プロが教えるわが家の防犯対策術!

武士道についてなのですが、前ネットで調べた時に「武士道は聖書やコーランのように書かれたものはなく、儒教の孔子のような中心人物も存在しない」と書かれていたのですが、新渡戸稲造が書いたのではないのでしょうか?
この部分がよく分からなくて人に説明したい時どのように説明すればよろしいでしょうか?m(> <*)m

A 回答 (5件)

「武士道は聖書やコーランのように書かれたものはなく、儒教の孔子のような中心人物も存在しない」



ご質問に関しては、今、ざっと確認してみましたが、原本"Bushido, The Soul of Japan"にも、矢内原忠雄さんの翻訳にも、その文言は見当たらないです。ネットで調べてみると、
岬龍一郎訳の『武士道』PHP にあるようにも思われます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~yukiya-s/home-2/nito …

その「よく分からなくて人に説明したい時」:

私は、その逆の経験をしたことがあります。
今、イギリスでは、「無神論キャンペーン」というものがあります。
だいたい、『ハリーポッター』にしても『指輪物語』にしても、非キリスト教系の映画が子どもたちに盛んに刺激しているところをみても、時代の隆盛が分かります。しかし、別のカテゴリで、ホーキンス博士の話を聞いたけれども、こうした物理学者の無神論(知的無神論)と一般人の無神論とは異なるものがあるように思うのです。

私は、Atheism(無神論)で、西欧ではどうやって人が育つのか、正義を維持できるのか分からないのです。それをまともに言ったところ、相手の無神論イギリス人は激怒しました。その後、何ヶ月も怒りは消えなかったようです。東洋は、基本的には無神論とは言いながらも、神様が強い力を持っているわけではなさそうです。

新渡戸は、もちろんクリスチャンですが、その礼節の学びは信仰からではないわけで、古来日本には、そうした確たるものがありません。それなのに、そういう武士しての(騎士にも匹敵する)態度を可能にしているわけです。海外(当時1800年代)には、東洋には騎士道(Chivalry)に匹敵するものなどは存在しないと思われていたのです。しかし、そのサムライの気高さを保つものは何か、それが『武士道』ということでしょう。これは、日本独特のものだと言っても過言ではなさそうです。

ただし、分かっている方には、失礼なのですが、『武士道』という聖典はありませんし、新渡戸が書いたものが『武士道』の総体制を示したものでも、旧体制のサムライの精神を表したものではないのは、言うまでもありません。
    • good
    • 0

各都道府県が別れており、隣の県は隣の国という感じでしたし。



各藩でそれぞれルールのようなもの、法度は存在してましたよ。
    • good
    • 0

武士がそれを自分の倫理として扱っていた「武士道が現役で生きていた時代」は、1968年の明治維新で終わりました。



新渡戸稲造が「武士道」を書いたのは1899年ですから、武士たちが現実に武士だった時代には「武士道」と言う本はなかったのです。

>「武士道は聖書やコーランのように書かれたものはなく、儒教の孔子のような中心人物も存在しない」

そもそも日本の文化や宗教などには、仏教など外来のモノを除いて「書かれたものは無い」し「中心人物も居ない」のが普通です。しかし「神道」といえば二礼二拍手一礼(例外はあります)だとほとんどの人が知っていますし、参拝の前に手や口を清めるという事も知っています。
 別に書物が無くても口伝で伝わるものだし、日本の社会は「異民族が侵入して、文化や価値観が大幅に変わる」という経験のない社会なので、代々同じことを伝えて広げてくることが可能な社会だったのです。
    • good
    • 1

新渡戸稲造が書いたものは、武士道という本です



本当の武士道=新渡戸稲造の書いた本じゃないですから
    • good
    • 0

武士道についてなら、



江戸中期に鍋島藩士の纏めた「葉隠抄」ってのが有りますが、

「武士道とは死ぬ事と見付たり」なんて名文も有ります、

新渡戸稲造氏の武士道は此れから学んだ事の様ですよ。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!