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§1 考えても 分かるか・分からないかが 分からないこと

1. 世の中には およそ 二つの事柄がある。
考えて分かること(Y)と考えても分からないこと(X)と。

   Y=考えれば分かること。

     (いまは分からなくとも いづれ経験合理性に基づく科学行
     為によって分かるようになると考えられること)。  

      (科学が真実と判定したあと 真実ではなかったと判明する
     場合にも その誤謬について 〔有限ながら〕合理的に説明
     しうることがら。)
 
   X=考えても分からないこと。

    (いやむしろ分かるか・分からないかが 分からないこと)。

    (人間の知性を超えていて もはや経験合理性によっては そ
    のことの有無・可否・是非などを 判定しがたいことがら)。
 
    (もしくはつまり むしろこのように想定してしまっておくこ
    とがら。 )

2. ひょっとすると 世の中は Yの経験領域のことがらだけであるかも知れない。
X は 経験を超えた領域のことであって それが有るとも無いとも 決められないこ
とがらである。

3. 経験領域(Y)を規定するならば 《経験領域(Y)でない領域》は 規定済
みとなる。(規定は 否定である(?))。

4. もはや超経験領域(X)は その(Yの)定義の中に――あるいはその外に――
織り込まれているとも言える。

5. だが それとして重ねて触れたほうが 説明のしやすい場合が多い。それゆえ 
用語に加えたい。つまり あらためて

   超経験の領域= X

      超自然・非経験・絶対・無限・永遠・
      〔そしてこのような意味での〕神・
      〔人によっては次のごとく言う〕無・無神・空


6. 人間の精神は 絶対 X ではない。人間じたいも 経験存在 Y であり その精
神も有限であり 経験世界 Y に属す。

7. 《精神は 永遠なり》というのは 想定上 《 Y は X である》と言っており
――冗談でない限り―― マチガヒである。(→§3)

8. さらには 《無意識》はどうか。これも 経験領域 Y に属すのであって 非
経験 X ではない。神でもなければ 絶対法則でもないだろう。




§2 《考える》と《信じる》

9. 考えるのは そして考えたことを表現するのは そしてまた表現をとおして意
思疎通をおこなうのは さらにそして大きくこの意思疎通の歴史を記録し伝えあって
いくのは 人間である。

10. 特にこの人間を 経験領域 Y の中より取り出して その位置を捉えよう。

   人間存在 = Z 

とすれば 経験領域 Y に対して人間 Z が取る態度としての関係が いまの議論では
《考える( Y-Z )》である。だとすれば 取りも直さず 非経験の領域 X に対する
われわれ Z の関係は 《考える》ではない。ありえない。考えてもよいが それが意
味をなすかどうかは 分からない。

11. 《考えても 分かるか・分からないかが 分からないもの(= X)》に対す
るわたし Z i の関係は 一般にも 《信じる( X-Z i )》と称される。

12. これは 《考える( Y-Z )ではない》という意味で 《信じない・もしく
は無を信じる( nonX-Zi )》と名づけても 同じことである。そもそも X が 経
験世界で言う有であるか無であるか 分からないゆえ X=nonX であり どう表現
しようと 《わたし Zi 》の勝手なのである。(信教・良心の自由という公理)。

13. したがって わたし Zi は 信じる(つまり 信じないの場合も同じ)の対象
(したがって すでに非対象)を 
 《空(欠如) 》 X-Za と言おうが 
 《アミターバ(無量光)・アミターユス(無量寿)・ブッダ》 X-Zb と言おうが 
自由であろうし 
 《神》 X-Zcとも 《ヤハヱー》 X-Zd とも 《アッラーフ》 X-Ze 等々と
も 自由に言い得る。


14. 逆に 気をつけるべきは 信仰において信じる対象は わたし Zi がわたしの
精神によって思考し想像して抱く神の像ではないということである。すなわち《神》と
いったことば・概念・想像は 《考える Y-Zi 》の問題である。

15. 人間 Z が信じるのは 道徳規律でもなければ 倫理の信念でもなく 神とい
う言葉じたいでもない。神という文字でもなければ 聖典なる書物じたいでもなく む
ろん k-a-m-i という発音でもない。

16. X( X-Z )は Y( Y-Z )ではない。後者( Y-Z )には特に 精神
とその産物を含むゆえ この想像物としての神( Y-Z )と 想定上の神( X-Z )
とは峻別しなければならない。





§3 超自然 X が 経験世界 Y ないし人間 Z の歴史( ΣY-Zn )に介在しうるか。

17. これに対する答えは むしろ簡単である。

絶対者 X を想定したときから すでにわたし Zi は その X による介入を受けて来て
いる。
もしくは 介入などありえないという形(=無神論 nonXーZi )において 関係が想
定されている。

18. 介入という表現が 適当でないとすれば わたしとその世界( ΣY-Zi )は 思
議すべからざる絶対者 X (また = non‐X )に対して 開かれている。閉じられていな
いということが 重要である。考えても分からないことなのだから 締めたり閉じたり
するわけには行かない。

19. しかも ややこしいことには わたし Zi たる人それぞれによって その介入
のあり方( X-Y-Zi )は 決して一様でないことである。同一人のわたしにしても その
人生のなかで さまざまに変化するかも知れない。(宗旨替えなどと言われることが起
こる)。

20. 議論を端折るかたちになるが 問題は いまの介在のあり方について その基
本の形態を 一人ひとりが 明確に判断し 仮りに変化を受けたとしても・変化を経な
がらも その《信仰》形態を自分のもとで つねに 確認し得ていることではないだろ
うか。

21. 信じる( X-Y-Zi )か 信じない( nonX-Y-Zi ) か これが いま確認すべき基
本の形態である。しかも この〔無信仰を含めての〕信仰の基本形態は変更しうるけれど 
その時々の現在において明確に保持していることが 重要ではないだろうか。



22. いま一歩進めるならば  このおのおのの《信じる》の基本形態について 自
身が最小限度 言葉で説明しうるということが 望ましい。その点を一度明らかにして
おくならば そののちの話し合いにおいて 余計な誤解や不必要な対立を 防ぐことが
できるからである。互いにみづから交通整理しつつ 社会におけるコミュニケーション
を円滑に進めることが望ましい。

23. 信仰の基本形態からあとさらに具体的に展開されるという歴史(人生)の過程 
つまり言いかえると たとえば神 Xi が人間の歴史( ΣY-Z )に このように・かのよう
に介入したなどという過程 この問題は そもそも話し合い(《考える》)では 埒が
開かないものである。

24. もっとも これを逆に言えば やはりたとえば そんな介入などには一切 目
もくれないのだという見解の提示(無神論)をも含めて わたし Zi の《神( X )体験》
ないし神学ないし言わば《 神( X )史観》については 自由に話し合えばよいと言え
る。そして そのとき コミュニケーションが成り立つかどうかは はじめの大前提と
しての信仰の基本形態に合致しているかどうかによって判断されるものと思われる。

25. もし問題があるとすれば その大前提についてあらためて 想定の仕方や規定
の内容を 議論しなおせばよい。

26. 以上の定義だけの理論は 次が その心である。

  吾人はすべからく互いの差異を 自由に批評し合い コミュニケーシ
  ョンを進めながら つねにその差異を認め合わざるべからず。



☆ ――ということではないだろうか? おしえて! グー。

質問者からの補足コメント

  • εγmakkiω さん。すみません。

    amazon での本(『えんけいりぢおん』)ですが:

    ▲ ( amazon ) この本は現在お取り扱いできません。

    ☆ でした。申し訳ないです。

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/04/20 11:57

A 回答 (23件中1~10件)

小さな自我が、わずかな自力に頼んで生きているのが、私達、人間。


その他は全て他力。体も空気も水も地球も太陽も宇宙も存在も未知なる物も。
私達が生かされている計らいをもって、神を思う。神は合理的あって、なおかつ、
不合理であって、矛盾と道理を兼ね備えたものであって、一筋縄では理解不能。
ただ、私達は他力より生まれて、自力の儚い夢を見て、死んで他力に帰るのみ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 小さな自我が、わずかな自力に頼んで生きているのが、私達、人間。
☆ 自我という用語に――それは ただ《わたし〔なるもの〕》と言えばよい
と考えるので――抵抗がありますが 人間のすがたとして そのようだと思い
ます。


★ その他は全て他力。
☆ 他力は ふたつの種類があると考えます。

相対的な他力。つまりは 経験事象としての世界のものごと。他者の意志や行
動もふくまれますね。

もうひとつは 親鸞ではありませんが 絶対他力。これは 人間には分からな
いのですが それは その分からなさが或る程度分かる。――ということにな
るはずですよ。



★ 体も空気も水も地球も太陽も宇宙も存在も未知なる物も。
☆ これらは 相対的な他力ですね。


★ 私達が生かされている計らいをもって、神を思う。
☆ ええ。まさに絶対他力のことになりますね。


★ 神は合理的あって、なおかつ、不合理であって、矛盾と道理を兼ね備えたも
のであって、一筋縄では理解不能。
☆ びみょうですが・言わんとするところは分かりますが そうですね。わたし
の理解では これら《合理的な部分と不合理な部分とがある》というのは けっ
きょく神についてわれわれ人間が忖度したその結果ではないかと思います。

なぜなら 矛盾・無矛盾や道理・不条理は 二項対立であって やはり相対的な
ものごとであると見ます。なぜなら 神は この善悪や真偽や美醜といった二項
対立を超えているはずだからです。

一筋縄で行くんです。ただし その縄の向こうに何があるのか。それは 分から
ないナゾであると。


★ ただ、私達は他力より生まれて、自力の儚い夢を見て、死んで他力に帰るの
み。
☆ 儚い夢が ほかの人たちと・また後世の来たるべき人たちと共有しえたらな
おいいでしょう。

お礼日時:2020/04/21 13:30

我々の認識能力を超えたことなんてわかりようがありません。

考えても結論は出ません。
そんな無意味な思案に時間を浪費しないほうが良いですよ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


ところが けっこう推理をはたらかせることが出来るのです。

絶対性の中身は 分からないのですが 絶対なる神とそして相対存在である
われわれ人間との関係 これについては けっこう経験事象の中から経験合
理的にいくつかの要素を取り出しこれらを抽象化して概念をととのえ かな
りのことが分かり得ると思いますよ。

それに 絶対性というのは 概念が じつは はっきりしているのです。そ
こから 推論を伸ばして行けます。

お礼日時:2020/04/21 13:16

自分の心です。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


こころは いかんせん 相対的で有限なる経験的なものです。



〇 人間たるわれの成り立ち ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

非経験の場(絶対性)
 霊我・仏性:[信じる]:霊性:非思考の庭:   ヒラメキ; 良心
                          ↓    ↓
_______________________________________
経験存在(相対性)                 ↓    ↓
 心・精神 :[考える]:理性:思考の緑野:直観(ヒラメキ) ↓
 身・身体 :[感じる]:感性:感性の原野:直感(     ヤマシサ反応;恥ぢ)

お礼日時:2020/04/20 22:55

神はわからないから神なのであって、わかるなら単なる科学になるんじゃね?

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この回答へのお礼

言わば《死角》があったんです。――ご回答をありがとうござい
ます。

《考えても(認識をしようとしても) 分からない》というとき
その《分からない》は 神の場合には:

 分かるか分からないかが分からないナゾ

なのだったんです。

早く言えば こうです。:

 神は ひょっとすると人間にも――ヒラメキなどとして――分
 かるかも知れない。と同時に――と同時にです(ここが ミソ
 です)―― 決して分からないかも知れない。

あるいはつまり:

 神は 《分かると分からないとが 同時に有り得る》。



☆ むろん そのうちの一面だけとしての:
★ 《わかる》 なら単なる科学になる
☆ のであり そして 同じく一面だけとしての:
★ 《わからない》
☆ なら 《知り得ないと証明された不可知》となります。

ただ一面だけとしての:
★ わからないから神なのであ
☆ るとは じつは 言えないんです。《分からないという一面
だけで成り立つ》のなら それは 先ほどの《不可知》かまたは
単なる《未知》だとなります。

未知は やがて科学の発達により既知となります。

ですが 神は――これを《非知》と呼びますが――けっして《既
知》という一面だけの存在ではありえないのです。


そして知り得ないと証明されたわけでもありません。知り得たと
証明されたのでもありません。

お礼日時:2020/04/20 14:02

あの〜私の考えです。


神は私たち人間の素粒子だと思います。
物理学そのものが神。かと。
一個人の考えです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 物理学そのものが神。かと。
☆ これは ふつうに自然科学のめざましい(!?)活躍のゆえに もう科学
が神である・・・といったふうに捉えた見方のことではないでしょうか。



★ 神は私たち人間の素粒子だと思います。
☆ 原子や分子では間に合わず 素粒子こそが 神である・・・ということで
しょうか。あるいは 量子とか。


そういうふうに 人間の行動やあるいは思想までをも決めてしまうほどのチカ
ラを持っているかも知れませんね。

ただ たぶんモノが神であるという説は どうでしょう? あまり人気がない

ようにも思えるのですが。どうでしょうね。

お礼日時:2020/04/20 12:47

bragelloneさんの著書を買いたいのですが、Amazonにありますでしょうか?


書名を教えて下さい。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

すごいことをおっしゃる。――ご回答をありがとうございます。


自費出版したものがあるにはありますが 市販というふうには成って
いないと思います。(自費出版でも 国立図書館に寄贈するらしくて
そういうふうには成っているようですが)。


要しますと ブログに入力してアップしています。

〇 caguirofie
https://bragelone.hatenablog.com/

☆ と言います。このページの右側の下のほうに《カテゴリ》があり
ます。そこに 作品のタイトルも交じっています。

そして 《プロフィール》のページへ移動していただくと そこには
作品をならべてかんたんな説明をしています。どうぞ。

本でご所望でしたら メールで連絡ください。お贈りします。



いまちょっと検索してみたら なんと amazon にありました。

〇 えんけいりぢおん
https://www.amazon.co.jp/えんけいりぢおん-日比野-暉彦/dp/4286035093

☆ この一冊だけのようです。(古書として出されているのかも知
れません)。
上のリンクは まづ amazon のサイトに行ってそこで本の題名を入
れ検索するようになっていますね。

お礼日時:2020/04/20 11:18

No.2


回答者: IcarustoWings 回答日時:2020/04/19 07:14
此処では 絶対に 神は解からない

それに コピペして質問するって事は あなたの意欲が足りないだけ


この回答へのお礼
もっとしゃれた批判ができませんか。」←?

IDって 俺には不要なもの

何時までも このIDだと思ってるのが大間違い

不要に なれば 退会せずに 放ったらかして 次のIDで遊ぶだけ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それよりも 神は どうなった?

神は あなたが帰る日を 泣きながら待っているのに 一向に あなたは 帰らず 悪に染まっていってるが?
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この回答へのお礼

★ それよりも 神は どうなった?
☆ 趣旨説明欄をどうぞ。

お礼日時:2020/04/20 00:24

ふるいひとを脱ぐようにどうぞ」←?



何処までも神から離れたいのですね

何の為に あなたが質問を立てたのかも あなた自身 解からなく なっていますよ
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この回答へのお礼

No.2
回答者: IcarustoWings 回答日時:2020/04/19 07:14
此処では 絶対に 神は解からない

それに コピペして質問するって事は あなたの意欲が足りないだけ


この回答へのお礼
もっとしゃれた批判ができませんか。

お礼日時:2020/04/19 22:18

蝋で出来ているのですね。

」←神の質問から離れていけば 行き着く先は あなたの遊び

その遊びに 乗ってるだけです
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この回答へのお礼

ふるいひとを脱ぐようにどうぞ。

お礼日時:2020/04/19 22:02

tubasaga yaketesimaimasitaka?」←

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この回答へのお礼

蝋で出来ているのですね。

お礼日時:2020/04/19 21:52

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