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光明会発行の「人生の帰趣」440ページ(岩波文庫版では361ページ)から、神と人との関係を述べた文章を写し取ります。ちょっと長いですが、小学生にも読めて理解できるような文なので、すらすらと読めると思います。

火と炭との喩
『時は厳冬の寒さの極みなる頃に、座敷の隅の火鉢の中に火がカンカンと燃えてをる。そうすると誰人も寒さに耐えぬから遠慮なしに両手をその上にかざしてをると、自ずから全身が暖かになる様な気持ちがする。あの火鉢の中に真紅(まっか)な熱い火がいかがでしょう、まだ火鉢の中に入らぬ前、炭箱の中に真っ黒なそして冷たい炭で在りし折は、何人も顧みる者もなかった。

若し之に手を触れば意地悪に手に黒く染みつく。されば、誰にも嫌われる性質を持って居った。然るにそれが一旦、火鉢の中に入りて火と結婚して相互に抱擁して同体一心とも為った後には、不思議ではありませぬか、性格が丸で一変して忽ちにアノ真っ黒な面(かお)は変じて、春の弥生の桃の花よりももっと紅の色と為り、元は愛嬌のない冷たい炭が今度は非常な燃えつく様な愛嬌者と為りて、そしていかに高位な方にも、また卑賤な者にも分け隔てなく同じように暖めてやる。

されば何人もその温かなる愛嬌と同情とには引きつけられて、手をかざしてをるとそうすると不思議な事には、今までは蒼白な顔をして指先をかじけて居った人も忽ちに元気が復活して顔は紅(くれない)を催(もよほ)し、指は自由の働きを作(な)すやうに為る。また元は炭には冷水を沸かす力は無かった物が、今は冷水をも忽ちに沸湯(にえゆ)と化し飯をも有(あら)ゆる料理をも勇ましく煮あげる能力を持つやうになる。

さればこそすべての人に歓迎せらるゝ物となる。諸君(みなさん)よ、私共の胸の全部を占めてをる煩悩は炭である。直(じき)に腹を立てる、ネジクレル、ヒガム、取り越し苦労をする、また貪る、実に有(あら)ゆる弱点を持って居り、而して我れが我れがとガン張りてをる。自分が意地の悪い癖に若しも他人が自分に対して誉めもせぬとか、また親切にせぬと直に不足に想い、自分は他人に対しても毫(ごう)も親切や同情の暖かみのない冷たい私共の心の炭である。

若しも手を触れれば直に黒く染みつく如くに、私共は他人の悪い事を人に聞かせ悪影響を他人に染みつけようとする気分を持ってをる。実は私共の心は煩悩の自分勝手な仕方のない奴で在った。然(しか)るに私共の煩悩の炭に弥陀大悲の火が燃えつく時は忽ちに心が一変して心の色が紅蓮華の如くになる。

されば経に、念仏する者は人中(にんちゅう)の妙好人、最も美しき蓮華と誉めたまふ。念仏して弥陀の大悲が我らの胸中に燃えつく時は有りがたさと歓喜とがカンカンと燃えあがり、実に歓喜踊躍の状態と為りて燃ゆる心念の能力である。経に、この光に遭う者は三苦消滅し歓喜踊躍を得るは是である。また炭の働きにて、煮焼きの働きを為す如くに如来の恩寵に充たされ、感謝の念に動かされて日々の所作も勇ましく働けるようになる。

火より蒸気を発(おこ)して非常な力を為す如くに、弥陀の恩寵の火が我らが心念に燃えつゝある時は人格が一変する。身も心もすべての形気の悪質が霊化して如来の聖意(みむね)を自己の意(こころ)と為し、慈悲に同化し親切な心を以て他人に対し得らるゝやうになる。そうして見れば我らが煩悩の炭が有ればこそ如来の御慈悲が燃えつきて、如来の恩寵を現わす機会と為るものとすれば、我らが煩悩とて決して捨つべきものでなく唯、慈悲の光を得て慈光の燃ゆる心念と為ればよいと信じます。』

信仰生活ってたやすく無いですね。念仏なんて、なかなかできません。
でも、完全主義者ではないから少々ですが、それなりに努めているつもりです。

感想など聞かせてくれませんか。(これが質問!です)

A 回答 (11件中1~10件)

興味深く読ませていただきました。




聖書中に出てくる「燃える炭火を頭に積む」という表現と、「北風と太陽」というイソップ寓話を思い出しました。

最初のものは、敵を親切に扱うならば、燃える炭火を相手の頭の上に積んでいることになる、というものですが、この隠喩は、鉱石の上にも下にも炭火を置いて行った古代の精錬方法からとられています。

英国の学者チャールズ・ブリッジズは、こう記しているそうです。
「加工しにくい金属は、ただ火の上に置くだけでなく、燃える炭火をその上に積む、上下で挟む。どんなにかたくなな心も、辛抱や自己否定を伴う燃えるような愛という強い火力により、大概溶かされる。」

多少の違いはあれども、どちらも熱せられて良いものへと変化する、又は不純物から分離され、相手の中の好ましいものを取り出す…という点で共通点を見出しました。
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この回答へのお礼

想いを共有できたような気分です。

有り難うございました。

聖書も仏教も源泉は同じと思っています。

お礼日時:2019/02/25 08:27

ふゆがさむくないおきなわにすんでいるひとはひばちにあたってぬくまったりしないのでたとえがわからないとおもいます。

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この回答へのお礼

分かる人もいるかもしれません。
期待したい。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/26 19:34

神の本心って、難しそうですね」←いいえ・今までは難しく しなきゃ いけなかっただけ・・



神の本心は「親の愛」・・

たった これだけ・・・

けれど これを会得する為には 昔の修験者は滝行や断食 瞑想 ・等を しなきゃ いけなかった・・

今は その功徳が実った時代(仏教的に解釈すると・・)

なので 今の時代は簡単・・

でも 簡単なのに出来ないのは これが強制では無い為
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この回答へのお礼

人間は神の子。
神の子の親は神。

だから、
「親の愛」とは神の愛、即ち博愛と云う精神を指すのだなと、思いました。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/25 12:26

神の本心を知らせたいと云う気持ちは持たないのでしょうか」←小学生に東大の受験を受けさせる様なもの・・



落第するのが解ってて受験させる筈無いでしょ?

キチンと受験に受かる様に勉強させた後 受験させるでしょ?

浪人制では無い たった1度きりの受験なら 尚更・・

イエス当時は その様な状況にあった時代
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この回答へのお礼

神の本心って、難しそうですね。
私には無理なようなので諦めます。
やっぱり仏教の方が私には向いている様です。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/25 11:19

神は人間を罪人(つみびと)と捉えていて、懺悔を要求しているのではなかったですか」←罪人と言ったのはイエスです・・



イエスは人間であり 神ではありませ・・

世間に伝える事があるのに それを伝える事が困難な為 序章として「罪人」と言っただけです


何も知らない人達に 神の本心を話す事って 到底無理・・
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この回答へのお礼

神の本心を知らせたいと云う気持ちは持たないのでしょうか?

お礼日時:2019/02/25 08:30

ナミヱさんがおきなわにすんでいてこのしつもんをよんで

ってかえしてきたらわりとすっきりします。
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この回答へのお礼

ナミエさんは頭が良いので、そのように返して来るでしょうね。

もう、過去の人となってしまったのでしょうか?

お礼日時:2019/02/24 11:53

▲ (スッタニパータ:第一 蛇の章 1 蛇) ~~~~~~~~~~


http://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/suttani …

1  蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが
起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

2  池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断っ
てしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮
して旧い皮を捨て去るようなものである。

3  奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世
とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなも
のである。
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ というように 説法のひとつの方法として 類似性を用いるかたちです。

それとしての効果があるのでしょう。

そこまでの効果であるとも言えましょう。


ただし 何はともあれ あらゆるものごとは 言わば神からのメールである
というものです。
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この回答へのお礼

なるほど。

そこまでの効果である、と捉えるのですね。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/21 22:17

あったかいとこ、おきなわとかにすむといいとおもいます。

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この回答へのお礼

おきなわ。
いいですね。あったかそうで。
寒さに超弱いので、すみたいです。
ナミヱさんは今頃どうしているんでしょう。
気になります。
セクシーではないけど、だからでしょうかカッコいい!ですね。
引退は適時だったかと思っています。
中年太りが始まっていたから。
だから、ちょっぴり色っぽくなってきて。
バラード系で続けて欲しいと、今でも思っています。

有り難う!

お礼日時:2019/02/21 21:14

自力で生きろ、という事ですね」←いいえ・・



「、私共は他人の悪い事を人に聞かせ悪影響を他人に染みつけようとする気分を持ってをる。実は私共の心は煩悩の自分勝手な仕方のない奴で在った。然(しか)るに私共の煩悩の炭に弥陀大悲の火が燃えつく時は忽ちに心が一変して心の色が紅蓮華の如くになる。」←この部分・・だけを取り上げても 神は人間を悪だ 善だと決めていない・・

決めてるのは人間・・
仏教系では 神を知る事は困難を要する
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この回答へのお礼

神は人間を罪人(つみびと)と捉えていて、懺悔を要求しているのではなかったですか?

お礼日時:2019/02/21 18:25

神なんていないから何の感想も無い。


神なんて所詮人間が創造したもの。
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この回答へのお礼

不要な人もいる、と云う事ですね。

有り難うございました。

お礼日時:2019/02/21 18:02

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