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No.5
- 回答日時:
将軍が二つに分かれたというよりも、幕府の有力者である細川などと対立した将軍は地方に追い出されて、別の将軍がかつぎだされたということです。
細川氏が権力を握ったのは、もともと管領になる有力な守護大名で、応仁の乱を経ても分裂しなかったからでしょうね。
有力な守護大名だったところでも、分裂して争ったところは力が落ちてます。
また、細川氏に経済力があったことや京都周辺に地盤があったこともあるでしょうね。
No.4
- 回答日時:
政治のことだけを考えていると、わけわからないことになります。
むしろ経済に注目するとわかりやすくなります。当時日本国中で「農業生産力」が急激に向上し、地方に「強大な財力を持つ支配者」が誕生しました。
この時、土地支配をしたのが後の「戦国大名」で、流通を支配したのが後の「町衆・豪商」です。
彼らは、京都政権に頼らなくても実力支配ができるので、中央政権は名目だけのものになりました。
将軍家も中央で権力争いを続けましたが、むしろ争ってくれないと
「地方での権力争い」の理由がなくなるから、「中央での争い」が11年続いたのです。
ちなみに「応仁の乱」の争乱での死者は少数です。これも「形式的な戦い」であった証拠であると思います。
もちろん事実上の「応仁の乱」の勝者はいません。混乱だけが残されたのです。
当然、守護大名も中央での争いをやめ、地方に帰って領国支配しようとしましたが、
多くの名門守護はそれに失敗したわけです。すでに国人、地侍が戦国大名に育ったからです。
天皇家や公家権力も、地方では不必要になったわけですから「荘園」という存在に頼った経済は崩壊しました。
この後「天皇家・公家」は戦国大名にたかって生きざるを得なくなったのです。
その結果「天皇家・公家」はわけわからない権威を利用たし、武士勢力への寄生虫生活が江戸末期まで続きます。
こうして、戦国時代になったのです
No.3
- 回答日時:
細かく見てみましょう。
>応仁の乱以降将軍は名目だけの存在となり、
もともと室町幕府に力があり、将軍がきちんと国を治めていれば、こんな内戦は起こらないですね。起こったということは、将軍の統率力が弱っていること。逆に言えば、各地の大名の力が相対的に上がり、その間で権力争いが起きた。その結果、国は疲弊し、さらに将軍の力が落ちた、ということですね。
>細川氏が京都の政権を握った。
詳しく話せばきりがないのです、応仁の乱は、ざっくり言えば、細川 VS 畠山 で、最終的には細川が勝ったわけです。将軍の力が落ちただけでなく、京都での戦いが続いたため、京の守護の財政は厳しくなり、国に対する支配力が低下し、守護代や家臣が勝手に領地を治めようとする。あせった守護は、在京をやめて国を守るため下国し、直接国を支配しようとする。没落した守護も多かった。結果、京都はもぬけの殻。結果として、京に残った細川が、幕府のさまざまな権限を行使できるようになったってことです。
>将軍は二つに分かれて権力が分散したと考えていいのでしょうか?
細川氏が実質権限を握ったってことですね。将軍は、権限のトップですから、それが2つに分かれたわけではない。将軍はいるけど実質力がなくなり、京に残った、勝者細川が代わって力をもったということですね。
>そのように考えた時なぜ将軍でもない細川氏が権力を握ったのでしょうか?
将軍は結果です。現代のような民主主義でも、法治国家でもないので、秩序を保てて初めて権力をを維持できる。将軍だから権力があるのではない。権力がある人が将軍になるのです。応仁の乱は、細川と畠山の小競り合いではなく、それを納められなかった幕府や将軍の権力がなくなり、そのかわりに守護が、力で他国を奪ってもいいことになってしまった。これが、戦国時代の下剋上を生み出し、時代は大きく動いていくわけですね。
No.2
- 回答日時:
将軍は二つに分かれません。
将軍は一人です。そもそも日本には大和朝廷の時代から天皇がいた。
昔の天皇は自ら政権運営する実力があったけれども、平安時代に摂政関白が政権運営するようになって、天皇から政治の実権は無くなった。
鎌倉時代や室町時代には将軍が政治の実権を握るようになり、天皇にも摂政関白にも政治の実権が無くなった。
応仁の乱以降は細川氏が政治の実権を握るようになり、天皇・摂政関白・将軍いずれにも政治の実権が無くなった。
さぁ今の日本を見てみましょう。
政治の実権は大臣にあるでしょうか?
それとも政策を提案している霞が関の官僚にあるでしょうか?
財務省や防衛省は大臣が強そうだけれど、環境省なんか大臣はお飾りで官僚が全て決めてそうな雰囲気。
No.1
- 回答日時:
鎌倉幕府でも将軍はお飾りで、執権職を独占した北条得宗家が実権を握った。
それと同じこと。
当時の日本は天皇家のように血筋が非常に尊重された。室町将軍家も、清和源氏の有力者の流れを汲んでいるが、細川氏はそこまでの貴種ではないので、周りが将軍とは認めてくれない。だから将軍家をお飾りにして実権を握った、という意味。
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