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ヒルティの幸福論に心酔して、書物や人との出会いは導き、という言葉を信じてしまいました。その頃出会った方が自分の為に神から遣わされた人だと信じ込んで結婚しました。でも彼女は私のタイプではなく、、惚れてない人と結婚した事が辛く感じる様になりました。
結局離婚を申し出て、彼女は号泣しました。
神を信じて本に書いてある通りにしたのに、、
何故神はこんな酷いことをしたのか分からず苦しんでいます。神がこんな事をするなんて信じられない。
どう考えたら解決するでしょうか?長い間苦しんでいます。宜しくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 人の出会いは導き、という記述が誤りだったのではないでしょうか?私の質問を良く読まれていますか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/03/13 04:45
  • 人の出会いが導き、という記述が間違っていたのでは無いでしょうか?ヒルティが諸悪の根源だと思っています。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/03/13 04:48

A 回答 (8件)

地図を見て、場所や道順が分かったつもりで出かけたが、到着しない場合に、多数の原因があることは、想像に難くないでしょう。


「ヒルティの幸福論に心酔して、書物や人との出会いは導き、という言葉を信じて」とのことですが、著者、書名、記述の全て、あるいはいくつもの間違いがある可能性を思いませんでした。
https://hasunoha.jp/questions/61277
https://hasunoha.jp/questions/67294
「神を信じて本に書いてある通りにしたのに、、」
神を信じて受験の選択に数字を入れても、投資をしても、道を選んでも、上手くいかないことの方が多いくらいは、小学生でも納得します。 「神がこんな事をするなんて信じられない」などと思うのは、小中学生でもいません。
ネットで検索しても、「書物や人との出会いは導き」でヒットすることは少ないです。この方は「出会いこそが、人生を導き、形づくる」という標題でwebを作って公開しています。https://www.keiwa-c.ac.jp/chapelblog/chapelblog- … ですが、このwebの本文中の記述には、「学んだことについて、自分で考えるということが不足していると思った。私たちの学ぶことには、どれも決まった答えがあると思っているので、教えられたとおりに受け止めればよいと考えていたのだ。しかし大切なのは、その答えを導くために考えたことや、持つ疑問だと分かった。発想力や想像力は、探求心につながるので、小学校から高校までの間で、調べなさい、調べる時には本を読みなさいと言われ続けた理由が分かった。また、自由は努力しないと勝ち取れないし、継続することもできない、というのはとても納得できた」のようなことです。

> 人の出会いは導き、という記述が誤りだったのではないでしょうか?私の質問を良く読まれていますか?
> 人の出会いが導き、という記述が間違っていたのでは無いでしょうか?ヒルティが諸悪の根源だと思っています。

そのような記述があったのかを再確認してください。

> どう考えたら解決するでしょうか?長い間苦しんでいます。宜しくお願いします。

長い間というのは2週間でしょうか。 22年7月時点で、「もう5年苦しんでいます。ヒルティと言う偉人が書いた幸福論3部作を数年前に読んで感銘を受けたのですが、、」なのでしょうか。
結婚の前に出会った方は一人ではないでしょう。通常、多くの人は、社会生活の中で一月に数人の方には出会います。今を中心にしても、2024年Ⅰ月~6月の6ヶ月で何人にも出会います。 その中に必ず「自分の為に神から遣わされた人」がいるということなど、だれも保証しません。 自分が勝手に思い込んでしまったというだけの可能性は高いです。 高齢者が電話を受けたときに相手が息子で窮地に陥っているから300万円渡さないとと思い込んでしまうのと変わらないです。
「普通の人ならばどのように考えるだろうか」 「結婚している相手を好きになり大切に思うようになるために、多くの人はどのような努力をするのだろうか」 「私の場合は、どこから改善するのがよさそうか」 「いま、努力するべきとを考え、できることからやっていこう」 のように 自分で考えるのがまともでしょう。
前に、書物や他人の言葉に従うだけで、自分の思考をせずに、衝動的に「信じて」やっていた自分に慚愧の念があるならば、自分の改善をすべきでしょう。
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結局、あなたは導きを信じ切れず、せっかく出会った人なのに、相手が自分の「タイプではない」こと、「惚れていない人と結婚したのが辛い」ということを理由にして別れたんですよね。


添い遂げるのが嫌で結婚生活を投げ出したんですよね。
「神を信じて本に書いてある通りにした」のではなく、自分を優先して相手を悲しませたんですよね。
自業自得じゃないですか。
「何故神はこんな酷いことをしたのか分からず苦しんでいる」と仰いますが、神ではなくあなた自身が酷いことをして他人を苦しめたんでしょ?
間違っているのは神でもヒルティでもなくあなた自身じゃありませんか?
あなたは本当は神もヒルティも信じていなかった。
それが事実です。
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神とか仏とは、自身の右脳に存在している意識の事です。

他人の中には他人の神とか仏が存在しています。ヒルティが幸福論を書いた時はそう考えていたのかも知れませんが、貴方の事とか、貴方の相手を知っていて書いた訳では無いと思われます。

人間の脳は、今の科学では計り知れないくらいに未知な事が多いようですが、今の科学で分かった事を書いてみたいと思います。

云う必要も無いも知れませんが、人間の脳には分からない部分が在る様です。科学が進んだと云いながら、神や仏が何処にいるのかも今の科学は追求出来ていないように見えていますが、釈迦はもう昔にこの問題を解き明かしています。

今の分かっている部分だけで説明してみます。人間の心が如何して苦しくなるのかといった問題ですが、これに付いても今の科学は無力です。処が釈迦はこの問題で苦しんだようですが、苦しみが深かったようで、この苦しみの根源にまで辿り着いたようです。

人間の心が苦しくなる原因は『当の本人の中に存在している。』と喝破しています。そうしてその原因に辿り着く事が出来ない事は、その人の『無明の故』と残しています。

端的に説明するなら、例えば『漠然とした不安』と云ったものが在りますが、こういった不安感とか恐怖感とか言ったものが、何処から押し寄せているにのか?と云った事柄についてですが、今の科学では『心の苦しみの原因は分かっていませんが、早期治療をするなら早く良くなります。』と説いている様です。

処が原因の究明でさえも分かる努力さえもしない今の、精神医学ではそう云った心の問題は、手を付ける術がないように見えています。

ですがそのヒントが在ります。人間の脳の構造です。

ウイキぺデアからの引用です。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の話です、沢山の脳梁が切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

左脳の人格は、いわゆる自我意識の事を云っています。処が右脳の意識が何処にいるのかのヒントはありません、処が仏教ではほぼ解明しているようです、人間の心の中に存在している右脳の意識とは、無意識を司っている意識の事です。

この意識は人間の生命発生装置兼、生命維持機能を司っている者です。

その証拠を上げるなら、赤ん坊の能力とか機能を語る事で、ほぼ説明が付くと思われます。それは人間の生命のみならず、あらゆる生命体とか植物でも同じと思われます。これ等のみならず、ウイルスであったとしても微生物であったとしても同じです。

つまり命を働かせている『意識』と云ったもののようです。その事を釈迦は『仏性』と名を付けたものと思われます。

人間に例えるなら、命を授かった瞬間から働き始めている働きの事を云っています。細胞分裂の仕方でも、順番でも全てを知っている者の事です。

そうして誕生した瞬間でさえも、成すべき事を成すべき順番に行っている事です、そうして思春期が来た場合では、しっかりと脳と身体が成熟をして、左脳は自意識として独立を果たして右脳の意識は『無意識の底に隠れてしまいます。』

このウイキぺデアの記事の中の脳内に二つの意識が在ると云った事柄を補完するために、脳卒中になってしまった脳科学者の講演の様子の動画も載せてみます。

脳科学者である女史が脳卒中になってしまって、右脳の自分と左脳の自分を体験として語っているものを載せてみます。







又仏教では人間の苦しみは、その苦しんでいる人間が自分を苦しめているとも云っているようです、その苦しみの原因を知らないでいる事を『無明の故』としているようです。

健常者と云う人達は、自意識と無意識の切り替わりが、大変スムーズに云っているために、この切り替えに違和感を抱かない人達の事を云っています。

それに引き替え、交替制がギクシャクしてしまって、にっちもさっちもゆかなくなった場合を、ノイローゼとか神経症と云っています。

精神医学の話になりますが、人間が自分の死を見詰めた場合では、死に往く自分を見ていると気が狂わんばかりになる様です。一種のノイローゼの状態という意味です、この状態が釈迦の気持ち=『一切皆苦』と云ったもののようです。

此処からが釈迦の本領です、癌になった人が余りの苦しみの果てに『悟りを開いた』といった話が在りますが、これと同じ現象と思われます。

詳細に説明するなら、死に往く自分の自我意識が苦しんでいます。脳内に存在している自分の仏性は助けたい一心で対話をしていますが、そう云った声は届く事が無いようです。処が自我意識あ全てを投げ出した時奇跡が起きる様です。

人間が死にたくないと考える時、同時に永遠の命を希求します。仏性がその永遠の命を既に持っている事によって、自我意識はその永遠に憧れを抱くからです。

死に往く人が満面の喜びを浮かべて死に逝く場合です、二つの意識は共に手を取り合っているからです。

その反対が死を恐れている場合です、それは永遠の命を持っている仏性の助けの手を遮って、じたばたしているからです。

恐怖症の全ては同じ事をしているからです。釈迦の悟りをお経で説明したところで、殆どの人が理解出来ないようです。

処がそう云った宗教的な素質が薄くて、悟りから程遠い様な人達にも、釈迦は一つの方策を授けています。それが禅です。

人間は絶えず『意識界』と『無意識界』を往ったり来たりしています、この事が余りに巧妙に出来ていて、全く違和感を抱く事が無い人を『健常者』と呼ぶ様です、その反対に切り替えが出来難かったり。違和感を抱き易い人を『神経質な人とか、メンタル面に問題を抱えている人』と呼んでいるようです。

では話を戻して貴方の質問に答えたいと思います。

『ヒルティの幸福論に心酔して、書物や人との出会いは導き、という言葉を信じてしまいました。その頃出会った方が自分の為に神から遣わされた人だと信じ込んで結婚しました。でも彼女は私のタイプではなく、、惚れてない人と結婚した事が辛く感じる様になりました。
結局離婚を申し出て、彼女は号泣しました。
神を信じて本に書いてある通りにしたのに、、
何故神はこんな酷いことをしたのか分からず苦しんでいます。神がこんな事をするなんて信じられない。
どう考えたら解決するでしょうか?長い間苦しんでいます。宜しくお願いします。』

貴方の話の腰を折る言い方になりますが、運命の赤い糸は実際には存在します。この意味は貴方の脳内の二つの人格と。彼の女の二つの人格が共鳴する場合です。

この場合では、4人が話をする形になると思います。そうなった場合では会えば会う程また会いたくなります。そうした処で何の話をしたとしても共に共感を呼ぶ話になると思います。

何をした処で全てが良い結果が待っています。

貴方の話が良く分かりませんが、会えば会う程会いたくなくなったという事かも知れませんが、そう云った事は結婚を了承する以前に分かっていた事だと思います。その予兆を見逃してしまった事が貴方の落ち度かも知れません。

今となっては、どのような再出発になったとしても、貴方の人生ですので貴方の自己責任でやって行く他無いと思います。人生は全て自己責任が付いて回ると思いますので、ヒルティのせいにしようがしなかろうが、貴方の身に掛かって来る事は、まぎれも無い事実となって貴方の身に迫ると思います。
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ハ~


「人の出会いが導き」
それは良き人との出会いだよ、な事アホでも分かる。

ヒルティに心酔するのは良いが、何処をどのように解釈し、有効に実践するかは、その人の境涯(時と場所と人)によります。

ハーバート・スペンサーは
「直接的な目的としての幸福」について
「幸福の基準は常に変化する。それぞれの時代、
それぞれの民族の中においては、それぞれの階級により、
人々のそれについての見方は異なっている」と言う通りです。

貴方は本当の幸福が分からないと思います
ヒルティは言う
「真の喜びとは、似(に)ても似つかぬ単なる快楽ではない」
 貴方は幸福に至る過程が分からないと思います
ヒルティは言う
「多くの苦しみを耐え忍んできた人々のみにかぎられる」
「行き詰まったら“貫け!“と言っている
すなわち
あらゆる困難を悠々と乗り切っていく、そこに人生の幸福はある訳です。
 貴方の様に、苦労しないで、うまく泳いでいる人には、何かあると直ぐ諦める人には、ヒルティの幸福論は当てはまりません。

ヒルティを読むなら、アランやラッセルの幸福論も読みましょう。
アリストテレスやジョン・スチュアート・ミル・ハーバート・スペンサーなどの幸福論も推奨します

幸福になる「良い品性」と美徳について、
全世界の 3000 年の歴史に及ぶさまざまな文化を研究した後で、
セリグマン(Martin E. P. Seligman)にアメリカの心理学者
「知恵と知識、勇気、仁愛、正義、節度と精神の卓越」
と解釈されている。
参考になりますよ。

で、吾輩の結論・・・
幸福の第一条気は「深い哲学」を保つ事、とします。
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どう考えたら解決するでしょうか?


 ↑
神を頼りすぎて、自分を見失った
からでしょうね。
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神なんて、いません。



決めたのは、あなたです。あなたの神は似非神です。
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神の導きがどんな結果になろうと、喜んで


受け入れるのが信仰です
自分に都合のいいことだけに対して喜ぶんでは
困ります
神のなさることに、あなたが評価を加えるのは傲慢です
この回答への補足あり
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>その頃出会った方が自分の為に神から遣わされた人だと信じ込んで結婚しました。



あなたが勝手に信じただけです。
自分の責任です。

あるいは、あなたがほんとには神を信じていないからです。
ほんとに神を信じ、神から遣わされた人だと信じているのなら、自分の好みなどどうでもよくなるはずです。
あなたは神よりも自分の好みを優先している。
つまり、神をほんとには信じていない。

そのうえ人を巻き込んで不幸にしている。
全部自分のせいなのに、神が酷いことをしていると神を恨んでいる。
あなたが苦しむのは当然の罰です。
この回答への補足あり
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