
再度質問します。
このカテの常連さんが、先日、次のように書いています。
<私は20年考えて哲学を編み出しました。>と。”
古代ギリシャのでは。“数学を編み出した”と言える、と思います。当時は数学の領域が狭いから、偉大な人物は、当時の数の領域を全部カバーすることが可能だった、はずです。
しかし、現代では数学の領域は広範囲で、“数学を編み出した”とは言えない、はずです。“数学の一部の分野を編み出した”とは言えるでしょう。
質問は、<私は20年考えて哲学を編み出しました。>と言うことは、哲学って領域は狭いから、編み出せるのですか?
No.13ベストアンサー
- 回答日時:
質問者さんに誤解させたようなので改めて回答致します
その前に
その方が構築したとする理論(存在性理論)について私は否定はしていません。何故なら否定し得る論理的根拠を私は持ち合わせていないからです。加えてその方が答えを求め続けてきた事については「素晴らしい」事だと思っています
では話を戻します
私はその方が哲学でも科学でも宗教をされていると言った事に対して質問者さんは「何とか教が相応しいのかも」と仰っていますがそういう事ではないのです
そうでは無くてその方「20年」かけて「存在性理論」を構築したその「理由」はその方がその方を言わば「救済」するためだと見受けられたからです。
端的に言えばその方にとって20年かけて「存在性理論」を構築してきた事や「存在性理論」それ自体がその方の「救い」となっている。と言うことです
何故そう言えるのか?
それについてご説明致します。
「私は20年考えて哲学を編み出した」とその方は仰っていますが、「理論」を構築するために掛かった時間をわざわざ言う人少なくとも科学の世界においてそのようなの事を言う人を私は誰一人知りません。
何故なら他人にとって重要なのは「理論」の中身であって「理論」を構築するまでに掛かった時間は重要ではないからです。
それは「理論」を構築した人物にとっても同じだからです。
ところがその方はわざわざ掛かった時間(20年間)を強調しているのです。
何故そうしているのか?
それはその方が仰っている考えの中に
「生きる目的や意味や意義はとても重要であり故に目的や意味や意義がなくただ生きているのは意味が無い」的な考えがあることから推測すると「存在性理論」を構築することを目的に過ごしてきた20年間は意味がある20年間言い換えるなら「価値のある20年間」となるからです
その方が強調している「価値のある20年間」がその方にとってどのような「意味」があるのか?
それはその方が構築した「存在性理論」のメインテーマが「存在」だからです
要は「価値のある20年間」とは「私(その方)と言う存在に価値がある」となるからでそれ即ち「その方自身によるその方の存在肯定」となるからです。
その方がわざわざその方自身の存在を肯定しようとするのか?
それは「精神医学」に関わる問題です
「その方がその方自身の存在を肯定」しようとするその理由は「その方自身その方が存在しているその事実に不安抱いている」からです。
「不安抱く」その理由は「その方のアイデンティティ」が確立されていないからです
だからこそその方にはその方が抱いているその「不安」を解消する即ち「救い」が必要なのです。
要するにその方はその方自身を「救う」為に20年かけて「考え」続けてきたと言うことです。
だからこそその方が構築した「存在性理論」もまたその方自身を「救う」ものなのです
その方が考え続けてきた20年間やその方が構築した「存在性理論」に対してその方が固守しているのはそれが理由です
その方にとってその方がを「救う」「存在性理論」を否定することはその方にとってその方自身を「否定」することになるのです
だからこそその方が構築したその理論にその方はすがるしかないのです
すがるしかないからこそその理論をその方は信じるしかないのです。
その方がその理論を構築したその理由がその方自身を「救う」ためであることからその理論が「真理」を追求することを目的では無いことは明らかです
私がその方について「哲学」でも無く「科学」でも無く「宗教」だと言ったのは上記がその理油だからです
再度のご回答ありがとうございます。
心の詳細な仕組み・働きよく理解できました。
<「その方自身その方が存在しているその事実に不安抱いている」からです。
「不安抱く」その理由は「その方のアイデンティティ」が確立されていないからです>ですね。
私は、この<「不安抱く」を、その方の健康問題に求めています。彼は。病弱で、自分の生存を気にしており、それが一般論の生存主義に変わり、もっと一般的な存在主義に昇華されている、と推測しています。
<だからこそその方が構築したその理論にその方はすがるしかないのです
すがるしかないからこそその理論をその方は信じるしかないのです。>
<「哲学」でも無く「科学」でも無く>自分を救う<「宗教」>なのですね。
No.18
- 回答日時:
何か色々書いてあるようですが 私はアイデンティティに拘った訳ではありません
物心つくのも 所謂アイデンティティを自覚するもの奥手だったかも知れません
それは初恋の人が特別なように 自分の哲学ばかり観て生きてきたから
没頭してたのかも知れません。
宗教家という話もありますが 宗教かと言えば気がついた点は訂正してるので哲学のつもりですが
もう長いんで 宗教と思われても仕方ないかも知れません。
でも飽くまで私は哲学としてやっています。具体的にどうしろこうしろという事は言わなかったつもりです。
信者さんも居ないし^^
しかし私も年で 58才になりました。もう頭は衰える方向に言っています
早く白黒つけたいなという気持ちもあります。
再度のご回答ありがとうございます。
<初恋の人が特別>ですね。綺麗で明るく清らかで純粋で、この人前では自分までも純粋になりますよね。
huru 27 58様もおそらく高校生位の時に哲学という言葉を聞いた時、その清明を感じたものと推測します。宗教や人生論や社会改革などの、既知の手垢に汚れた言葉と違った、<初恋>のような純粋さに心を打たれたもの、と思います。哲学はすべてのものを含んでいる、と。(以上独善的な勝手な思いを書きました)

No.16
- 回答日時:
大人は基本的には、自分というものに無意味に固執しない。
精神の社会化が進んでいて、この世界には自分より優れた人など無数にいるが、それは別に問題ともならない、と思っている。要するに、自分を他人と比べて、舞い上がったり落ち込んだりはしないと言う事である。仮に事実、自分が最も劣った人々のうちの一人であったとしても、大人はそれを知ったことで動揺することがない。むしろ学びの幅は大きいと思って邁進することだろう。それで、彼は”大人”だと言う。また、大人はむしろこのように考える。私はしっかりとした自己(アイデンティティ)を確立してきたが、自己の世界に固執していないだろうか、ほかの世界に目をつぶっていないだろうか、この強固な自己の世界に縛られて、不自由になってはいないだろうか。
優れた大人はさらに、私はしっかりと確立したこの自己を、むしろ解放しよう。このように考えて自らを自由にする。それで、その心は年老いることがない。
持っていないことのほうが良いのである。持っていない方が、その存在が、彼自身の存在が剥き出しになるのである。
小賢しい知恵など捨ててしまえ。人は賢いものに憧れるが、賢い者は純粋さを欲する。そして純粋さは、持っていない者が持っているものなのである。
私は精神分析医ではないが、名誉を欲して哲学をするのであれば、彼は哲学には向いていない。
ご回答ありがとうございます。
<純粋さは、持っていない者が持っているもの>なのですね。
僧などが坐禅をし瞑想に沈むのは、<自己(アイデンティティ)>から離れるため、なのですね。(しかし、私も含めた凡人は、<自己(アイデンティティ)>を確保するのに必死ですが)
No.15
- 回答日時:
「その方自身その方が存在しているその事実に不安を抱いている」について
その方が学生の頃位の時から「考え」続けているそうですが、その方によると学生時代その方にとって「無為な時間」を過ごしてきた的な事を仰っていましたし、大学を中退したと仰っていました。
それから推測するに
「無為の時間」を過ごしていると自覚された時その方は「自分はいったい何をしているのか?」と自問され、大学を中退した事で「自分は何で存在してるのか?」と自問されただろうと思います
その件については御本人から聞くしかないですが
そうであってもなくても関係なく何らかの理由で「アイデンティティ」を確立できないま大人になってしまった事には変わりはないでしょう
早速のご回答ありがとうございました。
その方に失礼ながら、<「アイデンティティ」を確立できないま大人になってしまった>のですね。
その原因は<無為の時間」を過ごしていると自覚された時その方は「自分はいったい何をしているのか?」と自問され、大学を中退した事で「自分は何で存在してるのか?」と自問された>のでしょうね。
しかし、普通の人(私も含めて)は、その日暮らしで残念ながら内省し<自問>はしないですね。
No.14
- 回答日時:
其のかた「私は存在性を構築」したとは言わず「哲学をあみだした」と言ったその理由はその方を「救う」にはその方の存在をその方だけでは無くて他人にも「肯定」してもらわなければならないからです
即ち「哲学を編み出した」と言った方が「存在性理論を構築した」と言うよりも他人に注目される=肯定されるとその方はそう考えたからです
「哲学」はその方にとってその方を「救う」為の「飾り」なのです
「有名人」の写真を展示している「飲食店」にその写真がお客に来店させるための重要なアイテム=飾りであそのることその方が「私は哲学を編み出した」と言ってる事は同じ事です
御回答ありがとうござます。
<その方を「救う」にはその方の存在をその方だけでは無くて他人にも「肯定」してもらわなければならないからです>ですね。
人は孤独を好んでも、心の奥底では他人と触れ合い、他人に認められていたい。という欲望があるのですね。その際、<他人に注目される=肯定される>ように<「飾り」>という(意識してではないでしょうが)策略があるのですね。
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