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例えばハワイはアメリカに統治されて以来英語が中心的に話されるようになりましたが、地名はほとんどハワイ語のままです。アイヌは日本に占領されましたが、地名はほとんどアイヌ語のままです。

しかし、朝鮮半島は中国領でもなく朝鮮語が話されているはずなのにほとんどの地名が中国語になっています。

考えてみれば奇妙な話じゃないでしょうか。

何故こうなったのでしょうか。

昔の朝鮮人には中国に対する強い憧れでもあったのでしょうか。

A 回答 (4件)

このような質問では、言語と文字を混同したり、何故か無理やり日本の事まで語ろうとする方がよくいますね。



現在では、日本人や大和政権のルーツ=渡来人説 は否定されています。
自分に有利な材料が無い → 隠滅された これを議論や裁判でいったら恥を掻くだけ。
(ヒント:告発側の立証責任 悪魔の証明)
証拠を燃やした → 証拠を燃やしたという証拠は?
そもそも、燃やしたものが証拠としての価値がある という証明は?

日本書紀に聖徳太子の記載がある=日本書紀は嘘しかない ではありません。
現在疑問視されているのは、
「聖徳太子と功績と言われているものは厩戸皇子一人ものなのだろうか」
ということです。
厩戸皇子の実在や、その時代に仏教が導入された事まで否定しているのではありません。

また、資料=事実 と思い込む方が多いようですが、
日本書紀は山背皇子(厩戸皇子の子)を排除した勢力が記したものです。
資料を読む際に、書かれた背景や動機を考察することは、歴史を学ぶものなら常識以前の事です。
これらの事は、日本史だけのことではありません。



>アイヌは日本に占領されましたが、

質問の主旨からは外れるので詳細は語りませんが、そもそもアイヌは北海道の先住民族ではありません。
アイヌ人が最初に確認されたのは鎌倉時代ですが、それ以前にも住人がいた事は確認されています。
そしてアイヌの文化とそれは全く違うのものです。



>朝鮮半島の地名が中国語由来のものばかりなのは何故なのでしょうか。

回答は、地名=地名の表記(≠読み方) という前提でのものです。


回答:李氏朝鮮は建国時から日清戦争まで支那王朝の属国だったからです。

>昔の朝鮮人には中国に対する強い憧れでもあったのでしょうか。

憧れというよりは、盲従かもしれません。
彼らは、自分達を支那様の一の子分と思い込んで、それによって他国を見下していました。
(しかし、支那の序列では最低の扱いでしたが)

【小中華思想】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%B8%AD …
《概要
明と李朝が中華でありそれ以外の地域は夷であるとするものであった[2]。》


【醜い韓国儒教】
http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10002795295.html
(この腐れ儒教の影響は今でも色濃く韓国人の精神に多大な影響を与えており、例えば韓国人の常に人間関係や国家関係、歴史や文化などを『上下関係』として捉える、動物的価値観の形成は明らかに腐れ儒教の影響を受けていると思われます。)



朝鮮と支那については2:10から)
「朝鮮半島の地名が中国語由来のものばかりな」の回答画像4
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朝鮮国は長い間、中国の植民地だったからです。


日本は中国の移民が作ったのですが、皇族一派がそれじゃあ格好がつかないと、それまでの資料を
焼いてしまって、古事記なる物を作成したようです。古事記の原本は見つかっていません。
聖徳太子が現れるのは後の日本書紀です。
神武天皇以前に聖徳太子や仏教の象徴の寺院があるで、つじつまが合いません。
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No1さんが的確にお答えされています。



>朝鮮半島は中国領でもなく朝鮮語が話されているはずなのにほとんどの地名が中国語になっています。
>考えてみれば奇妙な話じゃないでしょうか。

日本だってそうですよ、話し言葉は古代の卑弥呼の時代から中国語ではありませんでした。
もちろん今だってそうです。

でも都市の名前を見てください。
東京、大阪、名古屋、福岡、神戸、京都、すべて漢字ですよね。
私達が使用している文章だって「やまとことば」はあてはめているものの、かなりの部分が漢字です。

古代から中世にかけてアジアでは中国が圧倒的な力をもっていました。
文化的にもそうですし財力、軍事力もそうです。
ですから、周辺の国々が中国に憧れ、その文化を積極的にとりいれたのです。
日本や朝鮮だけではありません、ベトナムだって漢字を使用していたのですよ。

平安時代に日本で漢字をくずして仮名ができて、やっと大和言葉が字として表現できるようになりました。
しかしあまり教育されていないのですが、男性が書く言葉や公文書は中国語の漢文だったのです。
仮名というのは女子供がつかう言葉だったのですよ。このあたりハングルと共通しています。
ですので漢字を「真字」といい、これに対する言葉として「かた仮名」「平仮名」と「仮名」を使ったのです。

文化的な先進国、いわば覇権をもっている国に対しての憧れはいつの時代でも共通しています。
いまでいえば、日本でもカタカナ英語が氾濫していますよね。
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話し言葉と書き言葉という概念があります。



日本では平安時代くらいまで、書き言葉は漢文、話し言葉は大和言葉(ただし日本中に方言あり)でした。
平安時代に仮名文学が発展して、話し言葉を文章で表現できるようになりました。ただし日本中に方言は残っています。
明治維新後に標準語が制定され、またテレビの普及によって方言が徐々に減少し、話し言葉と書き言葉が、ほぼ同一になりつつあるのが現代日本です。

朝鮮でも長い間、書き言葉は漢文でした。
1446 年にハングルが制定されましたが、制定した世宗当人の、『ハングルは下級民の使う文字で、上級民は漢文を使う』という発言が記録されています。まだまだ朝鮮の支配層は漢文を使う時代が続きます。
日本が朝鮮を併合した時に、朝鮮にも教育を普及させなければいけないという事で、ハングルを用いた書き言葉が急速に広まりました。

そういう大雑把な歴史はともかくとして、朝鮮を支配していた人々が長く漢文を使っていたのですから、地名に漢文表記が多いのは当たり前の事です。
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