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やはり、知恵のある人間はいても、
全ての面で賢い人間、全知全能な人間はいませんし、

また、男らしい人間、しっかりした人間はいても、
100%強い人間や完全無欠な人間はいませんね。


どんなに知識や知恵があって優秀な人に遭遇していても、
全知全能でない他人の事を何でもかんでも「知恵が無い(または足りない)」とか、「君、本当に賢いのかあ?」
とか謗ったり、

また、完全無欠でない他人の事を、何でもかんでも「男らしくない」だの情けない」だの「男のくせに」だのと謗ったりするのは、相変わらず流行ってるんですかね?

なら本当、困ったものですよね?

A 回答 (4件)

そしり、ののしり、は非建設的なものであり、問題解決には非友好的手段であることは万人が知ることです。



それが横行するということは、問題解決を目指しているのではなく、その他の欲求や不満を解決しようとして行われていると考えるべきです。 その原因は、往々にして謗る側の問題や未熟さに起因することが多いように思います。

そういう行為になれてしまうと、短絡的にそういう行動を起こすような思考回路が脳内に形成されてしまいます。 本当に、困ったものです。
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女々しい男と、雄々しい女は嫌いじゃ。



これは好き嫌いの問題じゃけ、どうしようもないのでごわす。
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リベルテさんの一連の質問を読んでいて、ある疑問を持ちました。

リベルトさんの質問は一貫して他人からの評価をどう解釈したら良いかという質問です。私の疑問と言うのは、どうして、リベルトさんは他人の評価にそこまで執拗に拘っているのかと言う疑問です。

他人の心の中や振る舞いをリベルトさんが制御することは不可能です。その不可能なことにどうしてそんなに拘っているのか、それが私には理解できないのです。

人間の性として、誰からも評価されない状態は耐えがたいことです。しかし、たった一人でも自分を認めてくれる人がいると言うことは、その人に最大級の幸せ感をもたらしてくれます。ですから、私は、他人の評価を全く無視せよと言っているのではありません。また、リベルトさんが多くの人から評価されるようになれと言っているのでもありません。

リベルトさんが接している人々の中で、リベルトさんがこの人と決めた人を選んで、その人から善と評価されるように努力をする。そして、それ以外の人からの評価は全く無視する。それなら、不特定多数の人から評価されるように努力するよりも遥かに簡単です。

リベルトさんも、この世にたった一人でも良いからその人を探して、その方から、リベルトさんがいてくれて良かったと言われるように、その方に尽くしてみたらどうですか。その方から、その言葉が聞けたとき、リベルトさんは至極の幸せ感を味わうことができます。他の人があなたをどう評価しようとも、そんなことに全く無関係に至極の幸せ感を味わえるのです。私の経験では、人間が幸せを感じることができるのは、他の方法がないようです。
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全知全能であったら人間ではない


この質問は病院でここには病人しかいないというようなものだ
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