プロが教えるわが家の防犯対策術!

不思議に思うのですが、ほとんどの私鉄は地下鉄に相互直通運転をしていますが、なぜ地下鉄に乗り入れをするのですか?

A 回答 (6件)

地下鉄に乗る乗客の便利さを考えているためにそのように乗り入れています。


わざわざ、私鉄から地下鉄へ乗り換えるのに、相当深くまで下がることを考えると、相互乗り入れすることで双方の利用客が増えることを考えています。

関西のほうでは、、私鉄同士で相互乗り入れしている会社もありますし、乗り入れしている会社には、車両を持たない鉄道会社も存在します。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

便利さを考えているのですね。
問題が解決しました、ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/29 17:21

私鉄が地下鉄に乗り入れるのは、主に東京ですね。

関西では阪急と近鉄だけです。

山手線内は法律で営団・都営の地下鉄の建設しか認められていないので、私鉄はごく一部の例外を除き山手線の外にターミナルがあります。
その代わりに私鉄と地下鉄を乗り入れさせることで、利便性を図っているわけです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/11/29 17:24

日本で私鉄ができる前に、東京では


山の手線の内側は国鉄、外側は
私鉄にするという決まりができていた
んです。
 
 その原則を五島さんという方が地下鉄
建設のときに破ってしまったんです。

 五島さんは、乗っ取りや五島などとも
言われ、東京にもう1つあった地下鉄の会社も
吸収し、山の手線の外側に延びる私鉄建設の
大半に手を出しているんです。
 五島さんは、現東急グループの創始者です。
東急電鉄は勿論、現小田急電鉄も作った人です。

 五島さんがなくなった後、山の手線の内側は
国有化しようとしたりして、その過程で鉄道
会社の分割が起こりましたが、地下鉄も
そこに繋がっている私鉄も、もとは
同族会社なんです。繋がっていてあたりまえ
なんです。

 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/11/29 17:25

No.3でapple-manさんが回答していることには間違いが見られます。



小田急を作った人は利光鶴松です。
まず、五島慶太は鉄道院の役人から現東急の前身である目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄の役員に就任しました。
その一方で、東京地下鉄(浅草~新橋)の乗っ取り、昭和17年には、国策の追い風を受け、京浜急行、小田急と合併し、東京急行電鉄を発足さました。
さらに昭和19年には京王を合併し、相模鉄道、江ノ電、箱根登山鉄道など、東京西南部全域の私鉄網を傘下に収め、大東急となりました。
戦後になって各社に分割され現在に至っています。

本題の乗り入れについてですが、大正時代に4社から山手線内地下鉄建設の免許申請と認可が出ましたが、着工できたのは東京地下鉄道(浅草~上野)だけで、他の3社は財政難などで免許失効してしまいました。
そこで東京市は、東京市の地下鉄建設は東京市が一元化する必要があると考え、内務省は結局東京地下鉄道以外の4路線の免許を東京市に交付しました。
しかし関東大震災復興に資金が必要で東京市はなかなか着工できず、結局免許を五島が経営する東京高速鉄道(渋谷~新橋)に譲渡してしまいました。
その後、無秩序な地下鉄建設を阻止するべく、「陸上交通事業調整法」が制定され、帝都高速度交通営団が設立されることとなりました。地下鉄は営団に、市内路面交通は東京市というすみ分けがなされました。上記の大東急もこれによって出来たものです。
戦争で地下鉄建設は中断しましたが、増えつづける乗客に対応すべく京急、東急、小田急、京王、東武、京成の各社は各ターミナルから都心への免許を申請しましたが、東京都も黙っているはずなく免許を申請しました。
申請路線が乱立しては収拾が着かないので運輸省は諮問機関「都市交通審議会」を作り、今後の地下鉄はこの審議会の答申を元に作られることとなりました。
審議会の判断により、東京の地下鉄事業は営団と東京都が行い、各私鉄はその地下鉄に直通するということが決定し、現在の相互直通運転が行われることとなりました。

長々と書いたので間違いもあるかと思いますがご了承ください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/11/29 17:26

おおむね、No.4 の方の回答でよろしいと思います。


法律で決まったということではなく、お役所の許認可の
問題ですから、都心に乗り入れてはいけなかったのではなく、
乗り入れを認めてもらえなかったのです。
それで、みんなで乗り入れはあきらめて、地下鉄に
乗り入れることにしましょう、と決まったのです。

現在の乗り入れも、その当時とは状況が変わったものも
あります。
たとえば都営三田線は、東急池上線と直通させる計画でしたが、
結局、断念して南北線の目蒲線(現・目黒線)乗り入れの
ルートに合流することになりました。反対側も東武東上線には
乗り入れなくなりました。
両者の乗り入れのために狭軌を採用したんですが、やっと
目黒線乗り入れで役に立つようになりましたね。

このように東京都心の地下鉄は、乗り入れを前提に
計画・建設されているのです。ですから、なぜ乗り入れを
するのかではなくて、乗り入れするために、戦後は
地下鉄を建設したのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/11/29 17:26

で、なぜ乗り入れさせる計画を作ったかは、国鉄(現JR)および、


乗換駅の混雑緩和を図り、都心へのアクセス路線の円滑な
建設を図るためですね。^^;;)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/11/29 17:25

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!