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歴史でリンカーン大統領の黒人奴隷解放の偉業を学びましたが、では、何故なの?と聞かれると全く分かりません。どうして解放するようになったのですか?

A 回答 (7件)

黒人も人間だから。

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アメリカ北部では工業が発展し、生産の流動性に応じた労働力を必要とした為、黒人を奴隷よりも労働者として雇用契約を交わした方が経営者としては都合が良くなって来たからです。



ただし、奴隷制は廃止したけど、人種差別は継続される事になりました。
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この回答へのお礼

なるほどですね。ありがとうございました。

お礼日時:2019/04/08 16:28

リンカーンは人道的見地から奴隷解放を主張したのではありません。

 米国で南部と対立していた北部出身のリンカーンは、従来南部を支援していた英国の南部支援を排除する必要がありました。 当時欧州では人道的見地からすでに奴隷制度は廃止されていました。よって、リンカーンを擁する北部が奴隷制度を廃止すると宣言することによって、英国に奴隷制度を存続させている南部への支援をできなくさせたのです。 奴隷解放はリンカーンの外交戦略であったため、南北戦争の後も米国での奴隷制度は廃止されませんでした。 リンカーン自身も知人への手紙に以下のように書いています。
「私は奴隷解放論者ではない。 しかし奴隷解放が合衆国のためになるなら、よろこんで奴隷を解放しよう。 逆に奴隷解放が合衆国のためにならないなら、奴隷制度を存続させよう。」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いまだに黒人に対する差別は残ったままですから、当時の環境で黒人を自由にさせるわけないですね。
白人の都合でしかないわけですね。

お礼日時:2019/04/08 17:28

奴隷とした黒人の為に、白人が血を流すはずが


ありません。

戦争を有利に進めるためです。
解放すれば、農場で多数の黒人を使っていた
南部は困りますが、
工業中心で黒人を使っていなかった
北部は困りません。


南北戦争ですが、生産力で圧倒していた
北軍が楽勝するはずでした。

しかし、南軍には優秀な将軍が多く、北軍は
苦戦します。

それで戦況を有利にすべく、奴隷解放宣言を出した
のです。

どうして有利になると見込んだのか。

1,奴隷解放により英仏などの支持が得られる。
2,南部の黒人が脱走したり、北軍に加入するように
 なる。

解放宣言をきっかけに、戦局は一気に
北軍に傾きます。
狙いが見事的中した訳です。
特に、英仏を中心としたヨーロッパが
北部の味方をしたのが大きかったと言われて
います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。分かりやすい解説助かります!

お礼日時:2019/04/08 17:30

追記。



どうしてヨーロッパが北部の味方をしたか
といえば、ヨーロッパでは既に奴隷制度
に対する非難が強かったからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。でも、どうしてヨーロッパでは奴隷制度がなくなったのですか? 人権派の白人が多かったのですか?

お礼日時:2019/04/08 17:32

産業構造の転換に対応した、


労働力の移動の為。
南部の土地に縛られていたら
北部の工場労働者が足りない為。

日本だって
1950年代後半から、
田舎(農業)から都会(工業)へ
ドンドン若い労働者が移動したでしょ?

僕の恋人、東京へ行っチッチィ~♪
上野は、オイラの心の駅だ~♪

みたいな感じ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。よく分かりました。南部の黒人奴隷は、どれほどいたのでしょうかね?そんなに多かったのですね。

お礼日時:2019/04/09 11:34

早くから風帆船を乗りこなしたイギリスは、海軍に奴隷はいませんでした。

ガレー船には、漕ぎ手の奴隷が必要でしたが、早くからイギリスには存在しません。そしてそんな国民がアメリカ大陸を開拓したので、元々奴隷に対する嫌悪感が有ったのです。

大農経営を発展させた南部諸州は、多くの人手を必要とし、奴隷商人から奴隷の供給を受けていました。イギリスでは、奴隷商人は「死刑」だったのですが、欧州の各国には、奴隷が実は長く存在したのです。太古の昔のギリシャや、ローマでも多くの奴隷が市民を支えてきました。

労働集約型の南部の農場は、奴隷無くしては経営が成り立たないと考え、南北戦争となりました。南部が民主党、北部が共和党と言うのも興味深いものがあります。戦争に勝利する事により奴隷を得ていたヨーロッパ大陸には、長い奴隷の歴史が存在し、それを真っ先に否定したのが、イギリスです。産業革命の伝搬の最も早い北米に奴隷禁止の考えが広まったのは、必然でしょう。

ただ、リンカーンの奴隷解放は、人種差別を含めた人権の回復ではなく、雇用契約上の解放で、彼の死により差別は有耶無耶となりました。それは南北戦争終結後の混乱を見れば良く分かります。その間の歴史は、余り諸外国に触れられたくないのは良く分かります。だから奴隷解放のみが脚光を浴び、突然の思い付きのように見えるのです。「人民の人民によ人民のため・・」の理念からは、リンカーンにとっては、黒人奴隷も人民だったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。リンカーン大統領へのリスペクトが飛んでしまいました。

お礼日時:2019/04/17 16:16

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