1. われなるミクロコスモスと世界なるマクロモスモスとは 同時に生成
している。
2. この仮説を問います。例証として コトバの生成について想像した仮
説をタトヘとしてかかげます。
*
3. 奈良(ちなみに na-ra =地‐ら⇒奈良。cf. no-ra=野‐ら)の三輪山
あたりの地で のちに《たたなづく青垣 山隠(ごも)れる》と形容された
その風景を見て われらが祖先の誰かが:
HA.....
と発出した。
4. この場合 ただ ハアーッという息の音を出しただけかも知れない。
溜息をついただけかも知れない。でも その主観の内には何らかの心の動き
が あった。はずである。
5. ゆえに:
HA.....SI。
というふうに続けて 舌や口の筋肉のはたらきにものを言わせて さまざま
な形に分節して発声した。
6. これは 音で いま目の前の世界の風景を切り取ったわけである。ま
た その心の状態を 取り立てようとしたことになる。
7. そして まとまった音声(というより音韻)として:
HASI . / はし。
と言った。こうなると 心の状態が あたかも意味をもって表出して来たか
に思える。
8. すなわち:
――愛(は)し。
つまり これは 中心主題相の子音/ h / と指定相・断定相の子音/ s /が働
いたと《あとづけ》して捉えられる事態ではある。(子音の帯びる相につい
ては 聞き流してください)。
9. ここに 自称相 の子音/ ’(=ア行子音)/で:
’u = う。
'u-ru = うる(⇒裏・裡・心)。
と作って これを添えれば:
うる‐はし。(心愛し・麗しい)
とつなぐ。いまの心持ちをそれとしてさらによく取り立てて表わすことがで
きた。 こうなると 自己表現である。
10. ところで はじめの《 HA..... 》は 主観内面のことでもあれば そ
の心の動きを感じさせてくれる目の前に広がる山々の姿でもある。認識と対
象とは 互いに通い合っている。のではないか?
11. つまりここで 一気に文として扱えば それは 主題の表明になる
はずだ。
12. そのための語彙を考えよう。《山》のことを どういうわけで《や
ま》と言ったか分からないが 人はこれを得る。そして さらに 《所》の
意味の《と》を得て これらを合成すれば 《やま‐と》のかたちにつくった。
13. 文としては 主題(問い)と論述(こたえ)から成る。つまり:
やまと(山‐処)・・・うるはし
初めの息の音《 HA…》を活かして:
やまと(山‐処)‐は うるはし。
あぁ ひとつの文である。命題である。判断である。
14. 人間は その思いを 表わさずにはいられない(!!??)。その内
容を充実させようとする。
やまと‐は・・・・・ほ・・・・・うるはし。
と表出する。《ほ》は 突出したものの相を表わし 《穂・帆・秀》であろう。
15. ここにさらに《ま / ろ / ば 》をも添えて:
やまと‐は ま‐秀‐ろ‐ば〔なり。 それゆえ〕うるはし。
と来る。
16. こうなれば 意思表示としての言語は 文による表現を基軸として
さらに文法規則としても やがてその現在にまで至る姿を現わしてくるものと
思われる。
*
17. すなわち問いのねらいとしては うたのヌシとその心と周りの山々な
る環境とは 言葉の生成をめぐって 同時発生である。にあります。
18. 人間の認識が先行するというもの(そういう一面のみ)ではなく ま
た 環境が人間をつくるといった一面のみではない。のではないか?
基本は すべての存在や現象が 同時一体である。のでは?
19. ものごとは そう言ってよければ・単純にタトヘとして言うのですが
あたかも量子現象として励起されるし 存在は・つまり特に人間は 精神が知
性をともなってそのユラギを励起されるようになる。
20. ユラギは もともと 世界すべてにわたって 同時一体である。か?
☆ どうなんでしょうか?
A 回答 (5件)
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No.2
- 回答日時:
ブラジュさん、こんにちは*・゜゚・*❀
❀私は何となく肯定派ですが、質問です❀
>17.すなわち問いのねらいとしては うたのヌシとその心と周りの山々な
る環境とは 言葉の生成をめぐって 同時発生である。にあります。
>18.人間の認識が先行するというもの(そういう一面のみ)ではなく ま
た 環境が人間をつくるといった一面のみではない。のではないか?
>基本は すべての存在や現象が 同時一体である。のでは?
→と、いうことは例えば、単なる物音を「神だ」と言葉を発した場合は、
神とわれとのカカハリも同時一体ということなんですよね?きっと
>19.ものごとは そう言ってよければ・単純にタトヘとして言うのですが
あたかも量子現象として励起されるし 存在は・つまり特に人間は 精神が知
性をともなってそのユラギを励起されるようになる。
>20.ユラギは もともと 世界すべてにわたって 同時一体である。か?
→《ユラギ》とは《揺らぎ》もしくは《ゆらぎ》でいいですか??何故カタカナにしてるんだろう??.。. .。.❀
ユラギが同時一体というのは、
どんなにユラギを励起させたとしても、
もともと自己に備わっている内なる世界に落ち着く(=その世界の範囲内でおさまる)ように
ユラギが励起されるようにできているということですか??
それとも、心の内なる世界というのは変化し続け、
その変化自体も同時一体ということですか??
それともまた違う論点かな??.。. .。.❀
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*
ご回答をありがとうございます。
あっ。未明に起きて投稿していたので 健康に気遣ってくれてありがとう。
おかげさまで 特にわるいところもなくやっています。けっこう早く目が覚めて
二度寝をしたりするんですが。
☆☆ >17.すなわち問いのねらいとしては・・・
☆☆ >18.・・・
☆☆ >基本は すべての存在や現象が 同時一体である。のでは?
★ →と、いうことは例えば、単なる物音を「神だ」と言葉を発した場合は、
神とわれとのカカハリも同時一体ということなんですよね?きっと
☆ ん? 《「神だ」と言葉を発した場合》とは 認識のあとの自己表現という
経験行為ですが ただし《神》というのは 認識のあり方として《非知》ではあ
ります。
つまり 《認識と対象とが 経験事象として照らし合う》場合には当てはまりま
せん。
☆☆ >19.ものごとは・・・あたかも量子現象として励起されるし・・・
☆☆ >20.ユラギは もともと 世界すべてにわたって 同時一体である。
か?
★ →《ユラギ》とは《揺らぎ》もしくは《ゆらぎ》でいいですか??何故カタ
カナにしてるんだろう??.。. .。.❀
☆ 括弧をつければよいと思うのですが つけないとすると ひとつの術語とし
て使いたいという意図を示すために 片仮名にした。つまり ふつうの表記には
しませんでした。
★ ユラギが同時一体というのは、
どんなにユラギを励起させたとしても、
もともと自己に備わっている内なる世界に落ち着く(=その世界の範囲内でおさ
まる)ように
ユラギが励起されるようにできているということですか??
☆ 《はじめに場があった。場がそのままみづからのこととして ゆらぎを起こ
した。疎と密とをつくり それらのあいだで ちょうど地と図との錯綜関係のご
とくなった。やがて図として生物が現われ その中にヒトも現われた。・・・》。
というように捉えた仮説のイメージで言っています。
ゆらぎは:
★ 心の内なる世界
☆ にも起こりつづけているだろうというようなイメージです。
★ その変化自体も同時一体ということですか??
☆ 対象の側の《変化》とその《認識》とのあいだの同時一体ですが 主体と対
象世界とは 図と地との関係にありつつ もともと一つの場であったという空想
です。
No.3
- 回答日時:
ラジュさん、こんばんは
二度寝するんですか??
私は二度寝する瞬間が好きですよ*・゜゚・*❀
この問いをずっと考えてたら、
また頭の中で収集が付かなくなりましたよ.。. .。.❀笑
>☆ ん?《「神だ」と言葉を発した場合》とは 認識のあとの自己表現という
経験行為ですが ただし《神》というのは 認識のあり方として《非知》ではあ
ります。
>つまり 《認識と対象とが 経験事象として照らし合う》場合には当てはまりま
せん。
→ここは、そうなんですね.。. .。.はい、理解が深まりました❀
しかも言語の説明は例え話でしたね。. .。.:*・゜゚・*❀
ただ、ブラジュさんが、《神》の領域をも、
言葉によって一体としたかった意図があるのかなって
考えすぎてしまいましたね.。. .。.❀笑
>★ →《ユラギ》とは《揺らぎ》もしくは《ゆらぎ》でいいですか??何故カタ
カナにしてるんだろう??.。. .。.❀
☆ 括弧をつければよいと思うのですが つけないとすると ひとつの術語とし
て使いたいという意図を示すために 片仮名にした。つまり ふつうの表記には
しませんでした。
→はい、わかりました.。. .。.❀
>☆《はじめに場があった。場がそのままみづからのこととして ゆらぎを起こ
した。疎と密とをつくり それらのあいだで ちょうど地と図との錯綜関係のご
とくなった。やがて図として生物が現われ その中にヒトも現われた。・・・》。
>★その変化自体も同時一体ということですか??
☆対象の側の《変化》とその《認識》とのあいだの同時一体ですが 主体と対
象世界とは 図と地との関係にありつつ もともと一つの場であったという空想
です。
→話は変わりますが、ここ(哲カテ)でもゆらぎが起こったのでしょうか。. .。.❀
何かあったのでしょうか。. .。.❀
はじめに場があった=空間があった
ゆらぎ=エネルギーによる平均値からの変化
とすると、エネルギーというものが消えない限り、
変化は起こり続けるのでしょうか??❀
こんばんは。ご回答をありがとうございます
☆☆ 《神》というのは・・・つまり 《認識と対象とが 経験事象として照らし
合う》場合には当てはまりません。
★ →ここは、そうなんですね
☆ そうですね。細かく捉える必要がありますね。
神は 絶対性ですから 相対世界を超えています。超えているということは その
経験世界を覆い包むといったイメージにもなります。
ということは ひとが認識において対象と精神(感性をふくめて)とを照らし合わ
せているとき その同時一体性をも包容していると見られます。
(同時一体でない場合の認識をも包み込んでいるはずです)。
《ユラギ》の件 通じてよかった。
☆☆ 《はじめに場があった。・・・
☆ は あらためて質問に取り上げました。
★ →話は変わりますが、ここ(哲カテ)でもゆらぎが起こったのでしょうか。. .。.❀
何かあったのでしょうか。. .。.❀
☆ そうですね。そんな感じが無きにしも非ずに わたしも感じます。
たとえば 〔自分のことばかりですが〕わたしの質問に このところ ケチをつけ
る投稿が来なくなっています。
それから ちょとつ氏の投稿が心なしか減って来ていて それに合わせる・ほかの
人からの回答が 勢いを失ったかにも感じます。
★ はじめに場があった=空間があった
☆ いえ。《場》は 経験世界のことですから そのまま初めから時間をも伴なっ
ているはずです。モノがコトを起こす。質量がエネルギとなる(?)。(くわしい
ことは わたしには訊かないでね)。
★ ゆらぎ=エネルギーによる平均値からの変化
☆ 対称性がやぶられる(?)。(くわしいことは・・・)。
★ とすると、エネルギーというものが消えない限り、
変化は起こり続けるのでしょうか??❀
☆ 慣性の法則もありますから 同じものでありつづけることもありなんですかね?
No.5
- 回答日時:
ブラジュさん、こんばんは.。. .。.❀
>★ とすると、エネルギーというものが消えない限り、
変化は起こり続けるのでしょうか??❀
☆ 慣性の法則もありますから 同じものでありつづけることもありなんですかね?
→そうですね*・゜゚・*❀ありだと思います❀
ただ、同じものであり続ける(=動かない、変化しない)ことは
外部からのエネルギーが加わっても、止まろうとしますから、
それだけ負担がかかるのかもしれないですね❀
ブレないことというのは
ブレない強さがあるんだと思いますよ、きっと
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*
ケチ投稿が減りました??.。. .。.❀
それは逆に肯定に近いニュアンスにも思えますが?*・゜゚・*
ま、ただタイミングはあるのかもしれないですけど
ブラジュさんの投稿自体が多いですから
回答の割合が減っているように感じるのでは?.。. .。.❀
確かに何かユラギのようなことは
あるのかもわかりませんが.。. .。.❀
5月病みたいなのも関係あるんですかね?
ご回答をありがとうございます。
☆☆ 慣性の法則もありますから 同じものでありつづけることも
ありなんですかね?
★ →そうですね*・゜゚・*❀ありだと思います❀
ただ、同じものであり続ける(=動かない、変化しない)ことは
外部からのエネルギーが加わっても、止まろうとしますから、
それだけ負担がかかるのかもしれないですね❀
☆ なるほど。勢力の均衡としての無風状態でしょうか。
★ ブレないことというのは
ブレない強さがあるんだと思いますよ、きっと
☆ これは 細かい表現をもって 言い掛かりをつけ添えます。
《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》史観に立つわた
しは 受け身のチカラを基礎として そのブレかける弱さを持つ。
この弱いときにこそ 自然本性にそなわった人間性を発揮する契機
が現われて来る。土俵際のうっちゃりが出ます。
そういう自然史過程にもとづく歴史を経てゆくものと思います。
★ ケチ投稿が減りました??.。. .。.❀
それは逆に肯定に近いニュアンスにも思えますが?*・゜゚・*
☆ いつも 肯定派と否定派と無関心派の三つに分かれるのでしょ
うね。
あるいは 同感(思想が同じ)と共感(浮動層からの寄り添い)と
反感との三つのグループに等分されるとか。
★ 回答の割合が減っているように感じるのでは?.。. .。.❀
☆ それは かまいません。そういう反応であり 一種のコメント
ですから。
★ 確かに何かユラギのようなことは
あるのかもわかりませんが.。. .。.❀
★ 5月病みたいなのも関係あるんですかね?
☆ あぁ。もう大昔のことで そういう感覚は 遠くなっていまし
たが どうなんですかねぇ。
わたしとしましては フルボッコでの批判を 賛成票と同じく の
ぞみます。
わたしの成す批判は 徹底過ぎるようで マムシと呼ばれています。
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