チョコミントアイス

新約聖書ヨハネ第一の手紙5章にある「死に至る罪」と「死に至らない罪」との違いを教えてください。

質問者からの補足コメント

  • 「死」を比喩で表しているなんて聞いたことがありません。いい加減な回答はご遠慮願います。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/10/19 12:24
  • 背教という解釈もありますが、いかがなものでしょうか。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/10/19 12:26
  • 罪の生活(意味がよく分かりません。)を続けることと背教は別ですよね。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/10/19 15:26
  • キリストを御子であることを否認することそれが背教です。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/10/19 16:03

A 回答 (5件)

「死」を比喩で表しているなんて聞いたことがありません。

いい加減な回答はご遠慮願います」←だったら それでイイのでは?

知らない人に 幾ら言っても分かる筈無い・・

イエスは それを伝える前に死んだし・・

再臨のキリストが 言ってるのだから 間違って無いけどね・・

でも 此処は あなたが 正解 不正解を決める遊びサイト・・

知らないあなたが 正解に辿り着く筈は無い・・
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この回答へのお礼

キリストは未だ再臨されていません。知ったかぶらないでください。

お礼日時:2018/10/19 16:11

最初に書いたからあとは知りたければ教会でお願いします。

背教、は教えに背く事です。
この回答への補足あり
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神を愛すると言うことは神に従うという事です、と聖書にあるからクリスチャンでありながらいつまでも罪の生活を続ける事は背教ですね。

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聖書は比喩と喩えの多い書物・・



だったら「死」も 違う意味の言葉を 比喩や喩えで表してる・・と 考えられる・・(と 言うか 実際 そうなのだが・・)

あなたには まだ 解かるまい・・
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旧約聖書でモーセの姉ミリやむが神様に不平を言ってしばらく顔中ニキビにされるって事がありましたが罰はあったけど治ったし許してもらえたわけで命まで取られませんでした。

悔い改めたからです。「死に至る罪」とは、よく考えて分かっいるのにワザと悔い改めなしに犯し続ける罪です。「神様はその恵みのゆえに、すぐに罰を与えず、神の子どもたちが罪を犯すことをお許しになります。しかしながら、信者が悔い改めもせず、罪の中に生き続けることをもう許されないときが来ます。この時が来たら、神は時にはクリスチャンの命を取ることまでもして、罰を与えられるのです。」で神が命を取るのは罪を犯す手なら、切り取った方がゲヘナに全身投げ込まれないからマシだ、とイエスも言ったように、クリスチャンに対して行う愛の行為なんですねー。クリスチャンの中で不品行な者、貪欲なもの、偶像を礼拝するもの、人をそしるもの、酒に酔うもの、略奪するものとは一緒に食事してもいけない、と第一コリント11章にあります。信者でない人がそれらをやっていても、あの人のしていることは死に至る罪だ!にはなりません。外部の人たちを裁くのは神様がする事だし、悪魔に滅ぼされる場合もあって、自ら地獄行きジェットコースターに乗りたがる人もいるわけで、その死は神の罰により死に至る罪、とは違います。ただの滅びで悪魔の勝利ってだけですね。クリスチャンなら死に至る罪、に至るまでに気がついたら踵を返して悔い改め、神の道に戻ればゲヘナ行きは免除で救われます。
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