが少ないないような気がします。食物生産者として誇りを持っておられる方は、百姓にも誇りを持っておられるのでしょうね。しかし、(歓楽街などがある)都会に比較して<農業しかないような田舎>という意味合いで、百姓が蔑称になるのかもしれませんね。

お礼日時:2018/08/04 16:53

元々その言葉の対象となる人に敬意を持ってない人が悪意を持って侮蔑的なニュアンスを持ってそう呼んでいただけでしょう。


それをメディアが過剰反応して自主規制してるうちに差別用語、蔑称として定着してしまうのでは。

掲示板のNGワードじゃあるまいし、どのような意図で使われた言葉か、話の流れから読み取って貰いたいものです。
「農家の方を百姓と呼ぶのは、現代では蔑称に」の回答画像5
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なぜ、百姓が<侮蔑的なニュアンスを持>つようになったのでしょうか?
東京と新潟との、何の差でしょうか?

お礼日時:2018/08/04 17:02

こんにちは!



そうですね…、実はある事件がきっかけになっていると思います。1993年に、作家の筒井康隆氏が書いた『無人警察』という小説の中で使われた表現に「てんかん」というものがあり、これが患者への差別になるということで、日本てんかん協会からクレームが入り、マスコミのバッシングに遭いました。それ以降、「言葉狩り」が始まり、相手が嫌がる差別的な言葉としてマスコミはこぞって自主規制に入り、今日に至っております。
例を挙げると、マンガ「釣りキチ三平」の、キチは、「気違い」のキチだと…(私のPCで「きちがい」と入力して「気違い」と一発で変換されません)。歌手のさだまさし氏の「関白宣言」も女性差別とレッテルを貼られる始末でした。
これ以降、様々な言葉が自主規制され、言葉の言い換えが進みました。
例えば、「痴呆→認知症」「方端→障害者」など、すぐに意味が掴めないような言い回しが増えていますねえ。
その言葉が、前後の文脈から差別かどうかは分かると思うのですが、作家にとって表現しづらい時代になっております。因みに筒井康隆氏は、直ぐに『断筆宣言』をして、作品の発表を止め、1997年の『邪眼鳥』で、断筆を止めました。

ご質問にありました「百姓」という言葉も、その流れに入っていると思われます。

参考になれば、幸いです!(^o^)丿
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
多数の言葉・分野で<「言葉狩り」>がありましたね。行き過ぎもあったか、と思います。ただし、その際、例えば百姓も、軽いとしてもすでに差別的な意味合いが含まれていた、と思います。もちろん、この言葉狩りを契機としてますます重症になった、のだと思います。ところで、百姓の初期の差別な意味は、何時ころ、どういう理由で生まれたのでしょうか?

お礼日時:2018/08/04 19:34

No.5です。


>なぜ、百姓が<侮蔑的なニュアンスを持>つようになったのでしょうか?
これについてはNo.4さんの通りだと思います。
張った画像の漫画(こち亀の初期)の警官は生まれも育ちも東京ということで田舎を見下す思想があったことと『こういう滅茶苦茶な人物である』という描写のためこういうセリフになっています。
この漫画の趣旨、作者や出版社としてはそういう考えなどないのですが、これもNo.6さんが挙げた言葉狩りの対象となり、近年になって販売された復刻版では台詞が差し替えられてしまっています。

百姓 蔑称 経緯
これで検索すると色々Hitします。
時期としては昭和初期から蔑称とされ言いかえが進んだようです。

私見ですが、近代化が進み都市部は大きく変化した一方で農村には目覚ましい変化が見受けられなかったことから時代遅れといった印象が根付いたのではないでしょうか?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<漫画の趣旨)は若えいました。①<田舎を見下す思想>と②キャラクタの設定なのですね。前者だけを大騒ぎすることは片手落ちのような気がしますね。
そして、<農村には目覚ましい変化が見受けられなかったことから時代遅れ>と見られがちだったのですね。変化=近代化=善という式が<根付いた>のですね。

お礼日時:2018/08/05 08:11

こんばんは!



お礼ありがとうございます。

>百姓の初期の差別な意味は、何時ころ、どういう理由で生まれたのでしょうか?

そうですね…、個人的には、百姓という言葉に、差別的なニュアンスをあまり感じないのですが、百姓という言葉の前に、「ドン」とか「水飲み」とかの言葉が付けば、明らかな差別というか侮蔑言葉になると思いますねえ。
このような表現は、ドラマとか、映画で聞いた記憶があります。確か渥美清の「寅さん」シリーズで聞いた記憶があります。それは、寅さんというキャラクターを表している演出上のセリフなので、べつだん気にも留めていませんでしたが…。
TV等で、古い映画やドラマ等が放送される場合、「お聞き苦しい表現等が含まれていますので、ご了承ください」という、テロップが流れます。

これも時代の流れなんでしょうね。相手が傷つく、または傷をつける恐れがあるという事に過剰反応して対応しているとしか思えない事が多々あります。

つい最近でも、杉田水脈議員が「LGBT=生産性がない」と書いたと、マスコミでバッシングされていました。その寄稿文を読んだ限りでは、そんなにバッシングされる内容でもなかったのですが、酷い報道でした。

横道にそれてしまい失礼いたしました。明確にいつからと言えない感じです。「言葉狩り」が始まってから、意識されられた感じがしますねえ。(-_-;)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<百姓という言葉に、差別的なニュアンスをあまり感じない>のですね。ただし、「ドン」とか「水飲み」とかの言葉が付けば>べつですね。差別語は、<「言葉狩り」が始まってから、意識されられた>ようですね。ただし、(私だけかもしれませんが)言葉狩り以前にも、差別の萌芽が既に見られていたような気がします

お礼日時:2018/08/05 10:05

こんにちは!



>言葉狩り以前にも、差別の萌芽が既に見られていたような気がします

仰る通り、差別が社会問題になる以前から、個人的な差別意識は、すでに存在していると思いますねえ。

1919年の第1次世界大戦終了後のパリ講和会議の国際連盟で、日本は人種差別撤廃条約を提案しましたが、賛成多数にもかかわらず、全会一致でなかったということで、米国のウッドロウ・ウイルソン大統領によって、否決される目にあっています。これに落胆した米国の黒人は、各地で暴動をおこしたそうですねぇ。

これは、一つの例でしたが、日本は昔から差別に対しては、敏感であったと思います。特に白人至上主義に対する、反発心は強くあったと思います。個人的には、人種の区別はあってもいいと思いますが、差別はいけないと思いますねえ。
結局、差別は個人個人の心の問題に帰するものと思います。個人が、人を差別をする、見下したり、蔑む事が無くならない限り、この問題は無くならないだろうと思います。

私自身も、そのような心の貧しさを克服する努力が必要だと、改めて思いました。(>_<)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございます。
<個人が、人を差別をする、見下したり、蔑む事が無くならない限り、この問題は無くならないだろう>ですね。
私は、(つまらないことで)差別したりすることは(表向きはばれないようにしているようですが)内心ではたびたびあります。<そのような心の貧しさを克服する努力が必要>ですね。

お礼日時:2018/08/05 17:23

日本国語大辞典(小学館)の「百姓」の項には、下記のように差別的な意味の用法とその江戸時代の用例が出ています。

江戸の町人の田舎者への差別意識から差別的な用法が生まれたということでしょう。都会の生活を洗練された上等なものとする価値観が主流なのは、昔も今も変わらないのではないでしょうか?


(4)田舎者、また、情趣を解さない者をののしっていう。

*雑俳・長ふくべ〔1731〕「なアわいら百性(ヒャクシャウ)がゐざ何こしめそ」
*滑稽本・浮世風呂〔1809〜13〕四・中「めらの乾魚等(なんざア)、一生立ても食ねへ徒(てやい)だ。かまはず行ッし。百性(ヒャクシャウ)だ百性だ」

"ひゃく‐しょう[‥シャウ]【百姓】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-08-06)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
回答ありがとうございます。
1.<都会の生活を洗練された上等なものとする価値観が主流なのは、昔も今も変わらない>
ですね。うろ覚えなのですが、平安時代に都鄙という言葉が使われていましたね。
2.江戸が世界でも有数の大都市・大都会に拡大し、何代も続く町人が増えてきたころから、田舎や百姓との繋がりが消え、<江戸の町人の田舎者への差別意識から差別的な用法が生まれた>ということになりますね。

お礼日時:2018/08/06 19:38

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています