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心理学専攻の大学生です。

数学を専攻している他の学生から「心理学は学問とは思われない」と言われました。なんでも英語の授業のとき先生から「心理学は学問と言えない。君らの学ぶ電気や数学は立派な学問だ」と言われたそうです。

その人ももともと心理学には懐疑的だそうで「確かに、心理学にも科学的根拠があるように思えるが、こじつけが多いように思うのと最近は、「XX心理学」と細分し過ぎているのに、似たような内容が多い」
と言いました。

本当にそうなのでしょうか?心理学では「統計」も入っていますよね。それに学問は他の分野でもどんどん細分化していますよね。

心理学が好きで専攻しているのですが…。どうなのでしょう??

A 回答 (19件中1~10件)

心は量子力学的.


粒子的性質
波的性質
観測者に影響される
跳躍する
心理学の理論は反応現象の認識範囲を広げたが
心の本性はつかめていない.

そうした心理学的なアプローチ自体が心の本性の認識から遠ざけてしまう.

自分の心の本性を知らないものが,これは学問ですっていってもねぇ.
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私も心理学は学問とは思われないと思います.




心の性質を一番理解したのは仏陀だといわれている.

大体精神分析や心理学が目指す処のものっていったい何でしょうね.
私には,心の本性を理解することと反対の方向に進んでるように思えるが.
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#14です。



#16さんがきれいにまとめてくださいましたが、
私に対するご返答もいただいておりますので、
念のため、私の立場から補足させていただきます。

>(前略)しかしフロイトはやはり精神分析学の草分け的存在という一般に信じられている通念はなにゆえでしょう?

フロイトが精神分析の草分けであることは、
通念ではなく、事実です。それは誰も否定していません。
ただし、ご存知の通り、
フロイトは「心理学」の元祖ではありません。

>フロイトやユングが古いのならば、それこそ今の心理学が遅れている証拠ではないでしょうか。

フロイトやユングの研究が心理学のスタンダードであるように見えているのであれば、
それは質問者さんが“古い心理学にしか触れられていない”証拠であり、
日本の今の心理学が遅れている証拠ではありません。
(念のために言っておくと、レヴィンが引き合いに出されていますが、
レヴィンも古い心理学です。
ただ、心理学に与えた影響という点で言えば、
フロイトに見劣りするものではありません。)
しかし、現在の日本の心理学は、臨床心理学も含め、
フロイト・ユングに縛られたりはしておりませんので、ご安心ください。
日本の心理学の先端性は、
欧米の心理学と比べてもひけを取るものではありません。
(残念ながら研究の数は少ないですが。。。)

では、なぜ質問者さんの大学では、
フロイト・ユングの話ばかりを聞くことになるのか?
それは、そのような話しかしない教員が揃っているからです。
質問者さんの大学が私の想像通りであるならば、
教員・テキスト・講義、全てにおいて教育内容はハイレベルです。
当然、そこで教えられる内容は間違っていません。
ただし、そこで勉強できる内容は、
日本の「最新の」心理学を反映してはいませんし、
日本の「標準的」心理学を反映するものでもありません。
これは某通信制大学に限ったことではありませんが、
学部の授業で扱える内容は、多くの場合、古典的なものに限られます。
先端的な研究を理解するためには古典的な研究を知っておく必要があり、
学部ではそのような古典を中心とした授業展開となります。
(先端的な研究に触れるのはゼミに所属するようになってからであり、
本格的に関われるようになるのは、多くの場合、大学院以降です。)
また、各分野の教員の布陣には大学ごとの特色があり、
某通信制大学は古典的な精神分析系の教員が多かったように思います。
その方々が開講する授業ですから、
当然、フロイト・ユングの話が中心になります。
ですが、それが最新の心理学を反映したものでないことは、
先に述べたとおりです。
また、古典的な心理学の講義をするにしても、
他の立場の教員が講義すれば、まったく別の話になるはずです。
私が学部時代のことを考えても、
フロイト・ユングの話はあまり多くは聞いていません。
もちろん、臨床心理学の授業でも。
私の大学は精神分析系の教員が少なかったからです。
それがスタンダードだったのかどうかはわかりませんが、
少なくとも、
世の中の心理学がフロイト・ユングを中心としているとお感じならば、
それは明らかに勘違いです。
(ついでに言うと、ロジャースの共感的態度も、
真に受けて現場で共感に徹しようとすると、ひどい目にあいます。
何だかんだいっても、教科書に出ているものは机上論ですから。)


最後にまた、ひと言だけ言わせてください。
#8,13,15さんは「フロイト・ユング」を否定しようとしているのではなく、
まして「レヴィン」の偉大さを宣伝しようとしているのでもなく、
質問者さんの不勉強な部分を指摘しようとなさっています。
私もその文脈に便乗して#13の投稿をいたしましたが、
気分を害されたのなら、それは謝罪いたします。

しかし、大学で心理学を教える立場の者として言わせていただくと、
私の教えている学生がテストやレポートで
「心理学をはじめたのはフロイト」など書いてきたら、
成績評価を一段階下げかねません。
また「レヴィンを知らない」といったなら、
それはやはり知っておいてもらいたいと思いますので、
レヴィンの業績について一通りのレクチャーをします。
逆に、トランスパーソナル心理学について知っていても、
「興味があるなら勉強すれば?」くらいにしか思いません。
おそらく、私の知る範囲の研究者の方々ならば、
皆が同じような反応を示すと思います。
その点はご理解頂ければと思います。

質問者さんはまだ大学一年生とのこと。
大学一年生でここまで多くのことを述べることが出来る学生さんは、
ほとんどいないでしょう。
ただ、心理学の世界にはあなたの知らないことがまだまだ沢山あります。
私だって、まだまだ勉強・勉強の日々です。
そんな我々が他の方から何かを指摘されたときには、
それも何か故あってのこと。
感情的になられたお気持ちもわかりますが、
指摘を受け入れることも忘れないで下さい。

この回答への補足

(長文ゆえ、ここからお読みください)
>某通信制大学
半年の間で45分間の放送授業が何回と決まっていて、面接授業もその半年のうち、10時間程です。また、放送授業とテキストが完全に重複しています。つまり「丸読み」なのです。つまり時間的、システム的にものすごい制限があります。それは仕方がありませんが、私も含め、「丸読み」については意義を唱える学生も多いのですが、当教授の方も、授業上などで「ページ数の制限、時間の制限話はこれだけではない」とおっしゃります。

私は通学生の大学は卒業していなく、質問でも「学生です」と申しましたが、社会人学生です。もともと心理学には大いに興味があり、ガイダンス的な本から、ユングの原著まで読みました。なので、当大学のシステムには懐疑的でした。
たとえば発達論の文化的差異を調べるために、原住民と共に過ごし、そこから「子育て」についての国、文化との違いを調べようとした女性分析家(誰でしたっけ?ああ勉強不足がバレますね(笑))がいましたが、テキスト上では「実はその『観察者』当人は宿泊するときはホテルで過ごしたので、報告には信憑性が欠けている」という指摘がありました。しかし先日面接授業に行ってきたのですが、そうした面はまったく論じられず、他の生徒も退屈していた証に、本当にテキストで既に学んでいることの焼き直し的授業でした。(そこでもう少し臨床家としての体験談などを話してほしいという声も挙がりましたが、もちろん臨床家としての守秘義務があるわけで、容易に細部まで話さないと言われたのですが、これは教える側としての技術だと思います。特定されるようなことを求めているのではなく、抽象論として加工していただけないか?と思ったのは私だけではありません)

>「興味があるなら勉強すれば?」
それは実感したことです。この間の授業で、臨床家の先生がいらっしゃいました。しかしトランスパーソナルについていかに興味があるか?と問いましたら自分はあくまでも地道に、臨床の場で患者さんと現実問題についていかに手助けをできるかという主義なので、その方面にはあまり興味がない」と言われました。でもトランスパーソナルも、まだ段階的には早すぎる(自分なりに体系を作って学んでいますので)ので、まだ勉強していませんが私の興味あるところです。

補足日時:2004/12/06 20:42
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この回答へのお礼

学生のひとりとして当大学に対してはこのようにとても制限があり、疑問を抱いたら自分で調べるしかないのです。なので否定されたことで「では自分が勉強してきたのは何だったのか?!」とちょっと感情的になってしまい、少し反省をしております。まあ軽いカルチャー・ショックでした(「井の中の…」ですよね)
(笑)。

もちろん皆様のご回答、主観的に、ですが肯定的、否定的意見すべて吸収させていただきました。そのような事情で、ネットという時代の恩恵を利用し、このサイトでもこのカテでご質問させていただくまだまだ未熟者ですが、見かけしましたら宜しくお願いします。

お礼日時:2004/12/06 20:43

こんにちは.私自身は心理学史を専門としているわけではないので,以下の記述は,私論に過ぎないことをご承知下さい.



心理学の歴史を考える場合,心理学を基礎系心理学と臨床系心理学とに分けて考えることは有効だと思われます.心理学者もこの分類に従えば,「基礎系心理学者」と臨床系心理学者に分かれ,後者は更に「基礎系を意識した臨床系心理学者」と「純粋な臨床系心理学者」分けることができます(以下,簡単に「基礎系」「基礎からの臨床系」「臨床系」としますが,これは正式な用語や概念ではないので注意して下さい).
何故,わざわざ,このような分類を持ち出すかというと,それぞれの立場によって「心理学」の定義付けが異なるのです.一般に「基礎系」と「基礎からの臨床系」の心理学者は,この質問で問題となる「精神分析学」を心理学に含めない,あるいは軽視するという立場を取ります.これに対して,「臨床系」の心理学者は「精神分析学」を含めて心理学と考え,もっといえば,精神分析学を心理学の基礎論と位置づけています.
質問者様は「臨床系」の立場で心理学を勉強されており,一方,Diogenesisさんやjupiter5さんなどは「基礎系」の立場に立って回答をされているわけです.各人の心理学に対するスタンスが異なるわけですから,議論にずれが生じてしまいます.

さて,質問者様は,おそらくは通信制の大学において「臨床系」の立場の心理学者(河合先生などもこの立場に分類されるでしょう)の著作や授業を受けられたのではないでしょうか?

なお,それぞれの立場で臨床心理学とはどのようなものかを考えると……

基礎系における臨床心理学とは?
心理学と名前が付くものは,原則はヴント以来の伝統を持つ基礎・実験系心理学の影響を受けたものに限る.臨床心理学という分野も,同様に基礎系に基づいたものでなければ成らず,その意味における臨床心理学が誕生したのはライトナー・ウィトマーによるものだろう.確かに臨床心理学に,フロイトの精神分析学が多大な影響を与えているのは事実であるが,フロイトの理論はそのままの形では基礎系の土台にあげることはできない(フロイト理論を実験的証明しようとした研究例はあるのですが,それらの研究結果は芳しくありません).その意味で精神分析学は「影響力はあったが,やはり心理学外部」と解釈されます.

臨床系における臨床心理学
心理学は必ずしも実験的な基礎研究の積み重ねによるものではない,という立場です(この時点で基礎系の心理学についての考えが異なります).臨床心理学に精神分析学が影響を与えたのは確かである(これは基礎系も認めています).精神分析学は必ずしも実験によって証明されたものではないが,心理学は別に実験が全てではないので,精神分析学も立派に心理学ではないか! ならば,精神分析学を臨床心理学の一つの始まりと考えることには問題はないだろう,と解釈されます.

現在では,心理学という学問の性質が「基礎系」が主流であるために,「基礎系における臨床心理学」の考え方がより正解とされます.私も心理学の専門教育を受けており,その意味では「基礎系」に属するのですが,かといって「臨床系における臨床心理学」も解釈としてはありえるのではないか,と思います.

なおクルト・レヴィンは「純粋な臨床系」では確かにあまり出てこない名前かもしれません.ただし基礎系の教科書では,ゲシュタルト心理学の代表選手の一人として,歴史的な心理学者として知られています(レヴィンの流れから,集団療法が登場したという説明ができると思います).
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この回答へのお礼

このように大枠で捉えると、現実的な実験主義と、ユングとフロイトの流れをくむ無意識から考える分析系に分かれるのだと思います。つまりW.ヴントが心理学という学問分野として誕生させ、ヴント批判をきっかけとしてゲシュタルトやヴュルツヴルグ派学派などが枝分かれし、その一部として精神分析の立場もあるが、ゲシュタルトなどとは無意識などの深層心理学と線引きされていることで、今度はゲシュタルトなどと派閥を異にした、ということでしょうね。

たしかにゲシュタルト心理学という分野が臨床面ではいくつもある心理療法の一部です。しかしあまり深くつっこまれていませんので、レヴィンは知らなかったしだいです。ゲシュタルト心理学は認知論的研究、行動主義心理ですよね。一方は科学、一方は形而上的な世界ですからDiogenesisさんやjupiter5さんきっと意見が分かれたのもその点からきているのでしょう。しかしフロイトやユング派のなかにも、無意識から病理を説明するのをやめようと試みても、どうしても神経症などはそこから説明しないとできないようです。私などはユング派です。やはり心のあまりにも複雑で広大な世界は、行動からは推測できないものもあると思います。

頭ごなしに「違う!」と言われても、そこから説明して欲しかったのでこのような客観的な解説で助かりました。しかしながら結果的にも「信仰の違い」が明らかになったわけです(笑)。まあ質問も「心理学は学問ではない?!」ですから。

勉強させていただきました、ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/06 19:54

#8,#13です。



「失礼な口調」と受けとめられてチョとへこみましたが,
質問者さんが「心理学専攻の大学生」と自己紹介なさっている以上,
素人さんの単なる勘違いと同列には扱えません。
厳しい書き方になるのは覚悟してください。

私が書くのをためらったことを
#14さんがビシっと書いてくださったので溜飲が下がる思いがしましたが,
#14さんや私の書き込みへの「お礼」を読ませていただくと,
質問者さんの心理学に対する認識が相当偏っているとの印象は否めません。

>しかしフロイトはやはり精神分析学の草分け的存在という一般に信じられている通念はなにゆえでしょう?

精神分析と心理学を混同してはいけません。
フロイトが精神分析を創始したのは通念などではなく紛れもない事実です。
フロイトが心理学を確立したというのが誤った認識なのです。
近代心理学はヴィルヘルム・ヴントによる心理学実験室開設に始まるというのが心理学の常識です。
そして精神分析が心理学の主流になったことなど歴史上一度もありませんし,これからもないでしょう。

ちなみに臨床心理学に限定しても,
ライトナー・ウィトマーによる心理クリニックの提唱をその起源とするのが常識的な説であって,
フロイトが元祖とは考えられていません。

現代心理学における精神分析の扱いについては過去に回答したことがあります。
参考にしてください。

フロイトは過去の人ですか?(比ゆ的に取ってください)
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=846565
無意識と本能の意味と類型
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=993588

私,個人的にはユングよりフロイトの考え方に共感を覚えます。
だからといってそれを研究の根拠にしたりはしません。

フロイトやユングを受け入れない心理学を古いと断定なさる勇気には敬意を表しますが,
最先端の心理学についてひと通り学んでから発言なさっても遅くはないと思います。
自分が理解できないものは心理学ではないなんて言ってはいけませんよ。

ついでに言うと
私が高校生だった1970年代後半,
河合隼雄(準雄じゃないです)氏や秋山さと子氏の著作や講演活動を通して
ユングへの関心はすでに高まっていました。
日本におけるユング人気もすでに30年近い歴史を有しているわけです。
その中でユングのようなものこそが心理学であるとの歪んだ認識が世間にはびこり,
癒しブームと大学の生き残り競争を背景に90年代以降の臨床心理バブルを生み出しました。
日本の心理学界は巨大な負の遺産を背負い込んでしまったと言われる所以です。

この回答への補足

(ここからお読みください)
どうやら「元祖」にこだわってらっしゃるようですね。

確かにヴントは心理学が独立の学問分野として誕生させた創始者です。その後「意識」を「内観」によって基本的な単位に分解し、「心素」から構成されるものと唱えたことは、反対派が多数出てました。そうしてゲシュタルト学派やヴュルツブルグ派など複数の学派が出現し、その論争の外でフロイトが精神分析学を誕生させたのはご承知のことと思います。

フロイトはヴントを批判はしませんでしたが、深層心理を唱えたことが、ヴントの意識心理学に反していたこと、それがあなた様の言うように心理学と分析学との分かれ目になったということなのでしょうか?

>フロイトやユングを受け入れない心理学を古いと断定なさる勇気には敬意を表しますが

勇気というのならば、あなた様も臨床の世界が精神分析と切り離されている(べき?)と断定できることに恐れ入ります。

それに別に受け入れないとはいっていませんよね?第四の心理学といわれているトランス・パーソナル心理学だって興味ありますし、私の言い方はフロイト・ユングにのみこだわっているとみられるのでしょうか?

確かにリビドーからすべてを解釈するフロイトの考え方には現代、その考えを素直に受け入れるにはあまりにも時代錯誤的ですし、またクレッチマーの類型体系による性格分類なんかあまりにも乱暴に簡単に分けていると私個人としては思います。

臨床は精神分析の周辺にあると思われているようですが、カウンセリング技法で用いるのは力動的心理療法です。精神分析と心理療法の線引きはなされてはいません。カウンセラーとセラピストの相互作用により、治療はなされていきますが、フロイトの提唱した超自我や無意識やなどがその間を取り持っていると私は思います。
現在のカウンセリング室でカウンセラーの徹底してもつべき技法として「共感的態度」がありますが、このクライエント中心療法を「創始した」のはロジャーズです。その名のとおり、カウンセラーが勝手に解釈するのではなく、クライエント自身の自己治癒力を信じて、クライエント自身が自ら問題に気がつくように単に共感的態度をもって支援する、そういう態度です。他の方がおっしゃるように「精神分析が臨床の身辺にある」のではなく、核心そのもの、学ぶ以前に人が人を癒す上での普遍なこと、大切なことなのです。

補足日時:2004/12/04 23:20
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この回答へのお礼

要はアンチ・フロイト派なのですか?
テキスト次元でいえば、フロイト以前のことについては詳しく勉強していませんが、もちろんヴントのことは書かれています。しかしいくら反証してもそれすらもともと「フロイトの」理論を反証しているくらいですから、いかにフロイトがこれだけ一般的にも浸透しているかという紛れもない事実は、それを覆す理論はまだ波及してませんよね?どうなのでしょう?
「外向性」「アイディンティティ」「無意識」…。
それらの言葉を普段「無意識」に使っているのはフロイトが生んだ概念です。そう意識させないほど、日常生活の中で自分を表す言葉の一つとして溶け込んでいますよね。

>最先端の心理学についてひと通り学んでから
それはおいおいに…。今は一年生です。あなた様のように一歩先に行った方が新しい分野心理学をかじってらっしゃるあなた様も最初は「フロイト」から入りませんでした?

余談ですが準雄→隼雄は、漢字変換するときなかったので手抜きしたまでです。河合先生ごめんなさい。

お礼日時:2004/12/04 23:21

心理学の教鞭をとっていて思うのですが、


質問者さんのご友人しかり、
世の中の心理学に懐疑的な方々の多くは、
「ユング」「心理テスト」「血液型」「犯罪心理学」
などのような“ポピュラー心理学”を想像なさっているのではないでしょうか。
このようなテーマは一般の人の興味はひけるかもしれませんがですが、
実際には心理学研究の花形となったことはありません。
また最近では、
心理学といえばカウンセリングを思い浮かべる方が多いと思いますが、
カウンセリングを中心とする臨床心理学は、
心理学の中でも応用中の応用、実践の学であり、
心理学全体の中ではむしろ周辺部にあります。
それゆえに“学問”としての厳密性に欠ける部分があり、
一般の人が見ても「胡散臭く」思われがちなのも事実です。

しかし、このようなポピュラー心理学の裏側には、
膨大な量の基礎研究が隠れています。
これらは他の学問分野の方の批判を受けるようなものではない、
学問体系として整備された“研究”に基づくものです。
ただ、このような研究は一般の方の目に触れることはほとんどなく、
大学や大学院で地道に研究が続けられています。
(これらが一般の方の目に触れにくいのは、
我々心理学徒の努力不足ともいえるでしょうね。)

では、心理学の「学問体系って何?」と聞かれると、
それはそれで困ってしまう。
ひと言で言い表せるようなものではありませんので、
自分の研究を通じ、世に表明しなければならないでしょう。

質問者さんは臨床心理学がご専門とお見受けしますが、
少々、学ばれた内容に偏りがあるように思います。
先にも書きましたが、
臨床心理学は学問的には不整備な部分が多いため、
この分野しかご存知ないと、
「心理学は学問的ではない」といわれても、
言い返す言葉が見つかりにくいのではないでしょうか。
臨床心理学以外の領域、
それも社会心理学や発達心理学のみならず、
行動分析や最新の認知心理学など、
地味な基礎研究についてもぜひ知っておいてください。

ついでに、
お気を悪くなさるかもしれませんが、
同じく心理学を学ぶものとしてひと言、言わせてください。

正直申しますと、質問者さんのおっしゃる
>心至上主義
こそ、日本の心理学が
>心理学は100年も遅れている
ように見えてしまう原因です。
その“古い心理学”の好例が、河合氏が日本で広めたユングです。

また、クルト・レヴィンは、
>世の中のことをすべて知るのが不可能なように、人の名前も同じこと。
…と言って済まされるような小物心理学者ではありません。
心理学を真摯に学ぼうとすれば、必ずどこかで出会う名前です。
欧米で心理学を学んだ人で、ユングについて知らない人がいても、
レヴィンを知らない人はおそらくいないでしょう。

質問者さんは向学心にあふれた方とお見受けしまうので、
今後、学問を深めてゆくなかで、
いつかレヴィンの名前にも出会うでしょう。
そのときには、
私の戯言も思い出していただけると光栄です。
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この回答へのお礼

先にも補足したとおり、某通信制の大学ですので、カリキュラムは大幅に制限があります(もうどこの大学かご存知かもしれませんね(笑))。ご指摘を受けて、私がこれまで学んだことがカリキュラム的に大幅にカット、もしくはダイジェスト版だと「やはり」思いました。

>心理学の「学問体系って何?」
つまり体系的に一から学びたいです。通学制の大学では体系的にきちんと設置されているのでしょうが、選択が自由な分、時間的内容的に制限があるのは申し上げたとおりですので、「これがすべてなの?」と少しもどかしさがあります。
しかしながらこの大学の評判としては「内容的に高度」だという外部からの声もあります。河合準雄先生の講義もありましたが、やはりユング、もしくは精神分析のテキストもフロイトも、私が指摘されたように「間違った」ものであるのならば、学んでいるのは幻?かと。まあそれは大げさですが、学んできたことは基礎的なことになるのでありましょうが、実際そのような背景があり、それがこのテキスト上に書かれていないのならば、大いに問題はあると思います。クルト・レヴィンもいまだに出てこない。しかしフロイトはやはり精神分析学の草分け的存在という一般に信じられている通念はなにゆえでしょう?フロイトやユングが古いのならば、それこそ今の心理学が遅れている証拠ではないでしょうか。

お礼日時:2004/12/04 01:38

#8です。



>確かに心理学の誕生は20世紀に入ってからようやくフロイトが確立したものです。

駆け出しとは言え,あなたも心理学徒であるならこんな嘘は書かないでください。

精神分析は心理学の外側で生まれ育ったものです。
精神分析の成立以前の19世紀後半に
心理学はすでに哲学からの分離独立を果たしていました。
精神分析が20世紀の心理学に大きな影響を与えたことは否定できませんが,
逆に20世紀初頭の米国心理学界の理解があってこそ
精神分析は学問としての市民権を得たのであって,
フロイトが心理学を確立したなんていうのは大嘘です。

質問者さんの過去の回答歴を見せていただくとなかなかの論客とお見受けします。
そのような方が心理学についての誤った認識を垂れ流されるのは困りものですし,
教師の受け売りしかできないような学生に対して論駁できないというのも残念です。

クルト・レヴィンはゲシュタルト学派の一人で
20世紀において最も影響力の大きかった心理学者ベスト10には入るでしょう。
#2さんもおっしゃるとおり,
彼自身の理論のかなりの部分は反証可能性を有するとは言えず,
すでに歴史的価値しか持たないように見えます。
けれどもグループ・ダイナミクスの創始やアクション・リサーチという研究手法の提唱によって
レヴィンは20世紀後半の心理学,とりわけ社会心理学の領域に大きな影響を与えてきました。
これを機会にお見知り置きを。
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この回答へのお礼

先にも申したとおり、通信大学の生徒です。カリキュラムにはテキストや時間などの制限があります。社会人が働きながら勉強するところなので。よって専攻といってもその深部まで学ぶことはできません(統計などはありません)。そうした現状に歯がゆい思いもしていますが、仕方ないのです。

>精神分析は心理学の外側で生まれ育ったものです
よってテキストでは網羅できない背景が、あなたのおっしゃるようなことだと思います。

しかしながら、嘘つき呼ばわりされても大学のテキストにそう書いてあるし、もちろんこれは私立K大学などのいわゆる「一流大学」の教授が書いています。まだ学位もない素人とはいえ、テキスト上のことも、あなたのおっしゃることも「ああ、そうなんですか」としかいえません。

>誤った認識を垂れ流されるのは
うーん、じゃ、今学んでいることはまったくのムダということですか?他の生徒は「それ」が真実として真摯に学んでいます。一応臨床心理士の指定大学院にも指定されているまっとうな大学です。教師が書くのは嘘で、それについて生徒が学ぶことも心理学の歴史を覆すような嘘を教えてもらっている、とあなたは言っている、と理解してもよろしいでしょうか?

では一般的にフロイトはなぜクルト・レヴィンよりも有名であり、その名が定着しているのでしょうか?ベスト10に入っているけれどトップではないのではないですか?
たしかにクルト・レヴィンさんはそういう方だろうし、いつかどこかで(と期待するよりしかない、今のところ)お目にかかるかもしれませんね。

あなた様は学生なのか、それとも専門家なのかわかりかねますが(経験者と称するにはきっと「控えめな」専門家でしょうか)一言申し上げてよろしいですか?同じ生徒や専門外ならば一歩先にいっているような口をきかれても困りますし、逆に専門家ならば失礼な口調でこう説かれても、せっかくですがありがたい講義もありがたみを感じませんね。

>これを機会にお見知り置きを。
まあクルト・レヴィンに出会ったら、腹立ち紛れにこの件も思い出すことになるでしょうね(笑)。

お礼日時:2004/12/04 01:20

 こんにちわ。


心理学の本をよく読んでいますが、これほど素晴らしい
学問は無いと思っています。
人と人との繋がりには全て心理学が二人三脚で寄り添って
います。医者と患者・子供と先生・お店の人とお客様・
落ち込んだ友達を励ます時・非行少年を更正させるためと
、どんな時も心理学は役に立ちます。特に心を病んだ人の
多い現代社会には、何よりも必要不可欠の学問と言える
でしょう。
 私は41歳ですが機会があれば心理カウンセリングの
学校に行こうと考えています。あなたも周りの雑音に
惑わされる事なく、世の中の人の役に立つように心理学
を一生懸命勉強して下さいね。
 多分、心理学は学問とは言えないと欧米の人に言ったら、
それこそ頭がおかしいと思われるでしょうね(^^)
日本人はまだまだ心理学の巣晴らしさが理解出来ていない
のです・・・
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この回答へのお礼

>これほど素晴らしい学問は無いと思っています
いち学生として嬉しいです。
人間って「パンのみに生きるにあらず」じゃないですか。「心」って身体と同様、皆必ずもっている。
ズバリいうと、この世界ってまず初めに心がありき、だと思うんです。心があるから行動に移らせる、それが社会を生み、事件を生み、世界を生み、思想に還える。心身相関のように、心の世界と外部の世界は相互関係にあります。

私が心理学は学問ではないと言われてちょっとやっきになってしまったのも、科学万能主義ならず心至上主義だからです。

>心理学は学問とは言えないと欧米の人に言ったら
心理学は確かに欧米で誕生した分野ですが、ユングなんて本当に近い近年、河合準雄先生が日本に紹介した第一人者です。これは学校の先生から聞いたことですが、村上春樹の世界はユングの世界を読み取れるそうです(「ダンス・ダンス・ダンス」など初期あたりの作品)。また河合先生と村上春樹は友人同士だそうで…。ここにも文学と心理学という別ジャンルの交流があります。
>日本人はまだまだ心理学の巣晴らしさが理解出来ていない
ご尤もです!アメリカの先端文化は10年遅れて日本に入ってくるそうですが、心理学は100年も遅れていると思います。
近年の心への興味と注目がただの流行とならないようにと願うばかりです。
ちなみに私は33歳女性ですが、この歳で通信大学にてまた勉強を始めました。ほんとーに面白いですよ!ぜひお試しあれ!

参考になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/03 00:36

#10番さんが、心理学は巧妙なウソに無力といってますが、数学だって無力です。



「不完全性定理(自己言及のパラドックス)」というのは数学における矛盾のことです。
数学にも超えられない矛盾が存在するんです。

さて、このリンクがfrauさんの悩みを増大させないと良いんですが(苦笑)
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html


心理学が好きならば、それが一番良いことだと思いますよ。
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この回答へのお礼

す、数字~(笑)。URLもちょっとのぞきましたが、ダメ、ダメですー。

数学は答えがひとつしかないけれど、私にとってそこに至るまでの道が長すぎます!もちろんその過程を楽しめる方もいますが。数字トラウマです。

>心理学が好きならば、それが一番
そうですよね、感動があることで、知識は記憶に定着されますから。

ご紹介もありがとうございました。

お礼日時:2004/12/07 01:36

私は、気功師ですが、残念ながら私も、現代の心理学は「場当たり的なこじつけの学問」だと思います。



その理由は、心理学と言いながらも、「心は見えないものである」と唱えています。

あなたも気功をやれば判りますが、人体には必要であり、人体の中を流れ、人体を取り巻いている「気」というエネルギーにより、その人の性格や考え方などその他のことが判ります。

私はこの「気」というものが「心」であると思っています。

優しい人は、言葉を交わさなくても、気がなめらかに感じますから、近づくだけで判り、乱暴者は気が刺々しく感じます。

その他、気の圧力で、気の弱さや気の強さなどの色々な事がわかります。

私が「心理学は学問ではない」という第一の理由は、巧妙に嘘をつく人に対しては心理学は無力だからです。
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この回答へのお礼

心理学の発生は西欧からですが、近年東洋思想や瞑想、ヨガ、気孔など、スピチュアルな面からもグローバルにアプローチしようと試みる心理学がトランス・パーソナル心理学です。ひとつのジャンルを細分化するとどこかで重複してしまうきらいもありますが、西洋文化が一見対極に位置する東洋文化をも含めて融合させようとする姿勢も含めて興味深いと思います。

>巧妙に嘘をつく人に対しては心理学は無力
心理学は裏か表か?というような操作的なことは対象外です。想像他人の嘘や思惑がわかってしまっては世界の破滅でしょうし、それができるのはもう魔法(というものがあるとしたら)という技術(?)の領域になるし、それが求められているのであればまだ未開でしょう。もし進化したら…危険性が伴います。操作可能か否かで学問ではないと決めるのもどうか?と。

私は「気」というのは物理と思っていますが、理論よりも感触的なことがある意味では真理かもしれません。理論を構築しても解明できないものが瞬間的にわかってしまうこともあるでしょう。

参考になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/02 19:15

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