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古代日本は、古代中国から多大な影響を受けましたが、女性観というテーマに絞るとこれも影響を受けているんでしょうか?

万葉集や史料から、古代日本は男女の分業が進んでいて女性も地位や財産も持っていたといわれています。
しかし、古代中国では女性はそういう立場ではなく、皇后ですら日本の古墳のような葬られ方はされていなかったといいます。

この異なる女性観を持つ中国と出会い、さまざまなものに影響を受ける中で、古代日本の女性観も何か変化が生じたりしたんでしょうか?
気になります。

A 回答 (6件)

古代って漠然としてますけど、


働ける女性は、財産も持てる。
男女差別ではなくて、古代から、男には男の仕事、女には女の仕事がそれぞれあったと思います。男社会、女社会はありますからね。
浅い時代、様々な事情も多かったと思うので平均的にですけどね。

たぶん、外国は関係ないのかな?
一次二次の戦時中、立派に死ねる兵士を養成するために、国策として思想を埋め込むような事は少なくなかったと思うけどね。なので差別は、大半が偏見だと思えていますけど。

仕事で偏見やストレスを沢山抱えて行動している方たちが、どうかまでは分かり兼ねます。
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中国の儒教による男尊女卑の影響は、江戸時代の武家や明治以降くらいでしょう。



古代では仏教関係の影響で、女性に関する穢れ意識が生まれたとされます。
中国の影響というより、経由しただけともいえますが。
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元々の古代日本では女性差別はなく、崇めたり大切にする対象だったのではないかと思います。


現に、日本神話にでてくる夫婦には愛妻家が多い気がします。
しかし、平安時代以降から変わってしまったのではないかと……。

古代中国では、権力者の男性にとって権力のない女性は手に入れて囲う物のような存在だったので幾つもの悲しい逸話が残っており、美人ほど悲惨な最期を迎えています。男性は絶対であり、逆らう女性は人間扱いしてもらえなかったはずです。ですから、古代の日本女性と接点を持つことはなかったと思います。ただ、男性文化においては影響はあったのではないかと思いますね。

西洋や中国などでは太陽=男性神の象徴であり、王や皇帝は神の息子など神のような存在として権利を握っていました。
(エジプトのラーやギリシャの太陽神等)しかし、日本神話では違います。太陽=天照大神という女性の神様でした。
なぜ女性の神様なのだろうと思っていたのですが、それは当時の人々は特に、権力を握る男性には和を乱す乱暴者が多かったのではないかと思います。
天照大神の弟の須佐之男命は乱暴者で周囲の人々を困らせていました、ある日、怒った天照大神は洞窟に隠れてしまったという天岩戸神話があります。
また、後の話ですが、邪馬台国の卑弥呼が王になったのは、男が王位につくとたびたび内戦が起こってしまった為だそうです。古代日本において女性は恵みや和をもたらすもので、男性は栄光や支配・戦をもたらすものだったのではないでしょうか。


平安時代、女性が財力を持っていた理由は婿入り婚・通い婚といって夫が妻の家に入る結婚が主流だったからだと思います。現代は妻が夫の家に嫁ぐ形の一夫一妻制となっていますが。平安時代は一夫多妻制です。
つまり、もともとは貴族の家=妻の実家だったわけです。女性は小旅行以外の時はほとんど家から離れませんが。夫は妻の家を渡り歩いたりしていたわけです。
そして、娘が天皇家に嫁げば、実家は潤っていたわけです。女性の地位は、こうした皇族に嫁いだ女性の世話を焼くことで得られたものです。天皇家の妻は天皇の威厳を守るために地位を与えられ、時期天皇の母親となった後も、継続して天皇家の威厳を守れたわけです。
ただ、こうして女性の婚姻が政治と関わることで、政略結婚が日本でもはじまったのだと思います。(起源とはいいませんが)
夫の家に嫁ぐ結婚制度のはじまりですよね。
昭和まで女性は家を守るのが使命だと考えていたのは、平安時代の価値観が残っていたからかもしれません。
現代、女性が家事をあまりせずに男性と同じように働いていると批判されるのはそのせいです。
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>万葉集や史料から、古代日本は男女の分業が進んでいて女性も地位や財産も持っていたといわれています。



このあたりのソースは何でしょう?
魏志倭人伝(『三国志』魏書東夷伝倭人条)では、「身分の高い者は4、5人の妻を持ち、身分の低い者でも2、3人の妻を持つものがいる。」とありますね。また「女は慎み深く嫉妬しない。」ともあります。

すくなくとも「女性も地位や財産も持っていた」とは思えないのですが。

>古代日本の女性観も何か変化が生じたりしたんでしょうか?

中国文化を影響を受けなくなった平安時代の方が女性の地位が低下していますね。
飛鳥時代には持統天皇、奈良時代には孝謙天皇など専制的な女帝がでていますが、その後、でていないですもの。
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なら、時代下がっての文学読んでみればわかるよ。

記紀神話から中古の更級日記からずーっとつらつら江戸まで!
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…古代中国と古代日本の「記録に残るようなごく一部の上流階級」の話ね?

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この回答へのお礼

はい。
昔のことは史料に残っていることしか確実にはわからないし、史料に残るのは有力者を中心とした世界ですので、その通りです。
言葉足らずですみません!

お礼日時:2019/07/28 16:31

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