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回答に 難無き方、
限定で、

お手を 煩わせます。


要するには、
くだんの 通りなのですが、

国民(かな?)は 主権者、
国は 従僕。


なので、
少なくとも、

国民と 国は、
対等、

又は、
国民が より上位、

だと 思うのですが、
違いますか?


剰え、

「国が 特権階級、」
かの様に 振る舞うような事は、
有り得ない 非常識だ、

違いますか?


如何でしょう、

法的根拠、倫理、
等に 照らし、

論拠を 軸に、
論理的な ご教示を、
お願いします。

A 回答 (2件)

日本は代議員制度を取っております。

憲法改正以外は単純多数決で法案等が決まります。
憲法で主権者は国民であると定められていますが、国民全体ではなく、有権者が立候補者に投票することで国民の代表が選ばれ、さらにその中から首相が選ばれ、さらに首相が省庁の担当大臣を選んで内閣を組織することで政府・国家を運営することになります。

ここに、内閣を構成する大臣及び国会議員が国民代表として、一時的な特権を付与される根拠があります。

しかし、衆院選挙は小選挙区制の比重が高いため、得票率が5割未満でも、自民党一党で国会の過半数を得ることが可能になります。
さらに、自民党内の派閥力学で首相が決まりますので、実際のリーダーシップは得票数全体の数分の一程度で、大きな権力を手にすることになります。
特権階級の中でも、格段の特権を手にできる一群が誕生することになります。

歴史的には、この制度は、古代共和制ローマから帝政ローマの時代に起源がさかのぼります。

古代ローマは、最初は王制で、王の助言機関として元老院がありました。
実体は有力貴族の集合体です。王権は弱かったので、そのうちに元老院議員の互選で選ばれた議長が王権を代行するようになります。首相制度の始まりです。
重要事項は市民全員参加で決めましたが、国が大きくなると、全員参加は不可能になり、基本的にすべてが元老院で決まるようになります。ただし、執政官など重要な役職は市民選挙で決まります。立候補予定者は、私財で大規模公共事業を行い、市民の人気取りを行うのが通例でした。カエサルは名門貴族でしたが貧乏人で、大富豪のクラッススなどから莫大な借金をして人気取り事業を行い、重要な役職を選挙で選ばれています。

しかし、それでは意思決定や改革が遅すぎるという弱点が次第に明らかになりました。多数決ばかりでは、必要な改革も利権を持つ保守派の反対で何も動かないため、社会の矛盾が拡大したり、俊敏な外交ができず、機能不全を起こして国が崩壊しかねない状況に陥ったわけです。そのために共和制ローマの末期は、激しい内戦が続発してしまいました。

カエサルはこれを執政官の権限強化、執政官を終身制にしたり、元老院議長・行政機関の首長、軍の最高指揮官などの重要権限を一身に集める改革を目指し、それに猛反対する元老院と大戦争で倒すことで、実行に移しました。
カエサルは実現を目の前にして暗殺されるわけですが、かれの目指した皇帝は「カエサル」の称号として永遠のものとなりました。

今でも多くの国が「大統領」+「国会」の政体を採用しています。これは基本的には帝政ローマの「皇帝(カエサル)」+「元老院」のコンセプトを現代風にアレンジしたものです。英国や日本のような議院内閣制は共和制ローマの政体をアレンジしたものですが、現代風にアレンジされていますので、実質的には大統領制とあまり大きな違いはないでしょう。

いずれにしても、1億人の有権者が存在する国を、特権を付託したリーダーなしに運営することは不可能です。
特権を付託するリーダーなき社会を理想とすることは、理想ではあってもそれが却って災厄をもたらすことは歴史が証明しています。
理想を追求すればするほど、理想から遠ざかる。そういう理想もあることを肝に銘じておく必要があります。

そもそも「特権を付託するリーダーなき社会」を実現するためには、それを実現するための「特権を付託したリーダー」を創らなくてはいけません。
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この回答へのお礼

スイスの事を 勘案されては?

お礼日時:2019/12/14 18:43

国民が従うべき法が、国民主権を謳っているのですから国民が主権者です


でも「国は従僕」という事はありません
国とはそういうものではない
国民の集まりが国家なのですから国は従僕などというはずはない
国民と国家はイコールです
言い方が違うだけ

従って対等だとか上位だとかの概念そのものが当てはまりません
別のものではないのです

よって、特権階級だ非常識だ等の単語も意味がありません
国民から付託された法行使の権限を、あたかも我が権力のごとく勘違いして振り回す輩は沢山いますが、それはその人物個人が犯罪者だというだけの話し
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この回答へのお礼

確かに、

国民の 集まりです。


が、

国民に 対峙したり、
と、

国として 国民とは、
個別の 動きを、
しますから、

等しいと 申されるなら、
其れは 間違いですよね?

お礼日時:2019/12/14 18:47

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