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ガンジー「神は真理である」から「真理は神である」

ガンジーは「神は真理である」と述べていたが、後になると「真理は神である」と変えたとwikipediaで読みましたが、これは事実でしょうか。

このことを論理的に考えると、逆は必ずしも真ならずで、
神は真理である→全ての真理が神であるとは限らない
真理は神である→全ての神が真理であるとは限らない

つまり、信仰の対象を神から真理へ変えた、という風に、
とらえて正しいのでしょうか。

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A 回答 (2件)

つまり、信仰の対象を神から真理へ変えた、という風にとらえて正しいのでしょうか。



正しくないですね。
神を信じる。→神の言葉を信じる(神は真理なり)。→神の言葉にもとづいて実践する。→その経験に基づき神の言葉に絶対の確信を持つ(真理は神なり)。→自身の信じる神の偉大さを知る。(我神を信じる)
となっているだけですね。「信・行・学」でより信仰を深くするというやり方ですね。
「我神を信じる。」→(神は真理なり:言葉ありき)→真理の実践 →(真理は神なり)→「我神を信じる。」 の繰り返しだけですね。ガンジーは実践者だから(真理は神なり)→「我神を信じる。」 のより深い信仰の段階まで行きましたということでしょうね。ガンジーさんの信じた神の言葉が真理であって神は特定されているのですね。 
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神概念を人智で知りうる範囲よりも広い(すなわち、認識可能な真理よりも広い)と考えるのは、一般的だと思います。


さらに、真理も人智で認識しうる範囲よりも広いと想定することが一般的だと思います。すなわち、人智を包含する真理があり、その真理を包含する神があるという認識になろうかと思います。

であれば、人智による認識→真理→神へといった方向性で神を見ようとするとき、部分でしか認識不可能な人智にとって(トップダウン的に)「神は真理である」とするならば、「神」を誤って認識する可能性が含まれていることになるでしょう。

それよりも、(ボトムアップ的に)「真理は神である」とすれば、人智にて認識可能な範囲でのみ捉えていることを明確に示しているだけではなく、認識することによってしか人間の行動に影響を及ぼさないという実践的なレベルでの「神概念」の位置付けを明確にしていると思われます。さらに、「神」を誤って認識する危険性を避けることができると思われます。

このことは、ガンジーが対決したところの帝国主義(トップダウン)にも繋がるように思われます。(←この部分は、勝手な想像です)
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