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  《無限集合にはその大きさの大小があるということ》

 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか?
 なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。

▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~
  http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164 …

 2.神の証明
 (その後半部分)

 ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。

 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。

 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、

  0.17643567……
  0.23482435……
  0.62346286……

 ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。

  1⇔0.17643567……
  2⇔0.23482435……
  3⇔0.62346286……

 ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。

 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。

 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。

 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。
 ~~~~~~~~

 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか?

 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか?

 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか?

 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?

A 回答 (63件中1~10件)

そのサラリーマンの説明が、勇み足なのでしょう。



(c)=(d)なのです。リストアップされると仮定する事と、自然数と1対1対応できると仮定する事は、同じ事なのです。
したがって、Q3、Q4は、問いとして不成立なのです。

なお、ご質問とは関わりなく、自然数も当然に無限です。
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この回答へのお礼

 おーるどしょーさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 確認させてください。
 ★ (c)=(d)なのです。リストアップされると仮定する事と、自然数と1対1対応できると仮定する事は、同じ事なのです。
 ☆ ということは ( e )のように対角線上の一つひとつの数を拾い上げるというときにも その拾い上げ作業じたいが 延々と限りなくおこなわれる。と考えてよいのですね。

 したがって( f )のようにあらたな数を勝手につくるその作業も やはり延々とつづいて限りがない。と。

 よって
 ★ したがって、Q3、Q4は、問いとして不成立なのです。
 ☆ と。


 ありがとうございます。

 なお
 ▲ ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。
 ☆ におけるこの

 《無限集合にはその大きさの大小があるということ》

 なる命題じたいは 成立するということでしょうか。いまのこの証明は《勇み足》ではあるが カントールの定理は 真なのですね。
 ありがとうございました。

 
   

お礼日時:2012/10/20 23:20

こんばんはです。



ここで言っているのは、無限にはいくつかの種類があるということです。自然数の無限よりも、無理数の無限の方がランク・階層、無限の度合い、数学の用語で言うと《濃度》が上だということです。無限にもいろいろな種類があるということなんです。

ご紹介のサイトの説明(証明)よくないです。全然、駄目です。《無理数の小数点以下の各々勝手に数字を変えます》というところが駄目です。具体的にどのように並べ替えたのか、その方法を示さないと駄目です。
説明、弱ったな~。


☆☆☆☆☆☆
~~~~~~
 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか?
~~~~~~
リストアップできません。
できるとすると、リストアップされた無理数は、それに1、2、3…という番号を割り当てることができる。そう仮定すると。。。。という意味です。つまり、この証明は背理法を使っているのです。



~~~~~
【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか?
~~~~~
自然数の集合{ 1、2、3、…}は無限(集合)です。




~~~~~
【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか?
~~~~~
(当然、無理数の集合ですのですが。。。。)
ただ、0.133……を並べ替えてつくった0.245……の小数点1位の数字「2」は1ではない。小数点2位の数字「4」も2ではない。3位は「5」も3ではない。。。。
0.245……に対応する自然数の番号をもつ無理数ががない。
だから、無理数をリストアップし、自然数の番号を割り当てられると仮定したことが間違っている。
無理数には、自然数の番号を当てて割り当てることができない。
無理数の集合は、自然数の集合よりも、個数が多い。
というわけです。

Wikipediaのカントールの対角線論法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3% …
の説明も難しいですね。

なので、
中村秀吉 パラドクス 中公新書
などのカントールの対角線論法の説明がいいのではと思います。


要するに、無理数の集合の要素、一つ一つに自然数の番号を割り当てられるかどうかということなんです。で、割り当てられない。だから、無理数の無限の度合いは、自然数や整数、有理数の無限の度合いが大きいというわけです。
なお、自然数の番号を当てられる集合を、番号を与えることができるということで、可付番集合とよび、無理数のように与えられない集合を可付番でない集合と呼びます。そして、無限の度合い・濃度は、それこそ無限にあります。
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この回答へのお礼

 ねむりねこさん すみません。ご回答をありがとうございます。

 ★ 要するに、無理数の集合の要素、一つ一つに自然数の番号を割り当てられるかどうかということなんです。
 ☆ ですね。

 ★ で、割り当てられない。
 ☆ これの証明は 次ですね。

 ★ ~~~~
 (あ) ただ、0.133……を並べ替えてつくった0.245……の小数点1位の数字「2」は1ではない。小数点2位の数字「4」も2ではない。3位は「5」も3ではない。。。。
 (い) 0.245……に対応する自然数の番号をもつ無理数ががない。
 (う) だから、無理数をリストアップし、自然数の番号を割り当てられると仮定したことが間違っている。
 (え) 無理数には、自然数の番号を当てて割り当てることができない。
 (お) 無理数の集合は、自然数の集合よりも、個数が多い。
 というわけです。
 ~~~~~~~
 ☆ (い)が分かりません。
 ★ 0.245……に対応する自然数の番号をもつ無理数がない。
 ☆ と言われても それはまだリストアップしていなかっただけではないのでしょうか?
 あるいは言いかえれば ( c )で《(0と1の間の) ≫すべての≪ 無理数がただ1つの列にリストアップされている》というそのリストにすでに この《0.245……》なる無理数は 入っているはずではないのですか?
 
 もしこのウタガイが間違っていなければ (う)も分からなくなりますし (え)(お)にもみちびかれない。すなわち
 ★ だから、無理数の無限の度合いは、自然数や整数、有理数の無限の度合いが大きいというわけです。
 ☆ という結論が分かりがたくなります。



 ★ 無理数のように与えられない集合を可付番でない集合と呼びます。
 ☆ これは番号をつけられないというよりは どこまでリストアップしても限りなくつづくゆえにという意味ではないのでしょうか? 言いかえると 自然数によって 1,2,3,・・・と順番に限りなく番号をつけて行けるというようにも思われるのですが どうしてそうではないのでしょう?




 すみません。よろしかったら おしえてください。
 けっきょく《無限》における《濃度》なんていうのが どうしてあるのか。これが 分かりませんが そこまで行かないとしても 上に書き出しました疑問についておしえていただければさいわいです。

お礼日時:2012/10/21 00:11

若干の食い違いがありますね。



Q3、Q4は、リストアップがなされていたとしたときに成立すると、私は見ました。

カントールの対角線論法の核心は、自然数と1対1対応ができたとする仮定は成立しない、というものです。できたと仮定すると、その仮定に反する物があると示す事ができると言う事です。その示し方は、そのサラリーマンは間違っていません。ただもっと厳密な表現が可能ですけれども。

自然数と1対1対応ができたとする仮定するならば、d、e、fの方法でその1対1に対応しない数が作られる、故にその仮定は成立しない。
ということで、作業が延々と続くという事ではありません。原理的にそのように対応しない数は作り得ると言う事ですから。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ Q3、Q4は、リストアップがなされていたとしたときに成立すると、私は見ました。
 ☆ リストアップが成されたということは 限りなく列挙されて行くというかたちで 成され得るということではないのですか?


 ★ カントールの対角線論法の核心は、自然数と1対1対応ができたとする仮定は成立しない、というものです。
 ☆ あぁ。そういふうに説明されると わかりやすいと思います。
 でもそのように対応が出来ないのは ただ無理数が限りなくつづいて行くからという理由だけではないのでしょうか? 無限に対応させて行くというかたちはあり得るのではないでしょうか?

 でも
 ★ ということで、作業が延々と続くという事ではありません。原理的にそのように対応しない数は作り得ると言う事ですから。
 ☆ ですか。

 ★ できたと仮定すると、その仮定に反する物があると示す事ができると言う事です。その示し方は、そのサラリーマンは間違っていません。ただもっと厳密な表現が可能ですけれども。
 ★ 自然数と1対1対応ができたとする仮定するならば、d、e、fの方法でその1対1に対応しない数が作られる、故にその仮定は成立しない。
 ☆ その方向において 受け取って留保します。
 ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/21 00:18

【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか?



???
書いてあることを素直に読むことです
>>>
( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、

  0.17643567……
  0.23482435……
  0.62346286……

<<<
「仮定する」ということは、たとえ不可能であったとしても、そのように「仮定する」わけです。もし、そう「仮定したことで不都合が証明された」なら、「仮定自体が誤っていた」というように結論されるという背理法を用いているに過ぎません。「リストアップされている」と仮定するということは、ここでは「可能無限」はもちいていません。「実無限」を用いるということをも「(ZF公理を用いると)仮定」しているわけです。

(以下、同様です。)


対角線論法と実無限、および選択公理との関係については、下記に詳しい記述があります。

真の哲学体系を求めて Ver.2 
横井直高
http://swansong3478.web.fc2.com/index.html

第3章  真の第一原理を求めて
第6節
自然数より多い実数の集合
http://swansong3478.web.fc2.com/002300mugennsuun …

第7節
カントールの実無限という考え方
http://swansong3478.web.fc2.com/002400kanntoruno …

第8節
ペアノの公理とZFの公理の違い
http://swansong3478.web.fc2.com/002500jitumugenn …

第9節
実数の大きさの誤りやすい証明法
http://swansong3478.web.fc2.com/002600jissuutoha …

第10節
対角線論法とは何か
http://swansong3478.web.fc2.com/002700taikakusen …

第11節
対角線論法の裸の姿
http://swansong3478.web.fc2.com/002800taikakusen …
ここまでで、一段落しています。第12節は横井直高氏の哲学観(感)について記述があります。

また、「無限の濃度」については、ポアンカレの「科学と仮説」(岩波文庫)等参考にされるとよろしいかと存じます。

wikiであれば
「連続体濃度」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A% …
「濃度(数学)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%83%E5%BA%A6_ …

また、上述の横井直高氏の記述中にでてくる「選択公理」についてはwikiにも記述があります。
「選択公理」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E6%8A%9E% …
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この回答へのお礼

 じねんさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~
 ( c ) 「仮定する」ということは、たとえ不可能であったとしても、そのように「仮定する」わけです。もし、そう「仮定したことで不都合が証明された」なら、「仮定自体が誤っていた」というように結論されるという背理法を用いているに過ぎません。
 ~~~~
 ☆ あぁ。そういうかたちですか。それとして分かりました。

 ★ 「リストアップされている」と仮定するということは、ここでは「可能無限」はもちいていません。
 ☆ ここは よく分かりません。
 無理数の数は けっきょく限りなくあるというその中身は 《可能無限》だと考えるのですが 違いましょうか?

 ★ 「実無限」を用いるということをも「(ZF公理を用いると)仮定」しているわけです。
 ☆ たぶん 経験事象としての数――つまりここでは 無理数――に《実無限》をあてはめるのは いくら何でもおかしいと思うのですが まづはしたがいます。《仮定する》というわけですから。


 これで分かったというわけには行きませんが あとの参考資料は 時間をかけてまなびます。
 ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/21 00:27

あっ、ごめんなさい。


No2の回答を、訂正。

【誤り】ただ、0.133……を並べ替えてつくった0.245……の小数点1位の数字「2」は1ではない。小数点2位の数字「4」も2ではない。3位は「5」も3ではない。。。。

【訂正】ただ、0.133……を並べ替えてつくった0.245……は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い。。。。

です。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。


 ( f )および( g )の前半までの箇所にあたると思います。
 了解しました。

お礼日時:2012/10/21 00:20

No.4です。


>>>
第11節
対角線論法の裸の姿
http://swansong3478.web.fc2.com/002800taikakusen
ここまでで、一段落しています。第12節は横井直高氏の哲学観(感)について記述があります。
<<<
として、紹介を打ち切ってしまいましたが、第13節以降に続きがあります。

続きの部分は「哲学するサラリーマン」
http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164 …
での、「3.可能無限と実無限」内の記述に重なります。
>>>
2.神の証明
 落合仁司の『〈神〉の証明』(講談社現代新書)という本は、この「人間と神」「有限と無限」という問題を考える際に、極めてユニークな視点を提供してくれます。以下、その内容を要約します。
(中略)

カントールの集合論は、無限についていくつかの驚くべき結論を導き出しましたが、ここでの文脈にとって重要なのは次の2つの定理です。1つは無限集合においては部分と全体の濃度が等しいケースがありうること、2つは無限集合にはその大きさの大小があるということです。
(中略、ここでの文章は「落合仁司の『〈神〉の証明』(講談社現代新書)」の範疇であることに注意。したがって、疑問を「哲学するサラリーマン」氏に向けられること自体がおかしいでしょう。。。)

3.可能無限と実無限
(中略)
現に、神の証明に利用されたカントールの集合論にしても、さまざまな問題点が指摘されてきました。例えばすべての集合の集合を考えると、必然的に矛盾が生じてしまうことが、カントール自身によって確認されていますし、その他にも、ラッセルのパラドックスなどの存在も知られています。そしてこのようなパラドックスを回避しようとヒルベルトらによって企てられた公理的集合論の構築の試みが、ゲーデルの不完全性定理によって最終的に達成不可能であることが証明されてしまったことは周知の事実です。この集合論の崩壊は、すべて無限集合を完結した実体としてとらえることによって必然的に引き起こされてしまうものなのです。
(後略)
<<<
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この回答へのお礼

 つづいてです。

 ★ 疑問を「哲学するサラリーマン」氏に向けられること自体がおかしいでしょう。。。)
 ☆ そのサイトに記述されている文章の内容について 検証してくださいという問いです。著者に疑問を向けたというのは 少し違います。
 (そういうかたちで 受け取られてしまいがちだとしたら あくまで表題のようにその主題について問うものだと申し述べておきたいと思います)。




 ★ 現に、神の証明に利用されたカントールの集合論にしても、さまざまな問題点が指摘されてきました。
 ☆ それでは 《神の証明》という議論は 成り立っていないということでしょうか?
 つまり カントールの集合論を利用した証明は 無意味ということでしょうか? 
 無意味なものを この質問の前身の質問において 回答として提出されたのでしょうか?

お礼日時:2012/10/21 00:34

こちらの方が判りやすいかも知れません。


「中学生でも十分フォローできるような内容」になるようにしたとのことです。
http://kurt.scitec.kobe-u.ac.jp/~fuchino/chubu/i …
数学の中の無限— 無限の中の数学*1
渕野昌(Saka´e Fuchino)
2005 年4 月26 日

対角線論法と濃度(アレフ)についてはp.14の定理3以降にあります。
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この回答へのお礼

 つづいてです。


 考えてみれば
 
 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。

 ということで この《(0と1の間の)すべての無理数》というのは いくら無理数と言えども 0と1とのあいだにおさまるとすれば 有限の数になるのでしょうか?
 
 でも 0と1のあいだに 限りなく無理数はならぶのでしょうか?

お礼日時:2012/10/21 00:43

作り変えた無理数の少数○○位のの数字が、リストアップされたどの無理数とも少数○○位の数字が必ず異なっているからです。


カントールの対角線論法を使うと、そのように作り変えることができるんです。

口で説明するの面倒だから、証明しちゃいます。

【証明】
たとえば、無理数に自然数の番号が与えらると仮定して
a(1) = 0.b(1,1)b(1,2)b(1,3)…
a(2) = 0.b(2,1)b(2,2)b(2,3)…
a(3) = 0.b(3,1)b(3,2)b(3,3)…



  ここで、b(n,m)はa(n)のm桁目の数字
b = 0.b(1)b(2)b(3)…
 b(n) = 1  (a(n,n) ≠ 1のとき)
 b(n) = 2  (a(n,n) = 1のとき)
とする。
bは無理数だから、リストアップされたあるa(n)と等しくならなければならない。
でも、bとa(n)はn桁目が必ず異なっている。
bと等しいa(n)は存在しない。
無理数をリストアップし、自然数を割り当てられると仮定したことが間違っている。
無理数の集合は、自然数の集合よりも個数が多い、数学でいうところの濃度が大きい。
というのが、証明の一例です。

対角線の数字を操作する。だから、カントールの対角線論法というわけです。
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この回答へのお礼

 ねむりねこさん ご説明をありがとうございます。


 例によって小学生質問です。

 ★ ~~~~
 bは無理数だから、リストアップされたあるa(n)と等しくならなければならない。
 でも、bとa(n)はn桁目が必ず異なっている。
 bと等しいa(n)は存在しない。
 ~~~~~~
 ☆ この《 b と a(n) は n 桁目が必ず異なっている》ところの b に対してすでに初めに a(n) または a(n') を対応させてリストアップしたはずなのではないでしょうか?

 自然数 a は有限ではないのですから。

お礼日時:2012/10/21 01:23

>>> No.6 お礼欄


★ 現に、神の証明に利用されたカントールの集合論にしても、さまざまな問題点が指摘されてきました。
 ☆ それでは 《神の証明》という議論は 成り立っていないということでしょうか?
 つまり カントールの集合論を利用した証明は 無意味ということでしょうか? 
 無意味なものを この質問の前身の質問において 回答として提出されたのでしょうか?
<<<

いいえ、2重の意味で勘違いをされておられます。

1.前身の質問にて「哲学するサラリーマン」氏のサイトを引用したのは、「実無限・可能無限」という概念に対して「肯定神学・否定神学」を比喩的に表そうとしただけです。「実無限」---「平行線定理ありき」--- 「肯定神学」という結びつきについて触れているので引用しただけです。
「神の存在証明」については、「無限」を扱っていた様々な方々が行おうとして(ある意味)失敗しています。ゲーデルもその一人で、「結論を事前に信じている人にとってのみ、論理的なものになるだろう」といった内容とのことです。「ゲーデルの哲学」・不完全性定理と神の存在論、高橋昌一郎著、講談社現代新書、p.219。まさに「肯定神学」を地でいっているようなものです。

2.上記のことと、数学基礎理論の発展史とは無関係です。
体系と矛盾(パラドックス)と、数学理論との関係については、「ゲーデルの不完全性定理」とも深く関係するところです。

詳しくは
wikiであれば
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC% …

本であれば、
ゲーデルと20世紀の論理学3 不完全性定理と算術の体系
田中 一之 編
ISBN978-4-13-064097-8, 発売日:2007年03月上旬, 判型:A5, 264頁
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-064097-8.html

ゲーデル「不完全性定理」、林晋、八杉満利子 訳、岩波文庫

等を参照されるといいでしょう。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ いいえ、2重の意味で勘違いをされておられます。 
 ☆ でしたら この質問は すでにそのときの前身の質問から切り離して 趣旨説明欄での記述にのみしたがって問うこととします。

お礼日時:2012/10/21 01:44

>>> No.7 お礼欄


考えてみれば
 
 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。

 ということで この《(0と1の間の)すべての無理数》というのは いくら無理数と言えども 0と1とのあいだにおさまるとすれば 有限の数になるのでしょうか?
 
 でも 0と1のあいだに 限りなく無理数はならぶのでしょうか?
<<<

「○○、でも、○○、でも、○○、」と、無限に続くかもしれないですね(笑)

「仮定します」と書いてある以上、仮定しているわけです。
「無理」にでも「0と1のあいだに 限りなく無理数はならぶ」と仮定しているわけです。

まさに「実無限を仮定している」わけです。

No.4でリンクしている
第7節
カントールの実無限という考え方
http://swansong3478.web.fc2.com/002400kanntoruno …
を参照してください。
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この回答へのお礼

 ご説明をありがとうございます。

 たぶん 《仮定する》と言うところは おっしゃるとおりと思います。

 ただ そのことが
 ★ まさに「実無限を仮定している」わけです。
 ☆ というところは 分かりません。むしろここに《実無限》を持ち出すということが理解できません。
 有限の場に実無限がおさまるとは とても思えません。

お礼日時:2012/10/21 01:57
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