人生最悪の忘れ物

私は個人的に哲学が好きです。
学生時代はたくさん本を読みました。

でも、やはり麻薬だったのかなと思います。
現在は事務の仕事をしていますが、実際哲学も必要ないですし哲学的な思考も必要ありません。
必要なのは会計や法律の知識ばかりです。
むしろ、哲学を学ぶことで現実から遠のいているようなきがします。

これは私の哲学的思考が未熟なのでしょうか。

企業で会社員として働くものにとって哲学というのは有効なのでしょうか?

そもそも、哲学の会社員にとっての有効性を考えようとすること自体、哲学的ではないのでしょうか。

A 回答 (12件中1~10件)

>企業で会社員として働くものにとって哲学というのは有効でしょうか?



普通の人には有効ではありません。哲学は何の役にも立ちません。

けれど、あなたが事務の仕事に疑問を持ち、何のためにこんなことをしているのか考えるタイプの人間なら、哲学はあるいは有効性をもつかもしれません。そういう常識を疑い、根本的なことを考えるのが哲学ですから・・・
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私も会社員ですが、学生時代から哲学を学んでいたことに


非常に喜びを感じてます。

「会社に哲学は必要ないから」と入社早々上司から言われて多少凹んだ
こともありましたが、私は今自信を持って回答できます。
哲学全てが会社に必要かどうかと言われればNoです。しかし、先人達の
「モノの考え方」の宝庫である哲学が現代の我々の問題に通用しない筈が
ないと考えます。

加えて、哲学を学ぶ上での方向性を決めるとスッキリするのでは、と思い
ます。「会社の役に立ちそうな哲学を学ぼう」という発想でも良いのでは
ないでしょうか?(訝しく思う方もおられるでしょうけど)
この姿勢は結構私にとっては大切でした。私は最初、会社ではなく人生が
対象でしたが。

私は非常に会社で役に立てていましたし、これから大きく役に立てようとも
考えてます。

tsuyoshii氏は現象学について質問された方ですか?
現象学の説くところの本質観取や憶見(ドクサ)を会社の問題に当てはめると、
新たな視点が産まれるかもしれません(いい加減?)。

有効か有効でないかは人次第です。活用はできます。
頑張ってください。
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どなたかも書いてますが、哲学とは学ぶものでなく「生きる」ものです。

あなたが書いているように「実践」するものと言ってもよいでしょう。大学で「哲学」を勉強する事と哲学を生きる事は必ずしも同じでは有りません。人生に役に立たないものは、哲学ではなく、哲学の廻りに存在する、詭弁、強弁、揶揄、嘲笑の類いです。哲学とは、頭にかかわるのではなく「魂」に関わることだと思います。魂の弁証法と言って良いかもしれません。
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参考程度に


人間と猿(類人猿)を分けるものと他の質問に書きましたが、仕事で言えば人間と機械を分けるものでしょう。計算も働きも、たとえ人間の創造物であるとしても機械の方が早いし正確な場合はありますね。
マルクスは人間を生産機械にしてしまいましたが、人間でありたいと考えるならば、たまには哲学ということですね。確かに世の中は日々相対的で、生き易さのみを追求しても一生すごせますが、結果はめでたく漂流して、類人猿になってしまいますね。
それを押しとどめるものの一つでしょう。
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 普通でも哲学論理は使ってますよね。


演繹法とか帰納法とか。

 数学的帰納法は高校生以上の常識!
って言ったらいけないのかな?

 数学以外の帰納法は日常茶飯事ですよね。
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哲学とは詩のようなものだから自分の気に入ったものと寄り添って生きればいい、といったようなことをどこかで何とかいう作家が書いてたのを思い出しました。



それはさて置いて哲学が仕事の役に立たないとおっしゃるご質問は、航空力学を勉強した人が銀行に就職しても航空力学の知識が何の役にも立たないというぼやきのように見受けられます。

友達の父親は本当の芸術家だそうですが、生活費も稼がないロクデナシじゃないだろうかと悩んでいるので、芸術家というのは職業じゃない。存在だ。と言ってやったらえらく喜んでいました。

哲学が会社員の仕事に役に立たなくたっていいじゃないですか。

しかしね、どこにでも何にでも哲学は存在しますよ。法律にだって会計にだって。
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この回答へのお礼

哲学する一人の存在として自分を肯定しつついきていければよいと思います。
良い言葉をありがとうございます。でも誰が言ったのでしょうか。

お礼日時:2004/12/20 23:43

>特に認識論でつまづいています。



人間の認識は、本質を捉えていません。
これは人間の社会でも広く当てはまる
ことです。
 最近、カントとかヴィトゲンシュタインが続いて
いるようですので、その線で行くと。(笑)

 いくら一生懸命、人間が人間のことを
考えても、所詮、感性を超えて、超越論で
人間の心を知ることはできません。
 相手のことを理解したような事を
言っていても、それは誤解。

 人間が他人の心を理解できないのなら、
それを語ることはできない。

 語りえぬものについては沈黙せよ、
と論理哲学論考の最後でヴィトゲンシュタインは
書いているわけです。語らず、どう論理的に
ものごとを進めればいいか、答えは
多分、論理哲学論考のいずれかの項目に
書いてあるんでしょう。

>企業で会社員として働くものにとって哲学というのは有効なのでしょうか?


 どとらかと言えば、心理学や言語学の
ほうが役立つとは思いますが。
 心理学の見地からすると、企業で働いて
いる人の大半は、ある種の精神病と
思います。
 人間関係など、感性ではなく知性の
窓で覗いてみることが必要で、ここで
哲学が意味を持つと思います。

 哲学は人間の考えを論理的にまとめて
効率良く考える1つの手段を
与えてくれていると思います。
 ついつい熱くなってしまいがちな、
人生をクールに見直せる心の
ツールですよ。



 
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この回答へのお礼

長文ありがとうございます。
哲学に対する問いに哲学をもって答えるってある意味オタクどうしの会話みたいなものなのでしょうか。
現実にどっぷりつかっているとそんな気がします。
でもとても有難いです。

お礼日時:2004/12/20 23:19

「絶対的真実は存在しない」ことに気がついているならば、なぜ「現実とのギャップ」に悩むのかが良く解りません。

自我は、他者との関係の結節点の一つでしかない、という考えには同意できませんか?
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この回答へのお礼

そうですね。私も他者との関係性のなかで自我をたもてるのでしょうから。
同意できます。

でも、それだと、結局哲学が哲学の無意味さを証明しているようなきがしてなりません。
そう理解してよいのでしょうか。

私たちは現実というフィクションの中をいきているということでしょうか。
なにもかも、相対的で無意味なのでしょうか。

本能のおもむくまま生きるために生きていけばよいのでしょうか。
でも、こう考えると、ある意味哲学を実践しているということになるような気がします。

お礼日時:2004/12/20 23:12

 哲学は、人生論、存在論、認識論ですから、


例えば、存在や認識について深く考えても
人生には役立たないこともあるという
ことでしょう。
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この回答へのお礼

特に認識論でつまづいています。
人生に役立たないことの方が多いような気がしています。

お礼日時:2004/12/20 21:18

哲学を学ぶ事は、単に物知りになるのではなくて、生きる為の「知恵」あるいは「智慧」を習得することだとはお考えにならなかったのですか?単なる知識ならば、今のあなたの生活には役に立たないのは当然だと思います。


企業で会社員として働くものにとって哲学というのは有効なのでしょうか?というあなたの問いに「はい勿論、ただし哲学を正しく認識できるのならば」と私は答えたいと思います。
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この回答へのお礼

そういうふうには考えませんでした。
私は今でも真実にとうたつするための術だと思っています。
真実というのはありませんから、人間にとって最善の共通認識を生むための手段ぐらいでしょうか。
こういう哲学にたいする認識を自分個人のレベルに引き下げると、非常に独我論的になってしまい、社会との調和がとれないのです。

お礼日時:2004/12/20 21:15

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