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No.32
- 回答日時:
もういちど、(お局さん)たちのほんとうの気持ちがどこにあるのか、ニュートラルな気持ちで眺めてみるのがよいのでしょうか。
ニュートラルと言っても、引いた見方ではなくて、もっと知りたいの気持ちでですが。
私がよく覚えている「お局さん」は二人いて、一人は20代の若い女性でした。
その人は総務課の所属で役職のない立場の人で、「お茶くみ」「コピー取り」
などの所謂雑用係でした(昔のことなので)。
社内の人間たちを監視して、逐一上司に言いつけるのです。トイレに行ってい
る時間が長いとかいう類のことです。
その立場に不満もあったのでしょうが、私の見たところ、社内で完全に孤立を
せざるをえなかった、その性格がそうさせたのではなかったのかと思っていま
した。
もう一人は40代の女性で、経理担当の人でした。
この人は強烈でしたね。
会社には諸経費にかかる領収書というものがつきものですが、外回りの人間た
ちがこれを上司に提出をしハンコをもらい経理部に回ると、登場となります。
正に「下町奉行の御出座」でした。
すべての領収書を疑い、一々根掘り葉掘り正すのです。くどいし、言い方も超
偉そうでした。
これには皆うんざり。
職務に忠実と言えるので社長も何も言えず、困っていましたね。
何でしょうね?ともかく偉かったようです。
No.31
- 回答日時:
★(№29お礼欄) 批判というものは、思想の中身ですので、配慮
などされるべきものではなく、むしろ、言い切るべきものと考えます。
☆ 《配慮》に 二種類ありましたね。
すでに言い切った批判としての命題に 《ずばり言いますと》とか
《そのひとつの特徴を取り出して極論すれば》とかのような・意味合
いをやわらげる言葉を添えるのが ひとつ。
もうひとつは 《特徴を挙げるときに プラス・マイナスのどちらか
に片寄るのではなく両側面に触れておく》というような場合です。
★(№25お礼欄) (う) 残念ながら我が同胞たる日本人は嫉妬
心がいたく強いし、すぐヘソを曲げてしまうからです。
〇 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ふるくからの日本人は 互いの絆が・あるいはシガラミとすら呼ばれ
るような互いのつながりがつよいので 嫉妬心に燃えたときやヘソ曲
がりになったときには 周りの者が気を遣ってくれて必ず誰かひとり
は 寄り添ってくれる。
その感情を鎮めるのに けっこう親身になって時間をかけて つきあ
ってくれるのだが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ といった《配慮》のことを思っていました。
考えてみると その配慮を添えなくても 言い切った命題から その
ような配慮としての別の特徴が 排除されているわけではない。つま
り 簡潔に言い切ったに過ぎない。
――と言えるでしょうね。
つまり ちょっと冗長なコメントでした。すみません。
これで いまの主題については ひとまとまりでしょうか。
むろん 探索は 尽きないでしょうけれど。
要するに、配慮といってもこうしたネットの世界では、どんな人が
どういう気持ちで見ているかは捉えきることはできません。
文字だけの世界ですので、誤解も多いでしょう。ですから、誤解を
恐れたら、何も言えなくなると考えています。
リアルでは、顔が見えますので、個々に対する配慮をする、という
ことになると考えています。
配慮が成功する確率が高い、とも言えるでしょう。
こういう風に考えているということです。
No.29
- 回答日時:
長いやり取りになっていますが 今回は 簡潔に一点だけを取り上げ
ます。
ちょっといぢわるなコメントになります。
☆☆(回答№25)
(あ) >もしその《配慮》説に全面的に賛同してしまうと 《哲学》
が 日本と欧米とでは 別の概念であり別のいとなみになると認めた
ことになります
★(№25お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(い) あくまで、言葉遣いなどの配慮の範囲ということです。
(う) 残念ながら我が同胞たる日本人は嫉妬心がいたく強いし、す
ぐヘソを曲げてしまうからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ (う)なる《批判 ないし さばき》には 《言葉遣いなどの配
慮》は 要りませんか?
――いぢわるでしょう?
(う)は 一般論ゆえに 特に配慮する必要はない・・・か。
けれど もしそれだと たいていの人に当てはまることになってしま
う?
見てのお分かりのように 半ばジョークですので 気軽におこたえく
ださい。
でも 配慮があると その嫉妬やヘソ曲がりから 仏界を湧現する状
態へ窓をあけているかたちになるとは思います たしかに。
そして 仏界は 実際の現実には そのようなキッカケだけでじゅう
ぶんなのかも分かりません。(人間の成し得ることとしては それだ
けでも ほめたたえるべきわざなのかも)。
批判というものは、思想の中身ですので、配慮などされるべきものではなく、
むしろ、言い切るべきものと考えます。
「そういう時代になったのかも知れませんねええ、ええ~」なんて言い方をし
ても、聞き流されるのがオチでしょう。
しかしながら、リアルの顔を合わせる世界では、人間関係が終わってしまいか
ねない時代だと思います。
配慮というのは、そういうことを言っております。
匿名の世界では「言い易い」のは事実で、だから、「言ってしまえ」という感
じですね。
配慮をすれば、相手はこちらの人間らしさを感じて、四悪趣から一時的に脱し
て「人界」にはなることはあるでしょう。
「人界」の縁はせいぜい「人界」を呼び起こすということでしょう。
「仏界」を呼び起こすものは「仏界」であるというのが道理であると思います。
No.28
- 回答日時:
釈尊の法門はなぜ八万なのか、気になります。
日蓮大聖人の御書のどこかに、ひとは一日に八億四千ほどものを思う、書かれていたようにおもいます。
ここから、わたしの勝手な(エセ)理系的考えを述べさせていただくと、一日は 86400 秒です。バランスよく(均等に)すべての法門を思い浮かべると、ひとつの法門におよそ 1 秒ほど使います。
一方、一日に 8 億程度の思いがあるとすると、思いの一単位は 1/10000 秒ほどのはずです。
また、最近テレビをみて、聞いたところの話では、人間の意識と呼べるほどのものは、数万から数十万程度の脳細胞のネットワークで働いているらしい、といいます。
以上のことから、人間の思考の時間分解能はどれくらいになるとおもわれるでしょうか。
これはわたしがなんとなく思っていることですが、八万法蔵はなにかしらの、なやみやくるしみ、あるいは、病気と関係していて、その法門のひとつひとつがあるひとにとっては健全でその人にとっては、あるいみあたりまえのこと(でもありがたいこと)、なんらかのなやみやくるしみ、病気があるひとにとっては、そのどこかの法門がうまく働いていない状態にあるのではないかと思います。
ひとが縁によって、いつもある思考の状態から一時的に離れることがあっても、一人でいてしばらくすれば、自分の普段の考えているあたりに戻ってしまうのではないでしょうか。
たぶん、ふつうにはすべての法門にひとしく思いをめぐらすことは難しいことで、だいたいは自分の好むあたりに考えも安住してしまいがちのような気がします。
「八万法蔵」というのは、数が多いということ、と理解しています。
女人成仏抄の中に「経文には一人一日の中に八億四千念あり」とあるようです。
経文というのは法華経のようです。とすると、古代インドでは億=十万ですので
84万?ということになります。ということは、10念/秒です。
「スーパーコンピュータ京」は、浮動小数点数演算を1秒で1京回できるそうです。
これがどういう速度かはよくわかりませんが、専門家の話では、人間の脳の処理
速度も同じくらいあるというから驚きです。
それを考えれば、八億四千念くらいは軽々とできそうです。
しかし、現実にはそんなに考えている実感はありません。
ということは、八億四千というのは、やはり数が多いということの表現なのか、
あるいは、現代人が極端に頭を使わなくなったのか、どちらかではないかとも思
います。
また、末法の現代においては八万法蔵ではなく、御書ということになるでしょう。
No.27
- 回答日時:
no.27=21です。
DRさんは時間的な次ととらえていて、私は界同士の次ととらえています。no.21と時間的な次を合わせて考えます。仮に今3番目の界に居たら、次の瞬間には4~10番目の界のどの界に居るか分からない。もし次の瞬間に6番目の界に居たら、次の次の瞬間には7~10番目の界のどの界に居るか分からない。1界~9界の衆生はどんどん10界に近づいていく。10界にいる衆生は10界にいるまま。長くて9瞬後、短くて1瞬後にはすべての衆生は10番目の界の仏界を開く。
no.16のお礼コメントにあるリンク先の下記になる。
地獄界から仏界までの十界の各界の衆生の生命には、次に現れ
る十界が因としてそなわっていること。この十界互具によって
九界と仏界の断絶がなくなり、あらゆる衆生が直ちに仏界を開
くことが可能であることが示された。
ですが、no.21のお礼コメントDRさんの実感とおなじように私の実感としても気分は、お腹が減ると機嫌が悪くなるくらいはわかりますが、結構ランダムです。
私の実感としても、十界の出現は全くランダムな部分があって
、次にどうなるかは全く分からないと思います。
DRさん(no.21のお礼コメント)が正しいです。私の界同士の次というとらえ方、no.21は誤りでした。すみませんでした。
>no.21は誤りでした。すみませんでした。
いえいえ、私だって十分に分かっているというにはほど遠いと思います。
仏法の極意と言われる、一念三千論の基本である、十界論・十界互具論ですから、
そう簡単に理解できるとは思っていません。
No.26
- 回答日時:
王法は賞罰をもととせり と 賞罰が正しく行われないとき人々は力を失う ということを思い出しています。
秦の国では、とりあえず御触れを出してみて、その疑いのあるものを捕まえて処罰した。秦の国の人々は御触れが出されると、それからはみ出さないように振舞うようになった。国の規律は良くなり、人々を扱いやすくなった。けれど、そもそも持っている創造性は削がれてつまらない生き方になっていかないでしょうか。
そもそもの、最初に処罰されたひとたちの家族や仲間にとっては、怨念としかならないものしか残らないように思います。
蜀の国の諸葛孔明のような軍師が、つねに清廉潔白で人々から慕われているとき、どんなに優秀な将軍でも、命令を破って味方の損失を出したときは厳正に処罰したように思います。
仏法がひとりひとりの可能性を信じ、その人の個性を生かす育て方を目指し、王法がなんらかの秩序と統制を目指すものだとすると、そこにはつねに、規制と自由化のようなものの話し合いが必要になるのでしょうか。
いくらかの規範、規制がないと、自由な元気な人々は、自由に元気にぶつかり合ってしまうかもしれません。
(わるいことをしたら、わるいことになるよ)は、おおよそ正しいように思います。わるいことをしてみつからないで、のうのうと暮らしているひとをたくさんみかけるようになったら、じぶんもわるいことをしてもみつからないんじゃないかと思うようになる、ということでしょうか。
わたしの両肩には同生と同名というものが乗っていて、どちらか一方がわたしの行いを見ているあいだに、もう一方が閻魔大王に逐一報告しているのだよ、と教わりました。
俱生神(同生、同名)がその人の行為を逐一記録し、閻魔大王に報告する。
別な言い方をすれば、カルマ勘定の貸方、借方にその人の行いがすべて集計される。
つまり、その人の行為はすべてその人の責任として、報いがあるという「因果応報」
が仏法の考え方ですが、だからといって法律が不要ということではないでしょう。
凶悪犯を放置してはならないし、適切な賞罰は必要でありましょう。
要は、王法と仏法の不一致が問題だと思います。
理想としては、吟味された法律が存在していても、重犯罪を犯す人がほとんどいなく
なり、裁判所も刑務所も暇でしょうがない、という状態になることだと考えています。
No.25
- 回答日時:
★(№23お礼欄) 「信ずる」という問題は、大変な問題であると思いますので、別途
お話しするとして…
☆ たしかに 《信じるとは何か》の理論を共通の前提としないと なかなか話は前へ進
まないということが 起こります。
☆☆ >認識の普遍性を問うために批判をするという意味で さばくことをしてもよいと
いう場合
★ というのは、つまるところ「独善的態度」といえないでしょうか?
☆ ううーん。ここは どうなんですかねぇ。
★ そして、この「独善的態度」と「思想・表現の自由に基づく主張」との違い・線引き、
ということを議論する必要があると思います。
☆ まさに そこですよね。じつは どちらも 主観の判断によっています。
主観が独善的にならないためには いわゆる経験合理性にもとづいた推論をとおして そ
の主張を表現するとなるでしょうね。
理由説明が要ります。理由や根拠からの推論を 合理的にみちびくこと。
合理を超える推論のばあいには その論理の飛躍についてきちんと断り書きを添える。な
どなど。
こういった手続きを踏めば 次の《批判――さばき?――》をクリアすることができるは
ずです。:
★ それをしなければ、いたずらに主観に流され、結論というものが得られないという事
態になりかねないと思います。
★ あなたが常々仰っている「哲学は喧嘩である」ということは私は賛同しております。
☆ ほおお。あるいは おおおーお。
★ 人と人は自分の考えを「平和的に」(できうる限り)ぶつけ合うということが私は正し
いことだと思います。
☆ あるいは 相手の意志をとうとび 相手の見解をじゅうぶんに聞いてじゅうぶん理解
するということ。
その上でなら――相手がふつうに哲学の徒であるなら―― どんな否定的見解を提出して
批判をしても まったく問題はないと思っています。
★ しかし、自己主張の強い欧米人に比べ、日本人は権威をもった人間のいうことに従っ
てしまうという国民性が強く、個人の主張が弱いという点が日本人が哲学性が低いと言わ
れる所以であると考えます。
☆ そうでしょうね。見方を変えれば 自己主張はどこでも同じほど強いけれど 日本人
は そのやり方が下手だとなるかも知れません。
経験を積めば 変わる・・・のか? とうぶん百年・二百年は 変わらないのか?
★ まあ、そういった国民性ということについての「配慮」は勿論なされるべきだとは思
いますが。
☆ 一般論は そのとおりですね。
という意味は もしその《配慮》説に全面的に賛同してしまうと 《哲学》が 日本と欧
米とでは 別の概念であり別のいとなみになると認めたことになります。
哲学は 《国民性の違いや男女の差》で異なるものではなく それらの差を超えています。
超えた上で 国民性論や性の関係としてのツイ(対)関係論が 問い求められてゆきます。
★ 仰るように、人は欲望に支配されていたり、エゴに翻弄されていたりして、正しい判
断ができない、ということもあるのですが、割と正しく判断していたり「ヤマシサ反応」
があったりすると思うのですが、それは、人・天・二乗・菩薩の状態のときのその人の培
った知性による判断、ということで事足りると思います。つまり、仏界と結びつける必然
性が無いと考えます。
☆ ううーん。ここは 裏を返せば 仏界論ですよね。正面から取り上げることになるの
では?
つまり そうなると 地獄界や修羅界にいる人間が われに還り 昔のふるい表現を用い
るなら《真人間》になるというとき それは 人・天・二乗・菩薩のハタラキを得てもよ
いのですが 基本は 仏界の作用が成ったと見るのではないですか?
ふつうの経験的に培った知性をさらに支えるようなみなもとの知恵のハタラキが 想定さ
れているのではないかと。
というのは 《良心》を例に挙げて説明され得ます。良心をとうとぶ人間の心は そのま
なそのように発揮されると思いますが 良心を人間が知性でこしらえたとは考えられない
からです。
ヤマシサ反応は 人間たるわれの身や心を超えた良心のハタラキとして捉えられるのでは
ないか。それとも この身体の細胞組織の中に人間の知性が作り上げた仕組みなのか?
というかたちにおいて。
知性を超えた知恵の話は 洋の東西やあるいは男女の違いによって左右されることはない
のですし ならば 哲学の普遍性を裏打ちしているものと思います。
★ しかし、仰ることは以前ある質問の中で考察した「唯識論」という理論で考察すれば、
何らかの納得できる結論が得られるかもしれないとも思っています。
☆ あっ。じつは 唯識論は苦手です。大の苦手です。話題に出たらそのつど 頭に鉢巻
を巻いて張り切って考えますが いつも苦手意識があります。
一たん保留して これからの楽しみにしておきます。
>こういった手続きを踏めば 次の《批判――さばき?――》をクリアすることが
できるはずです
一般論としては、ですね。
>ほおお。あるいは おおおーお。
やはり、以前お話したことがあったと思いますが、哲学・思想の誤りこそ重大であ
ると考えております。
ただ、こうした匿名の世界ですので、相手が何らかのよからぬ目的を持っている場
合もあるし、人をからかうことしか考えていない場合もあるし、自己顕示欲しかな
い場合もありうるので、そう判断できた場合は喧嘩などすることは時間の無駄と考
えています。
>もしその《配慮》説に全面的に賛同してしまうと 《哲学》が 日本と欧米とでは
別の概念であり別のいとなみになると認めたことになります
あくまで、言葉遣いなどの配慮の範囲ということです。残念ながら我が同胞たる日本
人は嫉妬心がいたく強いし、すぐヘソを曲げてしまうからです。
>ここは 裏を返せば 仏界論ですよね
「仏界」とはいかなるものか?ということになりますね。
仏教哲学大辞典の記述を引用します。
『この境涯を一口に言いつくすことは難しいが、いかなることをなすにも自由自在に
知恵を働かせてとどこおりなく、しかもおのずと規律にかなう生命、一瞬一瞬がこみ
上げる楽しさと活力に満たされていて、どんな難局も平然と乗り切り、常に他の人を
救おうとして活動している状態』
と、あります。
客観的には、仏典の記述から得られた一つの解釈、ということでありますが、私の支持
する解釈であり、良心とかヤマシサ反応などは、本然的なものであるとは思いますが、
仏界的内容ではないと判断しています。
また、繰り返しになりますが、十界とは、縁によって一つずつ顕現するものであるという
考え方ですので、その論理からすればやはり否定されるものであると考えます。
唯識論から考えると興味深いと思ったのですが、残念ですがこれはまたの機会ということ
にしましょう。
No.23
- 回答日時:
おこたえをありがとうございます。
★(№20お礼欄) ・・・今のところ、「隔たりがない」ということ
が、すべての人が持っている「仏界」というものが、常に人々に影響を
与えている、ということになるのか…
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>仏界の湧出にのぞみを置き
仏界の存在を知り信じた人であれば、それを望むことは人としてごく自
然なことだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ そうですね。《信じる》問題を別にするとすれば――哲学はたしか
に そうするのですが―― 《認識の普遍性を問うために批判をすると
いう意味で さばくことをしてもよい》という場合があるのは 《自分
が理解できたのだから ほかの人にも理解できるはず》という考えと思
いに 根拠とのぞみを置いているのでしょうね。
この思想にもとづくならば 相手が理解し得ないであろうと思ったとき
には 批判は控えるとなります。
理解し得ないことを相手に話すのは いけないこととなります。
あとは 相手が理解できるかどうかとは別に これこれこういう考えを
持つのだが あなたは どう思うか? と尋ねるかたちを採ることで自
分の考えを伝えようとするでしょうね。
この場合も 採りようによっては 相手はさばかれていると受け取るか
も知れないわけですが。
ということは 表現の自由にどこまで頼って 自分の発言に批判的な内
容を含めてよいのかを考えることになるのでしょうね。
人それぞれが 自分の責任で 判断することになるはずです。
人と人とが 話の内容についても・その性格や人柄などについても 互
いに理解し合えるということは――哲学としても ヒラメキや良心とい
ったハタラキをとおして・そして意志行為の《自由》というナラハシを
とおして―― ブッダターやアートマン(霊我)やプネウマ(神の霊)
とその信仰の現実性を 実際には想定し考え方にも絡めているものと思
われるのですが。
ちょっと要領を得ないのですが こういった事情のなかで さばくか・
さばかないか いづれかの行為を人はそれぞれ選択するものと思われま
す。
「信ずる」という問題は、大変な問題であると思いますので、別途お話しするとして…
>認識の普遍性を問うために批判をするという意味で さばくことをしてもよいという場合
というのは、つまるところ「独善的態度」といえないでしょうか?
そして、この「独善的態度」と「思想・表現の自由に基づく主張」との違い・線引き、とい
うことを議論する必要があると思います。
それをしなければ、いたずらに主観に流され、結論というものが得られないという事態にな
りかねないと思います。
あなたが常々仰っている「哲学は喧嘩である」ということは私は賛同しております。人と人
は自分の考えを「平和的に」(できうる限り)ぶつけ合うということが私は正しいことだと思
います。
しかし、自己主張の強い欧米人に比べ、日本人は権威をもった人間のいうことに従ってしまう
という国民性が強く、個人の主張が弱いという点が日本人が哲学性が低いと言われる所以であ
ると考えます。
まあ、そういった国民性ということについての「配慮」は勿論なされるべきだとは思いますが。
仰るように、人は欲望に支配されていたり、エゴに翻弄されていたりして、正しい判断ができ
ない、ということもあるのですが、割と正しく判断していたり「ヤマシサ反応」があったりす
ると思うのですが、それは、人・天・二乗・菩薩の状態のときのその人の培った知性による判
断、ということで事足りると思います。つまり、仏界と結びつける必然性が無いと考えます。
しかし、仰ることは以前ある質問の中で考察した「唯識論」という理論で考察すれば、何らかの
納得できる結論が得られるかもしれないとも思っています。
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