マンガでよめる痔のこと・薬のこと

「聞いて頂き支えて下さりました。」って
日本語おかしいですか??

質問者からの補足コメント

  • 聞いて下さり支えて頂きました。と
    どっちがいいですか??

      補足日時:2018/11/28 23:10

A 回答 (4件)

>聞いて下さり支えて頂きました。



おそらく、こちらのほうが自然かと。

悩みを聞いてくださり、支えていただきました。

といった文が思い浮かびました。
「聞く」というのは、相手による具体的且つ積極的行為なので尊敬語である「くださる」が適している。
「支える」のは、どちらかというと、結果的にあなたが支えられるという状態になった、というイメージ。
あなたが恩恵を受けたという意味で謙譲語である「いただく」が適している。
    • good
    • 0

「下さり」を使うのであれば、「聞いて」「支えて」は内容的に同列なので、統一した方がいいと思います。

「下さり」「頂き」と変える理由が特に無いので違和感はあります。

「聞いて下さり、支えて下さりました。」
    • good
    • 0

聞いて頂けましたか。


聞いて下さいましたか。
でしょうでしょうか。

丁寧にしようとするところはわかるのですが。。
    • good
    • 0

この前がわからないですが、「聞く」「支える」が少しくどい感じがしました。


「支える」1つに「聞く」があると思うので、「支える」ところのみでも良いかと。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「頂戴」という日本語は大人の人が使っても大丈夫なのでしょうか

日本語を勉強中の中国人です。「頂戴」という言葉は子ども用語でしょうか。大人の人が使っても大丈夫なのでしょうか。たとえば、「あったら頂戴」とか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「頂戴」には二通りの使い方があるようです。

1 「頂戴」で言い切る。例:「〇〇を頂戴」。「~して頂戴」
2 「する」を付ける。例:「お代金、確かに頂戴いたしました」

1の用法は話し手を選びそうです。
2はフォーマルな響きがあります。


美川憲一 「お金をちょうだい」

https://www.youtube.com/watch?v=N4tpN_qN0vE

Qこれは日本語で何という意味ですか?わかる方みえますか?

これは日本語で何という意味ですか?わかる方みえますか?

Aベストアンサー

読み方オッパー
慕っている年上男性に対して女性が呼ぶいい方。
お兄ちゃんといった意味。

Q雪が降っている時の擬音って何ですか?

雪が降っている時の擬音って何ですか?

Aベストアンサー

しんしん

Q「ややこしい」という日本語の使い方について

日本語を勉強中の中国人です。「ややこしい」という日本語はよくない言葉でしょうか^ - ^;今日日本の出張者に『よく「ややこしい」という日本語も知っていますね』と言われました。なんだかよくない日本語を覚えてしまったような感じがします。

使うシチュエーションとしては、会社のビルの入館時に、パスポートを受付に見せて入館カードを配布してくれるシステムとなっております。私が階下へ迎えにいった時にそのルールを出張者の方に説明したときに使いました。その手続きのことを言う時に、「複雑ですね」、「面倒ですね」、「煩雑ですね」のような言葉のほうがきれいでしょうか。正直に言って「ややこしい」という日本語はどのような時に使うものなのかまだよく把握できておりません。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

失礼とか品が無いというのではなく、単にネガティヴな評価の意味があるので、使うには注意が必要だと思います。例えば「嫌い」「イヤ」「駄目」といった言葉は否定的な評価なので、乱用すると他人は聞いていてあまり気持ちいいものではありません。また、いい大人はあまり親しくない相手の前でこういった言葉は避けます。それと同じです。
日本では会話において根本的にそういう意識があります。

「ややこしい」「面倒臭い」「わかりにくい」といった表現は直接的過ぎるダメ出しになってしまうので、「ちょっと難しい」とかおっしゃるような「複雑」といった言葉を使うといいですが、ただ、目上や特に丁寧に扱わなくてはならない相手の前では、こういった「物事を否定する」発言自体を避けた方がいいということもあります。(目上が「難しいね」等と言った場合に同調するなら可。)
それと、どうしても否定的な評価をしなければならない時に「ちょっと」「あんまり」「そんなに」といった言葉を頭に置くのも、よくやる表現です。例えば「ちょっと違う」「あんまり良くない」「そんなに美味しくない」など。否定的にも見える表現には大抵こういった言葉を置いて意味を和らげるのが定番です。

失礼とか品が無いというのではなく、単にネガティヴな評価の意味があるので、使うには注意が必要だと思います。例えば「嫌い」「イヤ」「駄目」といった言葉は否定的な評価なので、乱用すると他人は聞いていてあまり気持ちいいものではありません。また、いい大人はあまり親しくない相手の前でこういった言葉は避けます。それと同じです。
日本では会話において根本的にそういう意識があります。

「ややこしい」「面倒臭い」「わかりにくい」といった表現は直接的過ぎるダメ出しになってしまうので、「ちょっと難...続きを読む

Q~ています ~ていません の使い方

なんどもすみません。
2日前に、質問しました件の続きです。

I asked if I wanted to say
"I did not steal it" in Japanese, how would I say that.

Most of the answers, I have got, told me to say
”私はそれを盗んではいません” or "私はそれを盗んでいません"

When I started to learn Japanese, I was taught that the verb TE IMASU and TE IMASEN
is similar to the progressive form, I mean ”私は食べていません I am not eating”
”彼は飲んでいます He is drinking" and so on.

So turning back to the question, even if I want to say about something that happened in the past, "I did not steal it" is it correct to say ”私はそれを盗んではいません” or "私はそれを盗んでいません"? And why the progressive form is used here?

Native speakers, thank you for your attention.

なんどもすみません。
2日前に、質問しました件の続きです。

I asked if I wanted to say
"I did not steal it" in Japanese, how would I say that.

Most of the answers, I have got, told me to say
”私はそれを盗んではいません” or "私はそれを盗んでいません"

When I started to learn Japanese, I was taught that the verb TE IMASU and TE IMASEN
is similar to the progressive form, I mean ”私は食べていません I am not eating”
”彼は飲んでいます He is drinking" and so on.

So...続きを読む

Aベストアンサー

#3です。

>Thank you for so many examples for explaining. So is it the same if I say "I am married"? "私は結婚しています"。It doesn't mean I am getting married right now, it means that I had this experience in past and until nowadays the result of that experience remains. Is it correct?

はい、正しいです。

「結婚しています」 ≠ [I am getting married right now.]
The meaning ⇒「結婚 marry 」is not a verb that express state.
「結婚 marry 」is a verb that express movement.

「結婚しています」= [ I had this experience in past and until nowadays the result of that experience remains.]
is correct.

#3です。

>Thank you for so many examples for explaining. So is it the same if I say "I am married"? "私は結婚しています"。It doesn't mean I am getting married right now, it means that I had this experience in past and until nowadays the result of that experience remains. Is it correct?

はい、正しいです。

「結婚しています」 ≠ [I am getting married right now.]
The meaning ⇒「結婚 marry 」is not a verb that express state.
「結婚 marry 」is a verb that express movem...続きを読む

Q漢字は中国で発明されて、

漢字は中国で発明されて、中国語として使われて、後に朝鮮に渡って、日本人に漢字の書き方や読み方を教えたのは当時の朝鮮人ですか?回答をお願いします、

Aベストアンサー

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着した人も多いと思います。また、新羅による朝鮮半島統一の頃に大量の朝鮮人が移民として日本に流入して土着しており、日本史では渡来人と言う表現に変化しています。
これが、私の仮説で、根拠は以下のとおりです。

・現代日本の話し言葉と100年前の話し言葉はかなり違う。
・現代日本の話し言葉でも東北や鹿児島のお年寄りが方言で話している内容は、我々にはほとんど理解できない。
・中国語の文法は英語とほぼ同じであり、韓国語と日本語の文法もまたほとんど同じである。
・発音の特徴でみると、中国語と韓国では似たような発音もあるが日本語の発音は全く違っていて、日本語にはsとsh、rとLなどの発音の違いはない。
・古代中国の船は黄河や揚子江をさかのぼったり、渡河することが主な目的のため、古代ヨーロッパのような外洋船の造船技術や航海技術は有していなかった。
・このことから、古代における中国と日本の航海ルートは朝鮮半島経由のルートしかなく、他のルートについては漂着レベルである。
・古代における朝鮮半島と日本の航海ルートは、壱岐・対馬経由で、昼間の見通し航海が通常の方法。
・663年の白村江の戦いにより、日本と朝鮮半島との国交が途絶え、これ以後の遣唐使は、東シナ海経由による中国と日本の直接ルートになったが、遭難確率が異常に上昇する。
・また、日本に外洋船の造船技術や航海技術がないことが遣唐使の廃止に繋がり、遣唐使廃止により中国との公式な国交も途絶え、これ以後、日本語は独自の発展を遂げる。
・日本語による漢詩読破技術として、一、二点やレ点が生まれており、平安時代には漢字一文字を日本語の五十音にあてはめることにより、ひらがなが出来上がり、漢字かな混じり文の確立により日本語が飛躍的に進化する。
・李氏朝鮮時代の1446年にハングル文字が出来上がったことで、韓国は漢字を捨てハングル文字になっているが、これは全ての文章をひらがな文字のみにしているのと同じこと。現代日本人には到底考えられないことです。
・漢字は世界的に見て、非常に不思議な文字であり、日本人は漢字による多大な恩恵を受けています。それは、漢字を見ると意味だけではなくイメージすることができる。いわゆる漢字脳が出来上がっています。

以上長くなりましたが、とってもとっても素敵な質問、ありがとうございました。

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着し...続きを読む

Q「息子に生まれた」というのはどう意味ですか。

『夜だけは僕を靜かにする。

僕は夜はダイアモンドを截り

僕のピンに嵌めようとしてゐる。

多角形に截つたダイアモンドを。

それもつまり考へて見れば、

氣違ひの息子に生まれたからだらう。』

最後の文章はどういう意味がありますか。「息子に生まれた」の「に」はどんな機能がありますか。語り手が「氣違ひの息子」として生まれたということですか。それとも、この文章は語り手の息子についてでしょうか。先の「ダイアモンド」のことは「氣違ひの息子」が生まれるに際してされたという状態ですか。「考へて見れば、」の 目的語はこの「ダイアモンド」のことですか。「ダイアモンドのことを考へて見れば」という意味ですか。

ありがとうございます。

Aベストアンサー

「僕は夜はダイアモンドを截り」で正しいんですか。これでも意味は通らないことはないけど。
「気遣ひの息子」とは、あまりにも他人に対して気遣いをしすぎる息子として生まれついてしまった。だから、いつも夜になるとダイヤモンドをカットして、ネクタイピンに貼り付けようとしている。息子とは自らのことです。
 なんとなく、壮大な比喩で自分の生き方を表現しようとしています。芥川の詩作の続ですね。

Q「良さそう」を「良さげ」と言うのはずっとどこかの方言だと思ってたんだけど、標準語なんですか?最近よく

「良さそう」を「良さげ」と言うのはずっとどこかの方言だと思ってたんだけど、標準語なんですか?最近よく聞くので。(自分は東京です。)

Aベストアンサー

辞書には「関東方言」として「…そう」の意、と出ています。

Qわたしは日本語を勉強していますが、日本人と喋りたいです。

わたしは日本語を勉強していますが、日本人と喋りたいです。

Aベストアンサー

その場合はどう言ったらいいでしょうか?」←色々あるので 代表的な例としては「私の友達になって下さいませんか?」等ですね・・

状況や親近感等で 少し変わるが・・・

Q「良かったです」「素晴らしいです」はもう世の中に認められたのでしょうか。

「歌わないです」について、間違った文だという質問が出ています。
(回答しようとしたらこの人からブロックされています。どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。仕方なく、質問の形で話に加わります)

 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。そこで登場したのが「素晴らしいです」です。ところがこれに対する賛成者は<少ないです>。
そして、それに加えて「過去形」までもが加わってきました。「素晴らしっかったです」「よかったです」「楽しかったです」。否定的な人々には、一層違和感が加わりました。ではどう言えばいいのか。「素晴らしゅうございました」「楽しゅうございました」
 いくら何でも、そんな古めかしい言い方に戻れるものかという否定派は今もあります。ところがここでまた、「素晴らしかったです」「よかったです」を、「素晴らしかったでしょう」「良かったでしょう」と、「う」をつければスラスラ通じてしまいます。こんな話がこのサイトでも続けられてきました。
 さて、今度の質問は「歌わないです」が間違っているという話。これが、「美しくないです」だったらどうなるのでしょう。「歌わない」の「ない」は打消の助動詞。「美しくない」の「ない」は形容詞。「形容詞」+「です」は間違いという人がいても不思議ではありませんが、「助動詞(ない)」+「です」はあっても、また不思議ではない。(「ません」が普通ですが)
 皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。

「歌わないです」について、間違った文だという質問が出ています。
(回答しようとしたらこの人からブロックされています。どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。仕方なく、質問の形で話に加わります)

 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。そこで登場したの...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやすく、私も勉強になりました。(私は、意味がほぼ同じで活用などが同じなら、品詞をごちゃごちゃ議論することもないだろう、という怠惰な考えだったので、あまりまじめに考えたことがありませんでした。要は、同じ語形が「多少」違った使い方をされるだけで、「基本的な」ところは一緒だろう、と思っているのです。)

皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。
これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。私はずっとそう考えてきました。
今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。

かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

上に書いたとおり、「です(1)」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。
   学生 だ/です   まじめ だ/です

それに対して、「です(2)」のほうは、「だ」とは対立しません。
   美しいです (×美しいだ)
この「です(2)」は、「断定」の機能を持たず、「美しい」という、すでに「断定」の機能を持った言い切りの形に「丁寧さ」を加えているだけです。つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。(動詞文の「ます」に対応します)

また、「です(1)」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。
   学生でした   紅葉の名所でしたら、例えば、、、
(「でしょう」を活用形とは考えません。「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。)

それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
   ×美しいでした (美しかったです)  ×美しいでしたら (美しかったら)

(ここで、「美しいなら」の「なら」を、「だ」の活用と見るか、という問題も関係するかもしれませんが、まあ、これは「なら」をどう考えるかという、もっと複雑な問題になります。私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。)

ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。(国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。)

これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。

ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。

で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。

「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、
   学生/まじめ です(断定+丁寧)
「形容詞+です」の「です(2)」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、
   美しい(断定?)+です(丁寧)
という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。

「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。(単に私が知らないだけかも)
終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。
   美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など)
もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。
   (たぶん)美しいでしょう。
   (どうですか?)美しいでしょう?

これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。
「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。

以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
(さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。「文とは何か」ですから。)

この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

   「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。面白いです!」

などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。
(語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。」「ある?」など、ごくふつうのことです。単に「歩く。」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。)

なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす...続きを読む


人気Q&Aランキング