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こんにちは、よろしくお願いします。

私の夢は、すべての障害者や、色々な人種、思想の人、色々なマイノリティの方が、みんな仲良く一緒に暮らすことです。

と本当に思っているんですが、障害者の問題と、マイノリティの問題を一緒に論じることって、一般的に何か問題を感じる方って、いらっしゃいますか。

というのが、たとえば、障害者問題で言えば、比較的、手話ですとか盲導犬だとかは、最近一般の人にも理解がありますよね。でも、いまだにたとえば地域で暮らす知的障害の方に対するかなり激しい差別があったり、することがありますよね。
マイノリティの問題で言うと、性同一性障害の方については、最近ずいぶん理解が進んでいますが、同性愛については、(特に男性同士)いまだに激しい差別にさらされることが多いですよね。
世の中に、なんとなく受け入れられやすいマイノリティと、生理的に受け付けないマイノリティがある、というのは、なんだかちょっと変な気がします。
障害者のノーマライゼイションについて考えるときにも、マイノリティの存在を認めることと、同じような問題であると思うのです。

ただ、一般の方にとって、マイノリティという言葉は、どこか「普通の人と違った少数派」といった、その言葉自体に差別的な意味を含んで使われることが多いような気がするんですね。
そういった意味において、障害者の方や、障害者にかかわって働いている方が、「障害者をマイノリティ呼ばわりするなんて、失礼な!」といった感情が生じる可能性があったりするのでしょうか。

(ちなみに、私は、同性愛者です。)

A 回答 (5件)

マイノリティーという言葉は、単純に、少数派、だと思っているので、


不快な感情はありません。
状況によってマイノリティーという言葉の意味も違うだろうと思っています。

ちなみに、わたしの家族の中に障害があるメンバーがいます。
同じ障害をもつひとたちが多い集団では、その障害のない人がマイノリティーだし、(3人で話をしていて、障害がある子をもつ親が二人で盛り上がってる、という状況もありますし)

私は外国にいたときは、自分がマイノリティーだと思っていたし、
でもその地域の日本食スーパーに行けば、ほとんどが日本人(あるいは日系の人)ならば、
たまたまついてきた、日本に関係がない人は マイノリティーで 知らないものばかり珍しく見てるという状況ではないかと思います。

皆仲良く、というのは、難しいかもしれないです。
人と接するちょうどよい距離や、仲良い心地よさも人によって違うからです。

少なくとも、少数派を敵視したり、排除して欲しくはないなあ、というのが私のもっかの理想です。興味をもってもらえたら御の字、です。

差別意識が強い人は、とてもそんをしてるとは思いますよ、でもその人たちに
こうしたらいいのに、とはいいません。差別をしてそんする状況を選ぶのもその人の自由、
そういう人とはできるだけ付き合いたくないなあと ”思う”(露骨に避けはしませんが。)のは私の自由だと思いますので。好みとか信念とかにかかわってしまう部分は、どうにもできないように思います。(犯罪とか、迷惑とかにならない限り)
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私は障害者はマイノリティだと思っています。


手話の問題を取り上げてますが、例えば社会全員が耳が聞こえなかったら、そもそも障害は障害でなくなりますから、その意味ではある種の障害は相対的です。

同性愛者も当然マイノリティです。多数派でありませんから。問題が異なっているように思えるのは、それは思想や価値観、道徳観などと密接に関わっているからでしょう。ややもすると、同性愛を認めることが、自らの価値観なども否定することにつながりかねない現実があるでしょう。

>私の夢は、すべての障害者や、色々な人種、思想の人、色々なマイノリティの方が、みんな仲良く一緒に暮らすことです。

個人的には相互に存在を認め合うことと、仲良くすることは全くの別問題だと思っています。例えば、同性愛に理解を示すからといって、その愛を受け入れるかどうかは別問題かと。
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Minority と言う言葉は、全体の中に占める割合が小さい集団を指す言葉です。

従って、
 心身障害者
 同性愛者
は当然含まれます。また、
 アメリカ在住の日本人
 アメリカにおける Hispanish (数はかなりいますが、経済力から言われるようです)
も当然 Minority です。

従って、質問者の言葉の定義が、間違っているとは思います。以上前提に質問の内容を考えると、Minority は No. 1 の方の言われるように、
 個人の意思で左右できるもの
 個人の意思では左右できないもの
の二種に分類した方が妥当ではないかと思います。同性愛者は前者、心身障害者は後者、と大きくは言えます。しかし、性同一性障碍が疾患単位として認められつつある現在、この分類も妥当性を欠くようにも思えます。さらに言えば、日本では差別、在日朝鮮人に対する偏見に基づく問題もあります。

基本的には、現在の日本で欠けている 「個の概念」 を認めることでしょう。他人に迷惑を掛けない限り、個人の価値観は自由であることを互いに認めることです。質問者が同性愛者であることに対しては、誰も良い悪いは言えません。しかし、仮に質問者が同性愛者でない人間に関係を迫れば、それは相手の価値観を否定することになるので、糾弾されても仕方ないでしょう。逆もまた同様です。これが前者の分類に対する回答です。

後者、中でも身体障害者では、何が問題かと言えば、所謂 Social Handcap の解消が前提です。健常者と比較して、その個人の持つ能力 (能力に応じた待遇・対価は当然のことです) の発揮に際して、Handcap がないような社会条件を整えることが重要です。精神障害者 (現在の精神医学がとっている社会精神医学に立脚して、が前提です。これを否定する議論もできますが、すべての前提を覆すことになるので、今回は避けます) は、所謂患者なのですから、然るべき治療を受けるのがまず必要です。

少なくともこれだけの条件が揃った上で、「個の概念」 が確立されれば、仲良く (この言葉の定義もまた難しいんで) かどうかはともかく、互いに相手の存在を尊重する社会が構築できるのではないかと思っています。

日本に比べ 「個の概念」 が確立しているように見えるアメリカでも、まだまだ問題は山積しているのは日常眼にする処です。所詮白人の国 (彼ら以外は Minority で、白人の中でも同性愛者の認知はまだまだです) なんですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2004/11/07 06:49

こんばんは。



やはり、あると思います。事実私は、「障害者をマイノリティ呼ばわりするなんて、失礼な!」と思いました。

社会生活を行ううえで、やはり他人の気分を害さないということは必要なことだと思います。この気分を害さないというのには「個人の価値観」があるため、「必ずこう!」というものがあるわけではないですが、最低限守りなさいという部分は「法律」として規定されてますよね。さらに、この法律は最低限のものであるため、それ以上の「道徳」や「マナー」が存在しているわけで、それらも含めて「一般常識」と言ったりしますよね。
この「一般常識」というのがいわゆるマジョリティーになるのかとも思うのですが、いかんせんこの「一般常識」は時代や文化、流行に左右されやすいです。
だから、いわゆるマイノリティー問題も出てくるのかとも思いますが。。。
ただ、マイノリティーという言葉を利用すれば、どんな犯罪も可能になってしまうのでは?とも思います。
だからこそ、どのような趣味嗜好でも、自己規制は必要かと。
で、結論的には、マイノリティーと言おうがなんと言おうが、なんらかの障害に起因する社会的弱者の問題と違って、公序良俗に反するようなマイノリティーは、社会とは仲良くはできないのかな、と思います。
ですから、社会的ハンディを持った方々と(例えば露出など)ある種特殊な性的嗜好を持った方々の社会生活(問題)を一つにしては語れないかな、と。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2004/11/07 06:48

可能性というか、今は未だ有ると思いますよ。



端的に言って、「障害者の障害は自分で選択できたわけではないけれど、マイノリティ、例えば同性愛者の場合は自分で選択しただけでしょ?」てな感じなのだと思います。

つまり、嗜好性の一種だと捉えているからです。嗜好性とは好みで有って、言い換えれば、単なる我がままだと捉える事が出来るので嫌悪感を抱く方々が居るのですね。

ただ、ご質問文にも有りますように、性同一性障害などのように、生まれ持ったものという認識も受け入れられていますから、これからはある程度は認知されていくと思われます。

しかし、個人的には、皆仲良くと言うのは無理だと思うのです。

それは、喫煙を例にあげると判りやすいのですが、他者への影響が有るものはやはり公では受け入れられないからです。こういった他者への影響があるモノは、ある程度隔離と言うか特別な空間を用意する必要が有ると思います。

同性愛者に関しては、かなり難しいと思います。個人的にはなんの偏見も有りませんが、種族の保存という生物の根幹に関わる訳ですから、どうぞお好きなように!とは普通の国家は認めるわけにはかないと思います。

そして、一番厄介なのが思想の違いです。少し乱暴ですが思想とは価値観です。価値観とは優先順位です。中東や北を例に出すまでも無く、その信ずるものの為になら自分や他者の命もいとわない思想も実際有るのです。

こういった他者を認めない思想がある限り、皆仲良くとはいきません。現状では武力や経済力で他者を睨みながら互いの不可侵のバランスを保っているのだと思います。

少し話が飛躍しました。が、この状態と言うのは日常生活においても同じだと思うのです。普通とは違う人でも他者へ攻撃しない人は受け入れやすいし、共生できる。しかし、他者への影響を及ぼしてしまう人は、恐怖感を抱くので排除したり、隔離してしまいたい。そう言うものだと思うのです。

>私の夢は、すべての障害者や、色々な人種、思想の人、色々なマイノリティの方が、みんな仲良く一緒に暮らすことです。

それにはやはり、みんなに障害者やマイノリティの実情を知ってもらうのが大変だけど近道だと思います。今でしたらネットが有りますので、比較的やり易いですしね。そういう地味だけど日常を知って貰えれば、偏見や誤解と言うのは少しずつだろうけど払拭できると思うのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2004/11/07 06:48

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