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この文が表しているのは、私の「動作(の継続)」でしょうか、それとも私の「状態」でしょうか。
この文は、

・(以前は東京に住んでいたが、)私は現在、北海道に住んでいる。

と言い換えることができると思いますが、これは「状態」を表わしているので [ 状態動詞 ] と個人的には考えます。
「動作(の継続)」を意味する [ 継続動詞 ] と考えてしまうと、

・(以前は東京に住んでいたが、)私は現在、北海道に住み続けている。

といったニュアンスになってしまうので不可でしょう。

・私は現在、本を読んでいる。

などのような「動作(の継続)」と同じように解釈すべきではないはず。
このように解釈できるシチュエーションとしては、たとえば以下があります。

・みんな施設に入ったが、彼だけは、未だに公園に住んでいる(住む)。

この場合は [ 継続動詞 ] と分類しても良いかと。
さらに、

・路上生活に終止符を打って、明日からは一軒家に住む。

は [ 瞬間動詞 ] でしょう。
(以上の見解の正否に拘わらず、)こうした微妙なニュアンスは大事にしていくのが妥当かと。
前置きが長くなりました。

「住む(住んでいる)」は [ 状態動詞 ] になり得ると思うのですが、いかがですか?

質問者からの補足コメント

  • #11お礼欄からの続き。

    >「住む(住んでいる)」という動詞は [ 状態 ] を表わす場合もあり得る。

    「住む」は動詞で、「住んでいる」は動詞「住む」+助動詞「て」+動詞「いる」で、<「住む(住んでいる)」という動詞>という理解自体が混乱しています。

    「住む(住んでいる)」という表現は、「状態」以外のアスペクトを表わすこともある。
    ということを簡潔に言っている。
    ひょっとしてですが、

    <「住む」という動詞>または<「住んでいる」というアスペクト表現>は [ 状態 ] を表わす場合もあり得る。

    というように記すべきだと?

    >例に挙げられた文は個別の対象の「シチュエーション」である事態を表わしています。

    ですから、それらは

    『動的な状態』を表わしていますか?

    とお尋ねしています。
    そもそも『規範としての語の意義』などに意味は無いと思っているので、最初から求めていません。

      補足日時:2019/05/12 14:38
  • #17お礼欄からの続き。

    >機能主義的な解釈に踏み外し、言語を活動自体とし、鑑賞者の活動すなわち「理解過程」をも言語に含めてしまっています。

    『言語を活動自体とし』という点は、あるひとつの言語は複数の活動を意味するものとして誕生したわけですから、そのとおりではないでしょうか。
    ただ、それがどんな活動であるかは文脈によって判断するしかないわけで、その判断こそが『鑑賞者の活動すなわち「理解過程」』でしょう。
    それを(文を抜きにした)言語自体に含めているとすれば、極めて奇異な認識と言わざるを得ませんね。
    『国語学原論』を読んだことがないですし、また二番煎じを基に、あまり確信的なことは申し上げられませんが。
    いずれにせよ、用語ではなく、実際に我々が発している言葉というものの、その無意識の仕組みを解明することが重要ではないでしょうか。

    下段へ続く

    No.17の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/12 22:55
  • 上段からの続き。

    〇〇論にせよ、〇〇学にせよ、所詮、そのためのツールではないですかね。
    用語に拘泥するのは構いませんが、本質から逸れない範囲でお願いできると、わたしのような浅学の途には有難いです。

      補足日時:2019/05/12 22:56
  • #18お礼欄からの続き

    5.
    >話者は「住ん・で・いる」という句を各語の意義と語順の規範に基づき追体験することにより、意味を理解します。

    (ネイティブの)話者は『「住ん・で・いる」という句を各語の意義と語順の規範』を無意識的に(しかし明示的にではなく)理解する、という点が肝要かと。

    >その理解の結果を元に、語に機能を還元しようという発想にしか見えません。

    『語に機能を還元』するのではなく、「語の機能を解明する」です。

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/13 13:46
  • #23お礼欄からの続き

    6.
    >「あるひとつの言語は複数の活動を意味するものとして誕生した」のではありません。この辺の雑な言語本質理解に基づき発想されるところに混乱が生まれているのではないかと危惧されます。

    「活動」ではないのですが、たとえば「女」という言語。
    「男」と分別するために誕生したはずですが、しかし【単独の意味】というものは存在しないはず。
    シチュエーションなり切り口になりによって多様な意味を持つでしょう、ということです。
    カントに倣えば、女という「物自体」は表現不可能なわけですから、女という言葉が多様な意味を持たざるを得ないのは、むしろ当然のことかもしれません。

    No.23の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/14 16:43

A 回答 (27件中11~20件)

>>(解決までには時間を)要する。

(男子は基本的に母親に)似る。は、
街を 歩ク。公園を 走ル。雨が 降ル。などと同様に、『動的』なのですか?
という問いです。

主張されている意味が少し理解できた気がします。

やはり、個別の文のでの動詞の意味を問題にされているということだと考えます。

○(解決までには時間を)要する。

の動詞「要する」は「必要とする」と言う「無→有」への時間的変化の意義を持ち、この文では「時間を必要とする」という具体的な、時間の無から有への動的な状態を表わしています。動詞の意義には「時間」などという個別性は含まれませんが文での意味は「時間を必要とする」という具体的な動的状態を表わしています。規範としての動詞が動的な意義を持ち、それを媒介として表現された個別具体的な内容も、当然のことながら、動的な内容にさらに具体的な内容がプラスされ意味を表わします。

さらに、対象の在り方により、これに「似る」と云う動作の抽象的な側面であるアスペクトとしての継続という意義を加え表現を立体化すれば、「(解決までには時間を)要している。」になります。この場合、継続と言う意義を動詞自体の意義に還元し[ 継続動詞 ] としたり、 [ 瞬間動詞 ] と何故呼びたいのか、そこが理解できないということです。

あくまで、それは、個々の文の意味でしかないと考えます。

言語道具観では、意義から機能、意味の全てを道具に還元するしかない論理的強制を受けます。話者による表現と、聞き手によるその表現の追体験による理解という表現→理解という過程的構造を捉えなければ科学的な言語論、文法論は構築できません。
この点は、時枝も、

更に厳密にいへば、言語は『語ったり』『読んだり』する活動それ自体であるといふことが出来るのである。(『国語学原論』)

と、機能主義的な解釈に踏み外し、言語を活動自体とし、鑑賞者の活動すなわち「理解過程」をも言語に含めてしまっています。音楽活動や絵画活動、音楽鑑賞、絵画鑑賞がそれぞれ異なるように、表現と鑑賞を一緒くたにしてしまっては、それぞれの表現の特殊性、本質を捉えることはできません。■

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>この場合、継続と言う意義を動詞自体の意義に還元し[ 継続動詞 ] としたり、 [ 瞬間動詞 ] と何故呼びたいのか、そこが理解できないということです。

あくまで、それは、個々の文の意味でしかないと考えます。

原点は下記質問です。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11092199.html
わたしの意図を知るためには、そこでの回答内容がご参考になるかと。

※「(て)いる」という補助動詞には多様な用法がありますが、「近所に住んでいる子供」は、「継続・進行形」あるいは「結果の存続」という用法ではありません。
これらの用法は、
「空を飛んでいる鳥」 「今、手紙を書いている」⇒継続・進行形。
「入り口のドアがあいている」 「時計が止まっている」⇒結果の存続。
という例文のように、あくまで瞬間的動作に対して使われます。

「近所に住んでいる子供」の場合、「近所に住み続けている子供(継続・進行形)」や「近所に住んだ状態が存続している子供(結果の存続)」という意味ではない。
「近所に住む、という状態でいる子供」という意味です。※

つまり、「住んでいる」に「継続・進行形」の用法しか見い出せない方が多いのは、「住む」を継続動詞と決めつける傾向があるためではなかろうか、ということ。
住むという動作が進行しているという発想自体が、わたしには理解できないのですが、それはさておきます。

『継続と言う意義を動詞自体の意義に還元』しているわけではありません。
むしろ逆なのですけどね。
多様な意義を持っている、と言ってるだけなのですが。
だからこそ、実際問題として、ある時には継続動詞として作用し、ある時には瞬間動詞、あるいは状態動詞として作用しているではありませんか。
継続動詞という区分けが気に入らなければ、継続の用法でも良いです。
『何故呼びたいのか』とおっしゃいますが、では、こういった作用を実際に持っているという事実に関して、どのように説明なさるのですか?

以下、補足欄へ。

お礼日時:2019/05/12 22:54

>動的な状態


私に言わせれば日本語の理解できない人が使うこと場です。
状態→広辞苑の説明によれば、その時、そうなっている、つまり瞬間の・・・、言い換えれば静止画像を見るのと同じ、もっとわかりやすく言えば、ボールを投げてカメラのシャッター速度1/1000秒で撮影したのと同じ、動きは映りません。
動的・・・・「的」自分で何を言っているのかすらわかっていないときにもよく使われます、相手が「的」を省略して理解してくれると「計算」している(詐欺師の場合)。
元本保証的なものです→元本保証ではないから「的」をつけます、このまま的用すると「動」ではないから「的」をつけた、いったい何を言いたいの、と言うことになります
動的、といえば相手が「動」のことだと「思ってくれるものだ」と、たいそうな勘違いしている(質問者)
動、と状態、これこそ矛盾です、だから「的」をつけて、ごまかそうとしているのが見え見えです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>動的な状態
私に言わせれば日本語の理解できない人が使うこと場です。
>動的、といえば相手が「動」のことだと「思ってくれるものだ」と、たいそうな勘違いしている(質問者)
動、と状態、これこそ矛盾です、だから「的」をつけて、ごまかそうとしているのが見え見えです。

ま、おっしゃりたいことはわかりますが、「形容詞や形容動詞が表す状態」と分別するための表現でしょう。
ただ、目くじらを立てるほどの事ではないうえ、論点はそこではありません。

(解決までには時間を)要する。
(男子は基本的に母親に)似る。
などは、
(街を)歩ク。
(公園を)走ル。
(雨が)降ル。
などのような『動的な状態』とは分けて解釈すべきではないのですか?
ということ。
個人的に、前者は『動的ではない状態』と思う、ということ。

お礼日時:2019/05/12 19:10

>矛盾しているようですね。


そう思われませんか?
まったく思いませんね、どだい頭の構造が違うようです。
表現は自由です、少しことなるが・・理解できるかな。
人の名前漢字は制限されていますが、どう読むかは制限されていません、つまり、悪魔と言う名前、一時問題になりましたが。
では善人で読みが「あくま」だとどうなるのかな?。
> [ 状態動詞 ] になり得ると思う』
なぜなりうる?広辞苑からの引用見ました、また微分の話理解できた?。
それはそうと
>『動詞の終止形は静止画像』というのは間違いでしょうね
製紙画像に例えてた私と、動詞の意味に広辞苑の説明にあるように、物事の【その時】そうなっている有様の、「状態」を持ちだしたあなたとどちらが間違いなの?。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>(矛盾しているとは)まったく思いませんね、

(ア)『そう(動詞で状態を表すことはできないと)いうことです、』
(イ)『その状態を「住む」と表現しただけです、』
この2文は、どちらも fxq11011 さんのご発言です。
これはお認めになりますか?

認めるという前提でですが、
(ア)は、動詞で状態を表すことはできない、とおっしゃっています。
(イ)は、「その状態」を「住む」と(いう動詞で)表現できる、とおっしゃっています。
これは矛盾していませんか?

2.
>表現は自由です、少しことなるが・・理解できるかな。

表現は自由ですし、異なっていても構わないですが、ご自分で言ったことに矛盾があると論理破綻しますので、もはや表現という行為から外れます。

3.
>> [ 状態動詞 ] になり得ると思う』
なぜなりうる?

質問文を普通に読んでいただければ分るでしょう。

この文は、
・(以前は東京に住んでいたが、)私は現在、北海道に住んでいる。
と言い換えることができると思いますが、これは「状態」を表わしているので [ 状態動詞 ] と個人的には考えます。

と記しているとおりです。

4.
>(『動詞の終止形は静止画像』)
製紙画像に例えてた私と、動詞の意味に広辞苑の説明にあるように、物事の【その時】そうなっている有様の、「状態」を持ちだしたあなたとどちらが間違いなの?。

別にどちらも間違っていないでしょう。
同じことを言っているわけですし。
ご自分でも、

②状態 → 物事がその時そうなっているありさま
      ※私見です(まさに静止画で見た状況そのもの、静止画の説明にそのまま使えそうですね)。

とおっしゃっていますよね?

5.
因みに、下記質問にお答えにならないのはなぜですか?
見落としかもしれませんので再掲しておきます。

>①様子 → ありさま、なりふり、些細・訳・事情 
      ※私見です(動詞で表現される動きに伴う、これらすべてを連想させるため、代表的に終止形をあてた)。

「様子」は「状態」でもありますよね。
動詞で様子(状態)を表すことができるのですか?
例を挙げてみてください。

お礼日時:2019/05/12 18:50

>>質問文を見て、『単語である規範としての動詞の意義』を問うているものでないことが、おわかりいただけないですかね。



では、何を問うておられるのでしょうか?
意味であれば、それぞれの「シチュエーション」に依拠した個別の内容になります。

>>ご自分に都合よい形で引用なさっていませんか?

そうした誤解を避けるため、『金田一春彦著作集 第三巻』の229P(「日本語の動詞」継続動詞・瞬間動詞その他)を直接引用したのですが。

>>>残念ながら、金田一にはこの抽象、一般化の論理が理解できておらず、:
まさかそんなことは無いと思いますが。

いえいえ、金田一は「不変化助動詞の本質 再論―時枝博士・水谷氏・両家に答えて―」で、「私は現行の諸文典は、山田文典、橋本文典、時枝文典など、いずれも、パロールの文とラングの文を混ぜて、文の例としてあげているように思う。」と頓珍漢なことを言っています。この「不変化助動詞の本質」自体、意義と意味を混同した抽象、一般化の論理が理解できていない誤った論を展開しており、あくまでソシュールパラダイム内での混乱した議論を展開しています。

>>『動的な状態』を表わしていますか?

『動的な状態』とは、動詞について言われているのか、文の意味について言われているのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>では、何を問うておられるのでしょうか?
意味であれば、それぞれの「シチュエーション」に依拠した個別の内容になります。

「住む(住んでいる)」は 、「シチュエーション」に依拠した個別の内容として、[ 状態動詞 ] になり得る(場合もある)と思うのですが、いかがですか?

という意味になりますかね。
質問文からそう読み取るのは難しそうでしょうか。

「住む」は継続動詞

のように分類してしまうために、『「シチュエーション」に依拠した個別の内容』について思いが行かず、状態を表わすという用法にも気づけなくなっているのではないだろうか?
という意図です。

【この文が】表しているのは、私の「動作(の継続)」でしょうか、それとも私の「状態」でしょうか。

と冒頭言っているわけで、

【この言葉が】表しているのは、私の「動作(の継続)」でしょうか、それとも私の「状態」でしょうか。

ではないのですが、言葉足らずでしたか。
しかし、これだけ例文を挙げているのに、そう言われてしまうと打つ手がないかもです。

2.
>『動的な状態』とは、動詞について言われているのか、文の意味について言われているのでしょうか。

『例に挙げられた文は個別の対象の「シチュエーション」である事態を表わしています。』
に関してお尋ねしているのですから、これらの動詞が、これらの文のようなシチュエーションの中で表している意味についてに決まっているでしょう。

(解決までには時間を)要する。
(男子は基本的に母親に)似る。
は、
街を 歩ク。
公園を 走ル。
雨が 降ル。
などと同様に、『動的』なのですか?

という問いです。

お礼日時:2019/05/12 18:22

>動詞で状態を表すことはできない、ということですか?


そういうことです、だから形容詞や形容動詞があります。
先に微分の話しましたが、あなたにとっては無関係でしょうが、この問題については大いに参考になります。
※移動した距離を時間で微分すれば速度になります、速度を時間で微分すれば加速度になります。
「住む」→日常生活一切合切を含む行動になります、わずか数文字では表せません、そこで住むという動きを時間で微分、時間がなくなれば、動きはなくなります、いわゆる状態だけになります。
その状態を「住む」と表現しただけです、だからと言って状態動詞、と言ってしまうと動詞すべてが同じことになります、状態動詞なんてわざわざいう必要ありません
>他人の同意を得たい?、一般的と決めてほしい(そうすれば責任を持つ必要がない)。
これがどういう意味か分かりますか?、言われたことしか・・・・・・。
ったく、文章が理解できていません。
個人的な日本語の感性です。
走る様子が目に浮かぶ、走っている様子が目に浮かぶ。
走る状態が目に浮かぶ×、走っている状態が目に浮かぶ△。
「様子」→走っている時のすべての仕草、表情、息づかい・・・その他を含みます。
「状態」→様子に比べると、より限定した部分?についての表現?。
同様に、「住む」に適用すれば。
住む様子が目に浮かぶ×、住んでいる様子が目に浮かぶ(日常生活の様子が・・・)
住む状態が目に浮かぶ××、住んいる状態が目に浮かぶ△(瞬間の判断による様子、貧困             状態、裕福な状態、、悲惨を感じる状態、幸せ一杯を感じる             状態・・・一目で感じる状態)
参考 広辞苑によれば(状態を表す動詞・・なんて平然と言う人にとっては広辞苑なんか・・・でしょうが世間一般はそうではないはずです)
①様子 → ありさま、なりふり、些細・訳・事情 
      ※私見です(動詞で表現される動きに伴う、これらすべてを連想させるため、代表的に終止形をあてた)。
      だから基本形と言いたい?。
②状態 → 物事がその時そうなっているありさま
      ※私見です(まさに静止画で見た状況そのもの、静止画の説明にそのまま使えそうですね)。
他人を批判(否定)したつもりが、自分で墓穴を掘っちゃったみたいですね、でも気づかない?いや気付こうともしないかな?。
自分で、得た情報を理解し、自分で組み立てた知識なら、自分で変更可能です。
結果だけの情報の受け売り、又はコピーしただけの知識では、自分で訂正する根拠?がわかりません、変更できません、哀れ!のひと言かな?。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>そう(動詞で状態を表すことはできないと)いうことです、
>その状態を「住む」と表現しただけです、

矛盾しているようですね。
そう思われませんか?

2.
>だからと言って状態動詞、と言ってしまうと動詞すべてが同じことになります、

『 [ 状態動詞 ] になり得ると思う』と言っているのであって、『言ってしま』っているわけではありません。
そもそも、そういう分類には意味を見出していませんので。

3.
>個人的な日本語の感性です。

それはどうでも良いですが、どういった意味で、

他人の同意を得たい?、一般的と決めてほしい(そうすれば責任を持つ必要がない)

とおっしゃっているのですか?
とお尋ねしています。

どの部分が『ただの受け売り』なのですか?

という問いにもお答えいただいてないようですね。
fxq11011さんの言うことを理解しようとしているのですから、ちゃんと答えてください。

4.
>①様子 → ありさま、なりふり、些細・訳・事情 
      ※私見です(動詞で表現される動きに伴う、これらすべてを連想させるため、代表的に終止形をあてた)。

「様子」は「状態」でもありますよね。
動詞で様子(状態)を表すことができるのですか?
例を挙げてみてください。

5.
>他人を批判(否定)したつもりが、自分で墓穴を掘っちゃったみたいですね、でも気づかない?いや気付こうともしないかな?。

揶揄がお好きなようですが、ご自分の言いたいことを論理だてて言えるようにすることに、もう少し気を配られたほうがよろしいですよ?
今後のためにもね。
相手を揶揄したからといってご自分の正当性が担保されるわけではありませんので。
ご留意ください。

お礼日時:2019/05/12 15:26

もう少し補足させていただきますと、語というのは、種々のシチュエーション、対象世界のもつ、普遍性、一般性を概念として抽象したものです。

これを規範化し、媒介することにより、個別のシチュエーション、場面を文として表現するもので、この抽象により同じ表現である、絵や写真、映画と異なり、心の中や抽象的な内容を表現することが可能になっています。

残念ながら、金田一にはこの抽象、一般化の論理が理解できておらず、認識→表現の過程的構造を無視するしかなくノベッタラに表現と対象を直結しています。この根源にはラングを言語とするソシュールパラダイムがあることは、先に指摘した通りです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>残念ながら、金田一にはこの抽象、一般化の論理が理解できておらず、

まさかそんなことは無いと思いますが。
その動詞が頻繁に示すシチュエーションによって分類することで、何らかのまとまりを付けたかったのではないですかね。
実際、
「瞬間動詞」と「第4種の動詞」
「継続動詞」と「瞬間動詞」
などの区別は難しいとも言っているようです。
つまり、理解できてなかったわけではなく、動詞理解に対する方法論が異なる、ということなのでしょう。
頻繁に示さないシチュエーションについて見落とされる可能性が広がってしまう、という点で個人的には異論を持つものですけどね。

>この根源にはラングを言語とするソシュールパラダイムがあることは、先に指摘した通りです。

この点に関しては理解にあまりますので保留とさせていただきたい。

お礼日時:2019/05/12 14:47

>>意味が生まれるのは基本的にシチュエーション次第かと。



「シチュエーション」つまり、個別の対象、場面を話者が認識し、この認識の表現として文が生まれます。この、対象→認識→表現の関係が意味です。しかし、単語である規範としての動詞の意義はシチュエーションとは関係がありません。これが、結びついていたら、異なるシチュエーションには使用できなくなります。この意義と意味を直結して理解しようとするところに、<「住む(住んでいる)」は [ 状態動詞 ] になり得ると思う>という発想が生まれます。

>>「住む(住んでいる)」という動詞は [ 状態 ] を表わす場合もあり得る。

「住む」は動詞で、「住んでいる」は動詞「住む」+助動詞「て」+動詞「いる」で、<「住む(住んでいる)」という動詞>という理解自体が混乱しています。

>>始まる は瞬間動詞であり、始まっている のように記すと、結果の残存になる。
ということを金田一は言っているのでしょう。

(ハ)瞬間動作動詞 「……テイル」の形をもち、動作の完了後を表わす。 例、ハジマル・終ル・死ヌ・結婚スル
……
この分類は、動詞のいわゆる助動詞・補助動詞がついた場合に効力を発揮する
金田一「日本語の動詞」より

と記しています。つまり、金田一は動詞自体を分類し、<始まっている のように記すと、結果の残存になる。>のではなく、<「……テイル」の形をもち、動作の完了後を表わす。>ことが出来る動詞は「瞬間動作動詞」だと言っています。これは、「シチュエーション」に依存する表現(「……テイル」の形)を「シチュエーション」に依存【しない】規範としての動詞自体の意義に直結する誤りです。

>>(解決までには時間を)要する。(男子は基本的に母親に)似る。(水が)澄む。(角が)とがる。なども『動的な状態』を表わしていますか?

動詞とは、実体の<時間の的に変化する属性>の表現であり、これを状態と呼ぶのであれば、「ある」「いる」「要する」「似る」「澄む」「とがる」は全て『動的な状態』を表わしています。これは、規範としての語の意義で、文、文脈による意味ではありません。

例に挙げられた文は個別の対象の「シチュエーション」である事態を表わしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「住む(住んでいる)」は [ 状態動詞 ] になり得ると思う>という発想が生まれます。

質問文を見て、『単語である規範としての動詞の意義』を問うているものでないことが、おわかりいただけないですかね。
状態・継続・瞬間などの意義を持つと例文を挙げてもいるでしょう。
なぜ、このような誤解が生じるのか極めて不思議。

>(ハ)瞬間動作動詞 「……テイル」の形をもち、動作の完了後を表わす。 例、ハジマル・終ル・死ヌ・結婚スル
……
この分類は、動詞のいわゆる助動詞・補助動詞がついた場合に効力を発揮する
金田一「日本語の動詞」より

と記しています。

『……』部分が不明ですが、それを無視して類推すると、『この分類=(ハ)瞬間動作動詞』なのでしょう。
しかし、

『瞬間動作動詞』という分類は、動詞のいわゆる助動詞・補助動詞がついた場合に効力を発揮する

とは、どういう意味なのか、理解に苦しみます。
ご自分に都合よい形で引用なさっていませんか?

>つまり、金田一は動詞自体を分類し、<始まっている のように記すと、結果の残存になる。>のではなく、<「……テイル」の形をもち、動作の完了後を表わす。>ことが出来る動詞は「瞬間動作動詞」だと言っています。これは、「シチュエーション」に依存する表現(「……テイル」の形)を「シチュエーション」に依存【しない】規範としての動詞自体の意義に直結する誤りです。

ご自分がおっしゃっている意味をわかっておられるのですかね。

<「……テイル」の形をもち、動作の完了後を表わす。>ことが出来る動詞は「瞬間動作動詞」

という文は、

<始まっている のように、結果の残存を表わす。>ことが出来る(「始まる」という)動詞は「瞬間動作動詞」

と言い換えられることはおわかりになりますか?
金田一は、このように言っている、とアスナロウさんはおっしゃっているわけです。
であるなら、

<始まっている のように、結果の残存を表わす。>ことが出来る(「始まる」という)動詞は「瞬間動作動詞」

という金田一の文の内容と、

<始まる は瞬間動詞であり、始まっている のように記すと、結果の残存になる。>

という私の解釈文に、どんな差異があるのですか?
以下、補足欄へ。

お礼日時:2019/05/12 14:10

>>「住む(住んでいる)」は [ 状態 ] を表わす動詞として機能する場合もあり得る。



やはり、「機能する」というのが語の意義が文で変化し意味になるという言語道具観の発想に見えます。機能するのではなく、話者の個別認識を媒介するという過程的、立体的な媒介構造を捉えなければならないと思います。

意味はどこから生まれるとお考えでしょうか。語自体が生み出すはずがなく、後は語用論的な発想しかないと思いますが。

金田一の継続動作動詞の定義は、

「……テイル」の形をもち、動作の進行中を表わす。例、読ム・書ク・歩ク・走ル・降る

ですが、動作の進行中を表しているのは抽象(形式)動詞「イル」で、この定義は誤りと考えています。
状態を言うのであれ、動詞は全て動的な状態を表わしています。静的な状態は形容詞が表します。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>やはり、「機能する」というのが語の意義が文で変化し意味になるという言語道具観の発想に見えます。機能するのではなく、話者の個別認識を媒介するという過程的、立体的な媒介構造を捉えなければならないと思います。

意味はどこから生まれるとお考えでしょうか。語自体が生み出すはずがなく、後は語用論的な発想しかないと思いますが。

『語用論的な発想』というのが良くわかりませんが、意味が生まれるのは基本的にシチュエーション次第かと。

「住む(住んでいる)」という動詞は [ 状態 ] を表わす場合もあり得る。

なら問題ないですか?

2.
>金田一の継続動作動詞の定義は、

「……テイル」の形をもち、動作の進行中を表わす。例、読ム・書ク・歩ク・走ル・降る

ですが、動作の進行中を表しているのは抽象(形式)動詞「イル」で、この定義は誤りと考えています。

抽象(形式)動詞「イル」は、結果の存続も表わすと思います。

読む は継続動作であり、読んでいる のように記すと、進行形になる。

始まる は瞬間動詞であり、始まっている のように記すと、結果の残存になる。

ということを金田一は言っているのでしょう。
継続動詞に関して、『動作の進行中を表しているのは抽象(形式)動詞「イル」で、この定義は誤り』というのは、彼の定義に対する批判になっていないのでは。

3.
>状態を言うのであれ、動詞は全て動的な状態を表わしています。静的な状態は形容詞が表します。

(解決までには時間を)要する。
(男子は基本的に母親に)似る。
(水が)澄む。
(角が)とがる。
なども『動的な状態』を表わしていますか?

お礼日時:2019/05/11 23:28

>状態を表わす動詞


この認識自体間違いも甚だしい、状態を表す言葉の品詞は形容詞、形容動詞です、以前の回答で触れているはずです。
>動詞の終止形は静止画像』というのは間違いでしょうね。
質問者がそういう理解をしようとしているだけです、動画の内容そのまま、品詞「動詞」などと文字で表現できるはずがありません。それをそのまま○○動詞なんて間違った理解しようとしているのが質門者です。
したがって、その通り、「静止画像を」見ているかの様な理解は間違いなんですよ。
>コピーしただけの知識
理解した内容を自分で再構築して、知識とし、外部に発信できる知識です、ただの受け売りではない知識です。
学生が同級生に教える、自分にとっても非常に有効な勉強になるらしい、なぜか?、この相手には、どんな順序で、どんな言い回しで方言すればよく理解できるか?、と自分で考えるからです、受け売りのまま、結果をコピーしたままではそれができません。
>「住む(住んでいる)」は [ 状態動詞 ] になり得ると思うのですが、いかがですか
日本語理解できないのはどちら?
回答の冒頭で、「前提自体がありません、私には「状態動詞」という表現、言葉がありません、不要だからです」
なり得る・・云々以前の問題、議論?にすらならないといっているんですが、理解できないようですね。
>前提が成立していませんので、こうした論理展開は妄想染みてしまいますね。
落語の話ですが「俺は気違いなんかじゃない!」「ほれ、みろ、だから気違いなんだよ」。
自分では認識できない、だから・・・問題、ということです。
>前提が成立していませんので
ここであなたの認識する前提とは?なんなの?、ただ他人の言葉をオウム返しで使っても、しょせんオウム返しにすぎません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>この認識自体間違いも甚だしい、状態を表す言葉の品詞は形容詞、形容動詞です、以前の回答で触れているはずです。

動詞で状態を表すことはできない、ということですか?

>理解した内容を自分で再構築して、知識とし、外部に発信できる知識です、ただの受け売りではない知識です。

ですから、どの部分が『ただの受け売り』なのですか?
とお尋ねしています。

>ここであなたの認識する前提とは?なんなの?、

上の内容に関連しますが、
『言われたことしかやらない・・・に通じる感覚』という結論に対して、『ただの受け売り』という前提が成立していないのでは?
ということです。

どの部分が『ただの受け売り』なのですか?

に答えていただけるなら、その部分が前提となりますが、そうした部分はないでしょう?
ということですね。

お礼日時:2019/05/11 19:38

>状態動詞


前提自体がありません、私には「状態動詞」という表現、言葉がありません、不要だからです。
動詞を何が何でも説明したい?。
数学や物理の微分をズバリこれがそのものだ、提示できますか?。
時間について、限りなく0に近いが、0ではない→これの現実状態示せますか?。
動く、を視覚情報で説明なら、動画でないと説明できません、動詞の終止形は静止画像でその動詞のいわば代表です、それから受ける以外の動詞のイメージ(動画の内容を含みます)。
理解して得た知識は、自分の責任でいつでも変更可能です(理解の仕方が間違っていた場合等)。
一方コピーしただけの知識では、自分では変更できません(責任持てないから)、逆に言えばそのコピペ知識を丸投げしても、責任持つ必要ありません。
状態動詞、自分でそう思うのは勝手です、他人の同意を得たい?、一般的と決めてほしい(そうすれば責任を持つ必要がない)。
どういう意味か分かりますか?、言われたことしかやらない・・・に通じる感覚だと思います。言われたことだけ・・・なら自分の責任発生しませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>私には「状態動詞」という表現、言葉がありません、不要だからです。

「状態を表わす動詞」

という表現なら必要そうですか?

>動く、を視覚情報で説明なら、動画でないと説明できません、動詞の終止形は静止画像でその動詞のいわば代表です、それから受ける以外の動詞のイメージ(動画の内容を含みます)。

説明するための概念がアスペクトでは?
『動詞の終止形は静止画像』というのは間違いでしょうね。

>一方コピーしただけの知識では、自分では変更できません(責任持てないから)、逆に言えばそのコピペ知識を丸投げしても、責任持つ必要ありません。

おっしゃっている意味がよくわからないのですが、「コピーしただけの知識」とは本質問に置いては具体的に何を指していますか?

>状態動詞、自分でそう思うのは勝手です、他人の同意を得たい?、一般的と決めてほしい(そうすれば責任を持つ必要がない)。

これまた意味不明ですな。

「住む(住んでいる)」は [ 状態動詞 ] になり得ると思うのですが、いかがですか?

という日本語の意味が理解できないということですかね?

>どういう意味か分かりますか?、言われたことしかやらない・・・に通じる感覚だと思います。言われたことだけ・・・なら自分の責任発生しませんね。

前提が成立していませんので、こうした論理展開は妄想染みてしまいますね。

お礼日時:2019/05/11 18:40

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