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▲ 対角線論法の解説
http://park20.wakwak.com/~ichikawa-clinic/explan …

☆ この解説(引用は 省略しています)において 順に並べた数の中には
なかった数が 対角線論法によって見出せるということですが そのあたら
しい数も とうぜん 初めに並べたリストの中になければおかしい。

ただ 拾い漏れであったというに過ぎないのでは?

あるいは言いかえるなら 初めに《すべての数を並べることが出来た》とす
る仮定が おかしかった。

A 回答 (5件)

>拾い漏れであったというに過ぎないのでは?


そう思うなら、拾い漏れ漏れが無いような方法を示してください。
(元HPが解説端折っている箇所でです。まあ、知ってて端折っているとしか思えない記述方法とってるけど。)

>言いかえるなら 初めに《すべての数を並べることが出来た》とする仮定が おかしかった。
すべての数ってどのような数のことですか?
・すべての「有理数数」を並べることが出来た、でも、それでは無理数が入っていない。
というのが対角線論法の骨子です。
ですから、すべての数というのが、有理数のことなのか、無理数のことなのか。対角線論法で証明しようとしているのは、まさにその部分。ですから、「すべての数」という表現は、してはダメな表現です。「全ての有理数」「全ての無理数」。どちらか。そして、どちらの意味かで結果が変わるという最重要事項をアイマイな文言で書く、ということは、有理数と無理数の違いが分かっていないじゃないの?という疑念が.....

あと、元HPは、有理数を並べることができる、と、意味不明部分で背理法使っていますが、この部分が背理法使わないで正面撃破する方法があります。
以下のように並べます。
1.ゼロから1の間だけ並べれば有理数全部を並べたことと同義である、という証明をまず行う。
  ※これを理解していないと元HPを爆撃できない。よって、爆撃している以上、コレは理解しているとみなす。
2.ゼロから1の間の有理数を以下の順に並べる。そしてそれを小数表現する。
  1/1 1/2 1/2 1/3 2/3 3/1 1/4 2/4 3/4....
  ※分母が1から順に増える。 分子は、分母が1増えるごとに1から分母まで増える。 
  ※※これで、n番目の数値が具体的にいくつになるか、ということと全有理数がカウントされているか、はクリア。
    何? 1/2と2/4は同じ数? そういうのをすっとばしてn番目の数値を計算してもいいです。計算が面倒に
    なるだけで、1対1対応できればよい、という基本ルールに違反したわけではない。

注意 「実数と有理数において、無限の密度では同じである」と、ここだけは背理法必要。

よって
>拾い漏れであった
私が書いた方法(=カントールの方法)で、どこでどう考えたら数え落しが生じるのか、そこが知りたい....
明らかに、有理数全部拾っています。

>もしこの背理法が 間違いであったなら大きな問題になるのか・ならないのか。
う~ん、なんで、こんなこと聞くの?
大きな問題になるに決まっています。そして、数学者(=その疑問に対し正しく判定できる能力を持つ者)の判定は、
カントールは正しい でしょ?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ >拾い漏れであった
★ そう思うなら、拾い漏れ漏れが無いような方法を示してください。
☆ きびしいツッコミですね。理数に弱い者をつかまえて。



☆☆ >言いかえるなら 初めに《すべての数を並べることが出来た》とする仮定が おか
しかった。
★ すべての数ってどのような数のことですか?
▲ 仮定から、この表には0以上1未満の実数がすべて並べられているはずです。
☆ というときの《すべて》です。


★ ・すべての「有理数数」を並べることが出来た、でも、それでは無理数が入っていない。
というのが対角線論法の骨子です。
☆ ええっ そうなんですか? 対角線論法で操作しつくった数が リストに入っていない
と証明したのでは?

★ あと、元HPは、有理数を並べることができる、と、意味不明部分で背理法使っています
が、この部分が背理法使わないで正面撃破する方法があります。
☆ ただでも ややこしいのに またまた面倒な問題を持ち出すのですかぁ。

★ ~~~~~~~~~
以下のように並べます。
1.ゼロから1の間だけ並べれば有理数全部を並べたことと同義である、という証明をまず
行う。
  
2.ゼロから1の間の有理数を以下の順に並べる。そしてそれを小数表現する。
  1/1 1/2 1/2 1/3 2/3 3/1 1/4 2/4 3/4....
  
注意 「実数と有理数において、無限の密度では同じである」と、ここだけは背理法必要。

よって
>拾い漏れであった
私が書いた方法(=カントールの方法)で、どこでどう考えたら数え落しが生じるのか、そ
こが知りたい....
明らかに、有理数全部拾っています。
~~~~~~~
☆ いやぁ 分かんないんですけど わたしの物言いは 要は こうです。

0から1の間の特に無理数をぜんぶ拾い上げ番号づけが出来たと仮定するのでしょ?
だったら あとで 少数点以下にどんな数字が来る数を持って来ても すでにリストアップ
出来ている・・・ということでなくちゃ 話になんない。のでは? というお話です。


☆☆ >もしこの背理法が 間違いであったなら大きな問題になるのか・ならないのか。
★ 大きな問題になるに決まっています。

お礼日時:2018/11/04 13:15

よっ、ブラブラまだ生きてたんか。

最近になって久々に「教えて」に帰ってきてみたら、まだブラブラがブラブラしてるじゃんて思った。ブラブラには「助けない、教えない、関わらない」ってな例の三原則で来たんだが、危険を承知で一つ教えれあげよう。

この世の学問で数学には、他の学問が持っていない特異な特徴があるんじゃよ。それは、「数学は、それがまとも人間だったら、根気さえあれば必ず理解できる」ってな驚くべき学問じゃ。それ以外の学問は、根気だけじゃ理解ができない。頭(ハードウエア)の良さや、経験から得られた洞察力(ソフトウエア)の良さや、神憑りがなくちゃ理解ができないんじゃ。なっ、数学って不思議な学問じゃろ。

んで、ブラブラは対角線論法による証明がおかしいなんて言ってる。要するに、ブラブラは数学で証明されたことが理解できないちってるんだ。ちゅうことはブラブラはまともな人間でないか、あるいは根気がないっていうことの証明になっているっちゅうことが証明されたわけだ。
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この回答へのお礼

1984

お礼日時:2018/11/04 08:25

時間は線で数直線で表現できるとして


線を見る方向を変えてみると無機化
点になりますよね。

線は一次元なのに
見る観察者の位置を変えると
零時限人利増すよね。

これ思いついて時間は不思議な棚とか

涙で剃れどころではないです。
きつお。
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そう, 仮定がおかしかった. それだけ.

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

▼ (ヰキぺ:カントールの対角線論法) ~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3 …

(カントールのたいかくせんろんぽう)は、数学における証明テクニック
(背理法)の一つ。

1891年にゲオルク・カントールによって非可算濃度を持つ集合の存在を示
した論文の中で用いられたのが最初だとされている。

その後対角線論法は、数学基礎論や計算機科学において写像やアルゴリズ
ム等が存在しない事を示す為の代表的な手法の一つとなり、例えばゲーデ
ルの不完全性定理、停止性問題の決定不能性、時間階層定理といった重要
な定理の証明で使われている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ とのことです。その数学の具体的な内容は じつはわたしには分から
ないのですが もしこの背理法が 間違いであったなら 大きな問題にな
るのか・ならないのか。

といったことが 思われます。

お礼日時:2018/11/03 03:25

蚊取りシンゴが対角線論法なのでh層化。

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a)理由
b)原因

それぞれを説明して下さい。




IOI
HXH
NSZ

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科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮説は、経験から得られた科学的な仮説ではありません。

たとえ世界が消滅する場合にも、その消滅速度が速かろうが遅かろうが連続的に消滅するというのが、貴方が生きていた経験から得られる科学的事実です。ですから、貴方が死んでも貴方がそれまで生きてきた世界はしばく存在しつづけるというのが科学から得られる結論です。

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科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮...続きを読む

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その性質の反応、作用、相互作用で出来ている。自我(自己)を中心として主体化した性質の秩序立った反応、学習、思考によって

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と言う事です。

ここから言える事はデカルトから実存主義までの「我」は実はどのようなエネルギー、物質の持つ質量も持つ「性質」がその正体だった

と言う事です。分かりやすく言うと 酸素分子の持つ性質も精神を構成する性質の一つと言う事である。

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これはまだ存在性理論のほんの入り口ですが 後、進化論の普遍性やエントロピーの増大・安定・減少を論じ存在性と言う性質の働き

を論じて行かなければなりません。それを書いた、やや長いHPが此処にあります↓

http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuniko37/

これをざっと読んで間違っているところを指摘して下さい。何処に間違えがあるでしょうか?

存在性理論と言うのは所謂「存在」と言うものが「どの様にして存在しているのか」を明らかにした理論です

それを語るにはまず「存在とは何か」と言う事を問いかけねばなりません。

私は今の学界、哲学界が「存在」とは何だと説明しているのか知りません。何故ならその定義は学者によって違うし

余りに難しく説明する人が多いからです。

存在と言う言葉が今どのように使われているか そこから考えて行きましょう。

一つの流れは人間存在中心主義。我思うに我ありから実存主義などに至る「我れ」の...続きを読む

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https://www.youtube.com/watch?v=xGficZ-CAUI&list=PL1yfjZppO7NRfKzVKmFYNz7Tc6icO26jQ&index=2

色々分かりました、ハルさんのことも。

私もこの歌は好きです。アグネスは本当に心を込めて歌っているように思います。
だから、この詩は彼女の本心でもあるのでしょう。彼女は純粋で頭のいい人だと思
います。ただ、正直言うと、あんまり好きなタイプではありませんでした(笑)。

彼女のことを偽善者扱いしている人達がいることを知っています。
また、山本伸一の詩がいくつか提供されているということからも、創価学会と中国
韓国あるいは北朝鮮との特別な関係を指摘する声がネット上でたくさんあることも
もちろん知っています。

確たる根拠のない連想ゲーム的邪推であると私は思います。新興宗教が金儲け以外
の目的があるわけがないという固定観念の上に立った連想的思考ですね。

何事もキチンと認識しないといけないとつくづく思う今日この頃です。アグネスに
対する私の認識もある種の固定観念に囚われていたようです。何故そう思ったかと
言えばよく知らないで評価していたことが分かったからです。

ハルさんが主張する、平和、人権、極めて大切であるにもかかわらず、人々は何故か
その正確な認識に戸惑っているように思えてなりませんでした。様々な思惑が社会に
渦巻いているからだと思います。

人類の平和と幸福の為に、その一点においては少なくとも連帯すべきです。そのため
にも、つまらない固定観念は一つづつ捨てていかなくてはいけませんね。

https://www.youtube.com/watch?v=xGficZ-CAUI&list=PL1yfjZppO7NRfKzVKmFYNz7Tc6icO26jQ&index=2

色々分かりました、ハルさんのことも。

私もこの歌は好きです。アグネスは本当に心を込めて歌っているように思います。
だから、この詩は彼女の本心でもあるのでしょう。彼女は純粋で頭のいい人だと思
います。ただ、正直言うと、あんまり好きなタイプではありませんでした(笑)。

彼女のことを偽善者扱いしている人達がいることを知っています。
また、山本伸一の詩がいくつか提供されているということからも、...続きを読む

Q努力は報われるというのが実感しにくい原因は「時間」の存在ですか?

人生では時間が有限だから、努力は報われるというのが実感しにくいのではと、ふと思いました。
それとも他の理由があるのでしょうか。


大体、高校・大学入試、就職、友達作り、結婚、出世など時間が限られているので何かしらを諦めなければならないのでしょうか。
私の場合は趣味が向いていないというようなことを人から言われましたが、何年も努力して勉強して人並近くに上達しました。これは、趣味だから期限がありませんでした。仕事であれば何年も人を待たせることは出来ません。

Aベストアンサー

努力が結実していないのだと思う
時間も必要だが方法論が大切

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>ケ・セラ・セラと言っていてよい確率は ふつうの人間のけんかだとか社
会的対立の場合に 50%を超えるのですか? それとも もっと少ない
のですか?
あるいは ケースバイケースの多様性があり過ぎますか?

質問の意味が、もう一つしっくりと判らないんだけど、ケ・セラ・セラ(What will be, will be、なるようになる)から来る、私の反応を書いておきます。

我々が複雑な構造と言うときにその言葉で表されているものに、その出現の根拠が全く違った2種類のものがある。その一つは、精密で巨大な振り子時計や昔のゼンマイ仕掛けの腕時計(ルビーの石が入っていて、何ルビーの腕時計なんて言ってたあの懐かしい腕時計)の内部や、からくり人形の内部のような複雑な機械の構造。もう一つは、生物の体の内部の複雑な構造だ。

この二つの間の決定的な違いは、時計など前者の構造の出現には、まずそれが何故作られたかの目的が前もって与えられており、さらにその目的を追考するために、その機械の外部にある者が目的や設計図に沿って作り出された複雑な構造であるのに対して、後者には、そんな目的もそれを作る外部の者も、そして前もって与えられたシナリオもなく、外界のと成り行きに任せて、擦った揉んだしながら、すなわちケ・セラ・セラってな具合に自発的に発生した複雑な構造だ。この成り行き任せで自発的に創出された複雑な構造のことを物理学では「散逸構造」って呼んでいる。

前者と後者の際立った違いは、前者は外部からのいろいろな障害や状況の変化に大変脆いのに対して、後者はそれらに対して頑強な抵抗力があることだ。何故なら、後者は外部との予期せぬ(従って確率的に起こる制御不可能な)いろいろな状況との相互作用で、成り行きに任せながらケ・セラ・セラてな具合に収まるところに収まるようにして、自発的に出来上がってくる。ケ・セラ・セラとその状態に留まっているのが(少なくとも局所的に)一番安定していることが理由で出来上がってきた構造だから、その状態を外部の者が無理やりズラしてしまっても、再びその安定状態に自発的に戻ってしまう。すなわち、自己修復の機構を持っているんだ。さらに、元々その構造が何のためにそこにあったのかなんてな目的が始めから無いんで、なんとなくそんな目的でも有ったつもりでいたのに、状況が変わって、その目的がなんだかわからなくなってしまっても意に介せずに存在し続けられる。ところが、前者には自己修復の機構もなく、また状況が変わって目的がなくなったら存在している意味すらなくなってしまうから、外部からのいろいろな障害や状況の変化に対して大変脆いんだ。

んで、さらに制御不可能な環境から、どのような仕掛けでそんな複雑で無目的な構造が自発的に創出できるのか、その条件は何かってな問題が当然浮かび上がってくる。それには3つあって、1)開放系であること、2)非線形効果が無視できなくなってしまうぐらい熱平衡状態から十分離れている「非平衡状態」にいること、3)一旦偶然に出来上がった構造を破壊するように制御不可能な形で外部から飛び込んできた要素をいつまでも覚えているんじゃなくて、その要素を「散逸」させて忘れさせてしあう仕掛けがあること、この3つだ。

あたしゃ、この文脈で「非平衡」って言葉使っているんで、ブラブラさんのこの言葉の用法とは違っているいみたいだね。

この3つの条件の中で数学的に一番面白いのは2)の非線形性だ。でも、物理的にもっと面白いのは3)だ。情報の散逸が起こるということは時間の向きの対称性が破れているってことだ。さらにその現象を数学的な方程式で書く場合、決定論的な微分方程式ではなくて、確率変数の従う非決定論的確率論的微分方程式になってしまう。だから、この宇宙って決定論的にできているのか、それとも非決定論的にできているのかという、物理学の最も基本的な問題に絡むからだ。

要するにケ・セラ・セラってえのは、神様がいるのかいないのかってな問題に絡み出す。だから、ケ・セラ・セラで出来てくる複雑な構造という最も本質的な部分を強調して「散逸構造」って名付けられたんだ。ここでの会話の成り行きだったら、「ケ・セラ・セラ構造」って呼んでも良いね。

今回は、ブラブラさんが、あたしの得意なケ・セラ・セラってな言葉を的を射て使ってたんで、今回はあんたを揶揄うのをやめて、あたしからぬ真面目な反応をしたんだ。いつもと違って、気持ち悪かっただろう。

>ケ・セラ・セラと言っていてよい確率は ふつうの人間のけんかだとか社
会的対立の場合に 50%を超えるのですか? それとも もっと少ない
のですか?
あるいは ケースバイケースの多様性があり過ぎますか?

質問の意味が、もう一つしっくりと判らないんだけど、ケ・セラ・セラ(What will be, will be、なるようになる)から来る、私の反応を書いておきます。

我々が複雑な構造と言うときにその言葉で表されているものに、その出現の根拠が全く違った2種類のものがある。その一つは、精密で巨大な振り...続きを読む

Q"アホはほっとけ"は正しいか

どうなんでしょう。

Aベストアンサー

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かった気になり、自己満足を優先させる。万能じゃない部分でしょう。

どこまでも、目の前のアホのような奴は、自分とは異なる存在の「他者」であると覚れば、ある程度ほっとけるのではないですか。

相手はいずれ成るように成るもので、何を掴むか、受け取らないかは己がやらなきゃ自分の意味にならない。
他人がどうこうする領域じゃないと知っていれば。

お互いに具体的な言葉にするほど自他の異なりが露わになるでしょう。
同じようで違う、違うようで同じ、というのを確認します。
そうした体験すれば作用にも気づきます。
自分の方法は増えるのですが、人間は頭では体験を超えられません。
冷静に相手の立場に立って出来るものなど取るに足らない小ささに思います。
大人?日本人?は関係を怖れている?みたいに見えます。


ある人に悩みを言ってもらい、何人かで聴きます。
それを後で皆で検討してみると、問題点、課題はほぼ同じ意見ですが、その人をどう思うか、感想を具体的にすると其々です。
相手ではなく、自分というものがそこに出てきます。

相手の立場に立つとは、
人間というものや個人を理解した上でやれる力量かもしれないですね。

余談ですがカウンセリングや相談をインターネットの文字の世界でやれると考える人と反対する人がいるんです。
文字では情報が不十分ですからね。

言い合いをしたり、食い違っても、そういう二人が向き合った体験は後に信頼の間柄になれるものでもあるという実感はありますが、使いわけていますね。

言い合いは悪い結果になると思い込んで、ほっとく、避ける一般の人が多いかもしれないです。

ほっとくの意味一つ取っても、自他は違うんですよね。

相手の立場に立ったつもりで言い、その人をよく知らない第三者からすると正論のようですが、肝心のアホにとってありがた迷惑であったりします。

気遣いができるアホは、無理解な正論にお礼を言うかもしれません。
でも、ほっとけない人が、アホを理解しているとは限りません。
ボランティアと同じです。
自分がしたくてするのか、相手の為なのか、自意識の深めがどの程度かです。


人間というものは、相手の立場に立ったつもりが立てていない時、相手はこころを開かない。

すれ違いながらもお互い辻褄を合わせ、共有した時間に意味を感じることで穴を埋め、その代償行為に気づかず、意味を後付けする生き物です。
その時を穏便に済ませるのですが、そういうときは、後から自分に違和感が出るものなのです。

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かっ...続きを読む

Q思考と言語

思考に言語を使うことのデメリットを挙げて下さい

Aベストアンサー

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を捉え、それに従ってそれなりに合理的に思索し合理的に振舞っています。それが空間的論理です。この場合、自分の置かれた環境や状況や事象を瞬時に全体として捉え、物事が収まるべきところに収まっているかどうかで、その全体の整合性を認識します。事実、絵画にも立派な論理があり、思索が表現されているのですが、それは決して、山が木立や東屋を導き、その木立が月を導き、、、というようには把握されず、そてぞれの各点が収まるよころに収まっているかどうかでその合理性の深みを理解しようとします。また、人間も多くの動物も言語以外に、ボディー・ラングエッジでも意思疎通をしていますが、これはどちらかというと空間的論理の把握と言えるでしょう。

その点、音楽にある合理性は時系列としての合理性であり、言語による合理性の把握に親和性があります。ただし、音楽や言語やその一種である数学が時系列的であるとは言っても、決してその流れは一方的だけではありません。我々は、現在目の前にある音や単語ばかりでなく、その音や単語より以前に出た音や単語との関連、すなわち時間相関を思い描きながらその作品を観賞し、また、この先の未来に出てくるであろう音や単語を、過去の時間相関を参考にしながら予測して、ある意味時間を超えた同時発生的な把握でその作品を観賞しています。そしてこの時系列的な相関の距離が長いほど、我々は思考が深まったと考えているようです。

もちろん空間的論理の把握にも、空間における各点をバラバラに捉えているのではなくて、各点の間の空間的相関を認識し、その空間相関の距離が長いほど、その空間的論理の合理性に深みがあると考えているようです。

この時系列的思索と空間的思索の存在は古代から認識されており、例えばそれが仏教における顕教と密教の違いとして認識されております。すなわち、顕教の本質は、この世の真理なるものを文章に顕に書き下すことができる。すなわち、時系列的な論理だけで表現が可能であるという立場です。だから、先人たちの名著をとことん読んで咀嚼すれば、この世の真理が解るようになるという主張です。ところが、密教では、この世の真理なるものには言葉という時系列的な論理では表現しきれないものもある。そして、それを掌握するためには、それを掌握した師の唾を浴び、迫力やオーラを浴びなくてはならないという立場です。さらに密教では曼荼羅を重視しますが、これもこの世界を掌握するには時系列的な言語だけでは不完全で、絵画的空間的論理による認識も必要であるという主張です。私は物理学者ですが、自分の師と巡り会うまでは、物理学も顕教の世界だと思っておりました。しかし、その師の唾を浴びているうちに、物理学の多大な部分が密教の世界であることに気づかされました。

さらに、テレビドラマでもわかるように日本人の数倍もおしゃべりなアメリカ人の意思疎通の内の90%ほどが、言葉でなく、先ほど触れたボディー・ラングエッジによっている、という研究結果が出ているそうです。考えてみればそれは驚くことではありません。実際、人間が言葉を使い出す前の数百万年もの間、人間はボディー・ラングエッジだけで意思疎通をしてきたのですから。例えば、馬も集団生活をしており、馬の間のボディー・ラングエッジが高度に発達しています。私の住むテキサスで小さな牧場を持っているある日本女性がこの馬のボディー・ラングエッジの重要性に気づき、それを人間の母子間に取り入れて、頭でっかちでない自然な子育てに使う運動を起こし、そこで訓練を受けた多くの母親が育っています。

このように、我々が世界を認識するとき時系列的でなく、空間的な掌握法が圧倒的に巨大な領域を占めているのです。ところが、言葉だけで論じられている哲学を学んでいる連中では、時系列的な論理だけが合理的な論理であると誤解して、世界の圧倒的な部分を認識できなくなっているようです。これが思考に言語を使うことの最大の欠点でしょう。この連中はこの巨大な世界を認識できないので、ある意味可哀想な連中です。

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を...続きを読む


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