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八丈島に流された宇喜多中納言秀家の子孫の一部は、明治になると東京に移り、明治6年には明治帝より約2万坪の宅地を下賜されているようです。

どうして関ヶ原から250年以上も経った明治の世に、宇喜多家(浮田家)は日の目をみることとなったのでしょうか?

秀家卿の妻・豪姫の実家・前田家が宇喜多を支援しているのはまだ分かりますが(それも江戸時代を通して八丈島に米と金子を贈り、さらに明治になっても多額の金を贈与している理由も量りかねますが・・・さすが百万石、太っ腹ですね)、どうして浮田一族は2万坪もの広大な土地を与えられたのでしょうか?

ご意見を賜れれば幸甚です。

A 回答 (5件)

こんにちは。


宇喜多七家の消息を訪ね「宇喜多秀家同族会」を設立された浮田丈男氏(秀継の子孫)によると、明治になって帰還した宇喜多一族の処遇については「前田家の尽力によって合議がなされ」たそうです。
勿論それが新政府の「新しい時代の到来を強調し天皇を中心とする新体制を強固なものにする」という方針に合致したというところも大きいでしょう。日本には革命による政権交代のようなものがあまりないので徳川家の扱いが低いような気がしてしまうかもしれませんが、本来は潰されても文句は言えない立場ですから御の字のように思えます。「徳川憎し」でどうこうというよりは新体制の藩屏とすべく、反徳川だったものやかつて天皇に忠義を尽した実績のある家などを利用したということではないでしょうか。
前述の浮田丈男氏は「本当に宇喜多一族は加賀前田家に感謝してもし尽くせるものではない」とも述べており、それが今日の両家の繋がりにも反映されていると思うと何とも壮大で感動的な話ですよね。
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この回答へのお礼

やはり前田家の尽力が大きかったのですね。
浮田家のご子孫が前田家への深い感謝を述べられているというのは大変興味深かったです。

敗者である徳川が公爵家として存続し首相の声がかかった人物がいたというのは、本来潰されても文句は言えない立場を考えると御の字とも言えますね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/31 23:19

ANo.2 です。

ご質問の趣旨には関係のない、どうでも良いことなの
かもしれませんが、気になっなもので、つい‥

>小早川家の再興は毛利家の勲功によるものと思っていましたが、
>豊臣五大老の家柄というのも関係しているのかもしれませんね。

毛利家の勲功によるものだと、私も思いますよ。^_^;;

理由は、小早川秀秋の子孫は実は秀秋の生家の木下家家臣として、
途中で苗字が変わりながらも明治まで存続しており、小早川秀秋の
血筋の復権が目的なら、その子孫に対して行われる筈だからです。
ただ、小早川秀秋の子孫の血の正統性については、私は若干の疑問
を感じています。
明治の小早川男爵家の創立は、小早川の名跡を復興するという意図
があったにせよ、最初から毛利家の分家創立が目的だったと思いま
す。
なお、ANo.2 で「※小早川家断絶は、幕府による改易が原因ではな
い」とうっかり書いてしまいましたが、無嗣絶家も改易なので、こ
れは誤りですね。もっとも、それ以前に、小早川秀秋の死にはキナ
臭い風説もありますし、庶子?がいても無嗣改易ですし、かなり黒
に近いグレーゾーンですね。小早川秀秋がもっとキレイさっぱりと
徳川に敵対していたら、宇喜多と同様に明治になって「小早川宗家」
として復権できたのではなかったかと思います。

蛇足でした‥
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この回答へのお礼

>毛利家の勲功によるものだと、私も思いますよ。
そうなのですね。歴史は門外漢なので日々無知をさらけ出しています。
ド素人の浅学で申し訳ないです。

秀秋卿の血筋は疑問符がつきながらも生家の木下家で繋がっているのですね。
毛利家でなく生家の木下家の家臣というところをみると、隆景が隠居して家臣も引き上げた後は、もはや毛利家の連枝大名とは言えなかったのでしょうか?

>小早川秀秋の死にはキナ臭い風説
関ヶ原での大功を考えれば、たとえ無嗣絶家でも庶子?が1万石でも与えられて家名の存続を許されそうなものですが、そうでないところをみるとホントにきな臭いのでしょうか・・・

でも毛利家としては、250年以上の時を経て、両川ともに毛利家の元に戻ってきて良かったのかもしれませんね。吉川とも幕末に和解できてますし・・・

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/31 15:54

 NO.1です。


 前田家の援助の件、幕府公認というより、むしろ幕府の命令のような感じになっています。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%AA%E5%A7%AB
 沢橋兵太夫の涙ぐましい話は、何かで読んだ記憶がありますが、援助は幕府公認というか見て見ぬ振りに近いものだと思っていました。
 この記事によりますと、援助については幕府も姿勢もかなり積極的に見えます。
 こういうことでは前田家が代替わりを重ねても、途中で止めるということはできんでしょう。
 一下級武士の命を懸けた美談の結果が、長年の援助と最終的に二万坪まで影響しているということでしょう。
 いい話です。
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この回答へのお礼

幕命でもあったのですね。
>沢橋兵太夫
八丈島渡航を諦める条件として兵太夫が援助を求めたのですね。
儒教的に母に孝養を尽くすというよりは、ただただ人情として母親に人目会いたかったのだと思いますが、その息子を叱り飛ばす母の愛もまた強いですね。病死もせずに幸運にも大きく育った息子に会いたくない訳もないでしょうに、当時の人の覚悟はすごいものがありますね・・・

#1のお礼欄に書いた職業と年齢の件、やはりこういう場で聞くべきことではなかったです。大変申し訳ございませんでした。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/31 12:12

確たる理由は私には分かりませんが‥


関係あるかもしれない‥私の推測、という程度で。

・明治維新(王政復古)による特赦が行われている
 → 江戸幕府による刑罰の赦免
・豊臣五大老6家のうち4家は存続している(徳川・前田・毛利・上杉)
 → 宇喜多家の復権
 ※小早川家断絶は、幕府による改易が原因ではない
・時代は下るが、華族制度発足により、南朝功臣の子孫が男爵に叙爵
 されるなど、先祖の栄誉・功績に対する顕彰として、子孫が恩典を
 受けた
 → 既に約2万坪の宅地を下賜されていた宇喜多家は除外?
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この回答へのお礼

小早川家も明治時代に再興されていますね。毛利公爵の子が小早川姓を名乗って男爵家を興していたと思います。
小早川家の再興は毛利家の勲功によるものと思っていましたが、豊臣五大老の家柄というのも関係しているのかもしれませんね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/31 12:03

 第ロッカン新政府の徳川ギライ。


 明治の叙爵は旧体制をなだめるための意味合いがあると思われますが、それにしても徳川さんにチョッと冷た過ぎるのではないか、という感じがします。 
http://wolfpac.press.ne.jp/kazoku.main.html
 徳川嫌いという反動が、宇喜多さんの件にも出ているように思います。
 明治になってから、徳川時代に不当に抹殺されていた歴史上の人物が大勢浮かび上がり、もてはやされました。
 また二万坪の件については私は知りませんでしたが、前田家の新政府への陳情があったのではないでしょうか。
(小生、昔、仕事で宇喜多さんのご子孫と会ったことがあります。超一流会社のエリートで名刺には『浮田○家』となっていました、このとき聞いておけばよかったですね(笑))
 米軍占領行政について・・・後年書物で読むとGHQ云々ということになってしまいますが、一般庶民はGHQと接触することはありません。進駐軍は日本の行政機関を通して占領行政をやっていました。隠れている戦犯も日本の警察が捕まえました。・・・念のため申し添えます。チョッと参考に↓。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2811983.html 
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この回答へのお礼

確かに徳川は冷遇されていますよね。
慶喜は、自らの9男・誠を男爵に叙任する旨の報を聞いて大層喜び、まだ風邪が治っていないのに宮中に参内して何度もお礼を言って、帰宅してからも興奮してはしゃいでいたようです。その2日後に高熱を発して、その15日後に亡くなったようです。かつて位人臣を極めた将軍が9男が男爵に叙任されたくらいでそれほど大はしゃぎして、そのまま亡くなったのかと思うと切なかったです。
徳川も最後は駿河70万石の大名に転落しましたからねー。石高では薩州島津家より低くなっているのは偶然ではないのでしょうね…

>徳川時代に不当に抹殺されていた歴史上の人物が大勢浮かび上がり
大昔の人物がやたらと高い官位を遺贈されていますね。
前田家も1600年ごろの出来事なのに、明治の世となっても支援していたというのはすごいですね。

浮田さんのご子孫は今も続いているのですね。一頃、徳川と前田の当主が両方、日本郵船の従業員だったというのは有名な話ですね。藤原五摂家の一条家のご当主はアンダーソン・毛利・友常法律事務所という日本を代表する巨大法律事務所でパートナー弁護士をされているようです。

oboeteGooさんは何関係のお仕事をされていたのですか?よろしければお歳も伺っても良いですか?(大変失礼な質問かとも思いましたが少し興味があります。お気を悪くされましたら申し訳ございません。)

URL拝見しました。
一般市民はGHQとの接触はなかったのですね。
>たった一人の裁判官をのぞいて
これは山口良忠判事のことですよね。私も初めに聞いた時はバカ正直にもほどがある、愚直を通り越して愚かだと思いました。でも今はこういう法律家が1人くらいいても良かったのかなと思っています。医者・弁護士・宗教者は「人様の不幸」を商売・生業にするという点で特別な職業です。1人くらいは彼のように法曹という職業に真摯に向き合った人がいてくれて、いち法学徒としてはどこかに安堵感を持ちました。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/31 11:30

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