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なんだか訳のわからない題ですが、これは何かといえば、私が「善は公(みんな)の為にある」と言えば、公とは一体誰のことを指しているのだとよく質問があります。そこで私は「公は問題により決まります」と説明しますが、皆さんには、なかなか理解してもらえませんので、それを今回は詳しく説明してみましょう。

「善とは公の為である」とは何を言っているのか。善、つまり正しいとは問題があるから必要になります。何も問題がないなら正しい、正しくないなんて全く必要はありません。ゆえに善悪(正しい、正しくない)は問題に対してのものだと分かります。ですから「善とは公の為である」は「ある問題に対しての善、正しい答えとは公の為になる答えである」と言っているのです。簡単に言えば「(問題に対して)正しいとは公(みんな)の為になる答えだよ」と言っているわけです。

そもそも問題とは何か、それは解決しなければならない課題です。一般的に言って問題とは困った問題が多い。そして、もしその問題をうまく解かなければ大きな不利益を蒙ることがあります。公とはその問題を共有している人たちを言います。もし問題をうまく解決できなかったならば不利益を蒙る人たちが公(みんな、仲間)なのです。

問題は世界の問題、日本の問題、家族の問題などいろんな問題がありますが、その問題は誰の為にあるかと言えば、世界の問題は世界の人たち(公)の為にあります。日本の問題は日本国民(公)の為にあります。そして家族の問題なら家族(公)の為にあります。このように公は問題により変化し、公は問題により自然と決まってしまいます。誰かが公はこれだ!と決めることはできません。
もっと詳しく言えば、地球温暖化問題を失敗すれば大きな不利益を蒙るのは誰でしょうか、もちろん世界の人々です。そうであれば地球温暖化問題の公は世界の人々になります。また日本の消費増税問題を失敗すれば大きな不利益を蒙るのは誰でしょうか、もちろん日本国民みんなです。ゆえに消費増税問題の公は日本国民になります。またお父さんが失業したという家族の問題はどうでしょうか、この問題をうまく解決しなければ大きな不利益を蒙るのは家族みんなです。ゆえにこの問題では家族みんなが公になります。このようにある問題をうまく解決できなければ不利益を負い、責任を取らねばならない人達が公となるのです。責任を取らない人たちは公には含まれません。もし問題をうまく解決できなければみんなで責任を取るのです、それが公であり仲間です。

このように公は問題により決まります。公を固定されたものと考える人もいますが、それは間違いなのです。公は問題により変化するからこそ小さな問題から大きな問題にまでいろんな問題に対応できるのです。それで基本的に「善は公(みんな)の為にある」などと表現しているわけです。公とは小さい集団から大きな集団まで広く表せる便利な言葉なのです。この言葉を使わずに多くの問題を一つで表現することはなかなか難しいのです。しかし「公」を使えば世界の問題から家族の問題まですべての問題を一つのフレーズで表せるのです「善とは公の為である」と。

そしてまた、公とは仲間を言います。ある問題が発生したときには問題をうまく解かなければ皆さんに大きな不利益が生ずるのですから、どうしても正しい答えを出さねばなりません。ですからみんなが協力して仲間となり一致団結して問題に当たらなければなりません。その時、最も優れた方法(絶対善)が「私欲を抑えて公の為とみんなで考えること」なのです。これこそが絶対的なのです、これ以上に正しい方法は在りません。
皆さんが誤解していることは、ある一つの問題に対して「いくつもの公」が生じると考えていることです。ある問題に対しては公は一つです。例えば沖縄からグアムに米軍が撤退する問題を考えてみます。この時米軍が日本から撤退する問題は沖縄だけの問題ではなく日本全体の問題ですから公は日本国民になります、沖縄が公になることはありません。どうしても沖縄を公とするなら日本国民は仲間ではないということになります。沖縄だけ良ければ日本国民などどうでもいいと考えるのであれば、もう沖縄は日本の仲間ではありません。仲間とはみんなで安心して暮らせるように協力している人たちを言うのです。

また世界各国の国民の生命財産を守る事は各国にとって絶対善です。その各国の絶対善がぶつかり合ったときにはどうなるか?と言えば、各国の紛争の問題は世界の問題となりますから世界が公になります。例えばドイツが他民族であるユダヤ人を虐殺する問題はドイツが公ではなく世界が公になります。本来、常識的に考えてドイツ人とユダヤ人を同じ仲間、公としてユダヤ人を虐殺してもいいとドイツ人が勝手に結論を出すことなど許されるはずはないでしょう。絶対善は「私欲を抑えて公の為とみんなで考えること」ですから世界のみんなで考えれば本来「ユダヤ人を虐殺することは世界の為なのだ!」なんて答えがでるはずはありません。
しかし善は人それぞれであるという相対主義であればドイツ人の考えたことが絶対善なのだと考えてユダヤ人虐殺に走ることが出来るのです。相対主義は自分の考えこそが絶対善であり自分こそが神なのです。このように相対主義は独裁的です。

しかし善的絶対主義は自分が考えたことが絶対善ではなく、みんなで考えたことが絶対的に正しい(絶対善)となります。ですから善的絶対主義は民主主義的だと言うのです。相対主義者は「絶対善はある」と考えていたソクラテスに完全に論破されたのです。何故その歴史的事実を認めないのですか。相対主義では正しい答えは絶対に出せません。

このように公は問題により自然と一つに決まってしまうのです。「善とは公の為である」の公は色んな問題に対しても一つのフレーズで表せる便利な言葉なのです。公という言葉が気に食わないというのであれば、公という言葉を使わずにいろんな問題に対応できる言葉があれば教えてください、それを使って善を表現しますから。

このように考えましたが公の意味について理解できないところはありますか?

質問者からの補足コメント

  • 絶対善は公の為である、を例えればお父さんが家庭においてタバコを吸うのは正しいのかという問題が出た時、絶対善はお父さんも「絶対たばこは止めない」と言う私欲を抑えて家族の為と考えなければなりません。その結果、家の中ではタバコはダメとなれば、お父さんはいやであろうが家族の為にと我慢して家ではタバコを吸わないようにするでしょう。
    仲間であれば自分にとって悪い結果が出てもそれが最も正しい答えなのだから妥協できるのです。この時「家族のことなどどうでもいい、俺は家でもタバコを吸う」なんていえば、それはもう仲間ではありません。仲間であればみんなで話し合った結果が嫌であってもみんなの為だからと妥協できるのです。

      補足日時:2019/04/25 19:21

A 回答 (26件中11~20件)

★(趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(あ) ・・・みんなが協力して仲間となり一致団結して問題に当たらな
ければなりません。

(い) その時、最も優れた方法(絶対善)が「私欲を抑えて公の為とみ
んなで考えること」なのです。

(う) これこそが絶対的なのです、これ以上に正しい方法は在りません

★(同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(え) 相対主義は自分の考えこそが絶対善であり自分こそが神なのです。

(お) このように相対主義は独裁的です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ (い)の《最も優れた方法(絶対善)》は あなたの考えつまり(え)
の《自分の考え》ではないのですか?


そのような矛盾がどうして起きてくるのか? と言えば 人間とその思考
は もともと相対世界に属しているからには たとえ《相対主義》を標榜
しなくても 相対的な思考であり じつに存在すら 残念ながら経験存在
であり相対的なものであるとすでに成っているからです。



ご質問で主張されている趣旨は 《みんなが 何か絶対的なものによって
統一されている状態が見たい》という願望を吐露しているものでしょう。
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この回答へのお礼

>《最も優れた方法(絶対善)》は あなたの考えつまり(え)の《自分の考え》ではないのですか?<

そうですよ。私は絶対善はある、地球は回っていると見つけたのです。天動説の世の中で地動説が正しいと主張しているのです。正しいものは主張しなければ世の中の進歩はないでしょう。正しくないと思えば論破すればいいのです。論破されても自分の考えは絶対正しいのだと言い張るのなら独善的ですね。

お礼日時:2019/04/26 20:19

#14からの続きです。



4.
>「快く賛成するのですか?」って核の処理施設が来るのですから嫌でしょうよ。しかしみんなで考えてそこが一番いいとなれば仲間なのですから妥協しなければならないでしょう、公の為に。米軍撤退の問題もこれと同じです。

『みんなで考えてそこが一番いいとなれば』とのことですね。
しかし「みんな」と言っても、それは「当事者以外のみんな」という意味になっているのが実情じゃないですかね。
つまり、誰にとって一番いいのかというと、それは「当事者以外のみんなにとって一番いい」ということになってしまうのですよ。
なので、人口の少ない僻地や財政ひっ迫の自治体などが真っ先に狙われます。
一旦候補に挙がってしまうとマスメディアを駆使して、その地が最善であるかのような喧伝が始まる。
地勢調査の改ざんなどは、お得意の業であることは容易に推測できます。
こうした中での『みんなで考えてそこが一番いい』が、どんな結果になるかは容易に想像できるはずです。
そこに論理も正義もありません。
感情と惰性と策略だけが幅を利かせる。
いやしくも「絶対善」と銘打つのであれば、こうした流れに掉させるだけの説得力が、そこまででなくとも、少なくとも人間としての道筋を指標としてちらつかせるぐらいのことはできてほしいという気がするわけですよ。

また、嫌々なされるものは本物の善ではないような気がします。
仮に嫌々なされるとするなら、それは、ほんのちょっとした手違いで容易に無視されたり抵抗にあったりすることでしょう。
しかし、他を思い遣るという善性は、これはアプリオリに備わっている生来的なものだろうと私は思います。
つまり、本当の善を為す人は、一見、損をしているように見えて、実は深い充足感に浸されるはずなのです。
絶対善と言うなら、そのことを納得させられるだけの論理が必要になるのではないかと思われます。
「何が公の為か」について見解が異なった場合どうするのか、ということまで踏み込まないと「絶対善」と言ってみても意味がないのではないか、ということ。
タバコの場合は私欲である点でわかりやすいので適切な例とは言えないかもですね。

あなたの意欲や方向性は決して間違っていないとわたしは思います。
しかしですね、歴史を振り返ってみれば明らかなように、人は善を為そうとして悪を為してしまう生き物なのです。
自分が善と考えるものがあると同様に、他者にも他者なりの善に対する考えがある、と思うところから始めなければならないのではないでしょうか。
自分の善が絶対というのではなく、相互に切磋琢磨することでより良い善を探っていく姿勢が必要になりそうな気がします。
本当に納得出来るものは真理だと思います。
真理の前では、我も彼も同等の存在として屹立できるでしょう。
その中で存在できる善があるなら、それを絶対善と呼んでも良いと思います。
どうもたびたび長くなってしまって申し訳ないです。
私はこのへんで引き下がっておいたほうが良いのかもしれません。
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この回答へのお礼

>なので、人口の少ない僻地や財政ひっ迫の自治体などが真っ先に狙われます。<

ですから地震もなく一番地盤の安定しているところに処理場を建設しますと約束して地質調査をすればいいのです。その結果一番いいところに決めればいいのです。もし東京が地震もなく一番地盤がしっかりしていれば東京になるかもしれませんよ。


>また、嫌々なされるものは本物の善ではないような気がします。<

席を譲るにしても「自分も疲れている、座っていたい」と言う気持ちはあるでしょう。しかしその自分の気持ちよりも相手の気持ちをより優先する心それが善なる心です。皆さんが聖人君子ではないのですから。それでも相手を思いやり席を譲る心があることが大切なのです。


>自分の善が絶対というのではなく、相互に切磋琢磨することでより良い善を探っていく姿勢が必要になりそうな気がします。<

これは私の言う善と同じでしょう。みんなが関係する問題で自分が絶対だと考えるのが相対主義者です。そうではなくみんなの為になる答えこそが絶対的に正しいと考えみんなで話し合って決めると言うことです。


>本当に納得出来るものは真理だと思います。真理の前では、我も彼も同等の存在として屹立できるでしょう。<

あなたの言う真理とは何ですか。私は何を皆さん真理と考えているのかさっぱり分かりません。あなたも真理とは何か分かっていないでしょう?分からないものをさも自分は知っているように言うのはおかしいでしょう。真理とは何を言うのですか?答えてください。真理とは何ですか、まず理とは何ですか?

お礼日時:2019/04/26 20:19

#10です。



1.
>私の言う善的絶対主義はみんなの問題はヒトラーも含めてみんなで考えると言うものです。ヒトラーたちだけで絶対に正しいと決めることはできません。

ご自身でおっしゃっておられたように、「(みんなの)問題」というのは、そもそもが『困った問題』です。
困ってなければ、つまり正しいか間違っているかとまようことがなければ、『(困った)問題』とは認識されないのです。
ヒトラーにとって、ユダヤ人殲滅は、みんなで考えるべき『(困った)問題』とは思えなかった、という点が重要。
ドイツという公にとっての絶対善と思い込んだわけです。
「ドイツの公」の問題なのか、「みんなの公(世界)」の問題なのかについて検討すべきであるということになりそうですが、その点に関しての指標が、「善とは公の為である」という絶対善の定義には含まれていない。
ですよね?
ここに問題が積み残されているように思う次第です。

2.
>各県が私欲ばかり主張したらまとまる問題なんて何一つありません。そんな群れは仲間ではありません。仲間であれば公の為にそれが一番いいとなれば、たとえ今回は自分が損になろうが妥協できるのが仲間です。

まったくおっしゃるとおりでしょうね。

3.
>「公の為と考える」とは沖縄県民も沖縄県の立場を忘れて総理の立場に立って考えると言うことです。

総理の立場に立って考えるべきなのは、
なぜ鹿児島県ではないのでしょうか?
なぜ東京都じゃないのですか?
なぜ山口県ではないのでしょうか?
あなたが『沖縄県民も』とおっしゃるのは、既成事実として沖縄に基地があるからじゃありませんか?
すでにあるのだから我慢しろ、という論理が垣間見えるのですが、それを前提に話を進めるのは不公平だとは思いませんかね。
どういった経緯で沖縄に基地が置かれているのか、という点についてお考えになったことはおありですか?
日本国の公は、沖縄県の公の犠牲の元に成り立っているという点を認める必要があるのではないでしょうか。
『沖縄も日本国民なんですから仲間なんですよ。』というのが嘘でないなら、『沖縄県民も沖縄県の立場を忘れて~』と言う前に、「総理も沖縄県の立場を十分にくみ取って~」と言うのが筋ではないかと思います。
ここで重要なのは、「公の為と考える」という絶対善を錦の御旗に掲げていると、こうした筋が通りづらくなるという点でしょう。

補足欄も手狭だと思いますので、念のためではありますが、つまり、無理に使う必要はありませんが、お礼欄を確保するため、回答欄を切り替えます。
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この回答へのお礼

>「ドイツの公」の問題なのか、「みんなの公(世界)」の問題なのかについて検討すべきであるということになりそうですが、その点に関しての指標が、「善とは公の為である」という絶対善の定義には含まれていない。<

ですから公を説明したでしょう。みんなに関係ある問題はみんなで決めなければなりません。ドイツ人が他民族を虐殺する問題は世界のみんなが関係する問題ですから世界が公に決まっています。なんで世界の問題をドイツ人だけで決めていいのですか?それが相対主義でしょう?私の言う善的絶対主義はみんなの問題はみんなで考えて決めることです。ヒトラーだけで決めることではありません。


>日本国の公は、沖縄県の公の犠牲の元に成り立っているという点を認める必要があるのではないでしょうか。<

世界では血で勝ち取った土地は絶対返さないのです。ロシアを見てごらんなさい。北方四島は絶対に返しません。アメリカも本来なら返さなくてもいいのです。それでもアメリカは返してくれた。それは基地を置かせてもらうと言う条件でしょう。いいですかシナは沖縄を狙っています。沖縄には米軍が必要なのです。話し合えばきっと沖縄も納得するでしょう。


>『沖縄も日本国民なんですから仲間なんですよ。』というのが嘘でないなら、『沖縄県民も沖縄県の立場を忘れて~』と言う前に、「総理も沖縄県の立場を十分にくみ取って~」と言うのが筋ではないかと思います。<

あなたも分からない人ですね。日本みんなの問題なんですから国民一人一人が総理になったつもりで責任感を持って考えると言うことです。
「総理も沖縄県の立場を十分にくみ取って、と言うのが筋ではないかと思います。」これは総理が沖縄の為という私欲をもって考えると言うことですからやってはなりません。まず各県の私欲は忘れて日本国民みんなの為と考えなければ正しい答えにはなりません。

お礼日時:2019/04/26 20:18

キリスト教もイスラム教も自分とこが絶対だって言ってるような気がしますが気のせいですかね?



不思議とそういうのが戦争の理由になったりします。

仮に絶対的善が見つかったとしても、
やーだよ、そんなもん、知るか!って言われてスルーされたらそれまでじゃないですかね

正しければ勝手に従ってくれる訳じゃないですから。。。
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この回答へのお礼

>キリスト教もイスラム教も自分とこが絶対だって言ってるような気がしますが気のせいですかね?<

何が絶対だと言っているのですか? 聖書に書いてあることを自分たちは絶対正しいと信じているってことでしょう。だからお前たちも割礼しろ、豚は食うなとは言っていない。彼らが何を信じようがどうでもいいのです。私たちに強要しなければ。

>仮に絶対的善が見つかったとしても、やーだよ、そんなもん、知るか!って言われてスルーされたらそれまでじゃないですかね<

絶対的に正しいが分かったならば守らなきゃ、新しい正しい法律は守らないってそれはダメ。みんなが認める正しいものができたなら守らなければ罰せられます。

お礼日時:2019/04/26 20:17

なんか哲学って生活に役立つんですか?

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この回答へのお礼

哲学で絶対善を見つけることが出来れば、社会が一番うまくやって行ける方法が分かったのですから世界に平和が訪れるかもしれません。世界が正しくなれば戦争も起きなくなるでしょうし、お互い助け合って理想的な社会が創れるかもしれません。そうなれば何千兆円もの価値に匹敵するでしょう。哲学って大切なんですよw

お礼日時:2019/04/25 22:04

★(補足欄) 家の中ではタバコはダメとなれば、お父さんはいやであろう


が家族の為にと我慢して家ではタバコを吸わないようにするでしょう。
☆ という――無理にでも敢えて言うとすれば――民主制における当事者ど
うしの話し合いということは もうそれだけで問題は(哲学としての取り扱
いは) 済んでいます。

ところが 質問者氏は そこに枠をはめようとするわけです。:
★ (同上) 仲間であればみんなで話し合った結果が嫌であっても《みん
なの為》だからと妥協できるのです。

☆ つまり このように枠組みを嵌めるようにして その事態を捉えたいと
いうことから始まって さらには 次のような規定を加えます。:

★ 絶対善はお父さんも「絶対たばこは止めない」と言う私欲を抑えて家族
の為と考えなければなりません。

☆ すなわち:
★ いやであろうが・・・我慢する / 私欲を抑える
☆ というふつうの事態・つまりすでにそれだけで済んでいる事態を:

★(☆ 編集しましたが) 家族の為=つまり公(みんな)のためを考える
ことが 絶対善である。

☆ と規定し この規定内容を あらゆるふつう一般の事態にも当てはめる。




健康のため・あるいはきれいな環境のためにと普通に考えて みなで考え取
り決めたことについて そのような事態という事態を 何かの価値観によっ
て規定し整理しそれら全体にわたって無条件で当てはまる倫理規範のもとに
おさめたい。

(この総括するということが 大好物なように見受けられる)。



ところが このいま例になっている家族は たがいに取り決め合ったそのこ
とで――違反がなければ―― すでにハッピーである。

国と国とのあいだの問題についても 同じことである。
それだけのことではないであろうか。

正義などという言葉を持って来るからややこしくなる。水戸黄門の印籠ぢゃ
あるまいに。

あるいは 事実認識をほとんどそっちのけにして 人権といった理念を規範
――定言命令?――としてやたらめったら振りかざすものだから ややこし
くなる。
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この回答へのお礼

何を言いたいのか、わかるように書きなさい。私は絶対善を定義したのだよ。ソクラテスやプラトン達が探していた善のイデアだよ。これが善の本質なのよ。絶対的に正しいが分かったからどんな問題も解けるようになったのよ、わかる?

お礼日時:2019/04/25 20:46

#9です。



1.
>当時のドイツ人たちが絶対善を知っていれば「他民族を虐殺するのは世界の問題だから自分たちドイツ人だけで決めるのはおかしいだろう、ヒトラーの言うことはおかしいのではないか?」と考えることが出来て、ユダヤ人虐殺はなかったかもしれません。

ご質問文で次のようにおっしゃっておられます。

『そもそも問題とは何か、それは解決しなければならない課題です。一般的に言って問題とは困った問題が多い。そして、もしその問題をうまく解かなければ大きな不利益を蒙ることがあります。』

この着眼点はすばらしいと思います。
ただ、ヒトラーは『他民族を虐殺すること』を『問題だ』とは思っていなかったという点が重要でしょうね。
なので「世界の公」の問題だとする必要すら無かったわけです。
ヒトラーが特殊な人間であったかのように捉えるのは間違いです。
「わが内なるヒトラー」という要素はすべての人間が抱えている。
だからこそ、自分たちが彼と同じような方向にずれこまないよう、その思考を培っていく必要がある。
彼の行なった虐殺は、あくまで人民に資することだという強い信念があったればこそ可能だったのです。

因みに、ユダヤ人虐殺は公然と行われていたわけではありません。
しかし、国民がそれとなく気づいていたのは間違いない。
以前ドキュメンタリーで、アウシュビッツ(別の収容所だったかもしれない)解放直後の様子を見たことがあります。
がりがりに痩せさらばえた収容者の姿、抜き取られた大量の金歯、脳みその標本、収容所長の妻の趣味だったという入れ墨部分の肌の標本、数々の拷問道具。
連合軍に強制されたドイツ国民が、それらを見学して回る映像です。
ある者は失神し、ある者は吐しゃを繰り返す、目を背けて小走りに逃げ去ろうとする者、泣き叫ぶ者も。
ある者が、「俺たちは知らなかったんだ!本当に知らなかったんだ!」と叫びました。
その時、収容者の一人が静かにこう言い放ったそうです。
「いいや、あなたたちは間違いなく知っていた」

2.
>ヒトラーも相対主義者つまり正しいは人それぞれでいいのだ「俺こそが正義だ!」と言う考えだからユダヤ人虐殺が出来たのです。

おそらくですが、これは違うように思いますね。
そもそも「正しいは人それぞれでいいのだ」と「俺こそが正義だ!」は、まったく逆の思考では?
ウィキの解説がわかりやすそうなので抜粋してみます。

※相対主義の主張とは、ある要素は特定のフレームワークないし観点との相対的関係においてしか実在せず、そのフレームワークや立場は全ての人々において異なるという考え方である。反対に、歴史的・文化的文脈に依存せず、どのような観点から見ても必ず真であるかあるいは正しい命題というものがあるという考え方は、絶対主義と呼ばれる。※
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E5%AF%BE …
ヒトラーは、どのような観点から見ても(俺の思考は)必ず真である、と考えていたはずで、むしろ絶対主義者に分類できるように思われます。
レッテル張りはあまり意味がないので、どうでも良いのですが、一応。

3.

h→『みんなで安心して暮らせるように協力している人』の「みんな」の中に沖縄県民は含まれないのですか?
s→こんなことは言っていません。もし沖縄を公とするならばという条件でいったのです。

『もし沖縄を公とするならば「みんな」の中に沖縄県民は含まれない。』
という意味なのですね。
反対するなら、みんな(日本国民)の中には含まれない、という覚悟で反対しなくてはならない。
こういうお考えであることになります。
あなたのおっしゃることが完全に間違っているとは思いません。
ただ、そのお考えに則って私の考えを述べさせていただくなら、以下のようになります。

『沖縄だけ良ければ日本国民などどうでもいいと考えるのであれば、日本という国は立ちいかなくなる。しかし、日本という国のために沖縄が立ちいかなくなって良いということでもないはずだ。どちらも日本の仲間であり、仲間とはみんなで安心して暮らせるように協力している人たちを言うのだから。
双方の立場を十分に検証・検討した上で、お互いに誠意をもって解決の道を探ることが必要だろう。』

「沖縄だけが良ければ」とおっしゃるわけですが、良い悪いという限界を超えているのではないかという気が私はするんですよね。
つまり、「沖縄だけ」ではなく、あくまで「沖縄を」だと思うのです。
「沖縄だけ」という切り口ですと、自己中というニュアンスになってしまうわけですが、なぜ、そこまで主張したいのか、という点について十分検討されているのか、という点が大事でしょう。
オスプレイの訓練はぜひうちの自治体でやってください、と言える市長、市民がどれだけいますか?
沖縄にしても、すべての基地を全廃しろと言ってるわけではないはずです。

「善は公(みんな)の為にある」という絶対善は、公(みんな)を構成している個は絶対的に公のために犠牲になるべきだという論理が根底にあるように思われます。
「私欲を抑えて公の為とみんなで考えること」のようにトーンダウンされてもいるようですが大差は無いでしょう。
「絶対善」という概念自体は重いですよ。

4.
h:お住いの自治体に核のごみ最終処分場を建設することになっても、あなたは快く賛成するのですね?
s:国民みんなで話し合ってその土地が一番安全となれば最終的に妥協するしかないでしょう。仲間なら何とか妥協できるのです。

何とか妥協できるかどうか、をお尋ねしたのではありません。
(絶対善なのですから当然)快く賛成するのですか? とお尋ねしました。

「一番安全」という条件自体が不毛では。
せいぜい、「犠牲が少なくて済む」といったところじゃないでしょうか。
つまり交付金という餌にすがらざるを得ないような弱小自治体が引き受けざるを得なくなるのは、ほぼ間違いないはずです。
万が一何かあっても、一万人死ぬよりは千人で済むほうが合理的だろうといった程度の考えしかしていない。
大局的には「(わずか)千人」ということなわけですが、その当事者が、命を賭してまで納得できるものでしょうか。
絶対善とはいっても、結局、弱い者や少数者は強い者や多数者の犠牲になるべきだということをおっしゃっているにすぎないかと。

5.
>米軍撤退の問題は日本国民全体で話し合って決めるべきなのです。真摯に話しあえれば沖縄も分かってくれるでしょう。

なぜ沖縄に分かってもらわなければならないのですか?
『日本国民全体』の問題なのですよね?
地理的に一番便利とかというのは、沖縄を道具として見ていることになります。
そのように言う人たち自身は、常に安全圏にいてものを言っている。
「善」の出番などあり得ないでしょう。
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この回答へのお礼

>ヒトラーは、どのような観点から見ても必ず真である、と考えていたはずで、むしろ絶対主義者に分類できるように思われます。<

ですから相対主義はそれぞれの正しさがあっても良い、絶対的なものはないのだから、という主義でしょ? そのそれぞれの正しさの中に「自分の考えこそ絶対に正しい」と考える奴がいるんでしょ?これは相対主義の中の絶対主義?でしょう。ヒトラーにはヒトラーの絶対があってもいいと言う考えでしょう?
私の言う善的絶対主義はみんなの問題はヒトラーも含めてみんなで考えると言うものです。ヒトラーたちだけで絶対に正しいと決めることはできません。ですからユダヤ人虐殺を世界の問題ではなく仮にドイツ人の問題と考えてドイツ国民を公とすればヒトラーたちは私ですからね。ですからヒトラーたちはユダヤが憎い、または優生思想などの私欲を少し抑えてユダヤ人虐殺は本当にドイツの為になるのかとドイツ国民やヒトラーたちみんなで考えて答えを出さねばならないのです。

>「善は公(みんな)の為にある」という絶対善は、公(みんな)を構成している個は絶対的に公のために犠牲になるべきだという論理が根底にあるように思われます。<

私の言う絶対善は仲間の群れが一番うまくいくには「私欲を抑えて公の為と考えること」です。沖縄も日本国民なんですから仲間なんですよ。ですから、まず沖縄県民も他の県民も私欲をすこし抑えて公(国民みんな)の為と考えなければならないと言うことです。沖縄が絶対に米軍を追い出すんだという私欲を抑えきれないなら正しい答えには辿り着けません。各県が私欲ばかり主張したらまとまる問題なんて何一つありません。そんな群れは仲間ではありません。仲間であれば公の為にそれが一番いいとなれば、たとえ今回は自分が損になろうが妥協できるのが仲間です。「公の為と考える」とは沖縄県民も沖縄県の立場を忘れて総理の立場に立って考えると言うことです。


>何とか妥協できるかどうか、をお尋ねしたのではありません。(絶対善なのですから当然)快く賛成するのですか? とお尋ねしました<

「快く賛成するのですか?」って核の処理施設が来るのですから嫌でしょうよ。しかしみんなで考えてそこが一番いいとなれば仲間なのですから妥協しなければならないでしょう、公の為に。米軍撤退の問題もこれと同じです。次数が足りなくなりました。補足に書きました。

お礼日時:2019/04/25 20:38

#7です。



>「Aの公」と「Bの公」の間の問題とは何か、実例で示してもらえば何なりとお答えいたしますよ。

恐縮です。
ではいくつか。

1.
>本来、常識的に考えてドイツ人とユダヤ人を同じ仲間、公としてユダヤ人を虐殺してもいいとドイツ人が勝手に結論を出すことなど許されるはずはないでしょう。

ヒトラーは、ユダヤ人虐殺(延長線上での世界征服という野望)は「世界という公の為」にもつながると考えていました。
だからこそ難しい問題なのですよ。
自分たちの主義を敷衍することが世界平和につながると考えていたわけ。
彼にとって共産主義とユダヤ教は排斥すべき2大勢力でした。

『その各国の絶対善がぶつかり合ったときにはどうなるか?と言えば、各国の紛争の問題は世界の問題となりますから世界が公になります。』
ともおっしゃっておられますが、当時のドイツには「ドイツ国家の絶対善=世界という公のための行動」という思い込みがあった。
『世界が公』になった場合でも、自国の絶対善を押し通すことが世界の公にとっても絶対善である、という論理が彼の内でできあがっていたわけです。
つまり、
「A(ドイツ)の公」と「B(ドイツ以外の世界諸国)の公」との問題にならざるを得ません。
そして、これが戦争の基本的構図じゃないでしょうか。
こうした思考形態の人間にとっては、「自分の為=公(みんな)の為」なのですから、
「(問題に対して)正しいとは公(みんな)の為になる答えだよ」
と言っても意味がないですよね。
なので、

正しいとは公(みんな)の為

だけでは不十分であって、

何が公(みんな)の為なのか?

という点に焦点を当てる必要があります。
その過程で、当然、

「A(ドイツ)の公」と「B(ドイツ以外の世界諸国)の公」
がバッティングする局面は出てくるでしょう。
その場合に、どのように考えるべきなのか、という点に対する方向性が求められていると思うわけです。

2.
>『沖縄だけ良ければ日本国民などどうでもいいと考えるのであれば、もう沖縄は日本の仲間ではありません。仲間とはみんなで安心して暮らせるように協力している人たちを言うのです。』

沖縄県民も日本国民です。
『みんなで安心して暮らせるように協力している人』の「みんな」の中に沖縄県民は含まれないのですか?
一部が犠牲になるのは当たり前とおっしゃるなら、お住いの自治体に核のごみ最終処分場を建設することになっても、あなたは快く賛成するのですね?

また、以下のようにも言うことができる、という点にもお気付きになっていただきたいです。
『日本だけ良ければ沖縄県民などどうでもいいと考えるのであれば、もう日本は沖縄の仲間ではありません。仲間とはみんなで安心して暮らせるように協力している人たちを言うのです。』
この論理を無視なさるのであれば、力の強い者や権力だけに正当性があるのであって、弱い者や一個人など些末な存在にすぎない、という思想に通底していますね。
絶対善ではなく絶対主義がお好みであるような印象を受けます。
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この回答へのお礼

>当時のドイツには「ドイツ国家の絶対善=世界という公のための行動」という思い込みがあった。『世界が公』になった場合でも、自国の絶対善を押し通すことが世界の公にとっても絶対善である、という論理が彼の内でできあがっていたわけです。<

ですからそれはヒトラーたちだけの思い込みでしょう?自分たちこそが正しいと言う。それともドイツ人全体がそう考えていたと言うのならドイツ人全体にユダヤ人虐殺の責任が及びますよ。ドイツ人が他民族を虐殺するのはドイツ人だけの問題ではなく世界の問題ですからヒトラーがどう思おうと、まずは世界のみんなで話し合うと言うのが正しいと言っているのです。
私の言う絶対善はみんなの問題はみんなで話し合って決めようと言っているだけですよ。ヒトラーも相対主義者つまり正しいは人それぞれでいいのだ「俺こそが正義だ!」と言う考えだからユダヤ人虐殺が出来たのです。
当時のドイツ人たちが絶対善を知っていれば「他民族を虐殺するのは世界の問題だから自分たちドイツ人だけで決めるのはおかしいだろう、ヒトラーの言うことはおかしいのではないか?」と考えることが出来て、ユダヤ人虐殺はなかったかもしれません。


>『みんなで安心して暮らせるように協力している人』の「みんな」の中に沖縄県民は含まれないのですか?<

こんなことは言っていません。もし沖縄を公とするならばという条件でいったのです。


>お住いの自治体に核のごみ最終処分場を建設することになっても、あなたは快く賛成するのですね?<

国民みんなで話し合ってその土地が一番安全となれば最終的に妥協するしかないでしょう。仲間なら何とか妥協できるのです。


>力の強い者や権力だけに正当性があるのであって、弱い者や一個人など些末な存在にすぎない、という思想に通底していますね。絶対善ではなく絶対主義がお好みであるような印象を受けます。<

誰もそんなことは言っていません。勘違いしておられますよ。日本国民みんなの問題は国民みんなで話し合って決めようと言っているだけですよ。現在シナの工作のせいで沖縄では米軍出ていけ!の意見が多いですが、そんなことになったらシナの思うつぼです。米軍撤退の問題は日本国民全体で話し合って決めるべきなのです。真摯に話しあえれば沖縄も分かってくれるでしょう。現在の沖縄はサヨクに騙されているのです。

お礼日時:2019/04/25 06:32

No.2です。



> 個人に対する行為の評価だけではありません。
当たり前です。団体行動に対しても言えます。
そのくらいの応用はしてくれると持ったのですが、硬いですね、頭が。
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>善、つまり正しいとは問題があるから必要になります。

何も問題がないなら正しい、正しくないなんて全く必要はありません。ゆえに善悪(正しい、正しくない)は問題に対してのものだと分かります。

この点はわかります。
おっしゃるとおりと思います。
しかし、『問題』というものは、基本的に「別々の公」に所属している人同士の間で発生するものではありませんか?
であれば、

>簡単に言えば「(問題に対して)正しいとは公(みんな)の為になる答えだよ」と言っているわけです。

と言うだけでは、何の意味もないのではないですかね?
つまり、「Aの公」と「Bの公」の間の問題をどう解決するのか、という点についての答えにまったくなっていない、ということです。
一度、お休みして、ゆっくりと考察を深められるほうが賢明でしょう。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>つまり、「Aの公」と「Bの公」の間の問題をどう解決するのか、という点についての答えにまったくなっていない、ということです。一度、お休みして、ゆっくりと考察を深められるほうが賢明でしょう。<

何を言いたいのか良く分かりません。「Aの公」と「Bの公」の間の問題とは何か、実例で示してもらえば何なりとお答えいたしますよ。その方があなたも分かり易いのではないでしょうか。

お礼日時:2019/04/24 20:41

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