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女性は化粧がマナー
ハイヒールがマナー
パンツスーツよりスカートが望ましい。靴市は不可でストッキング着用
結婚式などではワンピース(セパレートは縁起が悪いと言う人も)

男性も同様ならまだ納得いくのですが、これ全部女性限定のマナーですよね。
男性の化粧は一般的ではないし、とりあえずビジネスもフォーマルもスーツみたいな。
(スーツは平服なのに結婚式にもビジネススーツでお祝いの人が大半なのも正直納得いかない)
なぜこんなにイライラしているかというと、男性上司に化粧のダメ出しされたからです。(ちなみにすっぴんだったわけではありません)女性は常に化粧で覆わせて、男性は髭剃りしたらシミもクマも傷も隠さないでいるのにダメ出しだけしてきて、もやもや。

愚痴はさておき、
誰がこんなこと言い出したのか、
マナーを納得するために、また学問としても知りたいです。

それぞれ違うと思いますが、(多分化粧は日本特有の平安時代とかだが、ヒールは西洋文化かなと予想)どれかひとつでもご存知の方教えてください。

A 回答 (3件)

>女性は化粧がマナー



これはマナーじゃないんですね。ほとんどの人が知らないですが化粧は「化粧したほうが明らかにメリットがあるからする」のです。ただ、それが一般的普遍的になってしまうと「化粧しない→メリットを求めない→変人」という扱いになってしまうだけです。
 これと同じことがいえるのはたとえば「寝癖をそのままにしたり、顔を洗わずに、パジャマのまま外出してはなぜいけないのか?」などがあります。

別に寝癖を直さなくてもその人のキャラクターが変わるわけではないのですが「ちゃんとしていない=他の人と会って自分をより良く印象付けるように行動していない(人を不快にさせる)」のでダメ「マナー違反」だとされるわけです。化粧も女性達の殆どが行っている以上「普遍化による影響」のほうが大きいといえます。みんなそれを「マナー」と勘違いしているのです。

なので「男性も化粧したほうがメリットが大きい」社会なら化粧します。
日本の平安時代は男性も女性を誘うために化粧したりしましたし、中世ヨーロッパの貴族男性は「肌が白い方がより高貴に見える」ということで鉛入りのおしろいを使って、鉛中毒で死んでいます(女性も同様です)

男性の場合、戦争の時代が必ずあるので「化粧よりも武力(マッチョだったり喧嘩が強かったり)」のほうがメリットが多い時代もあるのですが、平和になると男性でも化粧が流行ります。平安時代もヨーロッパの中世もその傾向が強いですね。そう言う時代は化粧をするほうがメリットが大きくなるからです。

「男性は化粧をしない」と言われますが、その分男性には歴史的に戦闘能力の証明が付き纏っています。現代で言えば、婚活などで「男性だけ年収開示」が義務なのですから、男女の性差の違いはあれ、それぞれ背負っているものは同程度だと考えます。

服装について
>ハイヒールがマナー
西洋化の影響です。

>パンツスーツよりスカートが望ましい。靴市は不可でストッキング着用
結婚式などではワンピース(セパレートは縁起が悪いと言う人も)
西洋化の影響です。

特に冠婚葬祭について、現代では男女とも和服を着る人はかなり少なくなっています。そのため服装の規定も洋服が主体になり、規定も西洋的になっているのです。

 西洋のドレスコードにはカジュアル・フォーマルだけでなく特別な服装もあります。たとえばロイヤルが参加する式とか映画祭のレッドカーペットなどです。
 
 この時、あれほど男女平等を叫んでいる欧米人でも女性はスカートやハイヒールを着用し、きらびやかに着飾ります。いわゆる「ドレス」が冠婚葬祭の基本であり、その流れが日本でも「冠婚葬祭はスカートにハイヒール」になっているのです。ついでにいえば、ドレスはかならず「肌の露出度」が一つの目安になるので、日本でもストッキング(可能なら生足)という価値観になっているのでしょう。

この辺りは30年前50年前よりも今のほうが西洋化が進んでいると間違いなくいえます。昔から欧米では常識だった「ブラックドレス(どんな時でも1着あれば突然の冠婚葬祭に対応できるドレス)」がここ20年ぐらい日本でも知られるようになってきています。


さてそもそも「なぜ男女の服装が違うのか?」というと、基本的には「男性の服装は機能や役職を表し、女性の服装は表さないから」です。

西洋において、男性の服装規定はそれほど単純なものではなく、
むしろスーツは平服、これはスーツの原型が農作業をする農民の服装から発達したものだからで、貴族などの上流階級だとタキシード・燕尾服・宮廷服のような違いがあります。
 これらの原型は馬に乗るための服(ウマに乗れるのは貴族だけ)だったり、宮廷内で豪華な服を着用したりするのがはじまりだったわけです。
なおアメリカなど平民階級が主体な現在では、男性のドレスコードはホワイト・タイ、ブラック・タイなどで分けられます。スーツ同様、タイも平民の象徴なのです。

日本では江戸時代まで、男性の服装は階級によって分けられていて、裃は武士が公的な仕事をするときのみ着用、商家や農家でも公的な仕事(庄屋クラスなど)では袴を履いたうえで帯刀したりしました。
 実は日本女性にも同じようなものがあって、特に西国では女紋(女性家系で受け継ぐ家紋)をつけた訪問着などが公的な意味合いをもっていたのです。

しかし、西洋女性にはそういうものはなく、男性の服装基準に合わせてドレスがゴージャスになるだけ、あくまでも同伴者のレベルを超えませんでした。

日本と西洋でなぜこのような違いがでたかというと「日本では家督相続などを含めて女性にも公的な場に出る権利があったが、西洋女性には相続権や財産権が無くそのような場所に出て発言する権利が無かった(あくまでも同伴だけ)」だったからです。

日本は明治時代に四民平等になっていったので、地元のしきたりに基く冠婚葬祭などはともかく、だんだんに裃や袴を履く習慣が廃れて行ったために、ほぼどんな場合もでもスーツ、せいぜい結婚式で新郎がタキシードを着るぐらいになってしまったといえます。

なので、日本の男性の場合「どんな時でもスーツ」でただし皇室の行事や欧米の行事(ノーベル賞授賞式)は燕尾服なども着用する、と言う形になってきています。
2048年に本庶教授がノーベル賞授賞式で羽織袴で登壇されましたが、和装と洋装の格、と言う点では燕尾服=羽織袴は正しいといえるでしょう。これが女性なら紋付の訪問着が正解です。(できれば女紋のほうがよいです)


女性の服装が「スカートばかり」なのは、ある意味西洋化したのに西洋にお手本がないからです。

女性のスーツについては、ココシャネルがシャネルスーツを作り「女性のためのスーツ」が一般化しました。この時もっとも重要だったのは「男性と同等の仕事をこなすのにもっとも邪魔になるコルセットを排除したこと」です。
 つまり「コルセット無しでも女性の優美さを出せる服」というのが、西洋基準では「女性が男性並みになるために捨てたもの(逆をいえば身に着けた武器)」であったわけです。

なので、現在のドレスもコルセットがない、という時点で「男性と同等」という価値観を表している、ともいえます。

とりあえず、つらつらと書いてしまったので、まとまりがない文章になっていますが、突っ込んでいただければ、その点についてもう少し詳しく補足しますよ。
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男性のネクタイや革靴だって、キツイよ‼️

「女性のマナーの起源」の回答画像2
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この回答へのお礼

そうですね、革靴や髭剃りは女性もあるので同じですが、ネクタイは男性のみなので、そうかもしれないと思いました。

お礼日時:2019/12/05 12:55

冠婚葬祭は儀式なので文明が生まれた時からマナーはあるといえると思います。


文明の定義に埋葬の習慣があることがあげられていたはずです。
文明と言えば4大文明ですから紀元前ですね。
儀式
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%80%E5%BC%8F

儀式ですから、先日の「即位の礼」「大嘗祭」のように衣装や使用するもの流れなど決まっています。
そういうなか、皆で祝福しよう、周りを不快にさせないようにしようということでマナーも継承されてきたのでしょう。
そしてそれは場所、時代などで変化してきたのだと思います。
昔はセパレートは駄目という人はいませんでしたよ。
結婚式にビジネススーツですか?皆さん礼服を着用されていますけれど。
日本の結婚式といえば白無垢ですが、黒い着物(黒引き留め袖)を着る地方もあります。
白無垢は「あなたの色に染まります」、黒引き留め袖は「他の色には染まらない」だそうです。

紀元前1200年の古代エジプトでは王族が化粧をしていました。王族は祭礼を執り行うので初めは祭礼(儀式)用のメイク。そしてメイクに使う顔料は高いので王族・貴族の特権階級の証として広まったのではないかな。
16世紀ヨーロッパでは付け黒子が流行りますが、これはシミを隠すもの。
色白が良しとされ、肌を白くする白粉(おしろい)に水銀が使われていて水銀中毒で抜けた歯を隠すために扇子を持つようになったり、十字軍遠征でイスラム圏から香油が持ち込まれたり。
男性も鬘をかぶって白粉を塗っていました。
日本もお公家さんは男性も顔を白く塗ってお化粧していました。
日本人が冠婚葬祭にお扇子を持つのは笏の名残。聖徳太子が手に持っている木の板のことです。

いつの時代も特権階級は庶民お憧れなので、特権階級の決まり事を真似するわけです。
生活が豊かになって庶民にも余裕ができるとメイクは一般的なものとなっていきます。
江戸時代は長く平和な世が続いたので、貴族の真似をしてちょっとお金持ちの庶民もお雛様を持ったり、絹の着物を着たり。唇に紅を差したり。
平和なので文化も産業も花開き、紅や反物も庶民に渡るくらい多く産出出来るようになったのでしょうね。
美智子様ご成婚の際はカチューシャやショールが流行り、雅子様、紀子様ご成婚の頃は、一般庶民の結婚式に十二単を着るというオプションも有りました。
いつの時代もファッションやメイクが特権階級から庶民に下りてくるように、儀式やマナーも庶民に広がっていったのです。
平和ボケといわれるくらい、平和な世の中が続いている現代です。
メンズエステやメンズ脱毛、男性用化粧品、歯のホワイトニングと男性も身奇麗になってもしかすると男性のメイクも一般化するかもしれませんね。
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この回答へのお礼

Thank you

丁寧に回答いただいてありがとうございます。
付け黒子や黒引き留めのお話など初耳で、とても勉強になりました。

結婚式にセパレートは駄目、ビジネススーツというのは最近の若い人だけなのかもしれませんね。
たしかにビジネススーツばかりというのは新郎新婦と同世代の人で、年配の方はちゃんと礼服だったなと思いました。

お礼日時:2019/11/30 10:57

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