福岡およびその周辺には「原」を“はる”と読む地名が多いですよね。
「前原(まえばる)」「春日原(かすがばる)」「原町(はるまち)」など・・・。
これ(福岡近辺で“はる”と読ませることが多い)には歴史的に何か理由があるのでしょうか。
それとも、全国的に地名では“はる”と読むことが多いのでしょうか。
お暇な時でよいので、ご意見をお聞かせください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

 原を「ハル」「バル」と読むのは、chris_mさんのおっしゃる通り、朝鮮半島の影響です。

「ハル」・「バル」は、朝鮮語の「フレ」・「フル」・「ブル」の転訛で、「村落」・「村邑」を意味する言葉です。原っぱじゃありません(笑)。ですから、「原(ハル・バル)」のつくところは、かなり早くからひらけていたということになります。朝鮮語の「フレ」・「フル」・「ブル」を表記する際、原・振などの字を用いました。
 背振山地の背振は、セブリ→ソブル→ソフル→ソウルとなり、古代史にとって重要な土地と考えられています。また、奈良県天理市には、布留(フル)という地名が残っています。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

具体的な例まで教えていただいて分かりやすかったです。ありがとうございました!
背振も関係があったのですね。初めて知りました・・・。
とても勉強になりました。

お礼日時:2001/07/25 09:31

福岡は昔から、朝鮮半島のとの関係が深い土地ですよね。


それで、原を「はる」や濁って「ばる」と読むのも、
朝鮮半島(大陸)での読み方が伝わっていると、昔、
聞きました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
朝鮮半島の影響があったんですね。確かに昔から交易がありましたよね。
勉強になりました。
ありがとうございました!

お礼日時:2001/07/24 12:46

福岡と言うより九州全域ではないでしょうか?昔テレビドラマで「田原坂(たばるざか)=西南戦争のお話」ってありましたよね...。

九州の方言ではないかと思いますけどいかがでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
確かに「田原坂」という地名がありましたね・・・。
福岡・佐賀あたりに「はる」の地名が多いのは知っていましたが、その他の地域については分からなかったので、とりあえず「福岡とその周辺」としたのですが、九州全域に広まっている傾向なのでしょうか・・・。

お礼日時:2001/07/24 12:44

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q福岡地方の「原」について

福岡地方の地名は「原」の字を「はる」と読みますが、なぜ「はる」と読むようになったのでしょうか。
例:前原(まえばる)、原田(はるだ)など
また、佐賀県の中原町も(なかばる)と呼ぶようです。

Aベストアンサー

韓国語の影響のほかにもいろいろな説があるようです。下のHPに詳しく説明されています。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/t-maru/harubaru.htm

Q“~と”、“~だら”、“~なら”

“~と”、“~だら”、“~なら”の前にそれぞれ動詞の基本形と過去形を使って,条件を表すですが、この三つ助詞はどこは違うですか?
 日本語を勉強してる私に教えて下さい。

Aベストアンサー

まず助詞の前に来る動詞の形が
‘と’の前は動詞の基本形(現在終止形)
‘たら’の前は動詞の連用形(テ接続の連用形)
‘なら’の前は動詞の基本形、過去終止形になります。
基本的にはすべて条件、仮定を表します。
しかし、
学校に行くと、友達に会った。
学校に行ったら、友達に会った。
学校に行くなら、友達に会った。→友達に会える
学校に行ったなら、友達に会った。→友達に会ったのに
のように‘なら’の後ろには過去形がきません。(‘のに’が省略される場合を除く)これは‘なら’が 条件より仮定の意味が強いからです。
次に
学校に行くと、ご飯を食べなさい。(非文)
学校に行ったら、ご飯を食べなさい。行った後に食べろ
学校に行くなら、ご飯を食べなさい。行く前に食べろ
学校に行ったなら、ご飯を食べなさい。行った後に食べろ
‘と’の後ろには命令形がきません。たら、過去+ならの場合は前文の行動の後に後文の行動を命令し、基本形+ならの場合は前文の行動の前に後文の行動を命令します。‘と’は仮定よりも条件(時間的前提)の意味が強いからです。
 最後に
お金を入れると、ジュースが出てくる
お金を入れたら、ジュースが出てくる
お金を入れるなら、ジュースが出てくる
お金を入れたなら、ジュースが出てくる
は、すべて同じ意味と考えてもさしつかえありませんが、ニュアンスの違いがそれぞれの助詞の意味の違いによって感じられます。

まず助詞の前に来る動詞の形が
‘と’の前は動詞の基本形(現在終止形)
‘たら’の前は動詞の連用形(テ接続の連用形)
‘なら’の前は動詞の基本形、過去終止形になります。
基本的にはすべて条件、仮定を表します。
しかし、
学校に行くと、友達に会った。
学校に行ったら、友達に会った。
学校に行くなら、友達に会った。→友達に会える
学校に行ったなら、友達に会った。→友達に会ったのに
のように‘なら’の後ろには過去形がきません。(‘のに’が省略される場合を除く)これは‘なら’が 条件より仮定の意...続きを読む

Q京都市左京区上高野上荒蒔町の“上荒蒔町”って、なんて読むんですか?

京都市左京区上高野上荒蒔町の“上荒蒔町”って、なんて読むんですか?教えてください。もしかして、素直に読んだらいいのかもしれないですが・・・。

Aベストアンサー

「かみあらまきちょう」
ですね。
下記URLを参考のこと。

参考URL:http://mokuji.jp/yuubin/kyoto/kyoto/sakyo/kagyo.htm

Q“有給”と“有休”

有給休暇の省略は“有給”ですか?“有休”ですか?自信がある方が教えて下さい。

Aベストアンサー

有給(お給料の支払われる)+休暇(休み)ですので、
省略すると『有休』になると思います。

Q私の姪は漫画ばかり読んで小説やエッセイとかの本を読みません。漫画を読ん

私の姪は漫画ばかり読んで小説やエッセイとかの本を読みません。漫画を読んでいない時には携帯のゲームに夢中になっています。

私は小説やエッセイとかの本を読んでもらいたいと思うのですが、どうすれば読むようになるでしょうか。

姪からの携帯メールが来るのですが、それがまともな文章になっていません。主語と述語の関係があいまいだったり、起承転結の展開が出来ていないのです。

私は本を読まないことがそういうあいまいな文章しか書けないことと関係があるのではないかと思います。マンガもテレビも情報を知るうえでは役立ちますが、考える力を育むのはやはり本を読むことに限るのではないでしょうか。

本はそれを読むことによって頭の中で情景を構築し無ければなりませんが、マンガやテレビの場合は絵や映像によってその情景がすぐに視覚に飛び込んできます。それゆえにさほど思考能力は必要としません。深く考えることなく楽しめるのがマンガやテレビではないかと私は思います。だからこそ、子供がマンガを読むのを好むのも無理はないのではないかと思うのです。

今日では子供だけでなく大学生でもマンガを読むためか、何を考えているのかわからない大学生が少なくないそうです。

作文や小論文の添削指導を長年行って来たという樋口裕一氏はその著書で「(日本人の国語力が低下したその)理由はただひとつ。本を読まなくなったからです。」と言っています。

日本人の国語力がこのまま低下していった場合、それはまさに国の力を低下させることになります。それは産業の面でもしかり、政治の面でもしかりです。

欧米人が論理的思考能力に優れているのに比べると日本人は論理的に考えることが苦手だそうです。それは日本人がそういう訓練をしてこなかった、そういう教育を受けてこなかったことと関係するのではないでしょうか。

この論理的思考能力を鍛えるためにも本を読むことは必要なことだと私は思うのです。

私の姪は漫画ばかり読んで小説やエッセイとかの本を読みません。漫画を読んでいない時には携帯のゲームに夢中になっています。

私は小説やエッセイとかの本を読んでもらいたいと思うのですが、どうすれば読むようになるでしょうか。

姪からの携帯メールが来るのですが、それがまともな文章になっていません。主語と述語の関係があいまいだったり、起承転結の展開が出来ていないのです。

私は本を読まないことがそういうあいまいな文章しか書けないことと関係があるのではないかと思います。マンガもテレビも情...続きを読む

Aベストアンサー

確かに読書は大切だと思いますが、日本の国力低下にまで直接つながるかどうかは置いておきたいと思います。

私は単に今どきの子供の文章力や学力の低下は読書嫌いだけからくるものではないと思います。
一番の要因はゆとり教育です。最近やっと見直す方向で動き出しましたが。
ゆとりとは名ばかりで授業時間数を削らされた結果、その限られた時間数で定められた単元をこなすため、教師は時間短縮のための努力を強いられるようになりました。
今どきの授業風景を見ていると昔の子供に比べてノートをとるという行為が大変に減っている事に気付かされます。
読書によって培われるのは読む力であって書く力ではないのではと思います。
現にうちの息子は漫画も本も読みますが国語の成績、とくに作文の能力は非常につたないです。
私の時代には手が真っ黒になるほど漢字練習をさせられましたが、そのような宿題もほとんど出ません。
筆記具を使って文字を書く、ノートをとるという行為自体が非常に減っている世の中です。
私はその事のほうが文章力には影響しているように思えてなりません。
ノートのとれない大学生が増え、ノートの取り方から教えている大学の話題が出たのはもう10年も前のことです。
もちろん本は読まないより読んだ方が良いですが、それだけでは思考力や文章力の向上にはつながらないと実感しています。

実は私の夫は大変な読書家であり、本に携わる仕事をしています。書斎には小規模の図書館並みの蔵書がひしめいています。
ところがうちの子供達は本を読みません。まったくではないですが習慣として身についていません。
本好きな子にしようと物心つく前から絵本の読み聞かせ等もしてきました。
でもそれだけではダメでした。夫のDNAを受け継いでいるはずなのに?と不思議です。
しかし夫と血のつながりはない姪は大変な読書家で食事中まで本を手放さないような子です。
姪の母親は実用書くらいしか読まない非読書家で、特別意識して本を読ませようとはしてませんでした。
姪の国語力は確かに高いです。
我が家の蔵書をあてにして借りにくるのは姪ばかり。皮肉なものだなあと思います。

おたくの姪ごさんを読書家にしたいのなら、本好きのあなたが姪ごさんの喜びそうな本を推薦してあげたらいかがですか。
本の楽しさ、素晴らしさを語って聞かせてはいかがですか。
それが有効なのはあなたと姪ごさんの関係が非常に良好の場合に限ると思いますが。
その際は姪ごさんの好きなマンガとセットにして読ませたい本を一緒に渡してあげると良いと思います。
うちの夫はあらゆる本と同様にマンガも愛読します。マンガを否定する言葉を子供に発したことはありません。
それどころか進んで与えています。
「好きなものを読むのが一番だよ。夢中になる事が良いんだ。そのうち気が向けば本を読むようになる」と言うのです。

確かに読書は大切だと思いますが、日本の国力低下にまで直接つながるかどうかは置いておきたいと思います。

私は単に今どきの子供の文章力や学力の低下は読書嫌いだけからくるものではないと思います。
一番の要因はゆとり教育です。最近やっと見直す方向で動き出しましたが。
ゆとりとは名ばかりで授業時間数を削らされた結果、その限られた時間数で定められた単元をこなすため、教師は時間短縮のための努力を強いられるようになりました。
今どきの授業風景を見ていると昔の子供に比べてノートをとるという行為...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報