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イスラーム世界で、アッバース朝は1258年まで続いているはずなのに、11世紀の地図では、バグダード周辺はセルジューク朝の支配下で、アッバース朝がどこにも見当たりません。
どうしてですか?

A 回答 (2件)

アッバース朝は、形式的には750年から1258年まで続いていますが、9世紀には早くも衰退が始まり、945年にブワイフ朝がバグダード入城を果たすと、アッバース朝はもはや名前だけのものになってしまいます。


ブワイフ朝による支配は、1055年になるとセルジューク朝に取って代わられるのですが、この時代のアッバース朝は、日本における武家政権時代の天皇みたいな存在であり、ブワイフ朝やセルジューク朝が幕府のようなものだと考えると、比較的分かりやすいです。
11世紀の時代には、イスラム世界の「幕府」にあたるトルコ系のセルジューク朝が、アッバース朝の首都であるバグダードをはじめとする多くの土地を実効支配下に置いており、アッバース朝が自ら実効支配下に置いている土地は無かったので、地図上にはアッバース朝の領土はどこにも無いわけです。
なお、アッバース朝はセルジューク朝の分裂・衰退に乗じ、1194年にイラクのセルジューク朝を滅ぼしてバグダード周辺の実効支配を回復しますが、その後1258年、モンゴル軍によって滅ぼされました。そのため、1194年から1258年までのイスラム世界に関する地図では、アッバース朝の記載が復活することになります。
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実のところ, それより前のブワイフ朝の頃からアッバース朝は政治の実権を失っていて, 実質的にカリフとしての宗教権威だけになっている

. もっとも, 「世襲カリフ」という意味でのアッバース朝はもうちょっとあと (オスマン帝国のセリム 1世が否定する) まで続くんだけどね.
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