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素朴な質問です

昭和は、63年迄と思っていましたが
正確には、64年と平成元年が同じ年に存在するのですよね?
1月1日から平成になったわけではないので・・・

何か違和感があるのは私だけでしょうか?
天皇の亡くなった翌年から年号が変わるとかにはできないのですかね

A 回答 (13件中1~10件)

 大正天皇ですが、大正15年(1926年)12月25日肺炎のため48歳で崩御されて、即日昭和に改元されたので、昭和元年は一週間ありませんでした。



 昭和元年生まれの人は貴重な存在ですし、たしか給料計算にも影響が出たと思います。
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確かに「年」ということを考えればおかしいのですが、そもそも元号というものは太古の昔から、時の天皇が「変える」といえばその日から変わっていたものですし(苦笑)、また一口に「年」といっても、始まる時期は1月(暦年)のほか、4月(会計年度)、6月(税会計上の年度)、さらには一般企業の決算の年度など様々ありますから、そういうものだと思うしかないのかもしれませんねぇ。



ちなみに、旧皇室典範では、元号の制定時期は「践祚の後」とされ、また先の天皇が亡くなったあと皇嗣は直ちに皇位につくこととされていましたから(旧皇室典範10、12条)、大正、昭和は天皇死去の翌日に元号が変わっています。現在の皇室典範、元号法には元号の変更時期の言及はありませんが、日本が近代国家となってからは元号の変更は直ちに行われている先例と、やはり皇嗣は直ちに即位するとされていること(皇室典範4条)となっていることから、今後も慣習的に、「直ちに」元号が変更されていくことになるのでしょうね。
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この回答へのお礼

皆さん様々なご意見を頂有難うございました
参考になりました

今後国民の誕生日も西暦で統一されるといいかな~って気がするのですが
昭和64年生まれと平成元年生まれが同じ年齢・・・
しかも平成元年は、一週間位しかなかった?
天皇が亡くなったら悲しみがどうのより次の年号何にする?どうなる?でてんやわんや

不思議な国ですよね

お礼日時:2004/12/06 10:29

元号法では、



1  元号は、政令で定める。
2  元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

というだけの規定ですから、「皇位の継承から何日以内に改元しなければならない」という決まりはありません。年末まで引き延ばしても違法ではないと思います。
(「大喪の礼」だとか「即位の礼」だとかいう関連儀式はけっこう長くかけて行われるのだから、「準備期間」を設けてもおかしくはない)

解釈では「皇位継承に限らない改元ができない」ことを規定しているだけで、「皇位継承にともなって改元しなくてはならない」という義務規定にはなっていません。

極端な話、昭和元年みたいな年末に、天皇だけでなく首相まで死んだり、内閣総辞職があったりして「政令」で定められなかったりする可能性もあります。

ちなみに、「大化」という元号は、後世の創作(「大化の改新」自体が単なる曽我氏暗殺事件にすぎない)で、現実に「大化」が使われた木簡も石碑も見つかっておらず、「大宝」が日本最初の元号だというのが正しいと思います。

しかし、海外では、「国際免許証」をつくってもらわなくても、自国の免許証で車の運転できるところが多いのだけど、日本の免許証は、文字は漢字だけ、生年月日は昭和何年でまったく通用しないのが困ったもんだというのが友人の経験
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もともと年号は天皇制とは関係ないものです。


疫病や不作があったとき、厄払いのためにかえたり、ずいぶんいいかげんな理由でかえられていました。
明治になってから天皇制に結びつけられたのです。
天皇制の存在を正当化する理由のひとつの刷り込みともなっています。
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 世界には、日本の他にも独自の年号を使っている国はあります。

イスラム暦(ヒジュラ暦)、ペルシア暦(イラン暦)、仏暦、ユダヤ暦などです。

 それから、日本の年号は別に明治に始まるわけではなく、645年の大化の建元に始まり、大化6年長門国より白い雉を献上したのを吉祥として年号を白雉(はくち)と改められたのが改元の最初です。その後しばらく年号が絶えましたが、文武天皇5年(701年)大宝の元号が建てられてからは、絶えることなく現代に至っています。

 でも、先進国で西暦の他に独自の元号を使っているのは日本だけですかね。
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西暦を使っていれば違和感はないですが。


(「昭和」の時代は、スポーツ新聞の歴代記録が「昭和」で書いてあったのが、スポニチも日刊スポーツも「西暦」です。報知は元号つかってますかね)

統計などでは、「新しいほう」にそろえていますが、「昭和元年のコメの収穫量」っていっても、「昭和元年」に稲刈りした人は誰もいないんだけどねえ。

昔は、「えと」で年号を計算していましたから(壬申の乱とか)、天皇家のゲンカツギやおもいつきで改元しても、庶民はあまり関係なかった。
元号を使うようになったのは明治以後。(天皇主権である明治~戦前より、国民主権の戦後のほうが歴史が長いんだから、やめてもおかしくないと思うけど、やはり天皇家を利用したい人たちがいますからね)
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キリスト紀元以外の年号をもつ唯一の国に


日本はなっていますね。

一種の「文化財」みたいですね。
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そうなったのは明治天皇崩御の時からだと思います。


それまでは1代の天皇で複数の年号があるのは普通、明治天皇が
天皇に即位したのは慶応4年、父孝明天皇が崩御したのは
慶応2年(慶応3年になってからせんそ=天皇位継承した)です。
明治に改元されたのは慶応4年の9月です。

昭和天皇が崩御した1月7日、名古屋の昭和区の郵便局では
昭和最後の日の日付スタンプをもらう人の行列ができたり、
あれは土曜出勤だったんですけど、昼頃には近所の文房具屋で
伝票の年号訂正用ゴム印が出荷されて買いに走ったりと何か
時代の変わり目を痛感しました。

またあの当時は年末年始で改元するべきという意見は出ず、
これを機に業務には年号じゃなくて西暦を使うべきという議論が
多かったと記憶しています。
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もともと、改元は天皇の代がわりには関わらずに行われていたものです。

縁起かつぎやなんかで。で、それは、年の変わり目ってわけではなかったと思います。

というのは、歴史的な経緯なわけで、それをそのまま続けなければならない理由も無く、翌年から改元にしてもおかしくないと思います。が、現在、元号の使用にこだわっている人々は嫌がりそうですね。

ちょっと前にあった冗談で、2001年を、「二千」元年として、あとは1000年間改元しないっていうのは、結構いいアイディアだと思うのですが…。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/gengou/gen …
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当時私は高校生でしたが、ちょうど冬休みが終わる時だったと記憶しています。

あと一日ずれていれば冬休みが一日伸びたのに・・・などと不謹慎なことを考えていたのを思い出します。

ですから、当時の記憶とともに何の違和感もなく天皇家の歴史と自分の歴史を振り返ることが出来ます。

その瞬間に立ち会えば違和感がないことに気付くと思います。
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