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大人になると叱ってくれる人が減るって本当ですか?例えば子供や若い内はまだ変わる進化すると期待するため叱る。
だが大人になるとダメな人は期待されず叱られなくなり放置され影で悪口を言われるようになるみたいな。

A 回答 (5件)

期待をするから叱るのではなく、危険な事をしたから叱るんですよ。



前提がおかしいと思います。

誰もが同じ指導を受けて大人に成るとは限りません。

長くなりますが、良くある勘違いについてお話します。


子供には危険を教える必要があり、メリハリをつけませんと理解されません。

例えば何時も叱っている親や大人がそばにいると、子供が勘違いをします。

「悪い事をしたから叱られたんだ。」

この様に理解されたら、教育上の失敗、発達障害につながります。

大人と子供の大きな違いは、危険に対しての感度です。

大人の場合は身近な危険だけではなく、集団や組織の危険についても考えます。

危険と悪い事の違いを理解していないまま成長すると、超えられない壁ができてしまいます。

他の大人が夢中になっている事の意味が理解できなくなるわけです。

この疎外感が慢性的な不満やストレスに繋がり、自暴自棄になりやすくなります。


うちの父は全く怒らない人でした。恐らく我慢をしていたと思います。

一度だけ凄い顔で怒られたのは、刃物を私が玩具にしようとしたときでした。

うちの母は何でも怒っていました。

抑えが利かないんですね。完全に大人に成りきれていなかったんでしょう。

その後必ず、

「憎くて叱っているんじゃない。お前に期待しているからだ。」

と言い訳をしていました。

これはダメな大人ですよ。質問者さんは恐らくこっちを聞いています。


子供ながらにも、指導方法が分らず適当に教えている大人が沢山いると感じました。

うちの父も分らないときは叔父に相談していたようです。(私の父方の長男)

父と叔父の指導はまったく違っていました。

叔父は長男であり、本当の指導を祖父から受けていたんですね。

父は次男でしたので、秘密にされていたんです。

私は神経質でいつも泣いている子供でしたが、

叔父に1週間ほど預けられたあと、それらは治っていました。

父には出来なかった事です。


私が学校に行くころになって、叔父が一つだけ言った事があります。

「先生の言う事は例え間違っていると思ってもYes(=はい)と答えなさい」

大変不条理だと感じました。

しかし、これが人生に影響を与えるほど深い示唆だったんですね。


誰だって間違いや勘違いをします。

最初は強気で自分を主張していても、後で意見を変えたくなるときがあるでしょう。

しかし、引っ込みがつかなくなって自滅する事は沢山あるんです。

先生や上司と言うのは、そういう成り行きを知っています。

そんな勿体無い事が起きないように、

「私の言う事をききなさい。」

と強引に結論を出す事があります。

皆、言いたい事が沢山あるんですが、ここでグッと我慢して、頭を冷やします。

ところが、それでも納得行かず、反抗勢力を作ったり、反撃しようとする人もいます。

「俺は何も悪い事をしていない。正しい事をしているのに何で叱られるんだ。」

必ずこの様に主張します。

冒頭述べましたが、危険だから叱られているのだと理解せず育った大人です。

ですので、

「どこが危険だったんだろう?」

と考えて、危険な部分を探し、対策し、

それを上司に報告してアピールするのが正しい受け方です。

こういう人は大丈夫だと安心されます。

「いずれ、自分と同等か、

 自分以上に危険に対する感度を高めるかもしれない。

 もし、そうなれば後を引き継げるし、後輩の指導も任せられる。」

と期待されるわけです。

思わぬところで、自分の幼少の頃の大人の指導が他人にばれてしまうんです。

そのため、期待されたり、見切りを付けられると言う事です。



期待=栄達と考えている人は、教育上の失敗があると言うことです。

私たちは成人した後も、危険に対する感度を磨いていきます。

「自分一人なら大丈夫」

となったら、今度は他人の面倒をみるようにします。

責を負う訳です。

始めてやると事情が違い、まったく何も出来ないでしょう。

「え、どうして? 自分ならこうしたのに。

 何で気付かないんだよ。僕が悪いんじゃない。」

と言う思いが込み上げてきて、何とも苦しいはずです。

これに怒ったり、絶望せずに、慣れるまで続けていくことが大事です。


責を持とうとして失敗した人に対しては、助ける人が必ず現れます。

特に上司にはその責任があります。

先生や上司は、指導を密にして失敗をさせないんです。

危険を教えつつ、成功を体験させます。

このときに逐一反論する人は、上司が疲れてしまいますよね。

そう言う場合は、責をおろして(つまり更迭して)担当を変えられてしまうんです。

叔父が言った、

「先生の言う事は例え間違えていると思ってもYesと答えなさい」

は大変深い意味があったんです。

これは長男が長男へ教える指導であり、家長と成るための根幹の論理です。

逆に女性に嫌われる条件は、教えられると反発する性質でしょう。

少年らいしいですが、お父さんらしくないですよね。

家庭を持つ相手としたら心配になるでしょう。


報連相(ホウレンソウ)が大事だと良く言われますが、

上司であっても報告や相談をされないと、危険がわかりません。

同僚であっても連絡がありませんと、危険に対応できません。

大概の事故と言うのは、連絡漏れから生じます。

影響が及ぶ範囲であるのに、相手方が知らず、不意をつかれるわけです。

この場合は、相手先の担当が上司に相談や報告が出来ません。

折角の危険対策機能が働かないと言う事です。

とても良くないことなんですよ。


私たちは縦のつながりによって責を分け合い、

指導されつつ失敗を回避し、日常を満喫できる安全圏を作ります。

縦の繋がりを沢山つくり、これらが横で連絡を取る事で安全圏は更に拡大します。

これを組織化と呼びます。


では逆に、危険に対して感度が低い人が組織の上位になったらどうなるでしょう?

これ以上の悲劇はありませんよね?

あっという間に崩壊するはずですから、今現在存続していないはずです。

と言う事は、存在しないとして良いでしょう。


では、栄達とはなんでしょうか?

結局は、リスクに対する感度を上げて、組織の中で重宝されるということです。

ですので、

「危険は誰かに守ってもらって、良いところを見せて認められたい。」

と言う人は、アピールするポイントが逆になっています。

余計な問題を引き起こしそうな人(実際にそうなりますが)として扱われます。

この仕打ちは本人にとって辛いでしょう。

世間を恨む気持ちが強くなります。


一番まずいのは、

子供の頃にした勘違い(親が既に勘違いをしている)をそのまま適用し、

世の中が良く分からないまま、疎外感だけを受けて人生を閉じる事でしょう。

自分の考え方は、親や周囲の大人(下手をすると漫画や子供である友人)から得たものです。

社会に出る時は、それらを自覚し、

「彼らが神の様に正しければ、神の様になっているはず。

 俺からは凡庸にしか見えない。

 だから多分、自分の感覚は全て間違っている。

 人生を賭けて自己主張をし、人と争うほど上質なものじゃないだろう。

 自分の考え方が阻害されたと大騒ぎするのは、愚の骨頂だ。」

とすることです。


また、

恐いものに対して体が動かなくなり、安全が保障されないと行動できない人は、

危険への感度が鈍いということです。

予測して、対策したものは恐くないでしょう?

しかし、自分一人に成ると何をして良いか分からない。

これが怖さに結びつくわけです。

頭が働かず、真っ白に成る場合は、

それまでの人生で、責を避けて来た(感覚を磨く実地訓練が足りない)ということです。

私たちは責を負う未熟な後輩には、そばで指導する習性があります。

これを信じて居なかったと言う事です。


ですので、

大人に成ってから、強いものを糾弾し、

守る事を要求するのは、それまでの生き方を晒すと言う事であり、

とても恥ずかしいと言う事なんですよ。

責を積極的に引き受けてきた人は、それほど興奮しません。

体制を批判する場合は、

「自分の方が上手に出来る。俺に代わったほうが全体の益になる。」

と言う自信があるときだけです。


更に、問題を解決するための分りやすい力(=権力、スキル、知力や体力)を求めるのは、

それだけ予想外の困難に遭遇した人生であったと言うことです。

大人は予想をし、対策をするため、そこまで切羽詰った状態になりません。

また、自分だけの特別な力を欲しがるのもいけません。

「他人に無いすばらしい力があれば他の人に尊敬されると思っている」

そういう心情を吐露しています。

これらは全て(力を望む気持ち)、

危険を事前に感知する能力が未発達であることから生じます。


ほとんどの大人は事前に知ることで対策ができます。

つまり、私たちの人生の違いには、危険についての感度が大きく影響しています。

これを磨くには指導を受けながら責をマットウするしか方法が無く、

そのためには「危険だから叱られる」と言う理解が必要であり、

先生に反論しない習慣がとても大事なんです。

安全な状態になってから、意見をいう機会は沢山ありますからね。

どうしてもTPOを無視して、その場で反撃しないと気が済まないと言うのは、

そもそも危険を感知する感覚が無いと言う事でしょう。


以上、ご参考になれば。
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叱られますよ。


ただ、殆どの前提は「仕事でうまくやれ」「変なことはするな」っていう叱責であって、「成長して欲しい」「立派な人になって欲しい」「幸せになって欲しい」という意図の叱責ではないです。そういう点では子供が大人に叱られるのとは大違い。
社会人は結局のところ、ビジネスの道具としてしか扱われないと思います。道具として怒られてるだけです。
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その内容によります。

仕事の事なら意見はされても出来て当たり前の事(挨拶、時間厳守など)はいちいち言われないけれど、出来なければそっと見放される感じ。
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大人ということは社会人ですね。


少しは叱るでしょうけど、代わりに査定します。
それが、給与や昇進・昇格やボーナスに反映されます。
その額を知って愕然として、叱られたことに気付きます。
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真面目に働いていれば、上司が叱ってくれますよ。

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