質問投稿でgooポイントが当たるキャンペーン実施中!!>>

文春11月号、亡国の「移民政策」を読みました。
頭弱いから、大雑把な流し読み、ですが。

そしたら
日本って移民大国なんですって。ヘェ〜。
そして
単一民族国家だとばっかり思っていたら、生物学的に見れば大きく三つのグループに分けられ、それは朝鮮半島から来た人、南方から来た人、北方から来た人。ただ、この三つのグループで最大のグループでも、30%前後なのに対して、韓国や中国は遺伝子のタイプで分けると最大のグループでは50%ぐらいあって、だから韓国や中国の方がよっぽど単一民族的だと云ってます。

でも、日本人同士で韓国系とか南方系とか意識は全く無いですよね。多分、長い年月が経っているからなんでしょうが。

そんな所から思い付いたのは、それだったら外国人とか移民という意識を日本人はなくした方が良いのではないか、という事です。

同化。
要するに、〈外国人〉の日本人化です。
外国人街、なんてものを作らなくても済むような「同化政策」ですね。
外国人に侵食されるのでは無くて、日本人となる様に取り込むのです。

下手の考え休むに似たり、と云われてしまいそうですが御意見を頂きたいのです。
宜しくお願い致します。

質問者からの補足コメント

  • 有り難うございました。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/10/15 13:06

A 回答 (9件)

古代ローマの話をします。



ローマはご存知のように巨大な領土を持ち、800年ほどの繁栄期間をもった大帝国なのですが、なぜこれほど長い期間反映できたのか、ということです。

それは「新しい民族を征服したら、彼らを仲間にしたから」なのです。

これって簡単にできそうでなかなかできません。歴史上の各帝国の中でもこれができたのは、ローマと日本(後述)ぐらいなのです。

ローマがどうやって、征服した人々を「仲間」にしたのか、それは「ローマに参加する意思を持った民族は、ローマの神々の丘に彼らの神を祀った」と言うやり方だったのです。

当然ですが、征服すれば征服した側と征服された側ができます。殺し合いをしているのですから、感情的なしこりもありますし、それ以上に勝った側がおごり高ぶり、負けた側は委縮するのが普通です。

それを解消したのが「神々の丘にある神殿」であり、多神教の時代でのローマは「新しい神様がローマの丘に祀られることは、神が平等になり、その民族が平等になった」ということだったのです。

だから、ローマはキリスト教が国教化されてほどなく、東西に分裂し大帝国が終焉したのです。つまり「他の人の価値感=宗教を認められないと民族融和はできない」ということです。

日本も実は大和朝廷が同じようなことをやっています。3世紀ぐらいまでは豪族たちが群雄割拠していて、それぞれが「民族の神」を持っていたのですが、大和朝廷は「天皇の家来になれば、天皇がみんなの神さまにお祈りするよ」というやり方だったのです。つまり人間としての豪族は「天皇の家臣」なのですが、豪族の神に対しては「天皇がひざまづいて祈る」わけですから、天皇と自分たちの神様は同列というか、天皇より上、になったわけです。そしてすべての豪族たちの神々は「平等に天皇が祈る」わけですから、豪族たちの優劣もなく、平等で対等になったのです。

これが日本人の「和」の本質であり、大和朝廷が「大和」とする本当の意味で、この「大和」ができたときに、南方系とか大陸系とか半島系というこだわりを捨てて「みんな平等で日本人」という意識が芽生え、日本民族が誕生したのです。

今日本は人口減少に伴い、移民がとても増えています。その中でいずれ母国に帰る人は別にいいのです。トラブルなく生活して帰国してくれればいいでしょう。問題は「2代目3代目と日本に居着く人々」です。

インドより東側のアジア人は元々多神教の要素が強いので、それほど心配していません。実際に戦後に日本に来た中国系や半島系の人々もだんだん日本人化しています。ただ半島系は在留特別許可の問題があるので、世代交代に従ってなくすべきかもしれません。
横浜や神戸の中華街は、関帝廟という中国の神様にお参りする日本人がたくさんいて、逆に中国人の2世3世は日本人化しています。


問題なのはキリスト教やイスラム教などの一神教徒なのですが、今までの人々を見ている限りそれほど心配はないと思います。なぜなら日本のような多神教の場合「なぜ自分が、他の神を信じてはいけないのか」と言う点に疑問を抱かせることになるからです。
だから初代はともかく、2世3世になるにしたがって「日本人化」していくでしょう。

むしろ問題は日本人の側にあります。日本が「大和=日本民族」になってからすでに1500年以上たち、日本人自体が「なにをもって日本人なのか」ということを忘れてしまっているからです。

日本人であるというのは「(天皇を敬い)他の神様に敬意を払い、だから他人も平等であること」なのです。一神教の人は「自分は他の神を信じることはできない」わけですが、別にそれは構いません。「他の神々が居て、他の人々がそれを信仰していること」を邪魔しなければいいのです。そうすればキリストもモハメッドも日本では邪魔されることは無いからです。

(天皇に敬意)を払うことが難しい人もいるでしょう。日本人の中にもいるはずです。それはそれでいいのですが、できれば「天皇がみんなの神々を祭祀してくれている」ことは知っておくべきだと思います。

世界は意外なほど、古代から変わっていません。神様=価値観であり、神さま=民族なのです。

現代で日本と同じ方針「他の神様に敬意を払い、だから他人も平等であること」を標榜しているのはアメリカ(宗教の自由)ですが、元がキリスト教の社会であり、政府の主体も聖書に手を置いて宣誓するキリスト教ですから、一皮むけばキリスト教以外を憎む思想が透けて見えてしまうのです。

日本民族は他の民族と違って「すべての宗教を平等に扱う民族」であり、それを日本人が意識し、貫く限り日本は大丈夫だと思います。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

日本人が作り上げてきた素敵な文化が、未来の新・日本人にも受け継がれていく事を願っています。

有り難うございました。

お礼日時:2018/10/15 14:45

★(№4お礼欄) 混血、ですよね。


☆ そうです。あるいはつまり 時には武力をちらつかせながら政治力
をもって入って来たので やまと(奈良)のミワ政権の血筋と政略結婚
をして 親族になったというかたちです。




ただし いろいろ違いもあります。

タカマノハラ系のアマテラス族は 遊牧騎馬民族だと言われています。
遊牧民といえば 聖書のユダヤ人らも同じです。したがって その血筋
をとうとびます。

▲ (新約聖書・マタイ福音 冒頭) ~~~~~~~~~~~~~~
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

1:1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。

1:2 アブラハムはイサクの父であり、
イサクはヤコブの父、
ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、
1:3 ユダはタマルによるパレスとザラとの父、
パレスはエスロンの父、
エスロンはアラムの父、
1:4 アラムはアミナダブの父、
アミナダブはナアソンの父、・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ このように男系一系の血筋を重んじます。

そしてそれは 次のように王(雄略)ワカタケルの臣下の人間(ヲワケの
臣という名)の家系ですが 同じように男系一系として記された遺物が出
て来ています。

▼(ヰキぺ:稲荷山古墳出土鉄剣) ~~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7 …

§ 2 銘文の内容

ヲワケの臣。
上祖(* 知られている最古の祖)、名はオホヒコ。
其の児、(名は)タカリのスクネ。
其の児、名はテヨカリワケ。
其の児、名はタカヒシ(タカハシ)ワケ。
其の児、名はタサキワケ。
其の児、名はハテヒ。
其の児、名はカサヒヨ。
其の児、名はヲワケの臣。

世々、杖刀人の首(おびと:長)と為り、奉事し来り今に至る。
ワカタケル(雄略)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾(ヲワケ)、天
下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ スサノヲ市民は 養子縁組を別に嫌とも思わず ふつうにと言って
よいほどおこなっていますが アマテラス家系では 必ずしもそうでは
ないようなのです。女系への転回は 嫌うようです。



ほとんどのナラハシにおいて 遊牧民は現地の人びとに同化すると言わ
れています(江上波夫)。

ただこのように血筋の問題だけは 守り続けているように見られます。

あるいは――もう煩瑣になるので詳述はしませんが―― 天皇の即位式
でおこなわれる大嘗祭では 祖先からの《王の即位》としての儀式をお
こなっているのではないかと研究者から 指摘がなされています。
(まとこおふふすま)。





つまり われわれスサノヲ市民は ふところが深いので このような外
からやって来た人びとをも おだやかに受け容れて来ています。

かれらが 出来るだけ自分たちの好きなように自由に生活することが出
来るようにと 心配りをして来ています。国を経営したい まかせてく
れと言って来たら まづ やらせてみなはれということになったようで
す。

ちょっと長すぎましたかね。先の戦争で負け戦だったことが アマテラ
スびとのあいだでは 心傷めなければならない頭痛の種らしい。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

今回の件については気持ちを一つにできた様な気がします。

お後はブラジュロンヌさんでしたか。

有り難うございました。

お礼日時:2018/10/15 15:07

「移民。外国人。」の回答画像8
    • good
    • 1
この回答へのお礼

cyototu氏ではないけれど、

お後がよろしい様で。

有り難うございます。

お礼日時:2018/10/15 15:01

いえいえ、こちらこそ


頭の体操に、成りました
感謝します
( ̄ー ̄)ニャリ
    • good
    • 1
この回答へのお礼

有り難うございました。

私にとってのベストアンサーが決まりましたので、これで閉めます。

お礼日時:2018/10/15 15:00

文春のその文章は読んでいませんが、あなたの文章を読む限りその文章は暴論です。




>単一民族国家だとばっかり思っていたら、生物学的に見れば大きく三つのグループに分けられ

民族を理解していません。民族とは生物学的なものは関係ありません。民族は本人の意思で決まります。

例えばセルビア人とクロアチア人は人種も生物学的な血も極めて近いですが、「同じ民族」ではありません。
彼らは人種ですし、生物学的にも同じ南スラブ系です。言語も方言の違いしかありません。

しかし彼らは互いに「別の民族」と思っています。言語も方言ほどしか違いがないのにセルビア語辞典とクロアチア語辞典が存在し、共通しない言語を強調した独自の言語のように教えています。

そもそも生物学的な共通点をもって「同じ民族」と言うならば、交配ができる時点で同じ生物ですので「人類はみんな同じ民族」となります。

民族とは、発見です。
「我々は違う民族だ」と思えば違う民族になります。昔は九州と関東では同じ大和民族でも言葉が通じなかったそうです。それを理由に、「俺たちは大和民族ではない。九州民族だ」という発見をし、それが普及したら、日本に九州民族と言う民族集団が誕生します。民族とはそういうことです。先祖の血は関係ありません。


例えば、現在のギリシャ人はギリシャの民族としての自覚を持っていますが、現在のギリシャ人は移民です。古代ギリシャの血筋は皆無です。その事実を持って、「お前らはギリシャ人じゃない」といえるのか。
いえません。何故なら、民族とは本人の意思で決まります。ギリシャ人が「我々は、栄光の古代ギリシャの血を継ぐギリシャの民族だ」と思っているので、彼らはギリシャの民族となります。



民族とはそういうものです。
文春の記事は、民族と言うものをそもそも理解していません。




因みにこの手の話で必ず出てくる、天皇家の朝鮮人説ですが、白村江の戦いで滅んだ百済の豪族の血筋が現在の天皇家に継がれていますが、当時の百済は、百済そのものが日本の一部でした。日本の一部の出身の人の血を受け継いでいるだけです。「だから何?」で終わりです。


日本は、琉球やアイヌなどのエスニックがいますが、圧倒的多数の大和民族と言うネイションで構成されている単一ネイションの国です。




>韓国や中国の方がよっぽど単一民族的だと云ってます。

韓国の事はよく知りませんが、少なくとも中国については文春のその方はチベット人やウイグル人や内モンゴルのモンゴル人や満州人も漢民族だと思っているのでしょうね。それとも、漢民族というネイションを中心とした単一ネイション国家と言う意味で言っているのでしょうか。それでも日本のほうが単一ネイションの濃度は圧倒的に濃いですが。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

生物学的には、人種と捉えないといけないのですね。
また、民族という言葉は、精神的な意味で使われているという事ですね。

もう一度、記事もこの回答も読み返してみます。
有り難うございました。

お礼日時:2018/10/15 14:57

1. 諸手を挙げて 賛成します。


★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
同化。
要するに、〈外国人〉の日本人化です。
外国人街、なんてものを作らなくても済むような「同化政策」ですね。
外国人に侵食されるのでは無くて、日本人となる様に取り込むのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2. つまりここで《日本人》とは何か? が なお残った課題だとは思われ
ます。

3. その昔 縄文および弥生の日本人は 《クニユヅリ》という歴史的事件
に遭いました。卑弥呼の邪馬台国体制(三世紀)が終わりを告げるかのごとく
あたらしい国づくりに入ったころです。

4. 初国知らししすめらみことと呼ばれた崇神ミマキイリヒコイニヱのミコ
ト市政のあと 徐々になおあたらしいツナミに見舞われました。

5. 400年あるいは500年頃のことです。
▲ (ヰキぺ:葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい))~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E5%8E%9F …
§ 1 あらすじ
§ 1.1 古事記
天照大御神(アマテラスオホミカミ)ら高天原(タカ〔ア〕マノハラ)にいた
神々(天津神:アマツカミ)は、

 「葦原中国を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫だ」

とし、何人かの神を出雲に遣わした。〔イヅモ市長である〕大國主神(オホク
ニヌシのカミ)の子である事代主神(ことしろぬし)・建御名方神(たけみな
かた)が天津神に降ると、大国主神も自身の宮殿建設と引き換えに国を譲る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

6. アマツカミというのは神と言っていますが 人間のことです。つまりあ
たらしくやって来たタカマノハラびとであり アマテラスオホミカミの子孫で
す。

7. それに対して 昔からの日本人は 国津神(クニツカミ)と呼ばれまし
た。(ツは ノという意味です)。スサノヲ市民のことです。

8. やがて時は飛んで アマテラスの子孫が 《もうじゅうぶん統治した。
そろそろこの地位を降りたい》と言うようになりました。

9. つまり そのあいだ千五百年にわたって スサノヲ市民たる日本人たち
は あたらしく渡来した人びとをも――お二階の神棚に祀り上げて―― 同じ
日本人として受け容れて来たわけです。

10. 《一揆》を起こしたくらいで 暴力革命などはやりませんでした。も
ともと 非戦論を採って 《くにゆづり》をしていたからです。

11. この《ゆづりあひ》の心で 何が来ても 乗り越えてゆくことでしょ
う。《永遠の現在》として いま・ここから始まっています。

12. そして 日本人も 外国へどしどし出ていきましょう。
この回答への補足あり
    • good
    • 1
この回答へのお礼

混血、ですよね。

お礼日時:2018/10/15 13:04

元々天皇陛下も朝鮮系なんだから。

それに大昔は戸籍制度もなかったから外国人も何も区別は無かったと思う。
でも現代は戸籍制度だけでなく税制や保険制度とか行政サービスをする上で管理上区別せざるを得ないよね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

行政もゆくゆくは、区別の必要がなくなる程に日本人化が進んだ頃には、新・日本人が出来上がっている事でしょう。

それが良くなっていればよいのですが。
ちょっと心配でもあります。

有り難うございました。

お礼日時:2018/10/15 13:03

そりゃ相手がいる話だから、無理ですよ。

こちらがどうして欲しいと言ったところで、相手が承知してくれなくては、こちらの思い通りにはならない。

この世の中、話し合いで済むなんてことが有り得ないっていうことは、人類の歴史を見れば誰にだってすぐ判る。だから、戦争が絶えないんですよね。そりゃ戦争がない方が良いに決まっている。なのに、戦争がなくならない。それって、なぜだと思いますか。まさか、国民が指導者に騙されて操られているなんてな、上から目線で、自分だけは違うなどと人々を馬鹿にしたようなことなんて思っていないでしょうね。人々は少なくとも貴方程度の判断力はある。決して貴方と比べて馬鹿じゃない。話し合いでは無理だと納得するから、自分の国を守るために、そして自分の愛しい家族を守るために、人々は命を賭して戦ってきたのです。話し合っても無駄な連中は、教育しても無駄です。その場合には、こちらの命を守るために、門戸を閉ざし絶縁するか、それが不可能だったら、相手を叩きのめす以外に方法がないのです。門戸は話がわかる連中だけに開けば良い。それとも他に方法がありますか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

昔、南方から来た人も北方から来た人もみんな今では〈日本人〉ですよね。
どうしてそうなっちゃったんだろう、と思って皆さんの考えを聞いて見る事にしたのです。

No.3、NOPPOさんが云うように、当時は外国人と云う捉え方が無かったのかも知れません。
それならばと、日本人はいつまでも外人扱いしないで、日本国民として接していれば二世、三世と世代が進むに従って当人も、そして周囲も自国民として違和感無く生活が出来るようになっている様な気がするのです。

行政的には地域活動と云えるレベルの事が始まりかなと思います。
草の根活動でしょうか。
日本文化が身につく様に「取り込む」のです。

雑誌の記事を見て、こんな事を漠然と考えました。
有り難うございました。

お礼日時:2018/10/15 12:58

難しいですね


日本人は愛国主義って言うと
サッカーやオリンピックぐらいの物やけど
諸外国や大陸は
愛国主義=個人の尊重
てな感じもあるから
日本に取り込むのは
難しいですね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やっぱり“取り込む”と云う表現が良くないですね。
無理やり、と云った印象を与えてしまいますね。

この記事には、「十年〜二十年日本に住んでいる一世のアパート経営?の外国人の大家さんが“変な外国人はいやだ”と言う。考えが日本人に似てくる。外国人も、いつまでも外国人的な考えではないのです」と云う話も出てきます。

こうした事をイメージ的に日本人化と云って見ました。

有り難うございました。

お礼日時:2018/10/15 11:59

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q認めたくない現実

あなたにはありますか?
それはどんな?

Aベストアンサー

おそらくあるであろうと言う事。
それは、過去に自分が過ちを犯しておきながら、それを今も知らないという事。それを今も知らないので、今も同じ過ちを継続している可能性があるという事。そしてそれを知り得ない限りは、その過ちは未来にも続くであろうという事。

自分の外に悪がある事を見るのは簡単である。自分の内に確かに存在する悪を自らで見いだすことは容易では無い。自分自身の影に隠れてしまうからである。そこで、他人からの指摘が大いなるチャンスとなる。その指摘が的を得ていようが外していようが、他人から得たその言葉をきっかけに自らを省察する人は賢者である。一方で、聴く耳のない者、耳触りの良い言葉のみに対しての反応しか出来ない者、この様な者が人生を全うすることなくくずおれる。賢者は自己を健全化し、しあわせに至るが、愚者は自ら犯す過ちによって自己を損ない苦悩を受ける。

人は皆苦しんでいる。見難きことであるが、これを先ず人は観なければならない。

意固地になっていても埒は明かない。以上に述べた見難き真実を見て、人は初めて自己を知るのである。

Q死後の世界

「自分が死んでも自分がそれまで生きてきた世界は存在しつづける。」
という科学的根拠が示せない理由および原因について。

a)理由
b)原因

それぞれを説明して下さい。




IOI
HXH
NSZ

Aベストアンサー

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮説は、経験から得られた科学的な仮説ではありません。

たとえ世界が消滅する場合にも、その消滅速度が速かろうが遅かろうが連続的に消滅するというのが、貴方が生きていた経験から得られる科学的事実です。ですから、貴方が死んでも貴方がそれまで生きてきた世界はしばく存在しつづけるというのが科学から得られる結論です。

また、ある事象の時間的長さが長いか短いかは相対的な概念であり、何か基準になる時間の長さと比べて初めて意味のある概念です。たとえば、地球の公転数が1000回たった場合の時間、すなわち1千地球年は貴方の寿命からみて長いと思えるでしょう。それに比べて、原子内で励起原子が光を放出して基底状態に落ち着きまでの時間は10のマイナス8乗秒程度です。ですが、この時間で電子は原子核の周りを百万回ほど回っています。すなわち百万電子年経ったといえます。さて、この百万電子年というとてつもない回転の数と、1千地球年というたった千回の回転数と、どちらが長い間の出来事だったのでしょう。だから、たとえ貴方にとって瞬時になくなったように見えても、連続的に消滅する事象でも、別な基準から見るととてつもなく長い間にゆっくりと消滅している事象であるとも言えるのです。

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮...続きを読む

Qいいことをおしえてやろう

最近、人に回答を求めるのではなく自分でやってみろと、ある人に言われたので、やってみる。

とはいっても自分の知らないことには答えられない。
答えられる質問にはどんどん答えてやる事に決めました。

こんな心構えでいいでしょうか?

Aベストアンサー

違うと思います。

どこかのカテゴリーで、回答に対するお礼コメントでやられて現在進行中の質問者のマネをして回答してみます。

Q:人に回答を求めるのではなく自分でやってみろ
A:初めての職場に行くと先輩が、「わからないことがあったら、なんでも聞ききなよ。」と言ってくれますが、それを信じて質問すると、「なんでもかんでも人に聞けばいいってもんじゃないだろ!!まずは自分で考えて、それでもわからなかったら質問するんだよ!!」と言われて、自分なりに「まあっ、いいか、これで」と思ってやってみると、「お前、なんてことしてくれたんだ。やるまえに、わからないことがあったらなんでも聞けと言っただろ。」と怒られてしまいます。

Q:自分の知らないことには答えられない
A:知っていることとは、しょせん知識でしかないのだから、インターネットでチョチョッと調べて、たぶんこれだな、と思った新しい知識で答えればいいんじゃない?

Q:答えられる質問にはどんどん答えてやる
A:たぶん、答えられる質問に対して答えるのではなく、自分が回答したいと思った質問に答えるのだと思います。

質問に答えたいものがあったときの心構えは、以下のようなことも必要だと思います。
・こいつ、ホントか?創作とかなりすましじゃないだろな?
・それとも、現実社会で誰も相手してくれないから、この虚構の世界で相手して欲しいのかな?
・いやいや、真剣に悩んで質問しているんだと思うけど、なんでこういう質問してるんだろ?

違うと思います。

どこかのカテゴリーで、回答に対するお礼コメントでやられて現在進行中の質問者のマネをして回答してみます。

Q:人に回答を求めるのではなく自分でやってみろ
A:初めての職場に行くと先輩が、「わからないことがあったら、なんでも聞ききなよ。」と言ってくれますが、それを信じて質問すると、「なんでもかんでも人に聞けばいいってもんじゃないだろ!!まずは自分で考えて、それでもわからなかったら質問するんだよ!!」と言われて、自分なりに「まあっ、いいか、これで」と思ってやって...続きを読む

Q負け組が愛国心だして何したい?

負け組が愛国心だして何したい?

Aベストアンサー

自己満足。

広い意味で質問者さんと同じです。

Qみんな□民主主義

□には何が入りますか?

Aベストアンサー

民主主義は良いものだと同意するが、民主主義とは何かということにはみんな同意しないのが

Q見え過ぎて見えなくなる

それは何?

いつも目の前にあるのに。

Aベストアンサー

そんあものありません
そんな格言も、名言もありません

何の意味もないご質問に、あきれています

黒いのに白いの、聞こえるのに聞こえない、明かるのに暗い
馬鹿なのに賢い、悪人なのに善人
と言っているようなものですね

QHaruさんの存在主義の欠点は何ですか

客観的情報が欲しいのでHaruさん以外の人に回答して欲しいです。

Aベストアンサー

Haruさんとは誰?

Q"アホはほっとけ"は正しいか

どうなんでしょう。

Aベストアンサー

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かった気になり、自己満足を優先させる。万能じゃない部分でしょう。

どこまでも、目の前のアホのような奴は、自分とは異なる存在の「他者」であると覚れば、ある程度ほっとけるのではないですか。

相手はいずれ成るように成るもので、何を掴むか、受け取らないかは己がやらなきゃ自分の意味にならない。
他人がどうこうする領域じゃないと知っていれば。

お互いに具体的な言葉にするほど自他の異なりが露わになるでしょう。
同じようで違う、違うようで同じ、というのを確認します。
そうした体験すれば作用にも気づきます。
自分の方法は増えるのですが、人間は頭では体験を超えられません。
冷静に相手の立場に立って出来るものなど取るに足らない小ささに思います。
大人?日本人?は関係を怖れている?みたいに見えます。


ある人に悩みを言ってもらい、何人かで聴きます。
それを後で皆で検討してみると、問題点、課題はほぼ同じ意見ですが、その人をどう思うか、感想を具体的にすると其々です。
相手ではなく、自分というものがそこに出てきます。

相手の立場に立つとは、
人間というものや個人を理解した上でやれる力量かもしれないですね。

余談ですがカウンセリングや相談をインターネットの文字の世界でやれると考える人と反対する人がいるんです。
文字では情報が不十分ですからね。

言い合いをしたり、食い違っても、そういう二人が向き合った体験は後に信頼の間柄になれるものでもあるという実感はありますが、使いわけていますね。

言い合いは悪い結果になると思い込んで、ほっとく、避ける一般の人が多いかもしれないです。

ほっとくの意味一つ取っても、自他は違うんですよね。

相手の立場に立ったつもりで言い、その人をよく知らない第三者からすると正論のようですが、肝心のアホにとってありがた迷惑であったりします。

気遣いができるアホは、無理解な正論にお礼を言うかもしれません。
でも、ほっとけない人が、アホを理解しているとは限りません。
ボランティアと同じです。
自分がしたくてするのか、相手の為なのか、自意識の深めがどの程度かです。


人間というものは、相手の立場に立ったつもりが立てていない時、相手はこころを開かない。

すれ違いながらもお互い辻褄を合わせ、共有した時間に意味を感じることで穴を埋め、その代償行為に気づかず、意味を後付けする生き物です。
その時を穏便に済ませるのですが、そういうときは、後から自分に違和感が出るものなのです。

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かっ...続きを読む

Q思考と言語

思考に言語を使うことのデメリットを挙げて下さい

Aベストアンサー

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を捉え、それに従ってそれなりに合理的に思索し合理的に振舞っています。それが空間的論理です。この場合、自分の置かれた環境や状況や事象を瞬時に全体として捉え、物事が収まるべきところに収まっているかどうかで、その全体の整合性を認識します。事実、絵画にも立派な論理があり、思索が表現されているのですが、それは決して、山が木立や東屋を導き、その木立が月を導き、、、というようには把握されず、そてぞれの各点が収まるよころに収まっているかどうかでその合理性の深みを理解しようとします。また、人間も多くの動物も言語以外に、ボディー・ラングエッジでも意思疎通をしていますが、これはどちらかというと空間的論理の把握と言えるでしょう。

その点、音楽にある合理性は時系列としての合理性であり、言語による合理性の把握に親和性があります。ただし、音楽や言語やその一種である数学が時系列的であるとは言っても、決してその流れは一方的だけではありません。我々は、現在目の前にある音や単語ばかりでなく、その音や単語より以前に出た音や単語との関連、すなわち時間相関を思い描きながらその作品を観賞し、また、この先の未来に出てくるであろう音や単語を、過去の時間相関を参考にしながら予測して、ある意味時間を超えた同時発生的な把握でその作品を観賞しています。そしてこの時系列的な相関の距離が長いほど、我々は思考が深まったと考えているようです。

もちろん空間的論理の把握にも、空間における各点をバラバラに捉えているのではなくて、各点の間の空間的相関を認識し、その空間相関の距離が長いほど、その空間的論理の合理性に深みがあると考えているようです。

この時系列的思索と空間的思索の存在は古代から認識されており、例えばそれが仏教における顕教と密教の違いとして認識されております。すなわち、顕教の本質は、この世の真理なるものを文章に顕に書き下すことができる。すなわち、時系列的な論理だけで表現が可能であるという立場です。だから、先人たちの名著をとことん読んで咀嚼すれば、この世の真理が解るようになるという主張です。ところが、密教では、この世の真理なるものには言葉という時系列的な論理では表現しきれないものもある。そして、それを掌握するためには、それを掌握した師の唾を浴び、迫力やオーラを浴びなくてはならないという立場です。さらに密教では曼荼羅を重視しますが、これもこの世界を掌握するには時系列的な言語だけでは不完全で、絵画的空間的論理による認識も必要であるという主張です。私は物理学者ですが、自分の師と巡り会うまでは、物理学も顕教の世界だと思っておりました。しかし、その師の唾を浴びているうちに、物理学の多大な部分が密教の世界であることに気づかされました。

さらに、テレビドラマでもわかるように日本人の数倍もおしゃべりなアメリカ人の意思疎通の内の90%ほどが、言葉でなく、先ほど触れたボディー・ラングエッジによっている、という研究結果が出ているそうです。考えてみればそれは驚くことではありません。実際、人間が言葉を使い出す前の数百万年もの間、人間はボディー・ラングエッジだけで意思疎通をしてきたのですから。例えば、馬も集団生活をしており、馬の間のボディー・ラングエッジが高度に発達しています。私の住むテキサスで小さな牧場を持っているある日本女性がこの馬のボディー・ラングエッジの重要性に気づき、それを人間の母子間に取り入れて、頭でっかちでない自然な子育てに使う運動を起こし、そこで訓練を受けた多くの母親が育っています。

このように、我々が世界を認識するとき時系列的でなく、空間的な掌握法が圧倒的に巨大な領域を占めているのです。ところが、言葉だけで論じられている哲学を学んでいる連中では、時系列的な論理だけが合理的な論理であると誤解して、世界の圧倒的な部分を認識できなくなっているようです。これが思考に言語を使うことの最大の欠点でしょう。この連中はこの巨大な世界を認識できないので、ある意味可哀想な連中です。

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を...続きを読む

Q洗練や優雅

付け焼き刃と余裕の違いはどこに見て取れる?

Aベストアンサー

理を見る眼を備えた人は、感動とか感心とか言った情動に基づく心的挙動によって、言動や物事を判断しない。その判断は静かな、理を見る眼差しによって行われる。
こいつはハッタリだとか、まやかしだとか、そのようなものを見抜くことに腐心するのではなく、本質を見据えている事によって、それらに左右されない。
その言葉が本物か偽物かを見分けようとするのではなく、ただ、本物を求めていて、本物がある時にだけそれを取る。このようにして、本物を知る人は騙されない。造花からは香らないようなものである。
歴史があっても本物ではないこともある。限りなく本物のようでいて、それでもやはり決定的に違うものもある。まるで目立たないのに本物の場合もある。
そらを見いだせるかどうかのすべては、その人が本物の本物を求めているかどうかにかかっている。


人気Q&Aランキング