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釈迦やイエスは、人を殺すことを、完全否定していたのでしょうか。

A 回答 (6件)

追伸


参考書籍
新釈尊伝:渡辺照宏著 釈迦の本心:大川隆法著
なんかが判りやすくていいかもしれませんね。

この回答への補足

前回のお礼の中で述べた疑問点には、お答え頂けないようですね。
非常に残念ですが、まあ、色々ご事情がおありなんでしょうね。
以下の書籍などを読んで、勉強したいと思ってます(笑)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876207 …

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905854 …

補足日時:2004/12/05 20:11
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参考程度に


お釈迦の弟子への戒の授与は、個人の向上のためであって、現法の遵守は、つまり、国家の運営の問題とは違うということでしょうね。イエス様はカエサルの物はカエサルにという表現をしてますね。それから、お釈迦様が地獄の魔王マーラと争うことや、有名な般若教、色即是空の教えは、色をこの世あるいは肉体、また、空をあの世あるいは魂ととればあの世とこの世の転生輪廻の話であるとわかりますね。お釈迦様が単なるなにも無い「無」を説いた哲学者であれば、宗教にはなっていなかったですね。そのような考えですね。
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この回答へのお礼

>国家の運営の問題とは違うということでしょうね。イエス様はカエサルの物はカエサルにという表現をしてますね。

国家の運営の問題である戦争なども、否定する気持ちを持ってなかった
ということでしょうか?
私が思うには、当時は言論の自由が保障されていたわけではないので、
ストレートに国家運営に苦言を呈することはできなかっただけではないで
しょうか。
戦争や死刑は良くないと明言はできなかっとしても、「殺すなかれ」という
教えを、為政者が汲み取ってくれることを望んでいたのではないでしょう
か。
「現法の遵守」こそが正しいという思想であるなら、北朝鮮では、脱北す
る人が悪であり、その人達を処刑したり収容所に送ることは正当な行為
とみなされないでしょうか。

>お釈迦様が地獄の魔王マーラと争うことや

ネットで調べたのですが、マーラというのは、釈迦が悟りを開くのを邪魔
したとありますね。この世で正しいことを行なおうとした時に妨害しようと
する存在を、象徴的に表したものとも受け取れますね。具体的に経典名
などを教えて頂ければ、さらに調べてみたいと思っていますが。

>あの世とこの世の転生輪廻の話であるとわかりますね。

輪廻転生の思想は、釈迦が生まれる以前からあるバラモン教などで既
に存在してるようですね。となると、バラモン教と釈迦の思想は、何が大
きく違うのでしょうか?

>お釈迦様が単なるなにも無い「無」を説いた哲学者であれば、宗教にはなっていなかったですね

例えば、「わび・さび」といったものも、一見単純そうに見えても、そこに
無限の広がりを汲み取ることが可能です。
同様に「無」の思想も、とくにあの世と絡めることをしなくても、深遠な意
味を見出すことは可能だと思いますが。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/05 14:46

追伸の参考程度に


[死刑は、釈迦やイエスの教えに反する行為になりそうですね。]
死刑の可否の件でしたか。
お釈迦やイエス様が、死刑反対論を唱えたかというとそうでもないんですね。現法には従うという姿勢ですね。その意味で、刑としての死刑については、言及していませんね。悪いともいっていません。
罪を犯した場合は、悔い改めや反省は、出来るだけこの世で行いなさい、それが生まれる前の天国にもどる近道ですよ、それでもやむなく命をちじめた場合は、あの世にも反省する場所(地獄の何丁目)はあるというお考えですね。つまり心の悔い改めをどこでするかということだけなのです。この世でやるかあの世でやるかだけのことですね。だから言及していないのですね。この世が全てという教えではないのですね。
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この回答へのお礼

>死刑については、言及していませんね。悪いともいっていません。

悪いと言ってなければ、肯定していることになるんでしょうか?
「人を殺してはいけない」とは言っているようですから、そこに例外事項
があるとするなら、「死刑は例外である」と言っている方が自然に感じま
すが。
例外について言及してなければ、「人を殺してはいけない」が全てに当
てはまるように思えてなりませんが。

>あの世にも反省する場所(地獄の何丁目)はあるというお考えですね。

釈迦は、あの世について言及してなかったと聞いた覚えがありますが…。
言及していたということなら、どの経典のどの辺りにあの世について記載
されているのか、参考までに教えて頂ければありがたいですが。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/05 03:24

ちょっと変化球な答えで、反論もあると思うんですが、原始仏教では、「望まないものを殺してはならない」という解釈も出来るんだそうで、逆に言えば、望む者を殺すのは、決して否定されていなかったとも解釈できるんだそうです。



まあ、2500年も昔の話ですから、医療も未熟でしょうから、痛みに耐えるよりも尊厳死を選んだほうが良かったケースもあるとおもうんです。

釈迦の十代弟子の一人の、目連(モッガラーナ)さんは、他宗の暴徒に襲われて大怪我をして、お釈迦さまに許しを貰ってから涅槃に入ったと経典には残っていますから、もしかしたら、自殺なり、誰かの手を借りて死んだ可能性もあるんだそうです。

般若心経でお馴染みの舎利子(シャーリプトラ)さんも、同時期に自殺か、尊厳死した可能性があるんだそうです。

阿難(アーナンダ)さんは、二つの国の王の招きを同時に受けてしまい、どちらかを断ると、戦争になる可能性があるとして、焼身自殺をして、遺骨をそれぞれの国に与えたと言われています。

まあ、大昔のことですから、伝説化されている部分も多々ありますし、確認のしようが無いんですが、少なくとも原始仏教では、自殺は否定されていなかったということだと思います。 もしかしたら尊厳死の手伝いも否定されていなかったのではないかと推測します。

ただし、修行を積んで悟りを開いた人に限るのだと思います。
なんでもかんでもというわけではないと思います。
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この回答へのお礼

尊厳死などは認められていたとしても、頷けるものがありますね。
でも、やはり、死刑とかは駄目そうですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/03 18:22

参考に


イエス様はモーゼの十戒の1つ「殺すなかれ」は当然のものとしていました。ただ当時のユダヤ教はユダヤ教徒以外は別という考えもあったようです、今でもその痕跡はありますね。その上で「汝の敵を愛せよ」と言い切っていますね。だからユダヤの司祭は驚いたのでしょう。お釈迦様は、弟子に五戒を与えています。その1つが「殺すなかれ」ですね。逆にいえば、イエス様やお釈迦様の時代は、いろいろな理由で殺すことが当たり前のようにあったのでしょうね。お釈迦様は、そのように教えていましたが、一方100人も殺した当時の殺人鬼アングリーマーラという人を弟子にしていますね。この方は、釈迦教団で反省し、修行して、後に立派になられたという話もあります。どのような過ちにも許しはあるという教えですね。
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この回答へのお礼

死刑は、釈迦やイエスの教えに反する行為になりそうですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/03 14:09

完全否定してたと思います。

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この回答へのお礼

やはりそうですか。
ありがとうございます。

お礼日時:2004/12/03 14:06

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