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無知ですいません。ちょっと気になるものですから、教えて下さい。

この言葉に使われている、「一寸」は小さなもの、こと、という意味と思いますが、それに対して魂はなぜ「五分」なのでしょうか。

この「五分」にはどういう意味があるのでしょう?

A 回答 (9件)

五分と五分。


他と同じ。

ということ。

参考URL:http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=0677820 …
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすいません。

他と同じ魂がある、ということですか。なるほど。
なんか半分の魂という意味と勘違いしてました。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/21 13:17

 分は寸の十分の一。

ほかに長さの単位と関係なく「割」と同義で使うこともあり、これが「五分と五分」の用例ですが、「一寸の虫」とはまったく関係ありません。
 要するに、さらにちいさいけれど、ということでしょう。一寸の虫に一寸の魂があったら体全体が魂になっちゃいますから。小さい、すくないということを言いあらわす言葉としては、寸よりも分を使うことが通常でしたので(「盗人にも三分の理」。三分=三割だとえらいことです)、そのせいもあるかと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすいません。

全部ではないが、少しある、ということでしょうか。
それもなんとなくわかりますが、何故五分だったのか、と疑問に思ったのです。

#1の方の、対等と言う意味で五分、が正しい気がします。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/21 13:24

「寸」も「分」も尺貫法の単位です。


寸=約3.03センチメートル
分=約0.3センチメートル
            

この回答への補足

すいませんが、単位の質問ではないのです。
一寸の虫の魂がなぜ五分としたのか、という疑問だったのですが。

補足日時:2004/12/21 13:25
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おはようございます。



分は寸の十分の一なら、五分はその5倍で要するに一寸の半分のこと。

つまり、長さが一寸しかない虫にもその体長の半分くらい魂があるんだぞ、という意味で、一見小さな虫であってもその魂は想像以上に大きいのだということを教訓めいて言った言葉です。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、すいません。

体の半分という大きな魂がある、ですか。
なんとなく、ニュアンスはわかりますが、何故半分が魂としたのかに、疑問があります。あまり意味はないのでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/21 13:30

g_gさん、こんにちは!



どんなに弱くて小さいものでも、相応の思慮や誇りを持っているから侮ってはいけない。。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、すいません。

相応の魂ということでしょうか。とすると、相応が五分ということでしょうか。そこがちょっと疑問に思ったのです。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/21 13:36

g_g さん、再度こんにちは。



回答をずっと読ませて頂いてると、実際の場面で想定すると、

自分自身について語るときは⇒謙遜の意味でkankasoroさんの仰る意味で

他者についてのときは⇒尊厳をこめて、他者を侮ったり、ないがしろにする当方の軽率さを詰ってるときに使うように思えますが。。

この回答への補足

改めて、質問の主旨を書かせて頂きます。

この言葉の意味の質問ということではなく、体が一寸に対して、何故魂を五分と表現したのか、が質問の意味です。

頂いたご回答から、2点があると感じました。

1.対等と言う意味での五分と五分から
2.体の半分(大半?)を占める魂があるという意味

私的には1.の小さい虫にも人間と対等の魂がある、という意味で五分かな、と感じました。

みなさんの御意見はいかがでしょうか?

補足日時:2004/12/21 13:42
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g_gさん、人と対等のと言う意味で、「五分」。

。ちょっと私にはピンと来ません。

蚊や蟻など、小さな虫を何も思わずに退治してしまいますが、その虫の生命でさえ大自然の中で実はちゃんと意味がある、使命をおっている。。というところから来て、人に対してもつまらない、とるに足らないように今の自分には思えても・・と意味が膨らんでいったのではないのでしょうか。。

日本人には絶対的な価値基準でものごとを考える習慣は元々無い様な気がするのですが。相対的な感性で使うように思うのです。。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

人と比較してもしょうがないですか。意味的なご考えはもっともと思います。
ところで、魂のことを「五分」とした意味合いは何だとお考えでしょうか?
「一寸」に対して半分が魂とした意味がよくわからないのですが。
私的には「一寸」の虫には「一寸」の魂でも小さすぎると思うのですが、何故に「五分」なのかと。
そういう意味で、人に限らず、全ての生き物に対等な魂、という「五分」かと考えたのですが、いかがでしょう。

お礼日時:2004/12/24 09:22

g_gsさん、再度こんにちは。



体と魂の大きさを同基準で語る問題を考えて言い出したのは、昭和になって西洋文化の絶対評価の思想が定着してからでは?!無いかしら。。??

古来日本人の感覚では謙虚ですので、体より大きくて溢れてしまいそう。。という感覚はないのでは。。??
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この回答へのお礼

謙虚ですと、魂があふれるとの感覚はない?
ですから五分でしょうか。
いろいろな考えがあり、参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/11 09:31

この言葉は明治維新の動乱期に活躍した勝海舟の父、勝小吉という人の言葉だといわれています。


小吉は市井の人でしたが、曲がったことの大嫌いな江戸っ子で、威張ってばかりいる侍が大嫌いでした。
自分達の気に入らないからと言って簡単に町人を切り捨てた侍に啖呵を切って言ったのがこの言葉です。
それほど学のある人ではなかったし、思わず口から出た言葉なので、一寸とか五分とかに深い意味があるかどうかは判りませんが、「さむらいにとって町人は虫けらみたいなものかもしれないが、その虫けらにも命はあるんだ」と精一杯の怒りを込めていった言葉です。
丸腰の小吉が大刀を持った侍に対して啖呵を切ったのですから相当な覚悟だったと思います。

真偽の程は判りませんが、そういわれています。ご参考まで。
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この回答へのお礼

そういう経緯の言葉だったのですね。
その心情からすると、五分に深い意味を持たせたのではなく、小さくとも確かに魂がある、と言いたかったのでしょうね。
五分という大きさにこだわるのは、野暮ですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/11 09:37

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