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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10916160.html

に関連して、じ と ぢ の発音は区別されていたのでしょうか。例えば万葉仮名では異なる文字が割り当てられていたとか。

A 回答 (8件)

区別されていたようです。

割り当てた漢字が異なります。
じ 自士仕慈盡貳兒爾珥耳茸餌時
ぢ 遲治地膩尼泥
https://japanknowledge.com/introduction/keyword. …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
万葉仮名の時代は区別されていたということですね。

お礼日時:2019/01/09 18:57

ジ・ヂ・ズ・ヅ の発音や音韻に関する日本語の言語現象について「四つ仮名」という呼び方をします。

Wikipedia のその項目にかなり詳しく解説されています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E3%81%A4 …

つまりさかのぼると4つとも区別されていて,次第にさまざまな統合が起きてきているという状況です。現在でも区別する方言はあるようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
よく分かりました。

お礼日時:2019/01/10 15:23

>万葉仮名の時代は区別されていたということですね。


そうとしか思えません。音韻についてはNo.4で触れました。ただ誤解してほしくないのは、概念としての音つまり音韻が異なっていても、実際の発声とどこまで関連して音声を規制したかはまた別の問題です。例えば「○」という音韻を実際発音するときは「○゛」だったかも知れませんし、「○半濁音」だったかもしれません。また独特の言語背景をもつ氏族間の文化闘争の気配も感じます。
母音の件も、古代の発声を特定することはなかなか困難であることの傍証に過ぎません、気に障る方がいらしたらお詫びします、他意はありません。万葉仮名自体、輸入時期や地域が異なるので常に同じ音であったか疑わしいとも思っています。ただ、割り当てられた漢字が同時代を通じて明らかに異なるのですから、音韻上も音声上もそれなりに識別できる時代もしばらくの間はあったと言うことではないでしょうか。
明治以降の仮名遣いは、基本的に公文書の表記の乱れを防ぐためのものですから、便宜上の役所的お仕着せなので、それはそういうものとして受け取ります。現代仮名遣いとして特に強引で不便なものとは思っていません。言語はもともと政治的なものです。音が仮名を決め、逆に仮名が音声を規制し統一性をもたらすので、その点に着目した明治政府の共通語政策や、よく言われる文字使用に関する政府通達とかは今日みごとに日本を統一国家たらしめています。
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No.6


回答者: daaa- 回答日時:2019/01/08 22:11

「ぢ」は「じ」と同じ発音であり、現代標準語では「ぢ」と「じ」を音の上で区別しない。現代仮名遣いでは例外を除いて「ぢ」で書かれてきたものをすべて「じ」で書く。例外として同音の連呼によって生じている場合(「ちぢむ」「ちぢれる」など)若しくは二語の連合によって生じている場合(「はなぢ」「そこぢから」など)には「ぢ」を用いることとされ、現代語の一般的意識では二語に分解しにくい語については「じ」を本則としつつ「ぢ」も可としている

No.4
回答者: daaa- 回答日時:2019/01/09 14:02

レコーダーもなく、調査範囲も限られる古代の発音は突き詰めると推測に過ぎません。先に回答したように明らかに別の万葉仮名が割り振られているということから考えると、音韻も区別されていた証拠です。


たった一日でこれほどまでに意見が豹変するとは、何等かの精神疾患を抱えているか、
サイト荒らしの意図で以って、質問者並びに回答者を愚弄している確信的愉快犯であるとしか考えられません。
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母国語ですら論理的な思考が不能な手合いが英語だの言語だのと、


おこがましいことこの上無いことすら分からないほどに悩乱し切っているようです。
日本語母音の発音に相違があることと、「じ」と「ち」の発音の相違性と何の関係があるのか。
しかも質問者はそんなことを尋ねてはいない。
度を越えた冷やかしだとしても、極めて質が悪いとしか言いようがありませんね。
バカにつける薬は無いとは、先人はよくぞ言ったものです。
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レコーダーもなく、調査範囲も限られる古代の発音は突き詰めると推測に過ぎません。

radio ですらラジオ、ラディオがあり、サザンふうの巻き舌の程度や鼻にかけるかかけないか、などでも発音は異なります。日本語には8つの母音があった、いや元は3つだったなど諸説が有り、議論は興味深いですが、今のところ収拾の目処は立ちません。
実際に口に出る音声とは別に、頭の中にある音の概念イメージを音韻と言います。このイメージに基づいて実際に喉や口舌を動かして発声に及ぶわけですが、この音韻に区別があれば仮名文字化するときに別の文字を割り当てることが出来ます。「あ」と「い」の2種類の仮名が必要なのは、この音韻が異なるからです。先に回答したように明らかに別の万葉仮名が割り振られているということから考えると、音韻も区別されていた証拠です。
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「ぢ」は「じ」と同じ発音であり、現代標準語では「ぢ」と「じ」を音の上で区別しない。


現代仮名遣いでは例外を除いて「ぢ」で書かれてきたものをすべて「じ」で書く。
例外として同音の連呼によって生じている場合(「ちぢむ」「ちぢれる」など)
若しくは二語の連合によって生じている場合(「はなぢ」「そこぢから」など)には「ぢ」を用いることとされ、
現代語の一般的意識では二語に分解しにくい語については「じ」を本則としつつ
「ぢ」も可としている(「世界中」など)。

有声歯茎硬口蓋摩擦音[ʑ]・有声歯茎硬口蓋破擦音[d͡ʑ]または国際音声記号では有声後部歯茎摩擦音[ʒ]
・有声後部歯茎破擦音[d͡ʒ]で記述される。
どちらかといえば[ʑ, d͡ʑ]が近く、[ʒ, d͡ʒ]で表される場合でも
英語のvisionなどの s や j とは異なっている。
濁音も「ち」同様、調音点が異なっている。
「だ、で、ど」と同じ調音点で発音すると/di/となる。
こちらも中世以降日本語から消えていた音であり、近代になって外来語等のなかで復活した
(現在「でぃ」「ディ」と表記される)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A2
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考 URL には、

> 江戸時代に入ると「ぢ」(/dʒi/)と「じ」(/ʒi/)の発音上の区別が失われ、仮名遣いの混乱を生じるようになった。

と書かれていますので、それまでは区別されていたということですね。

お礼日時:2019/01/09 19:02

「しじみ」「ちぢみ」


発音上は全く一緒であったはずです。
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かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

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それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
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ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
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これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
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ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
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以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
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この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

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なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす...続きを読む

Q突然ですが蓄膿の話をしてて、その流れで「膿」という漢字を「うみ」と私は読んでたのですが、母と奥さんは

突然ですが蓄膿の話をしてて、その流れで「膿」という漢字を「うみ」と私は読んでたのですが、母と奥さんは「のう」と読むこともある、と言います。
漢字一文字単独でです。

「のう」がね、、、とか言うんですが、私には不自然でなりません。なんのこと?ってなりませんか?

そんな読み方します??

今、親戚のおじさんも私と同じで、2対2なんです。

Aベストアンサー

私は「うみ」としか言いませんが、一文字だけで「のう」ということもあるようです。

>「この鼓膜を切ってね、中の膿(ノウ)をすっかり取って了(しま)うて」
https://kotobank.jp/word/%E8%86%BF-111804

>鼻咽腔の粘膜が発赤し、粘液や膿(のう)を伴う。
https://kotobank.jp/word/%E9%BC%BB%E5%92%BD%E8%85%94%E7%82%8E-1583222

>局所麻酔で切開して膿(ノウ=ウミのことです)を出してやれば劇的に痛みから解放されます。
https://www.mmjp.or.jp/nishisonogi-med/sickness41.html

>この乳搾りの人の膿(のう)を普通の人に植え付ければ、その人は天然痘にならないとかんがえたのです。
http://www.skmc.jp/anime/child/immune/immune_2.htm

お母様と奥様は医療関係者でしょうか?
それか病院などにかかった際に医師の言葉として聞かれたのか…。

Q12:00 PM は何時?

12:00 PM
は何時のことだと思いますか。
正午?深夜?

Aベストアンサー

私個人の感覚としては、
 12:00 PM → お昼の12時 
です。
これが「12:05 PM」であれば、午後の12時5分だから明らかにお昼なわけで、だとすると「12:00 PM」もお昼だと考えるのが自然だ、というのが私の感覚です。
他の方の回答にあるように法律でどうなっているかとか国立天文台の見解とか私も調べたことがありましたが、それはそれとして、私の感覚としては上記の通り「12:00 PM → お昼の12時」です。

でもそうすると、No.11さんの回答にあるように、つじつまの合わないことが起こります。
>針が回れば、1 PM と表示になると思います。
>この場合、12 PM から 1 PM に時が逆回転したことになってしまう。
>また、11 PM の次は 12 AM となるのでしょうね。

ただこれについては他にも例があります。
・12 PM から 1 PM に時が逆回転 → 平成30年度12月の次は平成30年度1月

・11 PM の次は 12 AM → 平成29年度3月の次は平成30年度4月

私の場合は、この年度と月の関係のように、午前午後と時刻の関係を別々にとらえているので、12 PM の次が 1 PMでも、11 PM の次が 12 AMでも、違和感はありません。
・12 PM の次が 1 PM
→12時の次が1時なのはそういうものだから。むしろ、12:05などが正午より後なのに12:05 AM とされる方に違和感。あるいは12:00だけがAMで、12:01以降がPMになる、というのでも違和感。
・11 PM の次は 12 AM
→11の次が12なのは何も問題無い。PMからAMに変わるのも、そこが切換えの境界なのだから問題無い。(「11PM」とひとまとめに捉えるのではなく、「11」と「PM」を別物として捉えている。)

私の場合はそんな感じです。


※蛇足
ただ、深夜1:00のことを25:00とする言い方もあって、だとすると冒頭で書いた「午後の12時5分だから明らかにお昼」も明らかではなくなりますね。「正午から12時間5分後」と考えると夜の12時5分になってしまいます。

私個人の感覚としては、
 12:00 PM → お昼の12時 
です。
これが「12:05 PM」であれば、午後の12時5分だから明らかにお昼なわけで、だとすると「12:00 PM」もお昼だと考えるのが自然だ、というのが私の感覚です。
他の方の回答にあるように法律でどうなっているかとか国立天文台の見解とか私も調べたことがありましたが、それはそれとして、私の感覚としては上記の通り「12:00 PM → お昼の12時」です。

でもそうすると、No.11さんの回答にあるように、つじつまの合わないことが起こります。
>針が回れ...続きを読む

Q「五月雨ですみません」という日本語について

日本語を勉強中の中国人です。「五月雨ですみません」という日本語についてお伺いいたします。この言葉はビジネスメールでよく使われるのでしょうか。ネットでも調べてみたのですが、正確は「五月雨式ですみません」となっているでしょうか。基本的には目上の方にも使える用語でしょうか。それとも同輩とそれ以下で使われるのでしょうか。

ある件について目上の方に何度もご連絡した場合、メールの冒頭に置くクッションの言葉としては、「五月雨ですみません」、「度々失礼いたします」、「何度もご連絡して申し訳ありません」などどれが好感を持つ言い方でしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

(「さみだれ」が少しずつ繰り返し降ることから)継続しないで、繰り返す行動などについていう。「さみだれスト」
 さみだれ(五月雨)が降るかと思えば降らなかったり、降らないと思うと急に降ったり、気まぐれなことを、人間の行動にたとえたものです。見方によっては相手への嫌がらせです。
 結論としては印象の悪いことですから、注意して用いてください。こちらのやり方が相手にとってあまり好ましくないことを、冗談のように表現したものです。

Q『教会の時計台が見える。』という文、主語は『時計台が』でしょうか。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10988196.html

この質問に私も回答したのですが、出された結論に誤りがあるかとも思われます。中学生が質問主だったのですが、私自身間違った回答をしたのかもしれません。その謝罪も兼ねて再度質問いたします。ご自由にご回答下さい。

Aベストアンサー

#9です。

>元の質問の中心である「主語」のことです。

可能用法と考えた場合は、『私は教会の時計台が見える。』だと思います。
もっとも、

『私は目が良いので、夜でも 教会の時計台が見える。』

という文を「見ることができる」という能力可能の意味に解釈できると考えた場合ですけどね。
大辞泉の語釈、
2 見ることができる。「猫は暗やみでも―・える」
を素直にと言いますか単純に信じるとそうなるかと。

Q国文法の助動詞と日本語教育文法の接辞と語尾について

国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)とされています。
ナ形容詞(国文法の形容動詞)の場合はいずれにしても語尾(スフィックス)ですが、
イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、語尾でしょうか。

Aベストアンサー

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

  丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法
  では何に位置付けられているのかを知りたいのです。

というところで、「丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思う」とありますが、ここも「繋辞ではなく」なのでしょうか。

大事な用語が違っていては、何が何だかわからなくなります。

ああ、もっと後の「コメント」で、

  この形容詞(イ形容詞)に用いられる「です」は形容詞(イ形容詞)の語尾(sufix,
  суффикс)なのか、繋辞(copulă, связка)なのかという質問です。

とありますね。「語尾(sufix」ということは、「語尾=接辞(suffix)」ですね。これではっきりしました。
しかし、この「です」はどう見ても、二つの名詞を「繋いで」はいないので、「繋辞」ではありえないでしょう。

井口厚夫の説明がわかりやすくていいですね。コピュラでなく、活用語尾とも言えない。形容詞普通体の、独立できる形にくっついているだけですから。
しいて分類するなら「接辞」でしょうか。

それにしても、

  いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。」の「です」を助動詞
  という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明
  をお願いします。

という最後のコメントは強烈ですね。

「どう教えるか」という観点から言えば、この「です」の品詞論・形態論的位置づけをごちゃごちゃ考える必要はない、でいいんじゃないですか。そんなことを学生に言う必要もないし、教師も悩む必要はない。
「形容詞の後について「丁寧」の意味を加える」、と言えば終わりです。

日本語学としてこの辺の形態論を教えるなら、何か適当なことを言わなければなりませんが、「日本語文法」での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。

そう言えば、初めの「日本語(教育)文法」とは何を指しているのか、という問いへのお答えはないのですね。まあ、いいですけど。

saburoo

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

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Q【が】についての質問です。 外国人の友人からこのような質問があり、答えられずに悩んでおります。 ☆質

【が】についての質問です。
外国人の友人からこのような質問があり、答えられずに悩んでおります。

☆質問
1.〔答えは、100円ですよ〕と〔100円が、答えですよ〕とは言えますが〔答えが、100円ですよ〕とは言えま…すか?
〔もし、次の標的が自分だったらどうしよう〕とかは言えますが、何ででしょう…?
【が】が使える理由についてご教示ください。

〔答えが100円ですよ〕
〔明日の天気が雨だったらどうしよう〕

Aベストアンサー

■1■
「〇〇が△△」は、△△という述部の主格が〇〇であることを示している。
つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。
「直接的な関係」なので、

【「〇〇が△△」は、あるひとつの状態を表したいとき に使う】

と定義することができる。

A.
〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何(円)が答えですか?
という設問に対応している。

B.
〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに使う。
・100円は何ですか?
という設問に対応している。

A と B はどちらもあり得るシチュエーションなので、どちらも間違ってはいません。
ただ、B のように「100円は何ですか?」と問われるようなシチュエーションは稀であるため不自然に感じられるだけです。
稀なシチュエーションとは、たとえば、
・100円を私にくれると言ったのですか?
・いえ違いますよ。〔答えが、100円ですよ〕と言ったのです。
といった会話の場合など。

■2■
「は」の基本的用法は「主題提示」です。
「〇〇は△△」は、〇〇という主題を提示した上で、それに関して△△であると述べている。
「〇〇についてコメントを述べる」という構造なので、

【「〇〇は△△」は、〇〇について△△という コメントを表明したいとき に使う】

C.
〔答えは、100円ですよ〕は、答えについて「それは100円だ、というコメント」を表明したいときに使う。
・「答え」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか?
という設問に対応している。

■3■
〔明日の天気が雨だったらどうしよう〕
〔明日の天気が雨〕(+条件)という構文。

「明日の天気が雨という状態であること」を表わしている。
・いつ(何日)が雨ですか?
という設問に対応している。

■4■
以下の比較がわかりやすいかも。

[ 桜がきれいだ ]
「桜がきれいという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何がきれいですか?
という設問に対応している。

[ 桜はきれいだ ]
桜について「それはきれいだ、というコメント」を表明したいときに使う。
・「桜」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか?
という設問に対応している。

因みに、以上で申し上げてきた「設問」は「暗黙的な設問」の場合も多い。
特に聞かれなくても、そういう設問があったという前提で答える形になる場合も多い、という意味です。
あくまで、構造をわかりやすくするために想定された「設問」、というふうに捉えていただければ。

■1■
「〇〇が△△」は、△△という述部の主格が〇〇であることを示している。
つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。
「直接的な関係」なので、

【「〇〇が△△」は、あるひとつの状態を表したいとき に使う】

と定義することができる。

A.
〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何(円)が答えですか?
という設問に対応している。

B.
〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに...続きを読む


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