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いじめってどんな理由があってもやってはいけない事ですよね?

それは誰でも分かってるはずなのになぜ、悪口を言ったりいじめをしたりする人がいるのでしょうか?

A 回答 (5件)

いじめをしている方は、「いじめているつもりなどない」と思っている人が多いと思います。


いじめてる方にしてみれば、悪口は大したことないような認識なのだと思います。それに、悪口を言うということは、その人に何か不満があったり、その人のことが嫌いだったりして、さすがにそのことを本人に直接言うわけにはいかないので、友達に悪口を言いストレス(?)を発散しているのだと思います。そしてその友達たちも共感や便乗をして、その子の悪口を始め、だんだんとエスカレートしていきいじめに発展していきます。エスカレートしたいじめは、もう後戻り出来なくなり、止められにくくなります。

もちろん、いじめようという意志を持っていじめている人もいます。
その人達は、自分が強いことを自慢したかったり、弱い人を従わせたり虐めたりして優越感(?)などにひたっているのかと思っています。
そういう人達は、いじめはやってはいけないことと知ってはいるけど、思っていないのだと思います。
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この回答へのお礼

勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/11 11:56

>いじめってどんな理由があってもやってはいけない事ですよね?


それはどうでしょう?
内容、経緯、状況、目的などによりけりです。
定義なんてバラバラですからね。
本人がそう受け止めればイジメ、という定義すらあり、それを採用して語ってる人もいます。
ですからどんな事案がイジメとして語られてもおかしくありません。

この手の質問でアレコレ語ってる人が見ても『こんなのがイジメ? ふざけるな!』って言いたくなるようなケースだってあると思いますよ。

悪口と称されるものも問題点に対する指摘でしかなかったり、イジメと称される厳しい対応だってその集団の『きまり』に基づいた指導や処分でしかなかったりします。
ですからイジメという認識が無かったり、イジメだと喚く側が間違っているという認識になるのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2019/05/11 11:57

犯罪が無くならないのと同じです。




脳科学的にいえば、属する集団を
守るための本能的行為が、脳の誤作動により
いじめとなって顕れるんだそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/11 11:57

それは、きっとイライラのはけ口かな。


家や学校で面白くないと、人に当たりたくなる。
そのストレスのはけ口にされているだけ。
だから、いじめられている人は悪くない。
ただおとなしいから、いじめやすいだけ。
何も反論しないし。
でも、そんな弱い人間になってはいけない。
いじめをするなんて、人間のクズだから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/11 11:56

>いじめってどんな理由があってもやってはいけない事ですよね?



そうです。

>それは誰でも分かってるはずなのになぜ、悪口を言ったりいじめをしたりする人がいるのでしょうか?

誰でも分かっている事ではないからです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
《補足》

人間の心の中には、下記の十種類の境涯が一つも欠けることなく存在しています。
いじめ・・・他人を見下す、他人を馬鹿にする、自分が優位に立たないと気が済まない、
他人が困っている姿を見るのが好きだ、等という生命状態は4番目の『修羅界』の衆生なの
です。
そしてこの生命状態(境涯)というものは、『人の為す業』となり消える事がありません。
必ずやどこかでそれなりの報いを受けるものなのです。
これがどれだけ恐ろしい事かが分かっていないから、平気で人をいじめるのです。
これは業だから、来世虫に生まれて踏みつぶされるかもしれない。
もしくは、近い将来社会に出て嫌というほど逆にいじめられるかもしれない。

【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯は一つも欠けることなく平等に人間に具わっています。
それを『十界互倶(じゅうかいごぐ)』と言います。
これらは瞬間瞬間に何かの縁に触れ変わっていくものです。
そしてハードディスクの様に全ての行為を業として記憶していくもので、この世で亡くなっても
未来世まで存続していくものなのです。

だから、、、、悪い事はやっちゃダメなのです。

崇高に生きろ、、、という事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/11 11:56

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