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バスや電車などの公共機関で携帯電話の通話はマナー違反だし迷惑です。

しかし掛かってきてしまった時に、今バスの中なんであと5分で折り返します、と小声でいうのもダメですか。

先日路線バスに乗った時に真横で申し訳なさそうに手で塞いでやってるサラリーマンがいましたが全然嫌な気がしなかったしこれくらいはセーフだと感じました。

しかし運転手さんは、車内での通話は他のお客様に迷惑になるので通話はお控えください、とかなりのボリュームと口調で言ってました。

そのアナウンスの方が煩かったしほんとの迷惑行為の時にやってほしかったです。


節度とか状況に応じて、はやはり通用しないですか?

質問者からの補足コメント

  • 路線バスなんで同じ時間に乗ると同じ運転手なんでわかるんですがこの運転手さんは言うと面倒そうな人には注意してませんでした。

    まあ理由はわかるんですがやっぱり違うんだよな。
    ストレス溜まってんな、とすぐわかります。

      補足日時:2019/12/21 15:32
  • どう思う?

    本当の迷惑者は注意したら逆ギレしてくる奴らだと思います。

    それを知っているので運転手はそいつらには注意せずに最低限のチョットだけの人に強くあたる傾向にあります。

    これはタクシーや飛行機内でも感じます。

    乗車拒否とかサービス拒否とかなんかいい感じの解決策はないものですかね。

      補足日時:2019/12/27 05:23
  • 下記の補足は、運転手さんは逆切れされるともっと困るので、が分かりやすかったですね。

      補足日時:2019/12/27 08:15

A 回答 (13件中1~10件)

公共交通機関を利用する際はスマホなどはマナーモードにしましょう。


マナーモードをし忘れても電話に出るのはおやめください。
切るかマナーモードにしてください。
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この回答へのお礼

正論言ってカッコいいおつもりですか。

お礼日時:2019/12/21 09:01

あなたは気にならなくても他の人がどう思うか。


どこまで容認するかの基準がないから今回注意されず、次回注意すればクレームになる可能性がある。

これを認めれば際限なくなると言うことが理解できないのはあなたの社会常識と想像力の欠如ですね。

>節度とか状況に応じて、はやはり通用しないですか?
通用しません。
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この回答へのお礼

随分と偉そうなご意見で。

おまえには通用しなくとも通用する人はいっぱいいるんだよ。

正しいことを言っていると思い込みそれに酔ってる人が最近増えたね。

お礼日時:2019/12/21 10:57

>節度とか状況に応じて、



は誰が判断するのでしょうか?
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この回答へのお礼

それは世論です。

お礼日時:2019/12/21 10:59

私の場合は掛かって来たら窓を開けて顔を出して「今バスの中なので5分後かけ直します」と言います。

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この回答へのお礼

そんな人はいないでしょう。

危険だし風が入り込んでもっと迷惑です。

お礼日時:2019/12/21 11:01

通話を始めたらイラッとするけど、「今電車の中なので、後でこちらからかけ直します。

」と言ってさっと切る分には、特に気になりませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

それが普通の感覚だと思います。

お礼日時:2019/12/21 11:21

折り返しの電話…程度だったら、問題無いですね。


ちょっと運転手も過敏になりすぎてる気がします。
度を越した長電話、声の大きさで判断してもらいたいな…とは思います。

電話でなければ学生やおばさん連中のバス内での大声会話は大丈夫なの?って方が、余計気になりますね。そちらの方が余程耳障りだと思います。
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この回答へのお礼

それを言いたかったんです。
代弁ありがとうございます。

大多数の日本人はまだまだ節度や状況判断がわかるんです。

お礼日時:2019/12/21 12:02

>それは世論です。



論理のすり替えでは?公共交通機関で「通話はお控えください」と言っているのであれば、
控えるのがマナーでしょ。次の駅、バス停で降りて折り返せばいいだけの事。
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この回答へのお礼

論理のすり替えではないですね。

常識の範囲内でとか普通はとかは全て世論が決めます。

おばさんの会話より小さな声で折り返し電話します、というくらいは通話とは言いません。

お礼日時:2019/12/21 15:16

許容範囲だと思います。


寧ろ、スマホを弄っている方が目障りです。
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この回答へのお礼

スマホを弄ってるのが目障りなら今はほぼほぼ全員になりますね。

私はそこは許容範囲内ですが乗り降りの時まで弄りながらゆっくり動かれると蹴っ飛ばしたくなります。

お礼日時:2019/12/21 16:39

少し良いですよ。

ベストは留守電にすべし、電源オフ最高です‼️
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マナーと言うのは「一つの出題」でしかないと思いますよ。



刺激の一つと捉えましょう。

この反応(対応)が各自違うため、その人の状態が分かる。

質問者さんがおっしゃっているとおりです。


こうしたマナーに類するテーマでは「寛容さを示す」というのが(常に)正解です。


例えばですね。

自分も意味を感じない、

なんか面倒なものを「しなければいけない」として複数人に押し付けてみましょう。

わざとやるんです。


するとこの時、

「まあ、いいか、付き合うよ。」

と言う人もいますし、

「それになんの意味があるんだ。人に押し付けるなよ。俺は絶対嫌だ。」

とか、

「お前、何言ってるんだ。

 ルールなんだから守らなければいけない。

 お前みたいに他人の迷惑を考えない奴が世の中を悪くするんだよ。

 マナーを守れない奴は人間失格だ。」

に分かれます。

後ろの二つがアウトですね。

非常に分かりやすく分かれます。しかも簡単です。

危険に直結しない、昔からの伝統など慣習は、この様なテストの意味が多く、

面倒がったり、憤ったりする人を心配するためのものです。



マナーと言うのは他人を不快にさせない所作がほとんどですが、

これがある本当の目的は、寛容に振舞えない人を見つけ出すことです。

その人は「厳しすぎて他人を不快にさせている」ことに気が付いていませんよね。

こんな潜在リスクを発見できます。


更に、迂闊に正解を答えて他人と争ってしまう人もわかります。

昨今で知られている社会課題に発達上の問題があります。

また、健常者でも高ストレス状態と言うのがあります。

何らかの異常があればそうなる(分かっていても寛容に振舞えない)んです。

そういう人を助けるのが目的なんですから、争ってはいけませんよ。

私も他人の事を言えませんけどw


世の中には「優しさを感じられない厳しさ」と言うのがあります。

そういうものは必ず「正しい」と言うメッセージを含んでいます。

逆に「優しさを感じられる厳しさ」と言うのもあります。

これは必ず「危ないよ!」と言うメッセージを含んでいます。

自分に余裕があれば識別は容易ですよね。


しかし、それ(優しさを感じられない厳しさ)を発している人であっても、

私たちが見えない所で我慢を続けてきたんではないでしょうか?

それまで優しくされてこなかったんです。

これは私を含め皆さんの責任ですよ。


誰かの厳しさから始まり、

正論に反発できない人が我慢をし、

どうでも良い時に別の人へ八つ当たりをし、

相手の人がまた我慢をして、時間をおいて別の八つ当たりをする。

これが人間関係のつながりを伝ってどんどん広がっていきます。

人間関係には限りがあるので、どこかで一周して自分に戻ってきます。

この様に多くの人の間をさざ波の様にストレスが循環しています。

もしかすると、

今受けている不快感は相当前に自分がやった八つ当たりが原因かもしれません。

それが反響してしまい、収まっていないのかもしれません。

そうだとしたら、これは申し訳ないですよね。

自分に余裕ができたら、壁となって寛容さを用いて止めないといけません。

循環をせき止めるわけですから、大変大きな意義があります。



例えばいつの間にか1万人を通過してきた、

八つ当たりの連鎖が出来上がっているかもしれません。

人間関係のつながりですから、自分には見えませんが、あり得ますよ。

これが定在していており、何周もして収まらなかったらどうなるでしょう。

何も起きていないのに、かなり多くの人が長時間苦しみますよね。


そういう事が起こらないようにするには、

誰かが寛容になり、自分のところで収めるしかありません。

しかし、そういう人が減ってしまうとどうなるでしょうか?

八つ当たりの反響が収まらず、私たちの社会は地獄になるでしょう。

最後は循環ではなく、終端ができてしまいます。

つまり、耐えきれなくなった人が社会の輪から外れて、家庭に引き篭もる。

生きていくため家族とのつながりだけが残る。

すると、その方は家族から一方的に八つ当たりを受け続けます。

これでは逃げ場が無くなります。


これらは数学的に証明されています。

限られた数字を集めて順番とルールを作ると、

いくつかの循環が出来たり、終端(端っこですね)が生まれるそうです。

人は人に接して何かを伝える性質がある以上、上記と同じになります。

社会現象ではなく、数学的に当たり前の現象であり、政治では防げないんですよ。


例えば、接する人を変えて循環が出来ない様に対応するのも手ですが、

これは少なからずリソース(習熟期間)を消費して社会として消耗します。

経済成長が鈍化すれば、そうしたコストの高い対策は使えなくなります。

一気にストレス社会が出来上がるという次第です。


そこで既出の対策があります。

定在的な循環の輪を作ることを嫌がらず、

ストレスではなく”優しさ”を流し込むわけです。

毒ではなく薬を流し込んで循環させてしまえばいいんです。

この逆転の発想が「和」と言います。


優しさと言うのは余裕(特に身体の健康や安全:生理欲求、安全欲求;マズロー)

から生まれます。能動的に助けるという行為が伴います。

誰もがいつでも出来るわけじゃありません。

そこで、寛容(おおらかに許す)で凌ぐわけです。

そして、これすら出来ない人は本当に辛い状態なんだと思って助けてあげることです。

助けることが出来ないならば心配してあげる(自分の心を守る)。

自分に心配が生じれば、その人を助けることが出来なくても、

自分に接している別の循環の輪を通して、

多くの人の間に伝わり、(自分の知らない所で)大きな優しさに変わります。

私たち一人一人の少しの忍耐は無駄にはならないんです。


自分に寛容さが無くなったときは、

循環の輪に「毒を流し込むことが有り得る」として、道を譲るべきです。

辞めるのではなく、一時休む。

休憩をとって自分を癒すわけです。

辞めてしまうと自分が終端になってしまい、救われるどころが地獄が始まります。

逃げてはいけないと諭されるのは、蛮勇を競うのではなく、

休憩と終端の違いを意識させるためです。


寛容に振舞うための我慢はあっても、

寛容に振舞えない状態での我慢はいけませんよね。

この差を知って上手に運用するのがマナーだと思いますよ。



以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

めちゃめちゃ参考になりました。
ありがとうございます。

分かりやすく見やすいので保存版にさせてもらいますね。

実は私は寛容性も忍耐力もないので常に生き辛さを感じていて選んだ結果がひとりで生きる、になってしまいました。

なるべく他人と接触しないで見ない聞かない生活をしていると楽は楽なのですが全然刺激も感動もなく楽しくはないですね。

いい感じの生き方をもう一度探してみます。

お礼日時:2019/12/22 17:02

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